【杉本昌隆の感謝】諦めないで頑張れるのは弟子たちのおかげ

2018年度、杉本昌隆の戦果にどれほど心を揺さぶられたことだろう。

齢50にして、B級2組昇級の偉業ーー。
杉本を突き動かした原動力は、「うらやましい」という勝負師の本能だった。

将棋ブームの火付け役となった藤井聡太の“師匠”。
テレビのワイドショーやニュース番組で愛弟子の活躍を語る、優しくてちょっと自虐的な杉本の顔は、将棋界を超えて知れ渡る存在となった。

しかし、明らかにそれとは違うのだ。

勝利への渇望を吐露する杉本の目は、ぎらりと光るのだ。

まるで子どものように夢中で互いに切磋琢磨を続ける三浦弘行、戦友・畠山鎮。
もう盤を挟むことのない永遠のライバル・村山聖。
そして、自らの門徒ながらまだその全ぼうも描くことの出来ない巨星・藤井聡太ーー。

棋士として。師匠として。
杉本の歩んだ道のりと、手にする明日への地図の一片をのぞいてみたい。

撮影/MEGUMI 取材・文/伊藤靖子(スポニチ)

「棋士の感謝」特集一覧

八段昇段と順位戦B級2組への昇級、おめでとうございます。2018年度を振り返って、いかがでしたでしょうか?
まずは八段への昇段に関してですが、年度中には達成したいなという気持ちはありました。(取材は3月に行われた)

「勝ち星昇段」というのは、星数が減ることがなく、いつかは達成できるので、いつになるかというのだけなんですけど。

同時に順位戦での調子が良かったので、八段への昇段を決めた後は、なんとしても昇級したいなという思いがありました。順位戦は残り一、二局の時点で昇級の可能性も見えていたので、それを逃してしまうと、せっかくの八段昇段もちょっと複雑なものになってしまうなというのがあって。
ちなみに今年度を100点満点で表すなら、何点をつけますか?
80点くらいかな? もうちょっと足してもいいけど。

将棋に関しては120点くらいあるんですけどね、できすぎなんで(笑)。昇段も昇級もできたので、将棋に関しては言うことがないです。

私生活で言うと、体重が70キロを超えたのが(笑)。自分の中での超えてはいけないラインだったんですけど。1回超えてしまうとなかなか戻らないんですよね。ストレス太りもあるのかな…ちょっと食生活が乱れぎみになっていたり、深夜に食事をしたりすることが増えたので。
順位戦の最終局は藤井聡太七段との“師弟同時昇級”が懸かっていたこともあって、大きな注目を集めました。対局前はどういった心意気で臨まれたのでしょうか?
最終局の前の10回戦までに8連勝していたのは、私と藤井七段のふたりだけだったんですね。「次に勝てばどちらも昇級する」という状態になり、船江(恒平六段)戦は一番気持ちが入っていました。

将棋会館での対局で和服を着たのは過去に1回もありませんでした。もしかしたらそこでの対局で和服を着ることは、今後もないかもしれません。それくらい気持ちが入っていました。

その船江戦に勝てば、自分の昇級が決まると同時に、藤井七段へのアシストになるかもしれないという状態でしたから。私にとっても藤井七段にとっても船江さんはライバルでしたからね。非常に気持ちが入りましたけど、自分も藤井七段も負けてしまいました。

その1ヶ月後の最終局、千葉(幸生七段)戦は、前局で入れ込みすぎてしまったので自然体で指すことを心がけました。

8勝1敗で4人が並ぶという状態で、自分は「勝てば昇級できる」状態だったので。自力では決まらない藤井七段と違って、そういう意味では自分のほうには若干余裕がありましたが、藤井七段としては、順位戦で初めて順位の厳しさを味わっているときなのかなと思いました。
順位戦C級1組9回戦の船江六段戦、和服で対局に臨んだ杉本八段(スポニチ提供)
1985年度の順位戦B級1組で、杉本先生の師匠である故・板谷進九段と兄弟子の小林健二九段の師弟含めた4人の勝敗が並び、最終局で決まるという今回とまったく同じような状況がありました。その際、板谷先生は弟子・小林九段の昇段を神社に祈願したというエピソードがあります。
B級1組は総当たりなので、師匠と弟子が直に対局することがあるんですけど、C級1組は直接対決がなかったので、ちょっと立場が違う部分もあるとは思います。

