【永瀬拓矢の感謝】将棋と鈴木大介先生に出会えて…人生は変わった。

学校が嫌いだった。

勉強も、習い事も、何も、人並みにできなかった。

でも将棋という初めて人並みにできることが見つかった。

自分は将棋がなかったら、鈴木大介先生に出会わなかったら、どうなっていたかわからなかった。



“軍曹”、“ストイック”――。永瀬拓矢を形容するいくつもの強固な異名。今春、“3度目の正直”で初タイトル獲得に燃える男のイメージとは、あまりにもかけ離れた言葉の数々に、思わずたじろいだ。

少年期を支えた磯子将棋センター席主・加山雅昭、棋士として生きる道を与えた鈴木大介、そして自らの立ち位置と現実を突きつけた天才・佐々木勇気。

いずれも、現在の永瀬の運命を変えた重要人物と言えるだろう。

永瀬を支えた言葉、そして彼が描く感謝と恩返しとは―?

「負けそうで、泣きそうで、消えてしまいそうな僕は 誰の言葉を信じ歩けばいいの?」(『手紙 〜拝啓 十五の君へ〜』 作詞・作曲/アンジェラ・アキ)

悩める少年たちへ、26歳の永瀬が贈るメッセージを紐解いていきたい。

撮影/MEGUMI 取材・文/伊藤靖子(スポニチ)

「棋士の感謝」特集一覧

まずは2018年度の振り返りをお願いします。点数をつけるとしたら100点満点中、何点をつけますか?
65点くらいですね。
えっ低い! 叡王戦のタイトルにも挑戦されますし、もっと高くても良い気がします。
体感としては、70点はないかなってくらいです。

自分にとって70点はかなりの高得点になるんです。前半が良くなかったのが反省点です。タイトル挑戦がひとつということで65点、もうひとつあれば75点くらい、という感じです。
2018年度は、タイトルホルダーも一変しました。
1年周期という短い期間で見るのは良くないと思っています。佐藤天彦名人のように定着してくると認識は変わりますけど、まだ世代交代と言えるレベルではないという気がします。まだ1年だけですし、他のトップ棋士も黙っていないと思うので。
まもなく叡王戦が開幕しますね。これまで出場した2度のタイトル戦では、16年棋聖戦で羽生善治九段、18年棋王戦で渡辺明二冠と百戦練磨のおふたりとの対局でした。今度はこれまでと大きく異なり、勢いのある若手棋士・高見泰地叡王との対局となります。どういう意識で臨まれますか?
こちらとしてはあまり関係なく…。羽生先生、渡辺先生に番勝負で教えていただいたことを良き糧にして、高見さんにぶつけていきたいなと思います。高見さんだからと何か意識するということはなくて。経験させていただいたことを結果に結びつけられるよう力に変換して鍛錬したいなと思っています。
今回の叡王戦は、おふたりとも横浜ご出身ということで“横浜ダービー”というところにも注目が集まります。小さなころから高見先生とたくさん対局してきたと思いますが、初対決は何歳くらいだったんでしょうか?
小5くらいですかね。結果は覚えていないので、たぶん自分が勝ったんじゃないかな…。勝敗を覚えてないのは勝ってるんです(笑)。逆に負けたことは鮮明に覚えてるんです。指したということを覚えているということは、自分が勝った可能性のほうが高いんじゃないかなと思います。
叡王戦の挑戦者決定戦ではお好きなバナナだけではなく、1分将棋になってもフィナンシェをモグモグ…ある種、異様な光景にも見えました。
あれは食べたくて食べてるわけではないんですよ。

体が欲したくて口にするのは無意識じゃないですか。でも自分の中では理性で食べていて「ここは糖分を入れなきゃ」と意識して食べていました。でも喉が乾くんですよね(笑)。

ちなみにフィナンシェは佐藤名人の影響なんです。名人と研究会をやらせていただくと、ご飯を持参して各自が好きなときに食べましょうという感じなんです。

対局中だったとしても遠慮なく食べるんですけど、そのときに「名人はフィナンシェが好きだな」と。それで自分も選ぶようになりました。フィナンシェにもいろいろあって、ボロボロ崩れないものとか、事前に食べやすいものを探してみたりしました(笑)。
叡王戦の挑戦者決定戦でのバッグはお菓子でいっぱいだったのでしょうか?
最後はバッグの中にあるお菓子がすべて尽きましたよ(笑)。

