近年、右肩上がりの好調が続く漫画業界。漫画の制作現場にも注目が集まり、漫画家だけでなく編集者への関心も高まってきた。メディアでも編集者に関する記事を目にする機会が増え、ライブドアニュースでもこうした記事を掲載しては、大きな反響を集めている。

では、編集者は、何を考えて仕事をしているのか?
漫画家は、編集者に何を求めているのか?

「担当とわたし」特集は、さまざまな漫画家と担当編集者の対談によって、お互いの考え方や関係性を掘り下げるインタビュー企画。そこで見えてきたのは、面白い漫画の作り方は漫画家と編集者の関係性の数だけ存在し、正解も不正解もないということだ。

第5回は、「月刊flowers」で連載中の『ミステリと言う勿れ』から、漫画家・田村由美と編集者・永田裕紀子が登場。30年以上にわたる画業の中で、『BASARA』『7SEEDS』などの人気作を描いてきた田村だが、初期の頃は編集者に悩まされることが多かったという。

そのような境遇でも、「自分が描きたいものを描く」という思いを貫けたのはなぜなのか、田村自身の体験を紐解いた。

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取材・文/加山竜司

「#担当とわたし」特集一覧

田村由美(たむら・ゆみ)
9月5日生まれ、和歌山県出身。O型。1983年に『オレたちの絶対時間』でデビュー。主な作品に『巴がゆく!』、『BASARA』、『7SEEDS』など。『BASARA』で第38回、『7SEEDS』で第52回小学館漫画賞 少女向け部門を受賞。現在、「月刊flowers」で『ミステリと言う勿れ』、「増刊flowers」で『猫mix幻奇譚とらじ』を連載中。
担当編集者・永田裕紀子(ながた・ゆきこ)
メディアワークス、スクウェア・エニックスなどを経て、2007年に小学館に入社。「週刊ヤングサンデー」、「Sho-Comi」に配属後、「月刊flowers」編集部へ。現在の担当作品は『マロニエ王国の七人の騎士』(岩本ナオ)、『オープンクロゼット』(谷和野)など。

    デビュー当時は女性編集者がいなかった。今とは違う少女漫画の現場

    田村先生は漫画家として30年以上ものキャリアがありますが、これまで何人の編集者が担当についたか覚えていますか?
    田村 今年でデビューして38年目なんですが、担当してくださった編集さんは15人になるかなと思います。同じ方がもう一度担当になることもあるので、担当さんが替わった回数でいえば、22、3回でしょうか。
    それはペースとしては多いように感じますね。
    田村 他の方がどうなのかわからないんですが、多いんでしょうか。デビューのときの担当さんは4、5年くらい受け持ってくださったんですが、その後は半年から1、2年くらいでどんどん替わっていきました。なので5年以上という方はわずかです。
    永田さんはいつから田村先生の担当に?
    永田 2013年、『7SEEDS』の途中からです。そのあと一度離れ、『ミステリと言う勿れ』の連載が始まったあと、2019年から再び担当させていただくことになりました。
    ▲『7SEEDS』は2001年〜2017年に「別冊少女コミック」(のちに「月刊flowers」に移籍)で連載。隕石落下後の荒廃した世界に放り出された若者たちの、生きざまと人間ドラマを描いた。2019年にはNetflixでアニメ化された。
    一般的には、編集者が別の部署(または雑誌)に異動になると、作家の担当が替わりますよね。
    永田 そうですね。また異動とは関係なく、編集部内で担当替えも行われます。「定期的に替えたほうがいい」と考える編集長もいれば、「漫画家との関係や作品がうまくいっているなら替える必要はない」と判断する編集長もいるので、ケースバイケースだと思います。
    田村先生はデビューされた当時から、永田さんのような女性編集者が担当につくことが多かったのでしょうか?
    田村 いえ、デビュー当時はまったく女性の編集さんがいなかったんですよ。「なぜ少女漫画の編集部に女性がいないんですか?」と聞いても、「女の人を夜遅くまで働かせられないでしょ」って言われたりして。そんな時代でした。

