キャリアが育んだポジティブ・バイブス。ダンサー、A-SUKEがナオト・インティライミと呼応する理由

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世界中を旅しながら各地でライブを行い、各国の音楽と文化を体感したアーティスト、ナオト・インティライミ。2010年にメジャーデビューを果たし、今年3月には自身初となる全国47都道府県弾き語りツアー「こんなの初めて!! ナオト・インティライミ 独りっきりで全国47都道府県 弾き語りツアー2018」を開催するなど、アグレッシブな活動を続けている。

そんな彼のライブをダンスでサポートしているのが「ダンサー・インティライミ」だ。アーティスト名にある「インティ ライミ」とは南米・インカの言葉(ケチュア語)で「太陽の祭り」を意味し、彼に関わる人たちは「◯◯・インティライミ」と呼ばれている。

ステージ上だけでは知ることができない「ダンサー・インティライミ」のさまざまな表情に迫る「ダンサーが生きる道〜ダンサー・インティライミ〜」第4回は、ダンサーメンバー最年長ながら誰よりもエネルギッシュでアクロバットもこなすA-SUKE
初対面というのは誰だって少なからず緊張するものだが、そんなこちらの気負いを彼は軽々と飛び越え、それどころか細やかな気遣いまで見せてくれた。ダンサー・インティライミのメンバーに絶大な安心感を与えている理由は、長くダンスシーンに携わって来たからこその余裕と器の大きさだった。

「ダンサーが生きる道〜ダンサー・インティライミ〜」一覧
A-SUKE(エイスケ)
スタントマン、テーマパークダンサーを経験した異色のストリートダンサー。クラブイベントに出演する傍ら、ダンススタジオだけでなくダンスの専門学校で講師を務めるなど、若手育成にも力を入れている。これまでに小柳ゆきやMay'n、リュ・シウォンのバックアップダンサーを担当。現在は、ナオト・インティライミのバックアップダンサーとして活躍している。
「この人のダンスやりたいな」と直感で思った
――ダンサー・インティライミの一員になったきっかけを教えてください。
ナオトが3度目のメジャーデビューをする時の武道館ライブでダンスに挑戦することになり、共通の知人だったSHOTA(AFROISM)が、僕のリズムトレーニングのレッスンにナオトを連れて来てくれたんです。ダンスだけでなくアクロバットも披露したいと、アクロバットのレッスンにも来てくれました。
――では、ナオトさんとの出会いは、ご自身がダンサーとしてライブに参加したのが最初ではなく、レッスンだったんですね。
そう! 当時はATSUSHI(※1)、SHOTA、KAJ1、PURIくん(※2)がダンサーとしてキャスティングされていて。そういう経緯から実際にライブを見に行ったんですが、もうね…ビックリ!
※1 ダンスチーム・AFROISMのメンバー。ダンスイベントのショーに出演する傍ら、数々のダンスコンテストやダンスバトルで好成績を残す。現在は、ダンサーを中心に結成したエンターテインメント集団・Blue Printのメンバーとして舞台を中心に活躍している。

※2 ナオト・インティライミや三浦大知、V6、lol、King&Princeなど、数多くのアーティストのバックアップダンサーや振り付け、ライブの演出を担当している。また、En Dance Studioのクリエイティブディレクターとしても活躍した。現在は、WILDLIFE WORKS INC.を設立し、さらに活躍の場を広げている。