あのバッグがあれば1日どこでも暮らせるというか…遭難しても大丈夫なんです。カイロとフィナンシェとチョコレート、「カロリーメイト」のゼリータイプのものとかいろんなものを入れていますね。困ったときに何でも食べられるように。バナナはスーツ用のバッグに入れてます。
対局中はスーツと和服、どちらが楽ですか?
スーツのほうがやりやすいです。叡王戦でも着替えるかもしれませんし、最初からスーツの可能性もあります。臨機応変にやっていこうかなと思います。

この後も、和服の着付けを習いに行く予定なんです。できるようにならなければいけないとは思うんですけど、向き不向きがあると思うので本気でやってみてダメなら諦めます。やってみて、ダメならダメでいいと思っているので。

棋士を10年くらいやっていると、批判というかいろんな声に慣れてくるんですよね。あまり気にならなくなるんです。年を取ったというか(笑)。もう好きなように言っててくださいという感じです。

バナナを食べているだけでも何か言われるでしょうし。こちらもいろいろ頑張りながらバナナを食べてるんですけどね。ご理解いただけないかなと(笑)。
高見叡王はニコニコ生放送の解説で「タイトル戦で当たることになり、永瀬さんと研究会ができなくなったのが一番痛い」というご発言がありました。VS(練習対局)や研究会をよくやっている相手との対局はやりにくいものなのでしょうか?
あまり関係ないです。当たったときに「嫌だな」という相手なら研究会やVSをやらないほうがいいと思います。

あと、同階級とはやらないほうがいいと思います。当たりやすいゾーンと当たりにくいゾーンがあるので、当たっていないゾーンの人と研究会をやっていく感じですね。
関西所属の先生方は、あまりそういったことにとらわれずに研究会をされている印象があります。
東京の棋士たちは冷たいですからね(笑)。温度差がありますよね。“ドライ”っていうより“冷たい”。ドライだとまだ温かい感じがする。かなり冷たい(笑)。でも仲が悪いわけではないんですよ。

大阪は“群れ”や“チーム”のように結束が固いという印象があります。東京は仲が良くてもちゃんと公私の線引きができているという感じですかね。

イメージとしては、ご飯は1日に2回は一緒に行かない。朝から夕方まで研究会をすると、昼は一緒に行くけど、夜は「じゃあ」と解散するみたいな(笑)。
永瀬七段は、いわゆる“レーティング”で長く上位に君臨されており、渡辺二冠、広瀬章人竜王、羽生九段を含めたA級棋士やタイトルホルダーとの対局成績では勝ち越されています。ただ一方で若手などファンが想定していない相手にまさかの黒星を喫することが多々見受けられますが、その辺りをご自身はどうお考えでしょうか?
それでレーティング上位なら大したもんですよね(笑)。

羽生先生や渡辺先生が格下に負けないというのは、地力の高さを物語っている部分だとは思います。グラフでいうと五角形がしっかりしているイメージです。

逆に、レーティングが高くても負けてしまうのは、五角形が歪んでいるんでしょうね。5段階中「4.5」が3つあっても、「3」がひとつあると、勝ち星を取りこぼしてしまうんでしょう。五角形の形がきれいな人は格下には負けない。どこかひとつが欠けていても負けてしまうんでしょうね。
すごくわかりやすいです。そのグラフにはどんな項目が並ぶと思いますか?
メンタル、体力、体調、だったり…。“体”という項目はあるでしょうね。今のトップ棋士は体が丈夫なので。

ちなみに佐藤名人は裸眼です。将棋棋士はメガネを掛けている人が多いんですけど、昔から「目が良い棋士は強い」と言われています。
永瀬七段は人気・実力ともにトップクラスですが、ご自身のことを過小評価されていませんか? それが“謙虚”ということなのでしょうか?
過小・過大評価はしないようにしています。誰よりも自分を客観的には見るようにしています。他人からのイメージというのは気にしません。自分から見た“自分”。スポーツでたとえれば“監督”から見た“選手”ですね。自分が監督の視点に立っているので、ファンからの視点を意識するというのは一切しないです。

