漫画『ふらいんぐうぃっち』石塚千尋×川窪慎太郎(前編)/ヒット作誕生から振り返る、漫画家と編集者の“いびつ”な信頼関係

近年、右肩上がりの好調が続く漫画業界。漫画の制作現場にも注目が集まり、漫画家だけでなく編集者への関心も高まってきた。メディアでも編集者に関する記事を目にする機会が増え、ライブドアニュースでもこうした記事を掲載しては、大きな反響を集めている。

では、編集者は、何を考えて仕事をしているのか?
漫画家は、編集者に何を求めているのか?

「担当とわたし」特集は、さまざまな漫画家と担当編集者の対談によって、お互いの考え方や関係性を掘り下げるインタビュー企画。そこで見えてきたのは、面白い漫画の作り方は漫画家と編集者の関係性の数だけ存在し、正解も不正解もないということだ。

第1回は、「別冊少年マガジン」で連載中の『ふらいんぐうぃっち』から、漫画家・石塚千尋と編集者・川窪慎太郎が登場。川窪は『進撃の巨人』『五等分の花嫁』などのヒット作を担当したことでも知られるが、石塚とはデビュー時代から10年以上にわたってタッグを組み、信頼を育んできた。

まず、前編では、ふたりの出会いから『ふらいんぐうぃっち』誕生までを中心に聞きながら、その関係性にフォーカスしていく。漫画家にとって編集者は、自分の人生に関わる存在。漫画家は編集者を信頼し、編集者もまた信頼で応えようとする。面白い漫画はふたりの信頼関係あってこそ。だが、彼らの「信頼」の性質は意外なほど違うという。

「末長く見守ってほしい」と語る石塚に対し、川窪は何と答えたか、耳を傾けてほしい。

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取材・文/川俣綾加

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石塚千尋(いしづか・ちひろ)
1991年2月24日生まれ、青森県出身。日本工学院専門学校蒲田校マンガコースに在学中、描いた作品が「週刊少年マガジン」編集部の目に留まる。2010年に読み切り版『ふらいんぐ・うぃっち』が「別冊少年マガジン」に掲載されデビュー。2012年から青森県弘前市を舞台にした『ふらいんぐうぃっち』が連載開始。2016年にはTVアニメも放映された。
担当編集者・川窪慎太郎(かわくぼ・しんたろう)
1982年生まれ。2006年に講談社に入社し、「週刊少年マガジン」編集部に配属。2016年から「別冊少年マガジン」の班長を務めた。「マガジンデビュー」のチーフも担当。主な担当編集作品に『進撃の巨人』『五等分の花嫁』『復讐の教科書』『テスラノート』『戦隊大失格』『ダイロクセンス』など。

最初は「漫画家になれたらいいな」くらいの気持ちでした

石塚先生と川窪さんの出会いはいつ頃だったのでしょう?
石塚 青森の弘前市から上京して、東京・蒲田にある専門学校に通っていたとき、「週刊少年マガジン(以下、週マガ)」の出張編集部が学校に来てくれたんですよ。そこで作品を見てくれた編集さんが川窪さんでした。

「また漫画を見せてよ」と名刺をもらって、改めて講談社に持ち込みに行きました。かわいい神様が男の子の恋を助けてあげる、16ページのラブコメだったと思います。
川窪 出張編集部って毎年何十回と開催されていて、いろんな編集者が漫画などを教えている学校に行くんですよ。「週マガ」の場合は1日につき10人〜15人の生徒さんの原稿を見せてもらっていて、そこで石塚くんの漫画も読んだと思います。
▲出張編集部は同人誌即売会などで開催されることも。上記は2019年の「COMITIA128」のときのもの。
川窪さんは石塚先生のどんなところが目に留まったんですか?
川窪 10年以上前なのであまり覚えていないのですが、たぶん「絵がかわいかった」ことがいちばんのポイントだと思います。

もうひとつは、「作品の世界観」。石塚くんの描く漫画は空気に温かみがあって、幸せそうな感じがするんです。きっと世間ではそれを“作家性”と呼ぶのだと思いますが、僕はその作家性と絵に惹かれました。