    だから、デビューしてから12、3年目までは全員年上の男性が担当さんでしたね。近い歳の方もいなかったです。

    さらに「女同士だと意見がぶつかるでしょ?」とか「女の人に言われたことは素直に聞き入れられないでしょ?」なんてことも言われました。私は「そんなことないよなあ」とか「男性でも女性でも聞けないことは聞けないけども」と思ってました。編集さんたちのこの思い込みはどこからきたのか興味深いですね。
    少女漫画の編集者はむしろ女性が多い現在からすると、ナンセンスに感じますね。
    田村 はい、いい時代になりました。当時の担当さんで「少女漫画なんかわかんねえよ」とか「早くサンデー(「週刊少年サンデー」)に戻りたい」とおっしゃる方もいて「うん、だから女性がやったほうがいいんじゃないかな」とずっと思ってました(苦笑)。
    永田 今は、小学館の少女漫画の部署にいる編集者は7〜8割が女性になっていますから、だいぶ変わりましたね。
    田村 『BASARA』の連載途中で初めて女性の担当さんになりました。その方はのちに小学館の漫画雑誌で初の女性編集長になられたはず。今は女性が編集長になることも多くなったみたいですね。
    永田 産休や育休を取ってもお互いにフォローし合って、働きやすい環境になっていると思います。
    田村先生はこれまでいろいろなタイプの編集者と接してきたと思います。担当編集が替わったときに、その人が信頼できるかどうか、どういったところを見ていますか?
    田村 信頼はしてます、皆さん最初から。うまくやっていきたいですし、私も信頼してもらいたいです。だから最初は緊張しますね。でも、編集さんは話しやすい方が多いというか、こっちが会話下手でもどんどんつないでいってくださるのでありがたいです。それはある種、編集さんのスキルなんだと思います。

    こちらが描きたいもののイメージや、まだまとまってないアイデアをとりとめなく話したときに的確に捉えてくれて、「このカテゴリーで、こういうタイプの話なんだな。で、面白さの肝はこれか」っていうことがピシッと通じる方だとうれしいです。すごい人になると、「それはお能でいうとこういう…」「昔の映画でこういうのがあったけど、あのシーンの…」みたいに違う方向から広く捉えようとしてくださったり。

    『BASARA』を始めたときの担当さんがその方で、大好きだったんですが、ネームを送ってその返事をいただくときに、第一声が「面白かったです!」って強くはっきりとよく言ってくださったんです。もうそれで「よっしゃ! 下描き頑張ろう」って勢いがつくんです。気持ちを乗せてくださる方でしたね。

    やる気を削がずに前へ前へと走らせてくださった担当さんが何人かいてくださって、とても感謝しています。現担当の永田さんもそうです。

    漫画家は「描きたいものを描く」を貫いたほうがいい

    田村先生は『巴がゆく!』で、第1話を丸々描き直したことがあったと聞きました。
    田村 はい。「別冊少女コミック」(現在は「ベツコミ」)では、デビュー当時から「主人公は必ず少女」「アクションやサスペンスはダメ。アクションを描きたいならスポーツものにして」と言われていて、男性を主人公にアクションぽいものを描きたかった自分には苦しい新人時代だったんです。でも『巴がゆく!』は、初めて「好きなものでいいよ」と言われた作品で、もちろん主人公は女の子でなきゃダメなんですが、自分でもワクワクしてたんです。

    第1話のネームがすんなり通って原稿を仕上げたんですが、突然「なんか、これじゃダメなのでは」と思って。というのもその前に描いてた連載のちょっとコミカルな雰囲気を引きずってたからなんです。なので「全部描き直したい」と、当時の担当さんに伝えました。そうしたら「ネーム(注1)を通した俺のメンツはどうしてくれる!」と反対されまして……。ものすごく驚きました。

    「いや、そんなん知らんがな!」と思って食い下がったら、「じゃあ、編集長に聞いてみよう」ってなって、当時の編集長さんに相談したら「直したいなら直してもいいんじゃない?」と(笑)。それで全60ページを描き直しました。よりシリアスにして、敵になるキャラも出て、自分では絶対に直してよかったと思ってるんですが、その担当さんにはずいぶん後になっても「あれは恨みに思ってるよ」と言われました。なんでだろう。これを直してなかったらあとの『BASARA』はなかっただろうと思えるんですが……。あ、でもこの方も面白い方だったから好きな担当さんだったんです。

    あの、もしかして小学館では、通したネームを変更されるような編集さんは社内的にマイナス評価をつけられたりするんですか?
    永田 いえいえそんなことはないです(笑) 編集部としては完成した作品しか見ないので、ネームの過程でどういうやりとりがあったかというのは編集者の評価には関係ないです。最終的に面白くて人気が高ければOKなので。編集者のタイプとして「打ち合わせの通りに描いてほしい」と思う方は、そこから外れるのを良しとしないのかもしれませんが、漫画家さんが家に帰ってもっといい展開を思いついたら変えて構わないと思います。むしろ、打ち合わせと全然違うネームがきてめちゃくちゃ面白くなってると、「すごい…!」と鳥肌が立ちますね。
    ※注1:コマ割りやキャラクターの配置、セリフといった、漫画の構成をまとめたもの。一般的に商業誌の場合、漫画家が描いたネームを編集者が確認し、OKが出たあとで原稿に取り掛かる。
    ▲『巴がゆく!』は1987年〜1990年に「別冊少女コミック」で連載。財界の後継者争いに巻き込まれた少女・巴の戦いと恋愛を描いた。OVAなどメディアミックスも実現し、出世作となった。
    なるほど。そういうことがあるんですね。
    田村 漫画を描くには、まずプロットを作り、ネームにして、下描きをして、ペンを入れて……と、いろいろな段階があるんですけど、私はその過程で内容を変えたくなることがままあるんです。お話も画面構成もセリフもです。ネームのコマ割りなんかは「とりあえず…」って思ってるところがあって。
    自分としては、「そのほうが面白くなる」と思うから変えようとするので、「面白くなるならどんどん変えていいよ」と言ってくださる担当さんはありがたいです。「俺が通したネームを変えるな」と言われるのは意味不明だと思います。「面白くなくなったから変えるのはダメ」だと言われるならわかるんですが。
    いつも編集者からの意見は、どの程度参考にされるのでしょう?
    田村 こう言うとえらそうに聞こえるかもしれませんが、編集者さんにアイデアを出してもらおうとか、話を考えてほしいと思ったことは一度もないです。そういうものだと思っています。それこそ若い頃は、担当さんから出たアイデアは「絶対に使うもんか」と思ってたくらい(笑)。