当然、弟子の昇級を願う気持ちもありましたけど、それは同時に自分が昇級できないという意味も含んでいたので、かなり複雑な部分もありました。

ただ藤井七段はたとえ今回上がれなくても、必ず上がってくるというのは、師匠の私だけでなく、どんな棋士でも予想していることでしょうから。最終局は自分のために精いっぱい戦おうと思っていました。
昇級後、藤井七段とはどんなコミュニケーションをとられましたか?
久保(利明九段)―藤井戦(3月11日、ヒューリック杯棋聖戦二次予選)のとき、大阪にいたので、夜ごはんを一緒に食べて話をしました。昇級後に顔を合わせたのはそれが初めてでしたね。

久保戦で熱戦の末に敗れて非常に疲れ切った表情をしていたんですけど、藤井七段はハッと思い出したように「昇級おめでとうございます」と。

対局後で疲れていたのに、ちょっと申し訳なかったなと。なんだか無理やり言わせたみたいになってしまいました(笑)。
「師匠・杉本昌隆」と「棋士・杉本昌隆」。スイッチの入れ替えがかなり大変だと思います。いつも温和な表情とトークで私たちに将棋の魅力を伝えてくださいますが、ふたつの顔を使い分けているのでしょうか? それとも変わらないのでしょうか?
求められているものが全然違いますからね。というより「棋士・杉本昌隆」として何か求められた覚えがない(笑)。

これは棋士たる以上、勝ち負けが当然ありまして「勝っている棋士」というのは応援もされるし期待されることも多いですけど、「勝ったり負けたり」であれば当然注目されないと思うんですね。ここ数年はどちらかというと「負けたり負けたり勝ったり」くらいの感じだったので。

棋士として注目されることは少ないにも関わらず、藤井七段の師匠としては非常に注目されていたので、そこは喜びもあり、複雑な心境とのはざまでちょっと悩んだりもしました。
藤井七段の登場により激変した将棋界ですが、その中でも杉本先生をテレビ、イベントで拝見する機会が一気に増えました。棋士の知名度では「羽生(善治)九段」「藤井七段」に匹敵します。
たしかに、道を歩いていて「師匠!」と声を掛けられることはありますね。「杉本」という名前で呼んでいただけることはないんですけどね(笑)。

私の顔を見たときに思い出すワードが「杉本」よりも「師匠」、なんでしょうね。でも、とてもありがたいことですよね。
少し意地悪な質問ですが、「良い師匠だ」と言われるのはうれしいですか? それとも、やはり棋士としての評価がまず第一でしょうか。
棋士として評価されるには、当然、結果を出さなければ評価のされようがないので、すべて自分の責任だなと思います。

師匠としてどう評価されているかというのは、周りの人が判断することなので。それによって弟子との接し方を変えようとは思いませんけど、ごく自然に弟子と接した結果、それを評価してもらえているのであれば非常にうれしいです。

事前にお答えいただいたアンケートとして、一番に三浦弘行九段の名前が挙がりました。杉本先生は愛知県在住、三浦先生は群馬県在住。所属も東西で分かれています。どのような接点があるのでしょうか?
年齢でいうと彼のほうが5つくらい下で私のほうが先輩ですけど、棋士として尊敬できる部分をたくさん持った方です。あれだけストイックに全身全霊で将棋に取り組むスタイルというのは、見ていて棋士として見習うべき部分があるなと思っていました。

親しくなったのは、20年以上前だと思うんですけど、名古屋で「将棋まつり」があったときに、同じ日に出演したんですね。それまでは、東西に分かれてるし、年もちょっと離れているし、修行期間も重なっていないから顔しか知らないという感じだったんです。