もちろん、まだ若くて新人なので磨かないといけないこともあるけれど、自分の名刺を渡して「一緒に頑張っていこう」と伝えたんだと思います。……あれはいつだったっけ?
石塚 当時は19歳だったので、今から11年前ですね。
石塚先生は自分の漫画を見てもらうとき、やっぱり緊張しましたか?
石塚 本当に緊張しまくりでした。「なれたらいいな」くらいの気持ちで漫画を描いていたので、本物の編集さんに見てもらっているあいだはずっとあたふたして。冷や汗もかいていたし、ただ怖かったです。

でも、「こうやって実際に商売になっていくんだ、僕もちゃんと一歩一歩進めているんだな」という思いもあって。緊張と、怖さと、今までにないチャンスへの期待とで複雑な心境でした。
「漫画家になるぞ」よりは「漫画家になれたらいいな」だったんですね。
石塚 最初は漫画家になるつもりはあまりなかったんです。僕が通っていた専門学校は、イラスト、アニメ、漫画の3つのジャンルの授業があるのですが、1年目はすべて受講して基礎を学んで、2年目から自分の進みたいコースを選ぶことができるシステムになっていて。

出張編集部で見てもらったのは、1年目の漫画の授業で描いた修了制作でした。川窪さんから「いいね」と言ってもらえて、「自分は漫画が描けているんだな」と少し実感して。そこから「漫画で食べていけたらいいな」と思うようになった、という感じですね。自分でストーリーを考えて、自分の好きな絵も描けるのも、漫画を選んだ理由でした。

漫画家と仕事をするなら、フィーリングが合うほうがいい

編集者とやりとりする場合、漫画家志望の人はすごく緊張すると思います。川窪さんは威圧感を与えないとか、緊張をほぐすとか、そういった意識はあるのでしょうか?
川窪 今はそういう気持ちはありますね。経験を積んで、そういったことも理解できるようになってきたので。だけど当時は20代だったし、自分自身も大人じゃなかったので、それができていたのかわからないのが正直なところです。
川窪さんは漫画家志望の方々と会うとき、どんなところを見ているのでしょう?
川窪 みなさんやはり緊張しているのが伝わってきますが、それでもなんとなくの“人柄”ってわかるんですよね。

僕は編集者なので作品を評価しなくてはいけない立場ですが、同時にひとりの人間ですから、人間的にフィーリングが合いそうな人を選んでいる側面はあるかもしれません。もちろん、作品が面白いのに「人間的に合わなそうだから声をかけない」なんて判断はしませんが、結果的に関係性が続いていく作家といいますか。

僕の場合、いちばん付き合いが古いのは『進撃の巨人』の諫山(創)くんですが、石塚くんとも10年以上の付き合いになります。作品がうまくいくorいかないは別として、関係性を続けていけるかどうか、作家の人柄も見ているかもしれません。
では、石塚先生から見た川窪さんの“人柄”はいかがですか?
石塚 最初からずっと優しい印象がありますね。出会ったときも「雰囲気が柔らかい人だな」と思っていました。

『ふらいんぐうぃっち』の連載が始まってすぐ、第2話で原稿を落としてしまったんですが(注1)、落ち込んでいる自分に川窪さんは「全然大丈夫だよ」「漫画を嫌いになるくらいだったら、休んだほうがいいよ」と言ってくれたくらい。川窪さんに対しては、ずっとそんなイメージがあります。
注1:原稿が〆切に間に合わず掲載されないこと。
でも、人づてに、じつはけっこう厳しい人だと聞いたことがあります。そういう一面もあるんだなって思いました(笑)。
川窪 ああ……、たぶん何かあったんでしょうね(苦笑)。