    ただ、担当さんに何か指摘されるということは、そこに不備があるということで、わかりにくいとか、納得いかないとか、物足りないとか、やりすぎとか、そういうことだろうと思うんです。担当さんはなぜその部分がひっかかったのか、その理由がわかれば、そこから解決策を考えるのは自分だと思ってます。

    これは新人さんにお伝えさせていただいたことがあるんですが、「担当さんにこうしろと言われても、それをそのまま使うんじゃなくて、なぜそう言われたのかを理解して、解決策を考えてみて」と。そして、言われたものより面白いものにする。それが漫画家の心意気だろう、と(笑)。

    担当さんは正解を知ってる人じゃないです。学校の先生じゃない。でも新人の頃は担当さんが先生みたいに思ってしまうんですよね。
    となると、新人の頃はなかなか意見が通らないこともあったのでは。
    田村 そうですね。担当さんから「これはやめましょう」とか「こうしましょうね」と言われたら、新人だと言うことを聞くしかないと思ってしまう。内心は「いやいや、絶対にそれじゃダメだよ」と思っても、言われた通りにするしかなかったことも。

    それで後悔したことは何度かあります。評価が良くなくても、「これは担当さんに言われたからこうしたんです」と、読者の皆さんに言えるわけではないですから。

    初めて連載をやらせていただいたときがそういう状況で、やりたかった設定を大きく変更させられました。「初連載だから冒険せず無難にやりましょう」って言われて。衝撃でした。「漫画における無難ってなんだ?」って思いました。でもすぐ担当さんが変わったんですね。そしたら、新しい担当さんが「最初の設定の方がよかったね」っておっしゃって。地団駄を踏みました、「最初からこの人だったら…!」って。いや、なにより「担当さんによって描く話が変わっちゃうのか…!」って。そのとき初めて「あ、担当さんの言ってることって、編集さんの総意ではないんだな」って思ったんです。「個人個人の判断で言ってるんだな」って。

    だとしたら、自分としては納得がいってないのに言われた通りに変更するのはリスクがありすぎる。自分の名前で出る作品なんだからって。

    これ以降はそんな理不尽な状況はなかったですけど、ここらへんは肝に銘じようと思いました。新人の頃は、担当さんがどなたになるかで本当に大きく違うんですよ。
    担当が変わったことで気づけたんですね。
    田村 ただ、たしかに私もデビュー当時は本当にダメだったと思います。
    “少女でスポーツものを描く”ということにどうにも乗り切れなくて。しかも、なるべく学校のクラブ活動の話とかじゃなくて、たとえば男性ふたりとチームを組んで賭けテニスをやってるとか、謎の事故で亡くなったチャンピオンの兄がいるとか、ちょっとサスペンス風味を混ぜたりしようとしてたんです。でも、ネームを直せば直すほど訳がわからなくなってましたね。とにかくネームを通してもらうことしか頭になくなってしまうんですよ。

    当時の担当さんに言われて一番心に深く残ってるのは、「お話とキャラが合わなくなったら話の方を変えなさい」というものです。

    自分はついキャラを話に沿わせてしまって、感情とそぐわない無理やりな動きをさせてたんです。担当さんは私のネームを見ては「ほかの新人は直すところがわかりやすいのに、あなたのは何がわからないのかもわからない!」とよく頭を抱えておられました。実際、自分でも何を描いてるのかわかってなかったんです。

    だから、本当は描きたいと思うものを描ける力はなかったんですよね。壮大げなプロットを持っていっては、「今のあなたにはこれは無理だよ」と言われたり、「手塚治虫先生がこれを描いたら面白いだろうね」って言われたり。これに関しては、「そんなこと言われてもそりゃそうだろう」としか思えなかったですけど(笑)。