でも、応援してくださるファンの方の存在はありがたいです。父が営んでいるラーメン屋にもお越しいただいて、父や母から「ファンの方が来たよ」と連絡をもらったり、将棋会館でも「ラーメン屋に行きました」と声を掛けられたり。それが一番うれしいですね。
事前アンケートで、人生に大きな影響を与えてくれた人物の一人に、磯子将棋センター・席主の加山雅昭さんのお名前が挙がりました。将棋だけではなく「人との接し方」も学んだと。
将棋を始めたのは祖父が教えてくれた小3のときです。でも祖父だけではなく他の人とも指してみたいと思って、近所のカルチャーセンターに通ったんですね。

そこで講師をされていたのが加山さんでした。2年くらい通って初段になったので卒業という形になり、その後、加山さんが経営されている磯子将棋センターに通うようになりました。

ちょっと話が脱線しますが、自分は習い事をいろいろやったほうで。書道、水泳、公文、家庭教師…。そう、恐ろしいことに書道も習っていたんです。でもこれが全部、人並みにすらできないんです。人並みにできないとつまらないんです。自分もみんなと同じようにやっているのに…。どれも「嫌い」で「できるようにならない」ので、2年くらいで辞めてしまいました。

その中で、将棋という、初めて人並みにできることが見つかったんですね。自分にとって、ちゃんとできるものが将棋しかなかった。人並みにできるものが見つかったということで、自分の中では「これはやらなければいけない」という認識でした。

そのときは、将来のことはまったく考えていなかったです。人並みにできたというだけで、同い年ぐらいで自分より強い人なんてたくさんいたんです。黒沢怜生(五段)さん、佐々木勇気(七段)さん。すごい天才だったんですよ…昔は(笑)。
昔はって(笑)。当時はそんなにも力の差を感じたのでしょうか?
「これが大天才か、自分より勝る部分が多いな」と思っていました。でも「将棋は指せば指した分、結果が返ってくる存在なのかな」とも小学生ながら気づきました。

それから毎日、将棋センターに通うようになったんです。学校が終わるのが午後3〜4時で道場は夜9時くらいまでやっているのでずっと居て。お客さんは7、8時には帰っていくので、加山さんとふたりだけになってから棋譜並べを一緒にやったりだとか…。

今考えると、加山さんは将来、私がプロになるための勉強法を教えてくださっていたんだなと思います。子どもには言葉で説明してもわからないんですよ。「何でこんなのをやらなきゃいけないんだろう」って。でもそれを一緒にやることによって、そのことの大事さを教えていただきました。

11、12歳のころには奨励会を目指していたので、目上の方への接し方や言葉遣いも気をつけないといけないなど、礼儀や礼節を教えていただきました。直接的ではないですが、子どもが理解しやすい形でいろいろと教えていただいたという印象です。
小学3年生のころの永瀬七段と加山席主(磯子将棋センター提供)
事前アンケートで泉正樹八段には「研究会時にお世話になった」とありました。泉先生ご自身も「1年半くらい一緒に勉強した」とニコニコ生放送での解説で語っていました。どういう経緯で研究会を始めることになったのでしょうか?
奨励会三段だった16歳くらいのころ、奨励会の先輩経由で研究会に誘っていただきました。自分を含めて三段3人と泉先生を含めた4人のメンバーでした。

当時は横浜に住んでいたので、埼玉にある泉先生のご自宅までは2時間強くらいかかるんです。朝10時開始くらいだったんですけど、9時には絶対に最寄り駅に着くようにして。研究会が楽しみで心躍らせながら、駅で10時前になるまでずっと立って待つという…(笑)。16、17歳くらいだと、まだ喫茶店にひとりで入るというのも、なぜか恥ずかしく感じる年ごろだったんですよね。

