なんでそこまでするの!?? 世界中でブームの身体改造、その知られざる魅力を専門家に徹底的に聞いてきた。

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過激なピアスやタトゥー、分割された舌先、おでこに埋め込まれたツノ…。こうした「身体改造」が今、世界各地で前例のない盛り上がりを見せているという。

とはいえ「そんなことしなくても…」と率直に、まったく理解しがたい行為だと感じる人は多いのではないだろうか。
「痛そう…!不便そう…!」
どちらかといえば、正直、筆者はそう考えてしまうタチだ。

さながら彫刻の“素材”のように自らの肉体を変形させていく人々。一体、何が彼らを過激な改造へと駆り立てるのか。今回は、身体改造の謎めいた動機とディープな歴史をじっくりひも解いていくことにしたい。

話を伺ったのは、身体改造カルチャーに日本で一番くわしいジャーナリスト、ケロッピー前田さん。『クレイジージャーニー』(TBS系列)でご存知の方も多いかもしれない、ジャーナリストとして世界各地を取材する傍ら、自分でもさまざまな改造を実践している稀有な人物だ。

身体改造。一見それは奇妙な人たちの、極めて特殊な趣味の世界に見える。だけど、そうじゃない。「“多様性の時代”、君はどう生きる?」 改造人間たちは案外、そんな深いメッセージを、私たちに投げかけているみたいだ。

【閲覧注意】
本記事には一部ショッキングな写真が含まれます。
撮影/安田和弘
取材・文/飯田直人
写真提供/ケロッピー前田
デザイン/桜庭侑紀
ケロッピー前田(けろっぴー まえだ)
1965年、東京都生まれ。白夜書房(コアマガジン)の編集者を経てフリーのライター、ジャーナリストに。若者向けカルチャー誌『BURST』(白夜書房/コアマガジン)などで活躍し、海外の身体改造シーンの最前線を日本に伝えてきた。著書に『クレイジーカルチャー紀行』(角川書店)、『CRAZY TRIP 今を生き抜くための“最果て”世界の旅』(三才ブックス)など。

身体改造は“生き方”の提示なんだ

まず、「身体改造」というのは具体的にはどのようなものなのでしょうか? ネットで検索すると、いろいろな写真が出てきて、かなり幅広いジャンルであるような気がしています。
ケロッピー 「身体改造」とは、英語の「Body Modification」の訳語。タトゥーやピアス、さらに過激な身体の加工&装飾の総称です。臓器移植や美容整形などを含む「人体改造」、ボディビルなどフィットネスの文脈で使われる「肉体改造」と区別するために「身体改造」と訳しています。ここでいう過激な改造とは、皮膚の下にシリコンなどの素材を埋め込む「インプラント」、舌先を蛇のように切り裂く「スプリットタン」、皮膚を切って図柄を刻む「スカリフィケーション」、さらには身体にフックを貫通して吊り下げる「ボディサスペンション」なども含んでいます。

▲(上)ロルフ・ブッフホルツさん。身体改造世界一ギネス記録保持者、顔面のピアスの数だけでも半端じゃない。(中)トカゲになりたい「リザードマン」と猫になりたい「キャット」。(下)2017年にベルリンで開催された第3回「ボディサスペンションシンポジウム」で披露された未来的なサスペンションの様子。

あの…、大変素朴で身も蓋もない質問なのですが、どうして皆さんこんな改造をされるのでしょうか?
ケロッピー まあ改造をする理由やきっかけは本当にもう人それぞれなのですが…、あえて説明するなら、新しい生き方や新しい価値観を身体の改造を通して表現しているとも言えるんじゃないですかね。
生き方や価値観、ですか。
ケロッピー そう。たとえば、親が子どもに「好きなことをやって生きなさい」とか「自由に生きなさい」とか、そういうふうに言う場面があったとしましょうか。でもそのとき、子どもが「じゃあ僕はトカゲ人間になりたい!」とか言い出したら困っちゃうかもしれませんよね?(笑) 世界的に個人が自由に生きるっていうのは現代社会のデフォルトなんだけど、「実際どこまで自由にやっていいのか」という判断は、案外難しいと思います。そのような前提があって、身体改造を実践することは、すごくシンプルに、目に見える形で「自由に生きる」を実践することだと思います。たとえるなら、人間がどこまで自由なのかを探る、ひとつの実験みたいなものとも考えられますよね。
なるほど。たしかに、顔中ピアスのロルフさんなんかを見ると、「そこまでやるか」という驚きと同時に「そういう生き方もあるか」という感慨深さはありますね。
ケロッピー ああいうぶっ飛んでる人を見ると、普段の小さい悩みなんか忘れちゃいますよね(笑)。「自由に生きる」とか「生き方を変える」とか、言葉でいうのは簡単。だけど、実行は難しい。

