「もうタダでいいや」毎月赤字で料理を振る舞う”はっちゃん”の人生

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「今日はもう終わり! 売り切れだよ」。午後1時に入店すると、食堂「はっちゃんショップ」を営む”はっちゃん”こと田村はつゑさんはそう言った。群馬県桐生市の県道沿いにあるこの店は、どれだけ食べても500円の無制限食べ放題。地元の人を中心に北海道、東京、大阪、名古屋、そして海外からも多くの人が訪れる。

提供できる食事の量が少なくなれば「もうタダでいいや」。赤字の毎日だ。常連客が健康の不安について話し合う姿に、はっちゃんはゲキを飛ばす。「何やっても死ぬときゃ死ぬよ!」。

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1935年9月群馬県桐生市生まれ。10歳から奉公に出され、畑仕事や山仕事、子守などに従事する。21歳で結婚し、その2年後には長女をもうけ、3人の子宝に恵まれた。57歳で原付バイクに乗り、日本一周を果たす。このときの経験をきっかけに62歳で開店。ランチ限定の500円食堂「はっちゃんショップ」を現在も営む。
―今おいくつですか?
9月に83歳になりました。
―どんな子ども時代を過ごされましたか?
子どもの頃はまだ(太平洋)戦争中で、勉強よりも目と耳を閉じて伏せをする練習ばかりでしたよ。終戦後、10歳のときに奉公に出されました。
―なぜですか?
母親が死んで、父親が好きな女を家に入れたから。昔から父親の浮気相手だったその女に、私はなじめませんでした。それで近所の魚屋さんが子守りが欲しいって言うもので、学校をやめてそちらに行きました。教師が奉公先に来て「義務教育だから学校に通わせなさい」と掛け合ったんですけどねえ。「これ(はつゑさん)は仕事があるから」って通わせてもらえなかったですね。

その後は「もっとお金が取れるから」って、織物店で働かされたりもしました。父親が全部お金を持っていくものだから、自分で使えるお金なんてほとんどなかった。「あれは奉公だからろくに字も読めねえ」なんて、学校に通う子たちからも、うんとバカにされました。
―「はっちゃんショップ」を始めたきっかけは?
中年になってからはパチンコの機械を作る会社にずっと勤めていたんですけど、62歳のときにつぶれて。「これから、どうすっかな。今からでは誰も使ってくれねえな」と困っていたとき、昔、魚屋さんで煮物なんかを作って売っていたことを思い出した。ああいうのやってみようかな、と考えていろんなところに売りに出たんですよ。

そしたら「おばちゃんこれ、ご飯とみそ汁があったら食堂ができるがね」と勧められて。それが始まり。この食堂って、元は自転車置き場だったんですよ。とんでもないボロ家で。トイレやら台所やらを作って、今の形になりました。押せば10年くらいで倒れそうな店だけど、今のところ22年もってますね。
値段は当時に決めた500円から今も変わらず。値上げしようとは思わない。小学6年生のお客さんまではタダで提供しています。「わざわざ来てくださった」と思って、前は県外からのお客さんは全員タダにしていたんですよ。でもお客さんが増えてきたら、見分けが付かなくて。いちいち「免許証見せろ」なんてやるわけにもいかないから、止めました。
―なぜこのような安い価格で食事を提供するのですか?
みんなが喜ぶからさ。死ぬまでいくらかお金を残そうなんて気持ちもないし。自分が楽しい人生が送れればそれでいい。子どもも3人いますけどね。世話になろうなんて気は全くないです。
―そのような考え方はいつ芽生えましたか?
57歳で、原付バイクに乗って日本一周したんです。そのときかな。九州で見ず知らずの人が、困っている私を自宅に泊めてくれたり、いろいろ優しくしてもらったから。人に親切にしてもらうありがたさが身に染みて。自分でもできることをしようと考えて、500円で食べ放題の形式にしたんです。人に良くすると自分も楽しいし。
―ただ、赤字続きとも聞きました。
そうですね。毎月5万円も6万円も自分のお金を切り崩して、皆さんにご奉仕してる。子どもからも言われますよ。「いくら周りに良くしても、お母ちゃんが倒れたときには誰も来てくれないよ」って。別に恩を返してもらわなくても、人生を楽しく過ごせれば最高ですよ。お金なんかなくても最高。とても幸せなんです。

物価はどんどん上がる。下がるのは私の女っぷりだけ。そんな冗談言いながら楽しくやっていますよ(笑)。
―どんな料理を出していますか?
きんぴらごぼうとか、煮魚とか。かぼちゃの煮物や焼き魚…決まったメニューは焼いたシャケと煮卵ですかね。後はその日その日に自分の予算に合った値段の食材で作ります。サンマが安ければサンマを買って。作るのは10種類くらいで、後は既製品ですね。わさび漬けや卵豆腐とかを5種類くらい。本当は出来合いのものは出したくないんですけどね。でも、それだと回っていかないから。