自分の中ではプロ棋士の方に教わるというのは初めてだったので、大先輩と一緒に居られる有意義な時間でした。研究会の後にはご飯によく連れて行っていただいて、しょうゆの出し方とかを教えていただきました。
え? しょうゆの出し方…ですか!?
お寿司とかの小皿にしょうゆをけっこう出してしまったんですよ。「しょうゆは戻せないから、少しだけ出しなさい。使う分だけ入れなさい」と。今も周りの方に不思議がられるくらい、少ししか出さないです。お寿司もしょうゆはあまりつけません(笑)。
永瀬先生は若手棋士の中でずば抜けて言葉遣いが丁寧です。ご両親の教育が厳しかったのでしょうか?
厳しくしつけられたとは思ってないんですが、食事中に「肘をつかない」「左手を添えなさい」とか。「携帯いじらない」とか、「足を組んではダメ」とか、一般的なことは言われました。

あとは、先輩方がやらないことはやらないです。羽生先生が足を組んでいるところとか、見たことないですよね。

羽生先生の姿というのは自分のためになっているなと思います。

たとえば将棋会館での食事については、各自が片付けることになっているんですけど、ある先輩が忘れてそのまま対局室に戻ったんです。そのときに、羽生先生が何気なくその先輩の食器を片付けていたのを見て「なるほど」と思いました。羽生先生はいつも通りの感じで違和感なく。気づいたらやる、みたいな感じで。

「先輩の背中を見て育っていく」というのがあると思っています。羽生世代の先生方がやらないことはやらない。やっていることはやるというか。そういうところは見習っていかなければならないと思っています。納得できたものは素直に受け入れ、柔軟に変えていくという感じです。

こだわりを持ちすぎるのは良くないと思います。バナナには別にこだわっているわけではないですよ(笑)。バナナに代わるものがあれば代えるかもしれないですね。最近、ミックス雑炊・納豆入りを頼まなくなったのは、みろく庵が閉店することになったからなんです。大変お世話になったのですが、去るものは追わずで(笑)。先のないことはあまりやらないようにしています。4月から頼めないわけですから。

続けられないことは始めない、というのもあります。最近はパクチーが食べられるようになりました。パクチーは体の循環を良くしてくれる気がするので、食べられるようにしました(笑)。元々は匂いもダメだったんですけど、鼻にティッシュを詰めて食べるところから始めて。体に良いと聞いたので頑張りました。今は平気で食べられます。
2009年にプロ入りし、今年で10年。節目の年になります。振り返ってどんな10年でしたでしょうか。
鈴木(大介)先生に出会ってから自分の棋士人生が始まったという認識があります。

プロになった17歳のころは自分の未来を何も思い描いてなかったです。三段にいる以上はプロにならなければいけないという先入観はあったので、何も考えずにプロ棋士になれたのは大きかったと思います。でも将来のプランがなく、一番まずい時期でした。

19歳になったときに鈴木先生に出会いました。鈴木先生はタイトル挑戦2回と、実績のある先生で、羽生世代とも戦ってきている方ですので「トップはどういうものか」がわかっているんですね。先生の姿を見て、棋士とは何たるもので、どうあるべきか、どう考えるべきか、どうするべきかを教えていただきました。

それから23、4歳ごろまで鈴木先生と接する機会が多くあって。数年後に自分がどうあるべきか、どうなりたいか、こうなりたいから実力をつけなければいけないとか、「式と答え」が明確に想像できるものになってきたと思います。17歳のころ、“無”だった自分が、鈴木先生に教えていただいたことは、ものすごい財産です。
プロデビューしたときには「名人を目指す」とか「タイトルを獲りたい」という目標を立てる方が多いと思いますが、そういった漠然とした思いもなかったのでしょうか?
ないんですよ。

四段でもタイトル獲得の可能性があるじゃないですか。でも公式戦で数局指してみると、プロの中では自分がどの位置にいるかがわかるんですよ。ただ、自分より格下との棋力差はわかっても、格上との差はわからないんですよね。

トップ棋士と当たると、自分が「30センチ差があるな」と思っても、実は「60センチだった」とか。羽生世代の先生方とは途方もない差だなと思いました。落胆はなかったですが、目標を持つということには結びつかなかったです。

目標って叶えるものじゃないですか。叶えられるものが目標だと思っているので。逆に自分のイメージでは、夢は叶わないものだと思っているので。空を飛ぶとか(笑)。だから、夢は持ったことがないです。