でも帰り際に三浦九段から声を掛けられたんです。たしか「お茶を飲みにいきませんか」とか「将棋を教えてもらえませんか」だったような。それがきっかけでした。あの頃から三浦さんはすでに強かったから「私の何に興味があるのかな」と思ったりもして(笑)。

今回の昇級2日前にもインターネットを介して将棋を何局か指しました。名古屋と群馬で離れているので、頻繁に会うわけではないですけど、インターネット上で指すことはちょくちょくあるんです。

毎回、携帯電話で感想戦をするんですけど、最後は充電がなくなって終わるんです。あまりに長いから(笑)。だいたい深夜に終わります。将棋を通しての交流はずっと続いていますね。
「棋士として尊敬できる部分をたくさん持った方」とありましたが、具体的にどんなところを尊敬されていますか。
どんなときでも将棋を勉強する姿勢は、本当に尊敬に値します。

つい1週間くらい前も会ったんですね。電車で名古屋に帰る予定だったんですけど「2分前に駅に着けば間に合いますね、ギリギリまで勉強しましょう」と言われまして。

電車に乗り遅れたら嫌だし余裕をもって帰ろうと思っているんですけど、本当にギリギリまで勉強するんです。最後は駅まで走って行きました(笑)。

逆にご自身が名古屋で研究して帰られる際もギリギリまで勉強して…三浦さんも駅まで走っていると思います(笑)。
アンケートで次に名前が挙がった、畠山鎮七段もすごくストイックな印象があります。
畠山先生もすごく熱いですよね。

関西でよく一緒に研究や勉強をすることがありますし、彼とは10代後半からの付き合いです。年齢も近いのでもう30年以上ですか。戦友に近いですね。

お弟子さんには斎藤(慎太郎)王座がいらっしゃいますよね。ちょうど1年前、畠山先生が(順位戦)B級2組からB級1組へ昇級されまして。少なからずお弟子さんの影響があったはずなんですよね。それを1年前に見ていて、畠山先生のことが「うらやましいな」と思ったんです。

もちろんタイトルホルダーの斎藤王座と藤井七段では全然、実績の上で大きな隔たりがあります。しかし弟子の活躍に師匠が影響を受けるというのは当然あることでしょうし、畠山さんの昇級というのは見ていて非常に感銘を受けました。今回、自分の昇級は、その影響というのも大きくありました。
以前ご出演されたイベントでは「ライバルは村山さん」と、故・村山聖九段の名前を挙げていらっしゃいました。村山先生がご存命の頃には、ライバルに杉本先生の名前を挙げていたり、お互いに認め合って切磋琢磨されていたんですね。
彼はすごく毒舌で私にけっこうキツイこと言うんですけど、将棋に対してはすごく評価してくれていましたね。

入門は私のほうが3年ほど早い1980年で彼が1983年なんですけど、年が近いのと昇級ペースも同じだったので、奨励会時代はライバルでしたね。

彼がプロになったときにも、ライバルに私の名前を挙げてくれたみたいで。

だけど、メディア的には羽生さんのほうが有名だからと、記事上ではライバルは羽生さんにされていたみたいで。もちろん奨励会時代ではなく、棋士になってからのライバルをメディアのかたが書くのは当然ですが。当時、彼が茶目っ気たっぷりにこぼしていましたね。「ライバルは杉本さん、って答えたのに書いてくれない」って(笑)。

初めて藤井七段を見たときに、「村山くんと将棋の質が似ているな」と思ったんですね。終盤が強いところとか鋭いところとか。

イメージとしては「健康的な村山くん」という感じで。

藤井七段は小学校2、3年生くらいの時点で「序盤はめちゃくちゃだけど、終盤は強いな」と思ったので、そのあたりが村山聖に似ているなというのはありましたね。

村山くんというのは、すごく鋭くて強い将棋を指すんですけど、体が弱かったというのもあって一局の中でも出来不出来が激しいところがあって。

小学2、3年くらいの藤井七段を見て「“常に体力がある村山聖”みたいな将棋を指すな」という印象を持ったのは覚えてます。
同世代の先生方の中には、今でも村山先生が大きな存在として心の中に根付いていらっしゃるんですね。
あれだけ個性の強い棋士は後にも先にもいないと思いますし、将棋に取り組む姿勢は本当に見習うべきものがありました。