2年間ずっと悩み続けた漫画家、それを見守った編集者

川窪さんと出会ったあと、石塚先生は専門学校2年生のときに第84回「週刊少年マガジン新人漫画賞」で読み切り『ふらいんぐ・うぃっち』(石岡千斐 名義)で、佳作と村上よしゆき賞を受賞しました。「マガジン」では新人の漫画家さんが連載を目指すにあたって、まずは読み切りを描くのが基本的な流れですか?
▲読み切り版は、登場キャラクターの名前から設定まで大きく異なり、ストーリーも恋愛的な要素が含まれていた。
川窪 そうですね。うちでいうと月例賞や、半年に1回の新人漫画賞でいい賞を取ってから、連載用の企画を考えるのが基本ルートです。どの作家さんも、まずは読み切りでそこを目指して歩んでいただいている感じですね。
「別冊少年マガジン」に掲載された宮島雅憲先生のルポ漫画『私と別マガ』によると、石塚先生はその結果を受け、編集部から「何を連載してもOK」とお墨付きをもらったとか。
石塚 はい、そうですね。
▲漫画『私と別マガ』より。漫画の中で石塚先生は、デビューまでの経緯を赤裸々に答えている。
しかし実際は、そこから『ふらいんぐうぃっち』の連載が始まるまで2年以上かかりました。いったい何があったのでしょうか?
石塚 連載に向けて川窪さんと準備するにあたって、まずは自分から「こういうのを描きたい」と案を出すのですが、いざネーム(注2)に取りかかると「なんか違うな」と感じるようになってしまって。その繰り返しで、全然描けない状態に陥りまして……。
※注2:コマ割りやキャラクターの配置、セリフといった、漫画の構成をまとめたもの。一般的に商業誌の場合、漫画家が描いたネームを編集者が確認し、OKが出たあとで原稿に取りかかる。
川窪さんからボツが出たのではなく、その前の段階でつまずいてしまったんですね。
石塚 そうですね。ネームで悩んでしまいました。
そうなると、川窪さんは石塚先生からのネームを待ち続けることに?
川窪 はい。あのときはもう、「お手上げ」っていう感じはありましたね(苦笑)。

通常の流れなら、担当編集がいいと思った原稿を連載会議に出して、ボツであるとか、直せばいけるとか、何らかの工程があるものなんです。でも、石塚くんの場合は読み切りが好評だったので、「川窪と石塚先生のふたりで決めて連載を始めていいよ」と言ってもらい、準備を進めていました。

ところが、連載会議のハードルがない中で作家本人がネームを出せないとなると、編集者としてやれることは限られています。もちろん最初は「せっかくの大チャンスだから頑張ろう!」とか「どういうところがつらいの?」とか、あの手この手で聞いてみるのですが……。
石塚 何を言われても「やっぱり描けません」みたいな感じでしたね……。
川窪 いつも電話を切るときは、石塚くんも「これでなんとか描けそうです。頑張ってみます!」と言うし、それは本心だったと思いますが。でも、いざ机の前に座るとなかなかうまく行かないみたいで。
なかなかつらい状況ですね。
石塚 もともとファンタジーを描きたい気持ちがずっとあったんです。でも、同時に嘘っぽく描きたくもなくて、アイデアがまとまらないまま煮詰まってしまいました。

そういう状況が2年続き、「もう弘前に帰ろう」と荷造りをしていたら、「地元を舞台にすれば、リアリティのあるファンタジーが描けるんじゃないか?」と、突然ひらめいて。
『ふらいんぐうぃっち』は石塚先生の地元、青森県弘前市が舞台でしたね。
石塚 地元に帰ってきてネームを描いたらするするとアイデアが浮かんできて、川窪さんも「いいじゃん」と言ってくれて。それでようやく苦しい状態を脱することができました。
▲石塚先生のTwitterに投稿された第1話『6年振りの不思議』。

落ち込んだ漫画家を怒るなんて、人としてできない

長いトンネルを抜けて、2012年に『ふらいんぐうぃっち』は連載をスタートしました。でも、先ほど「(第2話の)原稿を落とした」と言っていましたね。
石塚 自分の漫画に対して、あまりにも自信がなかったんですよ。ないからこそ、いっぱい描かないといけないという焦りがありまして……。

しかも、初連載なので「いいものを描かなきゃ」と力んでいたこともあって、時間をかけすぎてしまいました。「この顔、変だな」と思ったら、すぐ描き直しちゃうんです。
そこで川窪さんは「漫画を嫌いになるくらいだったら、休んだほうがいいよ」と声をかけたんですね。
川窪 まあ、そうですね。
原稿を落としたことに対し、怒らなかったんですね。
川窪 だって、原稿を落として落ち込んでいる漫画家に怒るって、できなくないですか?