ちょっと話が脱線しますが、将棋の夢はよく見ます。起きた後も鮮明に覚えています。たとえば、挑戦者決定戦で勝ちました→その夜、寝ました→でもまた夢の中で挑決を戦ってるんですよ。

戦って勝ったはずなのに、もう一度対局の朝が来た…タイムリープみたいな感じです。でもそのときに「もう1回勝てばいいや」と思ったんです。精神的には疲れてるわけですけど、そう思えたのは良かったなと思いました。
アマチュアに負けた永瀬先生に「アマチュアに負けるやつとは研究会はできない」と言い放つなど、鈴木先生のお言葉は強烈です。永瀬先生はどういう感情で受け止めたのでしょうか?
キツイですよね。自分は“ゆとり教育世代”ですからね(笑)。

ただ17歳当時は何も刺激がなかったんです。普段通りやってるんですけど目標もないということは、目指してる場所がないということじゃないですか。鈴木先生が厳しく言ってくださったことは、そういう自分にとっては刺激的であり、自分の価値観になった言葉でした。

「棋士はアマチュアに負けてはいけない」「アマチュアより強くなければいけない」と。

辛らつだったんですけど、辛らつだったからこそ自分の中で少し感情の変化のような「許さんぞ、このまま終わらないぞ」みたいな気持ちが湧いてきました。そこで上品な言い方をされていたら、同じ言葉で、同じ意味だったとしても、響かなかったかもしれません。

鈴木先生にはそういう意図はなかったかもしれませんが、先生が投げてくれたボールをちゃんと受け取ることができた、というのは幸運だったと思います。その言葉を気に留めなかったら今の自分はなかったですし、今よりも悪い状態になっていたと思います。なので、先生との出会いは自分の人生の中で一番幸運なことだったと思います。
振り飛車から居飛車への転向も「鈴木先生が言うなら」と決断されました。永瀬先生はどうしてそこまで鈴木先生のことを信じられるのでしょうか?
100パーセント信じているわけではないですが(笑)。先生のご意見はあくまで先生のご意見であって、解釈するのはこちらなので。

先生がくださる素材をゼロにするのも10にするのも自分次第だと思っています。先生の言葉は先生の言葉であって、意図はどこにあるかではなく、自分がこうすればいいというふうに解釈するだけなんです。自分が納得しない限りはやらないんです。

鈴木先生も10年前は尖っていましたからね。茶髪時代もありましたね。あとはもう少し痩せていましたよね(笑)。今はキツイ言い方はしないんじゃないかな。タイミングとしても良かったのかもしれません。

人間って、尖っている時期ってあるじゃないですか。その時期の先生とお会いできたのも幸運でしたし、その時期に自分がプロ棋士だったというのも幸運でした。自分が何もないスッカラカンの状態だったことも幸運だったかもしれません。スポンジみたいな状態で先生の言葉を吸収できたというか。

鈴木先生はあまり強要しないんですよ。笑いながら冗談半分で言うんです。含みが多いというか、選択肢を与えるというか。「あとは自分で考えなさい」というメッセージだと受け止めていました。

先生と接して自分で考えることの大切さを学びました。自分に適応した形でないと無理が出てしまいますから。無理が出ると長続きしなくなってしまいますからね。
そんな鈴木先生は昨年、朝日杯将棋オープン戦の予選でアマチュアの方に破れてしまいました。そのことについて何かお話はされましたか?
何もおっしゃってなかったですね(笑)。

ひとつ言えるのはプロアマで分ける時代は終わったのではないかと思います。今はソフトがあるので、プロアマが指す手の善悪がわかるような時代ですから。アマチュアでも正しい手を多く指せる人は強いと、明確に判断できる時代なので。プロはアマチュアには負けてはいけませんけど、それは相対的な問題で。勝ち続けるのは難しいかなと思います。
そんな鈴木先生への一番の恩返しは、何だと思いますか? 将棋界では一例として「恩返しとは即ち師匠に勝つこと」というのがあると思います。都成先生に同じ質問をしましたが、「その人の期待以上の活躍すること」だと、語っていました。