    わりと最近になってから、当時の担当さんに聞いたんですけど、「当時、編集部にはあなたを評価してる人は誰もいなかった」そうです。
    なんと……。そうした境遇で、「描きたいものを描く」を貫けたのでしょうか?
    田村 半年くらいそうやって直しばかりでネームが通らなかったんです。いつもプロットを3本持って行って、その中のひとつをネームにして、それを3回直してダメだったらその話は捨てて、また新しくプロットを3本持って行く。これを繰り返してました。

    なんかいい加減腹が立ってきて「もう描きたいものを描きたいように勝手に描くわい!」と思いまして、持ちキャラでネームを作り始めたんです。男性を主人公にしたアクションサスペンスっぽい群像ものです。

    でも最初は、好きに描いていいはずなのにまるで描けなくなってて、毎日毎日ネームを自分で直してました。テンポというかリズムというか、そうしたものがガタガタになってたんです。でも、あるときからするっと流れるように進んで、一気に200ページ描いて、同人誌にしてコミケに行って。

    その同人誌を、当時の「ウィングス」(新書館)の編集長さんがものすごく評価してくださったんです。「これ(同人誌)、このままうちで連載しませんか?」とまで言ってくださって、ものすごくうれしかったです。同じものを「別冊少女コミック」の担当さんにもお渡ししましたが、うちはこういうんじゃないと思われたみたいです。私自身は、「別冊少女コミック」ってこういうジャンルもありだと勝手に思ってたんですけど。

    その後、「ウィングス」さんで描かせていただくことはなかったんですけど、いつも「そろそろやりませんか?」と誘ってくださって、本当に心強かったです。ずっと、今も、感謝をお伝えしたいです。
    「自分は変わらなくていい」と、自信をたしかなものに。
    田村 そうですね、自分を評価してくださる方がいると思えるのは幸せだと思います。「自分の描きたいものを描けば大丈夫だ」みたいな、かすかな自信はできたように思います。

    それからなんです。少女を主人公にして描いてもネームがすんなり通るようになりました。担当さんもびっくりされて「一体何があったんだろうね。なぜかわからないけどコツがわかったみたいだね」って。コツとは違うと思うんですが、好きなように1冊描いてわかったことは、やはり自分がキャラを好きでないとダメだ、キャラを大事にしないとお話は作れないってことで、じつはそれはずっと担当さんに言われてたことでした。
    ひとつの転機だったわけですね。
    田村 はい。それから少しずつ自分の描きたいものも描かせていただけるようになりました。タイムスリップして信長に会うような話がOKになったりしたので。しかも、それがありがたいことに読者アンケートがすごく良くて。いつのまにか「この話はまだ無理」とは言われなくなりました。

    『BASARA』も、最初は「こんな話、ダメだろうな」と思いながら、「一応、あのー……」みたいな感じでプロットを出したんです。

    そしたらサクッとOKが出たので、「これはいったいどうしたことだろう?」と。
    ネームが通ったことを不審がるなんて(笑)。
    田村 いや、本当にびっくりしたんですよ。そして、それ以来ずっと自由です(笑)。ただ、少女が主人公というのだけは揺るがなかったんですけど。増刊の読み切りシリーズとかでは、少年を主人公にすることもできました。でも、もうその頃には少女を主人公にして描くのも楽しくなってましたね。

    このように紆余曲折はあったんですが、デビュー当時から見てくださった担当さんには本当にお世話になりました。すごい力のある方で尊敬してました。いつも漫画家ひとりひとりをどう育てるか、それぞれ個別に方法を考えておられる方でした。

    そういえば当時、「赤川次郎さんを読め」とよく言われました。都筑道夫さんや小林信彦さんも。自分は中井英夫さんや山岡荘八さん、安部公房さんとかが好きだったと思うんですが、軽妙さやキャラクターの勉強をしろということだったんだと思います。ああそうだ、ほかの新人さんたちと一緒に映画にも何度か連れて行っていただきましたね。加えて思い出しましたが、「ウィングス」の編集長さんからは「『汝の父を敬え』を読むといいよ」と、厚い本をいただきました。

    こういう指導をしてくださった方は後にはいなくて、デビュー時代にこの方に見ていただけたのは幸運だったんだな、と思います。

    永田さんは、新人さんに「こんな本を読んだらいいよ」とかお話されたりしますか?
    永田 短編小説集や映画のDVDを送って、お互いに“面白い”の共通言語を作ったり、「こういうヒキはかっこいいですよね」と話したりしますね。逆に、新人さんが「あんな雰囲気の作品を描きたいです!」とマニアックな映画を例に出したりすると、こちらがそれを見てイメージを共有したり。