――どんな点に驚いたんですか?
人間力! 弾き語りをしたり、ダンサーも入れてお祭り騒ぎをしたり、トークも超面白いし、ひとりでこんなにできちゃうんだって。
――そこから実際にバックアップダンサーになられた、と。
そう。実はその前にナオトのアルバム「Shall we travel??」を聴いた時に、直感で「この人のダンスやりたいな」と思ったんですよね! ちょうどその頃、渋谷(東京都)の交差点でばったり会ったATSUSHIから、ダンサーをひとり探しているらしいという話を聞いて、スンッてダンサーとしてメンバーに入りました(笑)。
――随分とラフな誘われ方だったんですね(笑)。
僕もビックリしたよ! でも超やりたかったからうれしかった。キャスティングも担当していたSHOTAは、僕の方が10歳くらい上だし、誘うのは申し訳ないと思っていたらしいんです。でも「やりたいから全然良いよ!」って! ナオトがライブにダンサーを付けない時期もあったんですけど、初めて参加した時から6年くらいダンサーとしてサポートしていますね。きっかけは全部SHOTA。
スタントマン、テーマパークダンサー、そして九州でのダンス修行時代
――ダンスとの出合いは?
静岡で喫茶店をやっているおやじに「普通に働かない方が良いんじゃない?」とずっと言われていたんです。ある日、テレビで「スタントマン募集」のCMを見たおやじが、勝手に応募していて。学生時代に器械体操をやっていたので、オーディションでバク転を披露したら合格しました(笑)。
高校卒業後は、ジャパンアクションクラブ(現、株式会社ジャパンアクションエンタープライズ)に所属して、伊勢戦国時代村(現・伊勢安土桃山城下街)で舞台俳優として活動しました。1日に8回公演をやりながら、チケットのもぎりや前説、照明、小道具の管理など、舞台のあらゆることをやりましたね。
――そこで舞台のいろはを学んだ、と。
たくさん勉強しましたね! そこで1年働いた後、某テーマパークのスタントマンをやっていたんですけど、そこで初めてダンサーという職業を知ったんです。JAZZダンスを見た時に「超〜ステキ!」と思いました。スタントマンとしての仕事は半年と期限が決まっていたので、その先のことを考えた時に、ダンサーになろうと決意しました。
――出合いはテーマパークで見たJAZZダンスだったんですね!
そうですね。ダンサーとしてテーマパークのオーディションに合格してからは、吉浦進二さん(※)にLOCKIN’を教わりました。テーマパークダンサーとして活動しながら、レッスンに通って、毎日ダンスの練習をして…この生活を5年続けました。
※ダンスチーム・CO-IN LOCKERSのオリジナルメンバーであり、米米CLUBのダンサー・コーラスとして加入。米米CLUB解散以降は、ダンスのインストラクターや、舞台、映画、ドラマ、CM、テーマパークなどの振り付けを手掛ける。

――スタントマンに始まりJAZZダンス、LOCKIN’とすでに幅広いですね! テーマパークダンサーを辞めたきっかけは?
ストリートダンスシーンで出会う九州出身のダンサーたちがカッコ良くて、理由を聞いたら、みんなBE BOP CREWというチームをお手本にしている、と。「九州のダンサーはこの人たちに習っているからうまいんだ!」と思うと悔しくて、テーマパークを辞めて北九州へ引っ越しました。
――すごい行動力ですね!
25歳くらいだったんですけど、若いうちに恥をかいておいた方が良いと思っていたから「今だ!」って(笑)。東京でバイトをしながら九州へ引っ越すための資金を貯める生活をしていました。その時に、スペースワールド(2017年12月31日に閉園)のダンサーオーディションを受けて合格し、そこで働きながら2年ほどレッスンを受けまくりました。
――九州での生活で一番得たモノは何でしたか?
基礎の大事さ。坂見誠二さん(※)のリズムトレーニングのレッスンにすごく感動して、東京のダンサーにも伝えたいという気持ちが原動力になりました。立っているだけでもカッコ良いし、それぞれ個性があるし、何かを盗もうと思いながら毎日過ごしていました。
※ダンスチーム・BE BOP CREWのオリジナルメンバー。現在のストリートダンスシーンの土台を作り上げた人物と言われており、“ダンスの神様”と呼ばれている。また、少年隊の舞台「PLAYZONE」や滝沢秀明主演の「新春 滝沢革命」、KAT-TUN、Kis-My-Ft2の振り付けを手掛けるなど、メジャーシーンでも活躍。

――東京に戻ってからはどういった活動をされましたか?
師匠であるEAZYさん(※1)に相談して、東京スクールオブミュージック専門学校(現・東京スクールオブミュージック&ダンス専門学校)(※2)を紹介してもらい、そこでリズムトレーニングのメソッドをレッスンで教え始めました。並行してダンスの舞台や、小柳ゆきちゃん、May'nちゃん、リュ・シウォンさんのバックアップなどをやりましたね。
※ダンスチーム・CO-IN LOCKERSのメンバー。チームとして数々のコンテンストで優勝し、LOCKIN'というダンスのジャンルを全国に広めたと言われている。2015年他界。