修業時代、彼が大阪に住んでいる頃からの付き合いでしたけど、関西将棋会館に行くと必ず村山くんがいるんですよね。彼はいつも将棋会館か雀荘のどちらか、でしたね(笑)。

自分は18歳までずっと名古屋に住んでいたんですけど、19歳のときにひとり暮らしをするために大阪に出たんですね。そのきっかけを作ってくれたのも村山くんです。

彼が五段くらいの頃、練習将棋を指したことがあったんですけど、非常に目新しい手を指されて負けたんです。感想戦で「こんな手があるんだ」と感心したんですけど、「これは、ついこないだのA級順位戦であった手じゃないですか」と言われて。「知らないんですか。勉強不足ですね」って。

当時はデータベースもないですし、棋譜は将棋連盟に行って自分でコピーをしないと手に入らない時代だったんです。でも当時はまだ名古屋に住んでいたので、新手を知らなくて。

「勉強不足ですね」と言われたのがすごくショックで。自分では研究派だと思っていたので、そこで遅れを取ったというのがすごく悔しくて…それが大阪に出ようと思ったきっかけでした。

彼としては、私にハッパを掛けようと思ったのか、思ったことをただ言っただけなのか、今となってはわかりませんけどね。
アンケートの回答では、藤井七段のお名前と、そのほかに「奨励会の弟子たち」という回答もありました。杉本先生は、たくさんのお弟子さんを抱えていらっしゃいますが、それはご自身の師匠である故・板谷九段のご意思を引き継いでいらっしゃる部分もあるのでしょうか。
私の師匠も弟子は多かったですね。

師匠の教えはいろいろあったんですけど、「細かいところは気にするな」というのが根底の部分ではないかと思うんですね。若い頃というのはひとつの勝ち負けで悩んだり、一喜一憂しがちですけど、勝負の世界というのは長いので。

よく言われていたのは「どんどん食ってバンバン指せ」という言葉でした。文字通り「たくさん食べてたくさん将棋を指せ」ということなんですけど、「指せれば勝手に強くなる」ということにつながるんでしょうね。とにかく「ご飯を食べる」ということをいつも気にかけているところがありましたね。
板谷先生が亡くなられる前、最後にお会いになられた将棋会館で「ちゃんと飯を食べているか」と声を掛けられたそうですね。それが最後のお言葉だったと。
当時小食だったので、よく声を掛けられたのは覚えています。

だから「あまり細かいことは気にしないほうがいい」という教えは受け継いでいますね。「一喜一憂しないこと」ですね。
影響を受けた方で自分よりもはるかに若い方を挙げられたのが、とても印象的です。お弟子さんたちのどんなところに感謝したり、尊敬の念を感じられるのでしょうか?
師匠が亡くなっているから、というのもあるかもしれませんね。

弟子たちとは定期的に会って将棋を指しているんですけど、今年も新年の1月4日に藤井七段や室田(伊緒)女流二段など6、7人で集まってほぼ1日将棋を指していました。

とくに奨励会の弟子に感じるんですけど、彼らは非常に厳しい環境の中で将棋を指していまして、いわば「明日がない」状態なんですね。

1年後は奨励会を退会させられているかもしれない、という厳しい状況の中で毎回苦しみながら指している。

そういう弟子たちを見ていると、プロだからという理由で慢心したりせず、もっと厳しいところに自分を置かなければいけないのではないか、と思わせられるところが多々あります。

今回の昇級に関しては、意識的に自分を追い込んだこともありましたが、藤井七段や奨励会の弟子たちの存在のおかげだったと思いますね。


奨励会という厳しい環境に身を置くお弟子さんたちですが、杉本先生が奨励会在籍中には年齢制限の規定が変わり、「満31歳」から「満26歳」に引き下げられました。いわば激動の時代でした。先生が書かれた『四段昇段の記」では、「三段リーグに不信感を持っていて、絶対四段になってこんな制度を作った先輩たちに天誅をくらわしてやる」という、激しいお言葉の記録が残されています。
よくご存知ですね(笑)。三段リーグは、10代後半から20代の一番勢いのある若手たちが集まって戦うリーグ戦で、半年間でふたりしか上がれないですからね。