実際に身体改造を実践している人たちに会うと、みんな幸せそうでいい人たちですよ。最近は『クレイジージャーニー』で取り上げていただいている影響もあって、世間の認知度はかなり上がっています。身体改造がごく一部の人たちの特殊な趣味というのではなく、ひとつの“カルチャー”であり、“生き方”なんだと認識されてきている実感がありますね。

90年代に再燃したカウンターカルチャー

世界的に身体改造を実践する人の数は増加しているそうですが、これには何かきっかけがあったのでしょうか?
ケロッピー うーん、最近急に人気が出たというよりは、90年代の前半から30年間かけてじわじわと広がっていった感じなんですよね。その中でもいくつかポイントになる事柄があるのですが、簡単に整理しましょうか? 少し講義みたいになりますけど(笑)。
よろしくお願いします!
ケロッピー まず、カルチャーとしての身体改造が注目を集めるようになった最初のきっかけは、1989年に出版された『モダン・プリミティブズ』(RE/Search publications)という本の影響でした。この本が出る以前はアメリカでも、世間的なイメージとしては、タトゥーはバイカーなど“アウトロー”な人たちが入れるもの、ボディピアスはゲイやSM好きなど“マニア”な人たちがするものと思われていた。だけど、『モダン・プリミティブズ』によってその固定した価値観が大きく揺らいだんです。そこに書かれていたのは、ざっくり言えばこんな内容です。

太古の昔から、また世界中のあらゆる部族や民族の文化に身体を加工&装飾する風習がありました。それらは人類の本来的な願望であり、ハイテクノロジーな現代を生き抜くためにこそ、現代医学の知識に基づき、安全かつ衛生的な方法で身体改造を復興させましょう」。
なるほど。
ケロッピー 89年といえばベルリンの壁の崩壊した年で、いよいよ世界の冷戦構造が崩壊していく時代。世の中全体の空気が大きく転換していく中で、90年代には、60年代以来のカウンターカルチャー的なさまざまなものが再燃していきます。古代への憧れみたいなのはヒッピーカルチャーにも強くありましたが、身体改造もそうした文脈ともシンクロして立ち上がってきたものなんですよね。

また90年代前半にはアメリカでボディピアスがビジネスとして認められ、ピアスのプロを養成する学校ができたりしました。また同時に、タトゥーも大胆で大きなデザインを身体に配置するような作風が人気を得て、タトゥーとピアスはともに新しいファッションとして世界的な大流行になります。
それだけ潜在的な需要があったということですね。
ケロッピー それからもうひとつ、身体改造の興隆にとって大きかったのは、インターネットが普及し始めたことですね。
というのは?
ケロッピー ピアスやタトゥーのお店では対応できないような、もっと過激で実験的な身体改造に関心を持ってる人たちが、インターネット上でつながるようになったことで世界同時進行の新しいムーブメントが動き始めたんですよ。

その中心になったのは、BME (Body Modification Ezine)っていうカナダのWebサイト。BMEは世界中の過激な身体改造の実践者たちに声をかけて、1999〜2001年まで3年連続で「モドゥコン(ModCon)」という身体改造の世界大会も開催しましたが、これは非常に画期的なイベントでした。
音楽の世界でいう“ウッドストック”(※)的なものでしょうか?
※ ウッドストック・フェスティバル。1969年にニューヨークで開催され、ジミ・ヘンドリックス、グレイトフル・デッド他多数のスターが出演した歴史的野外コンサート

▲大会記録の書籍『モドゥコン・ブック』。日本語版はケロッピーさんが翻訳・自費出版。

ケロッピー 規模は全然小さいですけどね。後世に大きな影響を与えましたよ。僕は現地に行って、『BURST』(白夜書房/コアマガジン)という雑誌にレポートを書きました。参加者たちからも直接話を聞いていますが、本当に圧倒されましたね。このときの参加者たちは今も世界各地で、それぞれシーンの中心人物になってます。そういう意味でも、身体改造がカルチャーとして広まっていく契機となる、大きな出来事でした。