    あと、海外の方が書いた映画やドラマの脚本術の本を勧めることもあります。漫画家さんが、いざデビューして「お話づくりってどうするんだっけ…?」と途方にくれることもあるので、そこを抜け出す一助として「読んでみたら?」ということはあります。その本の通りにしてほしいということではなく、脚本術ってある程度セオリーがあるので、その型を知ったうえでアレンジしてみたり型破りなことをやってみたりもできるのかなと。ただ、そういうノウハウを読むことでかえって混乱する人もいるのでケースバイケースですね。
    田村 すごい……。いいなあ。その脚本術の本、教えてください!
    ▲『BASARA』は1990年〜1998年に「別冊少女コミック」で連載。荒廃した未来の日本を舞台に、革命の指導者となった少女・更紗の壮絶なる愛と戦いの日々を描いたSF大河ロマン。累計発行部数1600万部超の大ヒットを記録し、アニメ化や舞台化も実現した。

    作品の大局を見てほしい。田村由美が編集者に求めるもの

    田村先生は編集者にどういったことを求めていますか?
    永田 あの、私はいないものと思って正直なところを……(笑)。
    田村 そんな(笑)。ネームを読んだときに感じた素朴な疑問点を言っていただけると助かります。「ここはこういうことですか?」とか「この人はこう思っているんですか?」とか。そういうところは、おそらく読者の皆さんも同じように感じられるかもしれないから。

    「あ、そう見えるのか」とか「ここは伝わっていないな」ということがわかれば、そこを直したり、掘り下げたりできるので。おかしい一例ですが、『7SEEDS』のとき、当時の担当さんに「(地下の)この穴は蟻の穴にしては大きすぎないですか?」と素朴な疑問として聞かれて、初めて気がついて、「あれ? そうか、じゃあもっと大きい生物がいるんだ」ってことにそそくさとしました。そういうことが起こったりします(笑)。
    なるほど。永田さんは田村先生のネームを読む際、どういったことを心がけていますか?
    永田 最初の読者として、できるだけニュートラルな気持ちで読もうと心がけています。打ち合わせの中で話の内容は知っているし、先の展開についてもうかがってます。でも、そこは一度置いて先入観なしにまっさらな「最初の読者」であることを心がけます。
    田村 ありがとうございます。思っていることがどうしてもうまく表現しきれてないことがあるので、それはありがたいです。
    永田 たしか『7SEEDS』のとき、登場キャラクターの(末黒野)花さんと新巻(鷹弘)さんのやりとりをネームで読んで、私がふと「これってこういうことなんですかね?」と聞いたら、先生の意図と違ってたことがありましたよね。そのときはネームにOKの返事をして、後日届いた下絵を見たら、そのシーンが数ページくらいガラッと内容が変わってて、めちゃくちゃ面白くなってるんですよ。

    田村先生は、最初の読者の小さな反応にもここまで全力で応えようとされるんだと驚いて、「下手なことは言えないぞ」と身を引き締めた記憶があります。ただ、いろいろ考えすぎると身動きが取れなくなるので、あくまでピュアな気持ちで読もうと。
    田村 あのときは本当に「あ、新巻の気持ちを明確に描いてなかったな」って思って。読者の皆さんにも誤解が生じている可能性があるからしっかり描こうと思えました。ありがとうございました。
    永田さんは田村先生を担当するにあたり、前任者から何か申し送りはあったのですか?
    永田 同じフロア内に歴代の担当者が何人かいるので、その方たちから話を聞いたことがあります。

    「田村先生はとにかくアイデアが豊富なので、数多くあるアイデアを選び取っていく作業を手伝ってあげて」と言われました。一緒に「う〜ん……」と悩みながらアイデアを出したり、ネタを考えたりするというよりも、田村先生からあふれ出てきた多くの選択肢を交通整理するという……。
    田村先生から編集者に相談することはあるんですか?
    田村 それはもちろんあります。いつも、永田さんにも「これはページ数には収まらないから分けたほうがいいだろうか」とか、「ここまでやって大丈夫だろうか」とか、「この話を先に描いたほうがいいのか」とか、全体的な枠作りとか、専門的な部分を編集さんの目線で見てもらったり、いろいろ相談させていただいています。大きな目で見てもらえるのはうれしいんですよ。

    たとえば、毎度『BASARA』を始めたときの大好きな担当さんの話で申し訳ないですが……。その方は男性ですが、全体的な流れを見てくださる、漫画というものをすごくよくご存知な方で、私が「この話はこのあとAにもBにもいける。どっちもありだけど、どっちを先にしたらいいのかな」と迷ってると、「うーん…こっちじゃないかな」と示唆してくださいました。「この章はもう結果がわかってるから早く進んだほうがいい」とか。
    大局的な視点で物語を見てくれていたわけですね。
    田村 はい。その方が担当した新人さんは、皆さん軒並み伸びたので、私だけと相性が良かったわけではないと思います。そういう“伝説の編集者”みたいな方もいらっしゃいますね。