※2 現在は、東京スクールオブミュージック専門学校を経営する滋慶学園グループが開校した東京ダンス&アクターズ専門学校の講師を務めている。

――リズムトレーニングのレッスンで大事にしていることを教えてください。
誠二さんから教わったことを、そのまま教えるようにしていることですね。自分のフィルターを通しているとはいえ、あんまり変えないようにしています。伝言ゲームみたいに、だんだん内容が変わっていって「誠二さんと言っていることが違う」ということにならないように心掛けています。
“見る”より“体感”してほしいライブ
――ナオトさんの現場はどんな雰囲気ですか?
今までやって来たこと全てが活かされている現場ですね。お祭りの曲、ラブバラード、泣かせる曲…と、ナオトの曲自体が幅広くて、自分のキャラを変えていけるので楽しいです。他のアーティストの現場経験があまりないので分からないですけど、バンドメンバーとダンサーが仲良くなるのが早かったように思います。そういう空気を、ナオトが作ってくれているのかもしれないですね。
――ナオトさんの人柄が、現場作りにも良い影響を与えているんですね。バックアップする時に気を付けていることはありますか?
一番年上なので、「何かできることはないかな」って考えたんですけど…。みんなすごいから刺激をもらってばかりです。僕はもうイジられて、おじさん扱いですよ(笑)。ただ、嫌いじゃない(笑)。
――(笑)。今回は、新しいダンサーも入りますね!
ね! もう、イケメンだらけですよ! 新しく入ったメンバーは覚えなきゃいけない振り付けが多くて、それが1回きりのライブというのはリスキーですが、ちゃんとやるでしょう! 彼らに負けないようにしつつ、お手本になるようにみんなを引っ張っていければいいな、と思っています。
――では、長年一緒に踊ってきているメンバーの印象は、どうでしょう?
KAJ1やんは何でもできるんですよ。全体を見ていて、瞬発力もあるし、頭も良いし…あんまりダンサーにはいないタイプですよね。ムカつくけど(笑)。「何でそんなにできるの?」というくらい幅広い振り付けをしていて、単純にすごいなと思います。誰も見ていないところで努力しているからだろうなって、尊敬しています。
SHOくんは面白いんですよ〜(笑)。漢字一文字で表すなら“漢”! EMPTY KRAFTというバンドのリーダーをやっているから責任感が人一倍強いんですよ。たまに「やるぞー!」って強引なときや振り切っちゃう時がありますけどね! 飲んでいる時とシラフの時でギャップがあり過ぎて、どっちが本当のSHOくんか分からない(笑)。どちらにせよ、踊りがうまい(笑)。
HIROAKIは、ただのイケメンでしょ?(笑)。でも、自分でイケメンという感じで振る舞っていないのがかわいいし、謙虚ですね。言葉遣いもちゃんとしているし。ヘラヘラしているけど(笑)。彼がやっているライブ配信「木曜チェケラッチョ!」もよく見ていますけど、自分で何かやらなくちゃって30歳を機に思うようになったのかな。しっかりしているんですよね。ダンス愛をすごく感じます。
――バックアップダンサーをやってみたいという若手ダンサーへアドバイスをお願いします。
今までの経験で役に立ったのは、テーマパークダンサーをしていた時に学んだことですね。どんな時でも笑顔で接すること。そうしていれば、人が寄ってくるし、物事もスムーズに進む。
自分がやりたいダンスの仕事がオーディションで勝ち取ったものだろうが何だろうが、絶対にそこには人間関係があるんですよね。笑顔を忘れずに、目を見て話す…そういうコミュニケーション能力は大事かな、と。ダンスは絶対に誰にも負けないという気持ちを持ちつつ、そういうところにもカロリーを使っていった方が未来は明るいと思います。

あとは、何かひとつ自分の武器を持った方が良いですよね。周りも扱いやすくなるし。今集まっているダンサーって、やっぱりひとつは何かを持っている。自分のことを俯瞰(ふかん)して見て、自分を理解して、見つけた強みを推していくと良いのかもしれません。
――ナオトさんの楽曲で思い入れがあるのは?
いっぱいあるんですよ〜! 思い切り踊りたいな、と思うのは「Let me...」ですね。いやらしいんです(笑)。NABEくん(※)が振り付けをしてくれたんですけど、曲も振り付けも好きですね。聴いていて、ツアー当時のことを思い出します。
「キミライフ」「夏音」「花びら」「未来へ」…良い曲がたくさんあって挙げたらキリがないです。今は曲単位だけでも買うことができますが、アルバムは曲順も考えて作られているので、ぜひCDアルバムを買ってほしいですね!

※ダンスチーム・SCREAMのメンバー。ナオト・インティライミやEXILE ATSUSHI、ケツメイシ、倖田來未、山下智久、今市隆二(三代目J Soul Brothers from EXILE TRIBE)など、数多くのアーティストの振り付けやバックアップダンサーを務めている。

――12月29日の「ナオト・インティライミ ドーム公演2018 〜4万人でオマットゥリ! 年の瀬、みんなで、しゃっちほこ!@ナゴヤドーム〜」に向けて意気込みをお願いします!
楽曲の幅が広いから、泣いたり、笑ったり、声を出して騒いだりできるライブになっていると思うので、“見る”というか“体感”してほしいですね。一緒に騒ぎましょう!
1回きりのライブなので僕も集中して楽しみます!(笑)。


インタビュー・文=Yacheemi
写真=TMFM
デザイン=Creative Industry
企画・編集=渡部真咲
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