自分が活躍することが恩返しだと思います。活躍とは「タイトルを獲る」ということだと思いますね。うーん…それが一番かな。

鈴木先生から教えていただいたあらゆる技術だったり、人生観だったりを自分の中で消化して公式戦で結果に結びつける。「鈴木先生の価値観を肯定したい」という気持ちもあります。
小学校時代は楽しい思い出や、いい思い出はなかったそうですね。「将棋大会に出場するから」と、修学旅行にもいかなかったとか。どういう学校生活だったのでしょうか?
人並みにできないことが、とにかく面白くなくて。興味が湧かないんですよね。体育だけは好きでした。

磯子将棋センターに年間300回くらい通ったんですけど、そこに1分1秒でも長く居たいわけですよ。なので最寄りのバス停から磯子将棋センターまでは全速力。50m走は7秒くらいでした。毎日走っているので、リレーの選手までとはいかないですけど、補欠くらいまでにはなりました(笑)。
中学校生活も小学校と同様に面白くなかったと。
中学は学力差がより顕著に出るんですよね。より面白くないですね。

数学はパーセンテージさえ出せればいいと思ってるんですよ。掛け算、割り算ができればいいかなと思っていて。因数分解とか勉強する意味がわからない。「どこで使うんだ」みたいな(笑)。

英語はやりたいなと思ったんです。何となく今後につながるような気がして。興味はあったんですけど、学力がないので全然ダメでしたね。しっかりやっておけばよかった(笑)。

社会科も海外に行く予定がなかったのでちょっと…。棋士になっても海外対局は恵まれないとあまりないですよね。羽生先生でも数十回しかないでしょうね。叡王戦第1局が行われる台湾の位置も、日本の北のほうだと思っていました(笑)。
小・中学生時代に嫌な思いをしたら「自分と同じにならないように」と子どもに対してより厳しくなる人が多いと思います。でも永瀬先生はとにかく小さい子に優しい。とても丁寧に指導対局をされている姿が印象的です。一方で大人には厳しい。子どもと大人それぞれどういう気持ちで接するように心がけているのでしょうか。
子どもが好きなんですよ。自分は小さいころ、将棋が強いほうではなかったので、子どもの気持ちがわかるんですよね。「たぶんこの辺がわからないんだろうな」というところが想像できて、どうしてほしいかが、わかるというか。

子どもの目線や気持ちに寄り添う形にしたいなと思っていますね。「ここをやったほうが今後につながるんだろうな」というところや、終盤をできるだけ面白くしてあげるようにします。

今思うと、加山さんも子ども目線だったのかもしれません。難しいことは言わず、シンプルに優しく、大きくという感じだったと思います。

一方、大人との指導対局では1パーセントも手を抜かないようにしています。手を抜くと、悪い手を自分の手が覚えてしまうんです。だからどんな将棋でも、自分自身のために悪い手は指さない。大人の方には全力、100パーセントです。指導対局では駒落ちをかなりキツめにしていただくなど、調整をしてもらうより他はないですね。

ちなみに子どもの境界線は11歳までです(笑)。自分が奨励会に入ったのが12歳なので、そこが基準です。
永瀬先生が一番心を許しているのは佐々木勇気先生というイメージがあります。ニコ生でも棋士ふたりのダブル解説という珍しい放送がありました。
腐れ縁というやつですね(笑)。

先ほども言いましたが、勇気さんは昔、大天才だったんですよ。今は藤井聡太さんです。なので、旧天才・佐々木勇気と書いていただければ(笑)。

彼と初めて将棋を指したときのことは、今でも覚えています。自分が10歳で三段、勇気さんが8歳で五段(共にアマチュア段位)。段位は勇気さんが上ですが、将棋は永瀬が勝ちだったんですよね。そこから彼との付き合いが始まりました。

彼を見ていて思ったのは、「勉強しなくても勝てるんだな」ということです。「これを天才と呼ぶんだな」と。自分の中での天才の定義は、勉強しなくても将棋で勝てることなんです。勇気さんの勉強しなさ加減はすごかったですね。でも、なぜか勝つんですよ(笑)。

勉強している自分と勉強していない彼がいい勝負。これを奨励会三段のころに感じて「世の中は不平等だな」と思いました。でもそこでひとつ勉強になりました。「これでイーブンなんだ」と。永瀬氏16歳のころの発見でした(笑)。