料理は毎朝作ります。余ったら、まだ座っているお客さんに配ります。「これ持って帰って」って。午後1時までには料理が全部なくなっちゃうことも結構ありますね。おかずが少なくなったら、ふたりで500円。1品くらいしか残っていなかったら卵かけごはんや即席のみそ汁とかを無料で出します。
―印象に残っているお客さんはいますか?
毎回、調味料を持ってっちゃうお客さんは覚えてますよ。サッとポケットに入れちゃう。印象的ですね。後で他のお客さんが教えてくれる。「今の人、味の素持ってったよ」って。「300円も出せば買えるじゃねえか、おめえ」と思いますけど。

おかずを全部ビニールの袋に入れて持って帰っちゃう人たちもいます。目の届きにくい奥の席でやるんだね。さすがにその人たちには「もう来ないでね」と断りましたけどね。
―嫌な目にあっても、低価格で料理を出し続けているんですね。
もちろん。そんなのごく一部ですから。お客さんはいろんなところから来ます。昨日はタイから来た人もいました。中国の人は、YouTube?だかなんだか分からないけど、店から生中継してた。いいですよね。どうせなら宣伝していろんな人を連れて来てほしい。
―どこか体の具合が悪いところはありますか?
ちょっと糖尿病のケがありますね。後は少し血圧が高いくらい。足と腰の不自由は何もないです。医者の先生は「あなた幸せですよ。あなたの年齢くらいなら足腰に問題ある人も多いんだから」とおっしゃいます。

風邪では1回寝込んだ切り。他にはないです。後は病気らしいものは盲腸をやったくらい。まあ、死ぬときは何やっても死ぬから。
―1日のスケジュールを教えてください。
朝の7時半ごろに起きて、買い物をして、料理を午前11時までに仕上げます。それから開店の11時半までにテーブルを拭いたり調味料を並べます。だいたい午後3時くらいに終わって、流しをきれいにしているうちにお勤めしている人たちがうちでお茶を飲んでいったりもするので、結局、帰宅するのは午後6時か7時くらいになっちゃいます。

自宅で夕食を食べますけど、たまにはお寿司屋さんに行っちゃったり。その後は布団に横になってテレビを見ます。
―お酒は飲まれますか?
今はほとんど飲んでないですけど、前までは1回で3合ぐらい飲んでいましたね。結構飲む方なのかな。
―普段はどんな本を読まれますか?
字が読めないからダメ。読めてひらがなくらいだから。日本一周のときに北海道の長万部(おしゃまんべ)町に行こうと思ったんだけど、漢字が読めないもんだから通り過ぎちゃいました。
―毎日の習慣を教えてください。
朝、店に来たら、両手でほっぺをたたきながら飛び上がって、着地したら手を前に突き出して「ガンバんぞ!!」って叫びます。自分で考えました。もう10年以上やってます。ぴしゃりと音が鳴るくらいの強さでたたくと元気が出るんです。気合が入る。
―若い世代も「はっちゃんショップ」に来るそうですが、どんな印象を受けますか?
ちゃんとした人も多いですよ。ああ、親御さんがきちんとしてらしたんだなって分かる。ご飯もきれいに食べますしね。反対に偉そうで友達とか部下の悪口ばっかり言っている人もいる。そういうときは差し出がましいけど「人を泣かしたり、自分の頭が良いなんて偉ぶっちゃいけないよ」って伝えます。
―最近うれしかったことはなんですか?
ビートたけしさんが大きなマグロの切り身を送ってくださいました。あの人の番組に何度も出ているんですが、私がマグロの刺身が好きなことを覚えていてくださったみたい。「おばちゃんにごほうびだ!」なんて、ものすごく高い大間のマグロをいただきました。おいしかった。店にいるみんなで食べました。

そのとき、ちょうど店にタイのテレビ局が撮影に来ていまして。向こうの人はナマモノをあまり食べないのか遠慮していましたけど、ひと口食べたら「おいしい、おいしい」って言ってました。
―10歳から働いてきた田村さんの生き方は、今どきの人から見ると異質かもしれません。働き方に迷う人にアドバイスをいただけますか?
人間は仕事をするために体があるんだから、何といってもまずは動かなくちゃ。そのうちに楽しいことも出てくる。「1日くらいサボってもいいや」って考えるとすぐダメになる。動かないとますます仕事が嫌になっちゃうんだから。

私は小さい頃から働き続けて、つらいことばかりで。朝5時から夜11時まで毎日働いていましたからね。12歳のとき、くたびれてトイレで寝てしまったこともありました。今は自由に、自分のお店で働けるわけですから幸せです。でも10月は免許の書き換えや保健所の講習で2日も余計に(店を)休まなきゃならない。しょうがないけれど。
―失礼ですが、最後に”理想の往生”について教えていだだけますか?
この店で働いている最中に、バタッと後ろに倒れてそのまま往生できたら最高。血圧がちょっと高いから、カッと頭に血が上ってここでぶっ倒れることができたらうれしいです。それが希望ですね。最高ですよ。

企画・インタビュー・文=森田浩明
写真=西田周平
デザイン=桜庭侑紀
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