127キロもなんのその! 「世界一のパワフルばっちゃん」 澤千代美 69歳

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ベンチプレスで重さ127キロ。もうすぐ69歳のパワーリフター・澤千代美(さわ・ちよみ)さんの記録だ。この日もベンチ上できれいなブリッジを作り、高重量をひょいと持ち上げた。

現在、ベンチプレス世界大会で17連覇中。「練習ではね、130キロ上がったんですよ」。“世界一パワフルなばっちゃん”の記録はまだまだ止まりそうにない。

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1949年兵庫県西宮市生まれ。1977年八王子市役所入庁、市立保育園の調理の現場で専門職として携わる。再任用を経て、2016年度より日本パワーリフティング協会理事、東京都パワーリフティング協会理事、渉外委員長に就任。日本パワーリフティング協会公認1級審判員、日本体育施設協会トレーニング指導士、公認初級障がい者スポーツ指導員をはじめスポーツ関連で6つの資格をもつ。「世界ベンチプレス選手権大会」では、大会17連覇を達成した。
―パワーリフティングを始めたのはいつですか?
50歳ですね。ですから今年で19年目です。市の職員向けの定期健康診断で「太り過ぎ」と指摘されて、近所のキックボクシング道場に出掛けたことがきっかけになりました。そこでエクササイズしていたら、トレーニングエリアで男の人たちがベンチプレスをしていて、なんだか面白そうで。

初めてベンチプレスに挑戦したのですが、重さ50キロが持ち上がった。指導員も「これは普通じゃないよ」と驚いたのを見て、すっかりその気になりました。道場にあった雑誌をパラパラとめくっていたら、最後のページにパワーリフティングジム「パワーハウス」の連絡先が書いてあったので、すぐに電話をして入会しました。
―行動力がすごいです。
わりと新しいもの好きなんです。入会後の51歳から毎年、世界選手権大会にも出て、あれよあれよという間に今に至ります。

ただダイエット目的だったのに、むしろ太ってしまって(笑)
―ベンチプレスの魅力は何ですか?
達成感があるじゃないですか。人間の本能なのか、少しでも重い重量が上がるとうれしい。女性では珍しいかもしれませんけど。
―パワーリフティングを始めて人生観は変わりましたか?
現在、17連覇を達成しましたが、意識が変わり始めたのは10連覇のあたりです。「結構がんばれるんだな」と。

私が初めて本格的に大会に出たのは、世界マスターズ大会の第1回。最初は、ブリッジもうまくできずベンチ台の下に足が届きませんでしたよ。フォームも定まらないまま、何とか97キロは上げることができました。
―ライバルはいますか?
60代の後半になると、女性でベンチプレスをする人がだんだんいらっしゃらなくなります。数年前までは5〜6人、去年は2人、今年は私ひとりです。これからは自分との戦い。ひとりでも記録を伸ばしていきたいです。来年は楽しみです。70代でベンチをする女性はいないので、記録保持者としてがんばっていきたい。

体重カテゴリーでは今年になって72キロ級から84キロ級へと急に上げたので、かなり体に負担がかかってしまって。一度、72キロ級に戻すために減量中です。
―健康に気を使っているところは?
私、食べ歩きが好きで、おいしいという話を聞いたら、すぐ出掛けてしまうんです(笑) お肉は大好きですけど最近、心を入れ替えて酢の物や野菜もしっかり摂るようにしました。

84キロ級って、72.01キロから84キロジャストまで許されるんです。食べ放題じゃないですか。ふふふ、7キロも太ってしまいました。太った方が持ち上げられる重量も増えるのでついつい…そうそう、この間の練習では130キロの重さが上がったんですよ。
―130キロ!
今年の世界大会では127.5キロまでの挑戦に留めましたけれど。やはり失敗はしたくないので。
―トレーニングの頻度はどれくらいですか?
昔から1週間に一度くらい。今も記録が伸びているので「こそっと隠れて練習してるでしょ?」なんて言われますけど、本当にしていないんです。先週は「パワーハウス」で、ウォームアップしてから65キロを5セット、幅広のナローグリップの45キロで2セット。それからベンチシャツを着て、80キロから115キロを上げました。

でも普段は、65キロで8回上げるのを5セット、ナローグリップの45キロを10回1セット終えたら帰ります。交代で練習するので2時間、ひとりだったら1時間で終わると思います。

ダンベルやマシンを使った補助種目もしません。「何であんなに練習しないんだ?」と思われているのかもしれません。私自身、記録が伸びている理由が分からない(笑)