大前提として、先ほども話しましたが、当時の班長(注3)から「連載していいよ」と言われてからも、石塚くんは悩んでいる時間が長かったんです。東京じゃなくて、やっぱり地元の弘前に帰ると決めたこともありましたし。その姿を見ているから、原稿を落としたから怒るなんて、さすがにできないです。人として。
注3:編集のチーフ。川窪さんが在籍する編集部では「週マガ」「別マガ」「マガジンSPECIAL」(現在は休刊)の3誌を制作しており、編集長とは別に班長が存在し、各雑誌制作の指揮を分担している。
石塚 すみません(苦笑)。
石塚先生の真摯な姿を見続けていたからなんですね。そうした苦しい時期を越えて、今年で連載も10年目になります。『ふらいんぐうぃっち』を描いていく中で、手応えを感じた瞬間は?
石塚 第4話の読者アンケートの結果がよかったと、川窪さんからメールで教えてもらったときは嬉しかったですね。

あと、アニメ化の話が来るようになってからは、「これでいいんだな、みなさんに受け入れてもらえているんだな」と、さらに感じるようになりました。
▲第1巻の第4話『使い魔の活用法』より。弘前での新しい生活が始まった真琴は、街へ散策に。でも、真琴は絶望的な方向音痴。使い魔でもある黒猫、チトと一緒に家を出るが……。
川窪さんは、そういった読者の反応を伝えて、作家のモチベーションにつなげようと?
川窪 どちらかというと、「作家が何を考えているのかをきちんと知ろう」って感じですね。作家は頭の中に“何か”があって、それを漫画にしたいと考えているので。編集者の仕事は“頭の中にあるもの”は何だろうと、知ろうとする作業の繰り返しだと思います。
石塚 川窪さんは、ちょうどいい距離感を保ってくれていますよね。こっち側に入りすぎず、遠すぎずみたいな。
川窪 僕、個人的にそう決めているんですよ。こう言うと冷たく聞こえるかもしれませんが、作家とあまり深く付き合わないようにしているんです。

いちばん付き合いが長い諫山くんとも、アニメの打ち上げや忘年会のような会合を抜きにして、一緒にご飯を食べに行ったのはこれまで3、4回くらいじゃないかと。

編集者は人生を預かれない。漫画家と一線を引く理由

編集者の中には、たとえば漫画家が不安を感じていたり、悩んでいたりするときに「じゃあご飯でも食べながら話しましょうか」と誘うことで解消する人もいます。もちろんそれは手段のひとつに過ぎないのですが、川窪さんの場合は違うということですね。
川窪 そこまでは面倒を見られないと思っています。「面倒だから」とか、そういう意味ではなくて、僕は漫画家の人生を預かれないんですよ。

もちろん作家と一緒に遊びに行ったり、ご飯を食べに行ったりする編集者もいますよ。いろいろな考え方の編集者がいますし、何が正解という話でもないと思います。

ただ、漫画家が筆を折るまで一生付き合っていけたらいいのですが、僕らもサラリーマンだから、異動があれば来月から営業職になるかもしれない。

それに、僕がどれだけ面白いと思っても、編集長から「このネームはつまらないから連載できない」と言われたら、最終的な決定権を持っていないので従うしかありません。もちろん最大限の抵抗はしますが、連載だって「打ち切り」と言われたら打ち切りになってしまう。
たしかにそうですね。
川窪 僕ら(漫画家と編集者)がいびつな関係だと思うのは、僕は石塚くんの担当編集者ですが、『ふらいんぐうぃっち』を載せている「別冊少年マガジン」を運営している人間でもある。作家と頑張って作品を作るけど、同時に、作品が売れなかったら(連載を)打ち切るのも僕なわけです。

そんな関係なのに、「一生面倒を見る」なんて言っちゃうのは嘘。できもしないことです。僕は、嘘の関係をあたかも美しい関係かのように扱いたくないので、基本的には全作家に対して一線を引くように決めています。
石塚 川窪さんはこうおっしゃっているんですけど、担当している中で、自分がいちばん世話の焼ける漫画家だと思っています(苦笑)。

原稿を落としたときに、わざわざ青森まで来てくれたこともすごく恩を感じています。「ご迷惑をおかけしたので、もう漫画家を辞めます」と思っていたところを、青森にまで説得しに来てくれたんですよ、あのときは。
▲漫画『私と別マガ』より。石塚先生から「連載…やめさせてください」と伝えられた川窪さん(愛称・バックさん)は、急ぎ石塚家を訪問。家族を交えた説得が行われたという。
川窪 たしかに、作家の中でも石塚くんは、プライベートをさらけ出し合っているほうだと思います。いちばんさらけ出している相手かもしれません。