    最近、その方とお話させていただいたときに「(『BASARA』をやってた)あの頃、楽しかったよね!」と言ってくださって、私も「はい!」って。年間1000枚くらい描いてた頃で忙しかったんですが、楽しくて充実してました。『7SEEDS』で泥沼に陥ったようになったときもものすごくお世話になったので、今まだ自分があるのはこの方のおかげだと思ってます。

    当時、この方と打ち合わせ中に、私が「あっ! わかった!」とよく叫んでました。「えっ、なになに?」って返してくれて(笑)。「こうしたいけどこれもやらなきゃ。でも何かが足りない…」とか、とりとめなく話してる最中に自分の中で「点と点がつながった」ようになって、ピースが見つかるというか、突如話ができあがるときがあるんです。きっとうまく導いてくださってたんだと思います。でも「あなたが考えたんだからね」っておっしゃって、ご自分の手柄にはしない方で。

    その編集さんは『BASARA』の8〜9巻あたりで私の担当から替わってしまったんです。そのときに「ああ、私の“いい時期”はここで終わったんだ」とすごく思いました。
    “いい時期”とは?
    田村 これから自分の運気的なものが下がっていくんだろうな、と。描き手としての斜陽化を感じたので、すごく寂しかったですね。担当さんが替わるって、漫画家にとっては本当に大きいことなんです。
    少し話を戻しますが、田村先生は編集者に「アイデアを思いつくきっかけ」を求めているのでしょうか?
    田村 それは結果なんですけどね……。求めてしているのとは違うかな……。私の場合、アイデアを思いつきたいというよりは、点と点をつなぎたいという感じなんです。いつも点がバラバラとあるんですよ、すごく遠くまで。その間はまったく決まってないのに点だけ。つまり、あるシーンだけがもうできてる。そこにどうやってたどり着くのかをいつも考えてるんです。そういう話は、担当さんたちとよくしてると思います。

    『ミステリと言う勿れ』を立ち上げたときの担当さんは、凛々しい女性で大好きなんですが、ご本人がもう面白すぎて……。漫画の内容とは全然関係ない雑談でものすごく長電話になっちゃう方なんです。その最中に、“(自分の中の)何か”に気づいて、やっぱり「わかった!」って思うことが多かったりして。他にも「そこは考えてなかったな」と気づかされることもあるので、雑談を含めてたくさん話すことも大事だと思います。でも、ただ長電話になる方もいらっしゃいます。何が違うんだろう。
    永田 たしかに田村先生は、人と話すことでご自分の中で考えを整理されている印象がありますね。
    田村 そ、そうですか? そうなのかな。永田さんとのお話もめちゃくちゃ楽しくていろいろな気づきがあります。永田さんはものすごく頭の回転が早くて鋭い方で、それでいてボケに回れる懐の深さがあるというか……。私は〆切が近くなるとしょっちゅう泣きごとを言うんですが、明るく盛り上げて勇気を与えてくださいます。いつも励まされてる……。常に明るくいるというのはおそらくしんどいことだと思います。

    それに連載が長くなると、前に出てきたエピソードや、キャラが言ったことをうっかり忘れてることもあるんです。私だけかもしれませんが…。そういう部分を指摘してくださるので助かります。例えばつい最近、『ミステリと言う勿れ』で整が道に迷ってる人に「大丈夫ですか?」と声をかけるシーンをさらっと描いてしまってて。永田さんが「整は前に“大丈夫ですか”ってきいちゃいけない。って言ってましたよね」って気づいてくださって。「あああ、そうでした!」ってなって少し直しました。そんな大事なことすら抜け落ちたりするので。
    なるほど。
    田村 でも、漫画家と編集さんの関係って本当に人それぞれだと思います。作品のタイミングとかそのときの雑誌の状況によっても変わりますし。だから、新人の皆さんに言いたいんですけど、担当さんと合わない、しんどい、と思うことがあっても、そのせいであきらめるのはもったいないです、と。担当さんは替わります。いろいろな人がいます。言うことがまったく違ったりします。合う人はきっといる……かもです。

    同時に、運良く相性の良い担当さんとタッグを組めたとしても、いつか必ずいなくなります。そのときに自分の足で立ててないと崩れます。だから、……なんとかうまいこと頑張ってください!
    永田 ひとりでも多くの漫画家さんが、ご自分と合う編集者と出会えればいいんですけどね。

    アイデアはつねに口に出してアピールしておいたほうがいい

    先ほど永田さんが言った「田村先生はアイデアが豊富」という話を、もう少しくわしくお聞きしても?
    永田 普段の打ち合わせでもさまざまなストーリーの選択肢を考えていらっしゃるんですが、印象的なことが『7SEEDS』が終盤に差しかかった頃にあって。「次の連載ですが、何か描きたいものはありますか?」とうかがったら、田村先生から「こんなのが描きたい」「こういうネタもある」「こんな取っ掛かりを考えている」と、次から次へとアイデアがあふれ出てきて、私はそれをメモするだけで精一杯でした(笑)。