日本では2004年に、金原ひとみさんが書いた『蛇にピアス』(主人公が舌先を蛇のように切り裂くスプリットタンに惹かれる物語。集英社)が芥川賞を受賞し、一気に注目が集まりました。実は金原さんは『BURST』の読者で、僕の記事も読んでいたそうです。そういう意味では、日本での身体改造ブームも、モドゥコンのような海外の最前線の動向と地続きで起きた現象だったと言えますね。

身体改造の本質は「経験性」にある

ここで一度、本特集のテーマに立ち返ります。タトゥーは「彫る」と言いますし、身体の一部を切ったりインプラントで変形させたり、身体改造には「彫刻的」と言えるような部分もあるかなと私は思っていました。ケロッピーさんから見てその辺りはいかがでしょうか。
ケロッピー うーん、どうなんでしょうね。たしかに美的な造形を目指したいという気持ちはあると思いますが、一般的に身体改造で一番重要な要素は「痛み」と「経験性」であったりしますので。
痛みと経験性、ですか。
ケロッピー 誤解しないでほしいのは、「痛いのが好き」とかってことじゃなく、痛みを恐れず、それを受け入れることで恐怖心や精神的な不安を克服するっていうことです。これは身体改造のルーツから考えてもすごく重要な要素ですよ。タトゥーやピアス、ボディサスペンションにしても、元来部族の通過儀礼(子どもが大人として認められるための儀式)として行われていたものですからね。
ケロッピー 部族社会だったら集団の掟として行われていた痛みを伴う行為。それを今は「自分はやるぞ。変わるぞ」という覚悟と意志を持った人がやるようになった。その点では違いはありますけど、痛みを伴う経験を乗り越えて自分のアイデンティティを確立するという、不可逆的な「経験性」こそが重要だという意味では変わらないと思いますね。
ということはつまり、タトゥーの柄のカッコ良さや、ツノが生えたおでこの造形的な美しさなどは、改造するという経験の副産物、おまけみたいなもの?
ケロッピー 誤解しないでください。もちろん、身体改造を通じて、見た目を美的に飾ることは重要です。ただ、アクセサリーを身につけたり、お化粧したりする行為と決定的に異なるのは、「経験性」という部分だと言いたいんです。取材で世界中のいろんなカルチャーが生まれる現場に行きますけど、毎回その場で自分も何かしらの改造してもらいたくなっちゃうのもそのせいですね。つまり、世界最先端の現場に立ち会うという貴重なチャンスを得たなら、「せっかくここに来られたんだから、その証しを日本に持って帰りたい」っていう気持ちが湧いてくるんですよ。
なんだか…ちょっと神社の御朱印帳みたいです。
ケロッピー ああ、そういう要素もあると思いますよ。タトゥーには「プロテクション(災いから身を守る)」といわれる、お守りのような意味が込められている場合もありますから。
へえ!
ケロッピー あと、経験性とその証しが欲しいというのとは別に、自分自身を想像の自己イメージに近づけていくっていう側面もありますよね。
それは、たとえば「トカゲ人間になりたい」といったような改造のことでしょうか?
ケロッピー そうですね。そういう自分の頭の中のイメージを具現化していくというプロセスだと、20年かけて、計画的に全身を改造していくことになったりする。高い山の頂上を目指す感覚に近いのかな。
ちなみに先ほど見せていただいた「モドゥコン」の本の中に、気になる写真が一枚ありました。男性器から火を噴いているような人の写真ですが…。これはどちらなんでしょう? 経験性というよりは、理想の自己イメージ系ですかね?(笑)