でも、実際にそこからプロになった人はほぼ例外なく活躍しているので、実力的にもプロの水準を満たしているのは明らかなんですよね。だけどそこを抜けないことには絶対にプロになれない。半年にふたりと枠が決まっているので、ふたり以上自分より強い相手がいればその枠は巡ってこないわけですから、よりライバルという存在を意識する場所でもあります。

年齢制限も、ですね。いくら実力があっても情熱があっても、上限に達してしまったら退会しなければいけない。制度だから仕方がない部分もありますけど、理不尽さを感じましたね。

とくに私の場合は三段在籍中にその制度が変わって三段リーグができましたから。不意に変わったのはいまだに…なんでもっと早く教えてくれなかったのかな、と。
三段リーグが厳しすぎるという感覚はありますか?
ただ、プロになってからも厳しいんですよね。C級2組も厳しいし、C級1組もB級2組も全部厳しいですよね。A級、B級1組では1年で落ちてしまうかもしれない、という厳しさがありますし、「厳しくない場所はない」というもの事実なんです。

棋士は勝っても負けても棋士ですけど、奨励会員は勝たないと棋士になれない。そこが最大の違いなんです。じゃあ、どのようにしたらいいのかという代案は難しいですけど、今の制度で割を食ってしまっている若者は必ずいるだろうな、という。そこに関しては制度の厳しさを感じますね。

年齢制限はもともと31歳だったんですけど「その歳で社会に放り出したら何もできないだろう」ということで26歳に下げた。それは「棋士になれずに社会に出る若い人への、将棋連盟の優しさ」と言われていますけど、そうは言っても26歳でも厳しいですよね。

では、年齢制限をなくしたらいいのかというと、そういうわけでもなくて。その場合30歳になっても40歳になってもプロを目指し続ける人が出てくると思うので。それはそれで、果たしてその人にとって幸せなのかというのもあります。

今はアマチュアからプロになる制度もできました。プロ試験というのはひとつの大きな提示になったのかなとは思います。三段リーグに関しては、もう少し、せめて昇級枠を増やすことはできないのかなとは思います。

ただ現行の制度は、「強いプロを育てる」という意味では良い制度だと思っているんです。

今の若い人はずっと三段リーグがある中でやってきているので当たり前になっているでしょうけど、私の世代は、三段リーグを経験している人としていない人がいるんですね。

制度ができる前というのは「13勝4敗」という規定の勝数を修めれば(四段)昇段できたので、三段リーグを経験した棋士というのは非常にタフだなと思っています。

もちろん羽生さんだったり森内(俊之九段)さんだったり、経験していなくても強い人ももちろんいるんですけど、経験したことによってプロになって非常につらい状況に追い込まれても「あの三段リーグを抜けた」という自負がその逆境から立ち直らせてくれるというのがありまして。三段リーグというのは、「勝ち抜けられた」プロにとっては決して悪い制度ではないのかなと思います。
藤井七段をはじめ、お弟子さんの育成のために、さまざまなことを考えられて実行されていると思います。一番意識するのはどのあたりなんでしょうか?
兄弟弟子がお互いに勉強しやすい空間作り、でしょうか。兄弟子だから、師匠だから、と上下関係があるのが嫌いで。

私の師匠は弟子に対して非常にフラットでしたが、時代のせいもあるんでしょうね。奨励会時代の兄弟子に将棋以外の雑用を言いつけらたことも多々あったんですね。「何で兄弟子の、しかも将棋に関係ないことを、聞かなきゃいけないんだろう」と疑問でした。