    あれだけの長期連載を駆け抜けられていたにもかかわらず、燃え尽きるどころか、田村先生は「どこまでも描きたい」という情熱がすごかったです。
    田村 (笑)。長い連載をやってると、短編のアイデアが溜まってくるんです。
    永田 あのときの田村先生は、ファンタジーからミステリまで、いろいろなジャンルのアイデアをどんどん話されていて、100個くらいのネタをメモした覚えがあります。
    田村 100個は嘘です(笑)。永田さんはこんなふうに調子いいとこがあります(笑)。大好きです。

    いや、アイデア全部がちゃんとストーリーとして完成してるわけじゃないんですよ。取っ掛かりだけとか設定だけのものもたくさん。だから、実際それを描くとなったら大変だと思います。

    ただ、「こういうのも描けます」「描きたいものがこれだけあります」というアピールはこまめにしたほうがいい、と新人の頃から思ってたんです。できる編集さんはそういうことを覚えていてくださるので。そうやってせっせとアピールしていると、「このあいだ言ってたアレ、やってみる?」と言ってくださることもあって。だから常にアピールです。小さいことも大きく言っときます(笑)。
    それだけアイデアがあふれていると、ご自身の連載とは別に、原作者としてアイデアを提供する方法もあるのでは?
    田村 あ、最近よくそういうお声をかけていただくんですが……。

    すごく認めてくださってるんだな、ってとても光栄に思うんですが、ストーリーやキャラがきちんと完成してるものをたくさん持ってるわけではないので、結局1から作ることになります。今は、その余裕がちょっとないです。
    永田 ほかの方が作画をされると、ご自分の頭の中のイメージとの違いに田村先生がストレスを感じられるんじゃないでしょうか。ちなみに今、田村先生は漫画の背景も全部おひとりで描かれてるんですよ。
    ▲第8巻『episode11 星降る舌八丁』より。
    連載作家さんだと、背景はアシスタントに任せるケースが多いですよね。
    永田 理由をうかがったら、「頭の中にあるものをアシスタントさんに説明するより、自分で描いたほうが早い」とおっしゃってましたよね(笑)。
    田村 『BASARA』も『7SEEDS』も架空の場所ばっかりだったので説明できなかったというか、もうそのやり方でここまできてしまったので今更どうにも……。でも背景を描くのも好きなんですよ。背景って背後にあるわけじゃなくてキャラと地続きなので浮いてほしくないというか。時間がないときは思うようにできませんが、時間さえあれば、背景込みでキャラを考えるのが楽しいし、自分でやる方が精神的に楽かなあと思います。下手だとしても。

    〆切ギリギリのときに何が一番大事かって、精神の安定なんです。だからなるべく自分でやりたいと思ってます。

    とにかく今『ミステリと言う勿れ』でかなり手一杯で、当面、ほかのことはできないと思います。増刊の『とらじ』(『猫mix幻奇譚とらじ』)もありますし。
    永田 田村先生のアイデアを漫画にするのであれば、ご自身で描かれるのが一番面白くなると思います。

    だけど、たとえば舞台とか全然別のメディアであれば、また違った化学反応が生まれるのかもしれませんね。
    たしかにそうですね。
    田村 ただ私の絵を苦手とおっしゃる方は多いから、私の絵じゃないほうが読んでくれる人が増える可能性はあるんですけど……。なので、もしほかの方に描いていただいたほうが似合うお話を思いついたら、お願いしてみるのも面白いのかもしれません。
    「私の絵を苦手」とは、ご自身でもそう感じることが?
    田村 昔からよく言われますし。私はずっと小学館さんでお世話になってるんですが、数年前に集英社さんでもショート連載をさせていただく機会に恵まれまして。そのときに「あー井の中の蛙だったなあ」ってわかったんです。ずっと読んでくださってる方は受け入れてくださるけど、初めての方には無理なんだって。それでも8年間楽しくやらせていただきましたけど、いろいろと勉強にもなりました。

    なので『ミステリと言う勿れ』を描くときに、ちょっと絵の感じを変えようと思ったんです。今回、初めて私の作品を手にとってくださる方が多いと聞くんですが、そのせいも少しあるのかもしれません。

    集英社「ココハナ」の編集部の皆さんにも本当によくしていただきました。お世話になりました。いろいろな意味で、『ミステリと言う勿れ』ができたのはこちらで描かせていただく経験があったからだと思ってます。