▲『モドゥコン・ブック』に掲載された火炎放射男。『クレイジーカルチャー紀行』より。

ケロッピー はっきり分けるのは難しいかな(笑)。とりあえず、この人は“尿道移動”をやった人でした。尿道移動っていうのは、性転換手術で男性器を切除する場合などに事前にやっておく手術。陰茎を切っちゃうとしたらおしっこするときに困るじゃないですか。だから、会陰部(体の真下、男性器と肛門の中間辺り)に新しい穴を開けてそこから尿を出せるようにするというものです。
具体的に聞くと、けっこうな大工事ですね!
ケロッピー そりゃそうですよ。彼の最終目標が性転換であったのかどうかはわかりません。とにかく、もともとの尿道に管を通して会陰部の新しい穴からその一端を出し、ガスを送って男性器の先端に着火すればこうなるという…。
そうですか…。ここまでくると、もはやユーモラスですね。身体改造は自由を満喫することという、冒頭の話に説得力が増して感じられます。純粋に楽しんでいる雰囲気があって。
ケロッピー 実際、派手に改造しちゃう人ほど、見た目に反してピュアな心の持ち主が多いですね。「やってみたい」っていう気持ちをまっすぐ実行しちゃう性格なんだから、ピュアで当然と言えば当然ですが(笑)。そのぶん、他の人から見たらちょっと笑っちゃうような改造に懸命に挑んでいたりするかもしれないけど…。
こういう方々って、お仕事はどうされているんですかね?
ケロッピー それぞれ個性に合った職場をうまく見つけてますよ。彫師やプロのパフォーマーになる場合もあるし、バーや服飾関係などでは、見た目にインパクトのある働き手を求める店も少なくないですしね。概ねみんな真っ当に社会人やってます。

カウンターカルチャーとしてのボディハッキング

さて、身体改造は古代から続くカルチャーだというお話を先ほど伺いました。一方、最近ではマイクロチップなどを体内に埋め込む「ボディハッキング」が、最先端のテクノロジーとして当たり前の時代になりつつあります。過去と未来。身体改造とボディハッキングは真逆の指向性を持つように思えるのですが、技術的には似ています。ケロッピーさんもマイクロチップの埋め込みをされているそうですが、今、このふたつの潮流はどのような関係にあるのでしょうか?
ケロッピー いい質問ですね。さっき『モダン・プリミティブズ』の話をしましたけど、身体改造実践者たちがその言葉を使い始めたのとほぼ同時代に、「サイバーパンク」という言葉が生まれました。

サイバーパンクは、アメリカの作家・ウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』(早川書房)をはじめとする、SF小説の新しいジャンルの呼称。機械を身体に埋め込んで能力を拡張する設定や、国家や企業の管理に抵抗するストーリーなど、「コンピュータを野蛮に使いこなす」世界観の表現が特徴的でした。『モダン・プリミティブズ』では、野蛮さを現代的に復興させることが説かれていましたが、サイバーパンクではハイテクノロジーを野蛮に操れという。同じことを逆の方向から言っていたわけです。
出発地点は違うけど、「現代的な野蛮」という目指す地点は両者とも一致するということですね。
ケロッピー そう。言ってみれば、ボディハッキングはサイバーパンクのリアルな実践です。そして、実際のハッキングには『モダン・プリミティブズ』が提示し、身体改造シーンが培ってきた技術が必要になる。そういう意味では、ボディハッキングの登場によって、80年代後半に鏡合わせのように生まれたふたつのムーブメントがようやくひとつに融合しつつあるという気がしますね。
壮大な話ですね…! ですが、マイクロチップの社員証などを身体に埋め込むのは、管理されやすい存在になるということですよね。なんだか、カウンターカルチャーの精神に反するんじゃないかという気もします。
ケロッピー それは「カウンター」の意味をどう捉えるという問題ですよね。たしかに、60年代には戦争や国家に対する反抗(反体制、反権力)という面がありました。たとえば、ベトナム戦争では当事国であるアメリカの若者たちが反戦を訴えたことが新しいカルチャーを生み出す原動力になりました。

でも、90年代のカウンターカルチャーの再燃は東西統一や冷戦終結といった世界の激変が背景にあったから、反抗というよりは、「オルタナティブの提示」という意味合いが強かったと思います。カウンターの方法が、多様性の中でメインストリームとは別の新たな道を選び取るということに変わったんじゃないでしょうか。

▲(上)ハイテク義手を装着する女優エンジェル・ジェフリアさん。親指の付け根にはマイクロチップを埋め込んでいる。(下)磁気に反応し、LEDで光る電子機器「ノーススター」を手の甲に埋め込んだ人たち。アメリカ、ピッツバーグにて。(写真:Ryan O’Shea)

ケロッピー そういう意味では、マイクロチップを埋め込むのも、間違いなくカウンター的です。いち早く実践している人たちはみんな自分の意思で埋め込んでいるわけだし、企業が奨励する場合も大企業ではなく、ベンチャー企業じゃないですか。つまり大企業がテクノロジーを独占していく中で、オルタナティブな価値を提示していく人たちの実践なんですよ。