自分がプロになったらそういう上下の、少なくとも強要する関係は廃止したいなと思っていました。
2015年から「杉本昌隆将棋研究室」を開催されていらっしゃいますが、「教室」や「勉強会」にせず「研究室」というネーミングにも、そういった上下関係の廃止のようなこだわりがあるんですね。
研究する気持ちに「先輩も後輩も、師匠も弟子もない」というのがありまして。

藤井七段が入ってきたのは小学4年生でしたから、彼より3つ4つ上の兄弟子というのが何人かいたんですよね。

もし先輩から将棋の技術以外で、何か理不尽な扱いを受けてはいけないなというのがありまして。半分冗談でしたけど、兄弟子たちには「いじめたりしたら許さないからね」と言いました。

将棋でいじめるのはいいんですけどね(笑)。それ以外で何かを強要したり、年が上だからという理由で理不尽な扱いをすることは絶対許さないと。

お互いが技術の向上を目指して、思ったことを言い合える環境をつくりたいな、と意識的に考えていました。
藤井七段を育てていく中で、「これは取り入れてみて良かったな」というのはありますか?
彼が良かったと思っているかは別問題ですが、研究会がある日は必ずおやつの時間を設けているんです。

たとえば、大人だったら仕事の後に一緒にお酒を飲みに行って、思ったことを言い合ったり、というのがあるじゃないですか。将棋盤を離れることによって思ったことを言い合えるというのがあると思うんですよね。

だいたい話している内容は将棋のことなんですけど、おやつを食べながらタイトル戦の研究をすることもよくあります。

将棋の携帯中継を見ながら「ここをこうやったらどう?」とか「一目こうだけど…?」とか彼が言っているんですけど、おやつを食べながら気軽に言っているにもかかわらず、だいたい合ってるんですよね。

数十分後に対局者がその手を指すと携帯中継に「控え室では驚きの声が上がっている」とかコメントが書かれるんですけど、「ウチでは30分前にその手が出てたけどな〜」とか優越感に浸りながら、一緒におやつを食べていたりしています(笑)。

その他でいうと年末の研究室の大掃除の役割分担、というのは続けています。

役割分担をあみだくじで決めるんですね。君はこの部屋の掃除とか、君は駒磨きで、君は階段の掃除で、とか。

ただ人数が多いので担当が余るんですよね。担当がない子は仕方ないから、冗談で腕立て伏せの項目を入れてみたり(笑)。そうするとなぜか腕立て伏せが人気なんですよね。なぜか「掃除もちゃんとやるので腕立て伏せもしたい」みたいな子が出てきたり(笑)。

将棋にまったく役立たないのに、そこで競い合ってるのを見たりとか。藤井七段はどっちでもいいみたいで積極的には絡んでなかったけど、若い人っていうのは思わぬところにアンテナがあるんだな、と。面白いなと思いましたね。
逆に、改善したことはありますか?
昔は新年の集まりのときに、弟子たちに今年の抱負を言わせていたんですね。プロ野球の自主トレを見たのがきっかけで、自分も言っていました。でも、なんとなく違和感があったのでやめました。

目標というのは自分の中にあればいいもので、「口に出すものではないのかな」と思いました。なんとなく、自分やウチの弟子には合わないのかなと思って、今はやっていないです。
研究会での様子。奨励会時代の藤井七段も(杉本八段提供)
杉本先生は「藤井フィーバーで一番恩恵を受けていないのは藤井七段自身だ」という話をされていました。過熱する報道から杉本先生が必死に藤井七段を守り、将棋ができる環境を整えているようにお見受けします。
藤井七段も取材に協力的でないわけではないんですが、ひとつの取材を受けたときのことを考えると、数が多すぎて「すべて受けるか、すべて断るか」しかないんですね。藤井七段もイベント出演や取材に協力したい気持ちもあるのでしょうが、将棋連盟や私の方針に従ってくれています。

本人の意思にかかわらず「受ける」「受けない」は選べない状況になっていまして。今は学生ということもありますし、「ほぼすべて受けない」という形で統一しています。

かといって、将棋界をアピールするためには、誰か「語る人」というのも必要だと思うんです。なので、自分のコメントでよければ、と。それによって将棋界の魅力であったり、藤井七段の強さというのをアピールできるのであれば、それは将棋界の普及にもなりますからね。他の棋士の方にもどんどん語ってもらいたいです。