    「成功すれば作家のおかげ、失敗したら編集者のせい」でいい

    話は変わりますが、編集者から見て、担当作品がヒットしたかどうかはご自身のキャリアに大きく関係するのでは?
    永田 会社や雑誌にもよるんじゃないでしょうか……。編集者はあくまで会社員で、たまたまその作家さんの漫画人生の中の一時期を担当させていただいているだけですから。
    自分で企画を仕掛けるタイプの編集者もいますよね。
    田村 そういえば『7SEEDS』の連載中に、青年誌から来られた方が担当になったんですが、「『7SEEDS』が終わったら次の連載は僕が考えますよ」っておっしゃってたんです。そのあと異動になったんですが、私はそんなことを言われるのは初めてで、いまだに何を提案してくださるおつもりだったんだろうとちょっと興味があるんです。…絶対、言われた通りにはしないけど。…そう思うのって自分の可能性を狭めてるんでしょうか…。でも青年誌ではそういうふうに作品を作っていく場合があるのかな、と思いました。少女漫画ではあまりない気がするんですけど。
    永田 たしかに編集者が企画を立てたりアイデアを出して、新人の漫画家さんに描いてもらうようなケースもありますね。

    ただ、それがうまくいったとしても、「自分が連載を立ち上げた」と編集者の手柄のようにいうのは、私個人は違う気がして。「うまくいったら作家さんのおかげ、失敗したら編集者のせい」ぐらいのスタンスでいいと思ってます。
    田村 編集さんって、じつはいっぱい担当作家を持っていらっしゃるんですよね。その中には新人さんもいれば、まだデビュー前の人もいっぱいいて、ひとりに構っていられる時間はじつはあまりなくて。

    でも、それを感じさせないで、「あなたと1対1でやってます」と思わせてくれる編集さんはありがたいです。
    それはわかる気がします。漫画家と編集者の相性は、千差万別ですね。
    田村 相性でいうと、雑誌と合う、合わないというのもあります。自分がよく読んでて好きな雑誌に持ち込むのが一番いいと思います。読者の方と感覚が近いと思うので。

    少女漫画でいうと、雑誌によっては、「等身大の女性を主人公に描いてほしい」「リアルな日常もので読みやすいお話で」というところもありますし、「月刊flowers」のように「主人公は老若男女誰でもいい、人間でなくてもいい、ジャンルもさまざま」というところもあります。

    だから、ひとつの雑誌でダメだと言われても、ほかのところではOKなときもあります。そこがうまく合致するといいですね。
    有名なところでは、諫山創先生が『進撃の巨人』を「週刊少年ジャンプ」に持ち込んだけど断られた、という逸話がありますね。でも、ジャンプで連載していたら、また違った作品になっていたようにも思います。
    永田 才能のある新人さんでも、担当との歯車が合わなくてなかなかブレイクできないこともありますし……。そのために、とくに新人さんは定期的に担当替えをして、いろいろな組み合わせを試したりするんですけどね。
    古典芸能の世界だと、「師匠選びも芸のうち」という言葉がありましたね。
    田村 なるほど、面白いですね。担当さんは選べないですけど、どこに描きたいかは選ぶことができます。

    だから、漫画家志望の方たちとお話する機会があれば、「どこの雑誌に持ち込むかはよく考えてください」と伝えています。どこでもいいやと思って自分とまったく合わないところで無理をしてデビューしてしまうと、ずっと無理をし続けることになってしまうので、と。
    永田 「月刊flowers」には「田村先生が好きなのでここに持ち込みに来ました」という漫画家志望者さんも多いですよ。やっぱり、みんな好きな作家さんがいるところに持ち込みをしたいんですよね。
    田村 ありがとうございます。昔、私も1番好きな「別冊少女コミック」に投稿しました。それが自然だったんです。

    今はデビューする媒体は雑誌に限らなくなってきているんですけど、「どこで出すか」はとても大事なことだと思います。自分が描きたいところで、自分が描きたいと思うものを描けたら一番いいんですけど……。
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    作品紹介

    漫画『ミステリと言う勿れ』
    既刊9巻
    価格472円(1〜3巻)、ほか499円(すべて税込)


    ©田村由美/小学館

    「#担当とわたし」特集一覧

    サイン入り色紙プレゼント

    今回インタビューをさせていただいた、田村由美先生のサイン入り色紙を抽選で1名様にプレゼント。ご希望の方は、下記の項目をご確認いただいたうえ、奮ってご応募ください。

    応募方法
    ライブドアニュースのTwitterアカウント(@livedoornews)をフォロー&以下のツイートをRT
    受付期間
    2021年7月21日(水)18:00〜7月27日(火)18:00
    当選者確定フロー
    • 当選者発表日/7月28日(水)
    • 当選者発表方法/応募受付終了後、厳正なる抽選を行い、個人情報の安全な受け渡しのため、運営スタッフから個別にご連絡をさせていただく形で発表とさせていただきます。
    • 当選者発表後の流れ/当選者様にはライブドアニュース運営スタッフから7月28日(水)中に、ダイレクトメッセージでご連絡させていただき7月31日(土)までに当選者様からのお返事が確認できない場合は、当選の権利を無効とさせていただきます。
    キャンペーン規約
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