人生フェアじゃないんですよ、アンフェアばっかり。これを教えてもらったのは勇気さんからなんです。これを事前アンケートに載せるか迷ったんですよ(笑)。

でも逆に思ったのは、勉強していない彼が天才だとして、自分が対極にいていい勝負なら、アンフェアだとしても実はそこまでアンフェアじゃない。天賦の才がある人に対しても、地道に一歩一歩進めば肩を並べることはできるというのは大きな発見でした。

プロ棋士には誰でもなれるんですよ。何をしても人並みにでさえできなかった自分が、将棋だけは人並みにできるようになったんですから。
永瀬先生とお話ししていると、ご自身から周囲の方へ愛を発する方なんだなと感じました。春から新しい学校、学年、社会人、とさまざまな新生活が始まります。特に子どもたちの中には不安を抱える人も多いと思いますが、アドバイスなどはありますか?
自分はほとんど音楽を聞かないんですが、最近、アンジェラ・アキさんの『手紙〜拝啓 十五の君へ〜』という曲を聞いて、自分の個性に合った感じがしました。みんなに聞いてほしいです。
15歳の「僕」が悩みを未来の自分に宛てて、“手紙”を書くことによって、今を生きていくという内容

自分みたいにつらい思いをしてる子どもって、けっこういると思うんです。何をやっても不向きで不適合な子どもってたくさんいると思うので。不適合って、偏ってるってことだと思うんですよね。勉強はできないけど集中力はあるとか。

人生に悲観するのではなく、将棋を始めてもらって明るくなってもらいたいなと思います。自分は将棋がなかったら、どうなっていたかわからなかったので。

小3のころ、祖父から将棋を教えてもらって、17歳のころ、鈴木先生に道を与えてもらって。本当にそのふたつが自分にとって幸運なことだったんです。これだけ幸運があったので、今の子どもたちにもそういうのを感じてほしいですね。

自分は学校の中では少数派の子どもだと思ったので、そういう子どもたちには悲観せず、前を向いてもらいたいなと思います。ですから『手紙』を聞いてほしいなと思いました。泣くときもありますよ。

将棋って、アンフェアだけどそこまでアンフェアではないんですよ。勇気さんの例じゃないですけどね(笑)。

自分は学校は嫌いでしたけど、将棋センターに毎日通っていたので人と接するわけですよ。別に学校でなくても、他の場所で人とコミュニケーションが取れていればいいんじゃないかなと思っています。
永瀬先生は本当に学校が合わなかったんですね。大人になってみて、いまの学校の良くないところはどんなところだと感じますか?
学校って人の個性を直されることが多いじゃないですか。自分はそれがすごく嫌いでした。10年前は個性的な子どもに対する風当たりがきつくて、つらかったんです。なんでできないんだ、なんで宿題をやってこないんだって。でも、やりたくないんですから。無理だと言ってるのにやらせようとするのがすごく嫌いでした。自分の場合は親からどっちでもいいよと言ってくれたので、すごく助かりました。

今の子どもは、ませてるというか。漫画『アクタージュ act-age』(週刊少年ジャンプ連載中。原作:マツキタツヤ 漫画:宇佐崎しろ)の中で気に入ったフレーズがあって。「子どもって純粋だけど、実は皆大人なんだよ」というセリフに、なるほどなと思いました。

すごく深い言葉で「子どもは『無』なので何でも受け入れられるけど、考えはしっかりしている」という意味だと解釈したんですね。だから良い教育をすればちゃんと育つというか。子どもは無知じゃなくて言えばわかる存在だと思っているので、優しくちゃんと指導してあげたいと思っています。
永瀬先生は棋士になっていなくても、教師になって先生と呼ばれていたかもしれませんね。よく使われる言葉に「努力」というものがありますがある意味、抽象的な表現が含まれているのかなと思っています。具体的に努力とはどういうものだとお考えでしょうか?
努力とは息をするように続けられること、無理をしないこと。息をすることです。
一般人の感覚からすると、努力=我慢の連続と受け取ってしまいがちです。
それには否定的です。

将棋界だけで見ると“一時的”ってまったく意味がないんですよ。一時的に強くなってもまったく意味がなくて。強くなることは大事ですが、一時的に強くなったのは“変化”しただけなんですよ。