一度、ボディーボルダーの方に「澤さんはいい筋肉」と言われました。筋肉の質が少し異なるのかもしれません。

後は、練習が1週間に一度のペースだから長く続けられてきたのかも。最近は2週間に一度になっちゃいましたけど、私くらいの年齢だったら無理は禁物。これくらいの頻度がいいんです。
―これまで大きな病気にかかったことはありますか?
血圧も高いし、一般的な高齢者の病気にはそれなりにかかってきました。これからも上手に自分の体と付き合っていければと思います。
―周囲とはどのような関係を築いていますか?
私ね、生きてきた中で不思議と周りに助けられてばかりなんですよ。ですから、なるべく恩を返すように心掛けています。キツい性格なので嫌われることもありますけどね、お世話になった方には惜しまずに感謝を伝えていきたいです。
―1日のスケジュールを教えてください。
基本は八王子市の職員として、市民体育館でスポーツの指導をしています。早番のときは朝の6時半頃に起きて、8時過ぎに家を出ます。夫は寝ぼすけだからギリギリに起きてくる(笑) 午後3時過ぎに仕事が終わるので、後はのんびりと。そのまま帰宅することもあるし、友達とお茶することもあります。

もう38年以上、市立保育園で「給食のおばちゃん」として勤めていました。毎日毎日、大量のニンジンやジャガイモが入った肉じゃがの巨大な鍋を持って歩いて。おそらく40キロはあったのでは。

ずっとそんなことをしていたから、パワーリフティングを始める以前からある程度の体力はあったのかもしれません。毎日トレーニングしているようなものですから。
―睡眠時間はどれくらいですか?
6時間くらいです。昔からお酒もタバコもやりません。
―どんな子どもでしたか?
明るくおてんばと言われていました。発言したことをくよくよ悩むようなところもありましたが、一度これだと決めたら引かなかった。ケンカっ早い気性の荒さもありましたけど、さすがに60歳を超えたころには落ち着きました。

早くに両親が離婚して、4歳のころから祖母に引き取られ、20歳まで一緒に暮らしました。とても厳しい人でしたね。昔の離婚は世間的に大ごとで…子どもなりに苦労をしてきたつもりです。

ある日、隣の家の花が折れていたとき、なぜか私のせいになってしまったんです。祖母に問い詰められて「違う」と答えたら「じゃあ、はっきり違うって言ってこい!」と。印象深い思い出です。そうした教えが今の私を形作っていると思います。曲がったことは大嫌い。
―年齢を重ねて良かったと思うことを教えてください。
私の一番上の孫が中学校3年生で、もうすぐ受験なんです。親が伝えにくいことは私からバシッと言います。「約束の時間に遅れないように」「準備は事前にしっかりと」とか。強い言葉も使うけど、バアちゃんらしいことができたかな。

歳を重ねるってそういうことだと思います。自分の経験した正しいであろうことを若い人に伝える。楽しく悔いなく生きるためにどうしたらいいのか、ちょっとでも自分の教えが誰か役に立てば、うれしいですね。子どもからしたらうっとうしいところもあるでしょうけど。
―パワーリフティングをしていなかったらどんな人生を歩んでいたと思いますか?
きっと地域の活性化のために働いていたんじゃないでしょうか。今も八王子のNPOでグループホーム(高齢者向け施設)の理事をしているんです。障害を持った人も多く、話を聞いたりお世話をしたりしています。それも生きがいです。何をしているか、というよりもどういう気持ちで生きるかが重要。きっと今の競技に出会わなくても、幸せにやっていたと思います。その時々で、自分が楽しいと思えることを見つけるのは得意です。

最近では「生きがいを見つけるのは難しい」という声も聞きます。でも、周りのおじいちゃん、おばあちゃんを見ているとプールに行ったり、ゲートボールをしたり、よく動く。若い頃よりも幸せなんじゃないか、なんていうふうにも見えます。
―これからの心配はありますか?
ないですね。自分のことより子どもたちを心配しているかな。
―澤さんから見た「大人」とはどんなものですか?
年齢は関係ないと思います。年を取っても大人になれない人もいると思います。そうですね…やっぱりあいさつがちゃんとできるかどうかは大事じゃないでしょうか。

私の周りの若い人たちは、やりたいことがちゃんと分かっているし、きちんとあいさつができる人も多い。私なんかすぐに打ち解けてしまいますよ。一緒に映画を見に行ったりもします。「年寄りは別の生き物」なんて区別しないで、どんどん話し掛けてほしいですね。

お年寄りも若い人もへだたりなく、助けが必要な人には手を差し伸べる。それが私の使命だと思っています。声掛けって最初は勇気がいるけど、掛けてもらう方もうれしいものですよ。

企画・インタビュー・文=森田浩明
写真=西田周平
デザイン=桜庭侑紀
協力=パワーハウス
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