16歳の藤井七段には、やはり自分の対局に専念してほしいんです。その分、私を含めた上の世代の棋士たちが、将棋界の普及や発展させる役割を担う。これが組織のありかたではないかと考えています。
この春からは藤井七段も少しずつ、叡王戦のゲスト解説であったり、「ニコニコ超会議2019」への出演だったり、とイベント出演も増えてきているように感じます。とても楽しみです。
中学生から高校生になって、これから少しずつ増えてくるとは思います。

ファンの方もそれを望んでいるでしょうから。本人の負担にならない程度にやってもらえればと思っています。
師匠の板谷先生から引き継いでいることの中のひとつに、「お年玉の習慣」があるそうですね。藤井七段にはいつまであげるつもりでしょうか?
うーん。正直いらないだろうとは思っています。藤井七段は私より年収が高いでしょうからね…(笑)。実際、あまりお金を使うこともなさそうですし、そのお金で何かを買ったりはしないんでしょうけど。

お年玉をあげるというのも師匠の喜びのひとつですからね。藤井七段が高校を卒業するくらいまで、あと1回か2回くらいかな。
師匠の板谷先生は名古屋に東海将棋会館を作るのが夢だったかと。杉本先生はその夢を引き継ぎたいとお考えですか?
東海将棋会館については、師匠は実際に動いていたんですよね。

愛知県に小原村(現・豊田市)という場所があるんですけど、そこで廃校になった学校を利用して将棋の錬成道場を作りたいと。将来はそこに住んで弟子たちを育成するとおっしゃっていたんです。

プランもとても具体的だったんですよ。その意思を持ったまま亡くなられたので、師匠の「夢」だったのは間違いないです。

師匠の夢でしたから同じ思いもあるんですけど、まずは東海地方に在住する棋士を増やしたいというのがあります。現実的に東海将棋会館が建ったとしても、そこで対局する棋士が一定数いないと、あまり必要性を感じないでしょうから。

昨年、名古屋市長や愛知県知事から「東海将棋会館を」というお言葉が出てきましたが、現実的なものにするためには、まずは棋士を増やすことだと思っています。

豊島(将之)二冠もいろいろな機会に愛知県出身だということを発言されていますし、出身という意味では松尾(歩)八段もですね。

現役で東海地区在住となると、私と藤井七段と澤田(真吾)六段、あとは中澤(沙耶)女流初段、脇田(菜々子)女流1級くらい。非常に少ない。プロ棋士が最低でも10人以上は必要なんじゃないかなと思います。

棋士を増やすことが東海将棋会館の設立につながるでしょうし、師匠の夢にもつながるとすれば、今の自分の使命は後輩のプロ棋士を増やすことだと思います。

自分が棋士になってから愛知県在住でプロ棋士になった人は、藤井七段までずっといなかったんですよね。これだけ将棋が盛んな地域にも関わらず棋士が少ないというのは意外なんですよね。
同じ愛知県出身のイチロー選手が現役引退を表明されましたね。
いつか中日ドラゴンズに来てくれると思って待っていたんですけど…なかったですね(笑)。
引退会見でイチロー選手から子どもたちへのメッセージで、「物事に向く・向かないよりも、夢中になることを見つけてほしい」という趣旨の発言がありました。杉本先生の自著にあるお言葉との共通点を感じたのですが、いかがでしょうか?
光栄です。「これをうまくなりたい」と思って、勉強のように取り組んでも、なかなか続かないと思うので、やっぱり好きであるというのは大事です。好きじゃないもので上達するのは難しいと思うので。

でも仕事だったら好きではないことに取り組まなければならない場合もありますよね。その中でも「好きな部分を見つける」ということなのかな、と思いますね。

たとえば仕事の後の一杯であってもいいですし、職場に気になる女性がいるとか、何でもいいと思うんです。

何か好きになれる部分を見つければ、モチベーションは保てるのではないかなと思います。


先ほど、「奨励会もプロ棋士も、厳しくない場所はない」というご発言がありました。学生も社会人も4月に向けて新しい生活やステップに進む人がたくさんいます。ぜひアドバイスやエールをお願いいたします。
私自身、プロを志してから失敗であったり逆境であったり、これまで思った通りに実現したことのほうが少ない棋士人生でした。