石塚先生って生粋の末っ子気質なんですよ(笑)。実際、三人兄弟の末っ子。僕も姉がいて末っ子ですが、石塚くんは末っ子のサラブレッド。

さっき「一線を引く」と言ったばかりですが、石塚くんは放っておけない弟のように感じています。そういう意味で、他の作家とは少し違うかもしれません。
石塚 そうっすね、自分はそういう川窪さんにしびれちゃってます(笑)。
ああ、なんだかわかった気がします。まさにこういうところが放っておけないんですね(笑)。
川窪 憎めない末っ子感がスゴいんですよ(笑)。

いつか信頼する編集者がいなくなることを忘れないで

これからの『ふらいんぐうぃっち』に期待してほしいことは?
石塚 まずは、青森の1年、春夏秋冬を見せたいと思っています。その1年で、具体的に何が起きるかはまだ考え中ですが。

これまでに「春の運び屋」や「夏の運び屋」が登場してきたので、季節ごとに何かを出せるといいかな。青森の季節の移り変わりを感じてもらえたら。
▲第1巻の第5話『魔女への訪問者』に登場する春の運び屋(画像上)。第6巻の第32話『天地、夏冬、雪と墨』に登場する夏の運び屋(画像下)。どちらも季節をつかさどる妖精のような存在。
楽しみにしています。最後に、お互いに改めて伝えたいことはありますか?
川窪 『ふらいんぐうぃっち』は、石塚くんが青森という土地でのびのびすくすくと育った人だから描ける作品。もちろんこれまでに大変だったり、つらい思いをしたり、苦しい時期もあったと思うんですけど、根本にあるのはそこだと思うんです。

『ふらいんぐうぃっち』を読んで心がつらくなる人はいないはず。それは誰にでもできることじゃないし、この作品が持っている健やかさは、石塚くんが持っている健やかさと一致していますよね。
石塚 ありがとうございます。川窪さんには、これからも末長く見守ってもらいたいです。けっこうわがままなペースでやらせてもらっていますが、どうか広い心でお願いします(笑)。
川窪 折にふれて本人には伝えていますが、いつまでも僕が担当かといえば、そうではありません。異動するかもしれないし、若手の編集者に担当を譲れと言われるかもしれない。

なので、「僕がいつかいなくなることを想定しておいてね」と改めて伝えておきたいです。石塚くんが言ってくれた言葉に対して真逆の返しになってしまいますが(笑)。
石塚 「川窪さんがいなくなったらどうしよう」って、いつも思っていますよ。それでもなんとかやっていかないといけないんでしょうけど。
卵から孵った雛鳥が、初めて親鳥を見たかのような関係ですね。でも、10年も連載を続けていたら、石塚先生も自信がついてきたのでは?
石塚 昔と比べれば本当に自信はつきました。昔は長い時間をかけて悩んでいたことも「これはこうすればいいな」と、解決法がすぐに見つかるようになりました。
川窪 うちの編集部でも『ふらいんぐうぃっち』の話が出ると、石塚くんはヒット作の漫画家という扱いになっているし、若手編集者からも「石塚先生の担当ができるなら、したいに決まってる」という声があるくらい、憧れの作家として見られています。

僕は自分が担当しているから客観的になれていない部分もあるけれど、そういう反応を見ているとやっぱり「石塚くんも売れっ子作家なんだ」と実感しますね。自信を持っていいんじゃないかな。
石塚 嬉しいです。頑張ります!
インタビュー後編はこちら

作品紹介

漫画『ふらいんぐうぃっち』
既刊10巻 最新10巻は6月9日(水)に発売!
価格528円(税込)


©石塚千尋/講談社

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サイン入り色紙プレゼント

今回インタビューをさせていただいた、石塚千尋先生のサイン入り色紙を抽選で1名様にプレゼント。ご希望の方は、下記の項目をご確認いただいたうえ、奮ってご応募ください。

応募方法
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受付期間
2021年7月2日(金)18:00〜7月8日(木)18:00
当選者確定フロー
  • 当選者発表日/7月9日(金)
  • 当選者発表方法/応募受付終了後、厳正なる抽選を行い、個人情報の安全な受け渡しのため、運営スタッフから個別にご連絡をさせていただく形で発表とさせていただきます。
  • 当選者発表後の流れ/当選者様にはライブドアニュース運営スタッフから7月9日(金)中に、ダイレクトメッセージでご連絡させていただき7月12日(月)までに当選者様からのお返事が確認できない場合は、当選の権利を無効とさせていただきます。
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