スウェーデンでは、鉄道会社が乗車券の代わりに手に埋め込んだマイクロチップで乗車できるという実験を進めています。実はスウェーデンというのは人口が(2019年現在の)東京都よりも少ない小国。だからこそ、新しいテクノロジーの導入にも柔軟で、他の大国に先駆けて、社会実験としてボディハッキングを実践している。これも一種のカウンターと見ていいんじゃないかと思います。もう、カウンターというのは反体制だけじゃないはずですよ。

身体改造と現代アートの接点

ここまでの話で身体改造という文化の成り立ち、価値観についての理解はだいぶ深まった気がします。最後に、この特集のテーマである彫刻との結びつきを改めて考えてみたいです。先ほど伺った限りでは、関連性は薄いような感触でしたが…。
ケロッピー いえいえ。そうとも言い切れないですよ。たとえば、身体改造のひとつに指や手足を切断してしまうというのがあります。かなり特殊な分野ですが、一般的な好奇心をそそる人気のジャンルですね。
また理解しがたいやつが出てきましたね。
ケロッピー 「アンピュテーション」と呼ばれる身体の一部を切断&切除する改造ですね。四肢欠損にフェティシズムを感じる人たちって、けっこういるんですよ。基本的には自分で切断するわけですが、一番の問題は「どうやって切ればキレイな切断面が残せるか」。そしてその後には切り離した部位を「どうやって保管するか」。保管せず、新鮮なうちに食べてしまうという選択肢もありますが…。
食べる!?
ケロッピー そういう人、いるんですよ。僕自身、おでこの皮膚を剥がして食べるというパフォーマンスをやったことがあります。別の機会には、自分の皮膚を剥がしてホルマリン標本を作ったりしています。

▲ケロッピーさんの立体作品「Clone L and R」。

おお…。これは彫刻感アリですね。ダミアン・ハースト(イギリスの現代美術家、死んだ動物をホルムアルデヒドで保存したシリーズが有名)的な悪趣味を感じます。
ケロッピー 立体作品として制作したので、彫刻的なところはあるかもしれません。あとは、身体改造とアートの接点を考えるなら、やっぱり面白いのはステラークさんじゃないですか?

▲オーストラリアの現代美術家、ステラークさん。

ケロッピー 腕に「第三の耳」を埋め込んでいるこの人は、もともと現代アートのパフォーマンスとしてサスペンションにいち早く挑み、ボディサスペンションの先駆者でもある。その他にも胃袋に小型ロボットを飲み込んだり、ロボットアームによる「第三の手」を実装したり、人間の能力を拡張するような作品を手掛けています。いずれも身体改造にも関わるもので、彼の作品を見ると、身体改造と現代アートの領域は決して別物ではないんだなとは思いますね。
ヴァーチャルリアリティの進化やゲノム編集によるデザイナーベビーの誕生など、生身の体の存在意義が薄れていくような時代にあって、あくまで身体性に固執するようなステラークさんの態度は逆に新鮮に感じられたりもします。
ケロッピー どれだけ技術が進もうと、人間が身体を持っていることは変わらないし、それを実感させてくれる痛みっていうのは、他の感覚では代替がきかない。身体改造の本質にも関わってくるテーマです。
さて最後になりますが、身体改造シーンの今後についてはどのようにお考えですか。
ケロッピー 今、多様性が認められる時代になってきていることと、身体改造が盛んになっていることは関係があると思ってます。世界中どこの都市でも文化、価値観、人種、言語の多様性が進んでいる。「どんな目の色でも、肌の色でも別にいい」、そうした価値観に社会全体がシフトしている。この流れは自然と「肌に文様があったってピアスがあったっていい」というところまで来ている気がします。多様性を受け入れるという前提条件のもと、実際どこまで本当に受け入れていけるのか。身体改造によって社会が試されていくんじゃないですかね。

【次回予告】
「あなたはもう彫刻を無視できない」特集、次回は現代美術家・柴田英里さんのインタビュー。「ツイッターの炎上で彫刻を焼く」という、奇怪な話をお届けする。キーワードは、ヨーゼフ・ボイス、イコノクラスム、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』、DOMMUNE、電気グルーヴ、銭湯絵師見習い etc...。4/28(日)20:00公開予定。

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