はじめは奨励会に入会してからで、6級からひとつ上の5級に上がるのに2年半掛かっているんですね。プロを目指すには諦めてもおかしくないくらい、かなり遅いほうです。スタートラインからつまずいてしまったんですね。

さらに二段のときには、あと1回負けたら初段に落ちてしまうという一番も経験していて。結果的には落ちなかったんですけど、これだけ負けが込むというのも相当な失敗だったと思いますし、そういう状態に陥っているプロ棋士というのは少ないほうだと思います。

プロ棋士になってから昇級も降級も経験していますが、諦めずに、強くなりたい気持ちがあれば、いつか結果が出るのではないかなというのが信念としてあります。

今回、50歳での昇級という部分でも注目していただいたんですけど、それは諦めなかったからだと思っています。どんなにつらい状態であっても、必ず明日は来るので。諦めない気持ちを持続することが大事なのではないかなと思います。

あと楽観的なところもあって、どんなにつらくても、元気だったらどうにかなるんじゃないかなと思っています。それは肉体的・精神的なことを含めてですけど、心身が健康であればなんとかなると思っています。

厳しい状態に置かれている人には「悩んでることがあっても、体と心が健康であればなんとかなる」と思っていてほしいなと思います。
最後の質問になります。2015年のインタビューで「夢は変わらず、名人。タイトル獲得」と回答されていらっしゃいます。その夢は2019年の今も変わりありませんか?
そうですね。だんだん恥ずかしくなってくるんですけど(笑)。

名人の夢というのは、年数が掛かってしまうので、今は口に出すのが恥ずかしいので言えないんですけど、タイトルについては1年で獲れるチャンスがあります。

逆にタイトルを目指さない、と公言するプロはいないと思うんです。大きな声で言わないだけで、みんな内心タイトルを獲りたいと思っているはずですから。

だから諦めるつもりはないです。今でもタイトルを目指します。
4年経って夢は、増えましたか?
藤井七段と一緒に戦って、非常に充実した1年を過ごすことができました。

彼は必ず上がってくるでしょうから、B級のどこかで藤井七段とまた昇級争いをすることが目標であり、夢ですね。願わくば、自分もさらにひとつ昇級してB級1組でやりたいです。

あとは、今年奨励会の試験を受ける弟子が何人か増えそうです。彼らとともに一緒に強くなることが目標です。
今回、参考にさせていただいたインタビューや書籍などのリストになります。どれも素晴らしい内容ばかりです。ぜひ合わせてご覧ください。
板谷進九段の夢と藤井聡太四段
師匠の杉本昌隆七段が語る藤井聡太六段 「対局棋士、勝たれすぎ」
弟子・藤井聡太の学び方 著:杉本昌隆
師弟 棋士たち魂の伝承 著:野澤亘伸

「棋士の感謝」特集一覧

サイン入りポラプレゼント

今回インタビューをさせていただいた、杉本昌隆八段の揮毫入りポラを抽選で3名様にプレゼント。ご希望の方は、下記の項目をご確認いただいたうえ、奮ってご応募ください。

応募方法
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受付期間
2019年4月5日(金)21:00〜4月11日(木)21:00
当選者確定フロー
  • 当選者発表日/4月12日(金)
  • 当選者発表方法/応募受付終了後、厳正なる抽選を行い、個人情報の安全な受け渡しのため、運営スタッフから個別にご連絡をさせていただく形で発表とさせていただきます。
  • 当選者発表後の流れ/当選者様にはライブドアニュース運営スタッフから4月12日(金)中に、ダイレクトメッセージでご連絡させていただき4月15日(月)までに当選者様からのお返事が確認できない場合は、当選の権利を無効とさせていただきます。
キャンペーン規約
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