最初に話した五角形のグラフの内訳が変化しただけで、単純に相手がそれに対応できていないだけなんです。それを「強くなった」という言い方もできるかもしれませんが、自分にはそうは思えないんですよね。

ある一角が突出する場合もありますが、自分はそれに否定的で、理想は少しずつ五角形を整えていくことだと思うんです。将棋界での実力は長いスパンで見なければいけないので、自分にとっての努力とは「息をすること。生きること」です。
永瀬先生の中での「努力」という言葉の定義は、私たちの考える意味とは異なるのかもしれませんね。どうしても「努力と根性」がセットとして頭に浮かんでしまいます。
「根性」は無理をして踏ん張ることだと思っています。踏ん張ると危ないんですよね。転んだときに痛い。ただ短期的に結果をださなければいけないときは、根性が必要になると思います。努力と根性は、セットではなく対比するものかもしれませんね。

もちろん根性が大事な時期もあります。ただそれを長い期間、継続するのは難しい。努力と根性=継続力と瞬発力、みたいな感じなのかもしれませんね。
仮に永瀬先生が8冠完全制覇を達成されたら、将棋に対する努力はそこで終わってしまうのでしょうか? 努力に対する明確なゴールは設定しているのでしょうか?
努力のゴールはすごく先のことだと思います。自分はゴールを定めていません。目標をどんどん叶えていくうちにゴールが見えてくるのかな。でもその“ゴール”もひとつの目標になっていくと思うんですよね。

全冠制覇も目標のひとつになるんだと思います。仮に全冠制覇しても、次に全冠防衛というのが目標になって、さらに次の年も全冠防衛が目標になって。

ファンの方や周りの方にとっては、タイトル獲得が目標に見えてくるのかもしれないですが、棋士本人にとっては「棋力向上」というのがひとつの目標だと思います。

仮にタイトルがひとりに集まったとしても、それより強い人っていると思うんです。相性とかいろんなことがあるので。タイトルを持っている棋士は実績があると見られると思いますが、その棋士にとっては自分より強いと感じる棋士はいると思うんですね。

今の時代はすごく恵まれています。自分より上の世代ですと羽生世代の方々がいらっしゃいますし、下だと藤井さんがいて。幸運だなと思います。自分と同世代もなかなかやりますし(笑)。

藤井聡太さんのおかげで将棋ブームが来ていて、将棋を見ていただく機会が増えたというのも大きいですし、恵まれた時代だなと思います。
我々が行った過去のインタビューならびに今回、参考にさせていただいたインタビューや書籍のリストになります。どれも素晴らしい内容ばかりです。ぜひ合わせてご覧ください。
自分で考え自分で答えをみつける。ライフ・イズ・将棋。棋士・永瀬拓矢 25歳。
なぜ永瀬拓矢は藤井聡太を研究会に誘ったのか?【叡王戦24棋士 白鳥士郎 特別インタビュー vol.12】
電王戦FINALへの道 永瀬拓矢パート
永瀬流 負けない将棋 著:永瀬拓矢

「棋士の感謝」特集一覧

サイン入りポラプレゼント

今回インタビューをさせていただいた、永瀬拓矢七段の揮毫入りポラを抽選で3名様にプレゼント。ご希望の方は、下記の項目をご確認いただいたうえ、奮ってご応募ください。

応募方法
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受付期間
2019年4月2日(火)21:00〜4月8日(月)21:00
当選者確定フロー
  • 当選者発表日/4月9日(火)
  • 当選者発表方法/応募受付終了後、厳正なる抽選を行い、個人情報の安全な受け渡しのため、運営スタッフから個別にご連絡をさせていただく形で発表とさせていただきます。
  • 当選者発表後の流れ/当選者様にはライブドアニュース運営スタッフから4月9日(火)中に、ダイレクトメッセージでご連絡させていただき4月12日(金)までに当選者様からのお返事が確認できない場合は、当選の権利を無効とさせていただきます。
キャンペーン規約
  • 複数回応募されても当選確率は上がりません。
  • 賞品発送先は日本国内のみです。
  • 応募にかかる通信料・通話料などはお客様のご負担となります。
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