【佐々木大地の感謝】師匠・深浦康市と一緒に歩む“全力”な生き方


その男、全力につき――

2018年度通算46勝。将棋界で最も勝った男だ。

気鋭の若手棋士として、年々その存在感を増していく。

幼少期から大病と戦い、将棋に一生を捧げるために長崎県の離島から一家で上京。しかし、その笑顔には苦労の片りんもにじませない。

「自分はどういう方針で行くのか?」、「行き詰まっている現状をどうしたらいいのか?」。自問自答を繰り返し、先人たちに教えを乞う。その行動力は時に周囲を驚かせる。

すべては“最善手”のため。

師匠・深浦康市。あふれる将棋愛と情熱的な指し筋から「恋愛流」の異名を持つ。佐々木が尊敬してやまないその“背中”には、どんな感謝、恩返しを想うのだろう。

若竹のような軽やかで、しなやかな強さの根底には何があるのだろう。
涼やかで強い視線の先には、どんな未来が映っているのだろう。

佐々木大地、23歳。

この師匠にしてこの弟子あり。1万文字を超えるインタビューから、全力を目指す理由の一片が見えてくる。

撮影/MEGUMI 取材・文/伊藤靖子(スポニチ)

「棋士の感謝」特集一覧

まずは2018年を振り返って頂いて、自己採点をお願いします。
80点くらいですかね。

良くなかったほうの理由としては、順位戦と竜王戦の結果が出てないというのがすごく大きくて。毎年その2つを大きな目標にしているので、残念な結果でした。

良かったところは、王位リーグに進出できて、タイトル挑戦を目指せるところにいることや、いろいろなトップの先生と当たることができて、感触としても手応えがあったところです。

同世代や少し下の世代の棋士たちが、順位戦で上がったり棋戦優勝したりして結果を出しているので、焦りはありました。

昨年度は、シーズン序盤の5月くらいまで調子を崩していたので、今年度はあまり調子の波が大きくならないよう、常に平常心でいられるように心掛けたい、という感じですね。
18年度の通算成績ではタイトルホルダーに並んで、各リザルトの上位に佐々木先生の名前がランクインしています。連勝が続くなど急激に勝ち星を重ねましたが、何か勉強法を変えたり、心境、身辺の変化があったのでしょうか?
良く聞かれるので、答える時は「ソフトの勉強を思いっきり導入するようにしました」と答えています。

それまでもソフトでの研究はまったくなかったわけではないんですけど、そんなに量が多くなかったんです。ソフトを本格的に導入するようになったのは去年の8月くらいで、特に序盤の研究として活用しています。

以前までは、ソフトを使わず練習将棋やVS(練習対局)メインで、すべて自分の頭の中でその手がどうなのかと考えて勉強していました。でも、やっぱり「時間短縮」という意味でソフトは効率的だなと思いました。

デビューして2年目に新人王戦の決勝(増田康宏六段戦)に出たころ、日程がけっこうキツかったんです。中2日くらいのペースで対局が入ってくる中、自力で対策をやっていたりするんですけど、対局で疲れて帰ってきて、振り返らずにそのまま“終了”になってしまうんですよね。

対局の日はむしろ興奮して眠れなくなるので、リズムが狂った状態で翌日を迎えて、対局に向けて準備しないといけないのに体が重い…でもまたすぐに対局、というペースがすごくキツかったんです。

今はソフトを導入したことで研究にかける時間が短縮され、同じ中2日くらいのペースで対局が入ってきても、そんなに負担じゃありません。

合間合間で飲みに行ったり、遊びに行ったりもできるようになりました。「時間の効率化」ができて、肉体的にも精神的にも余裕が出てきたなという感じです。

もうひとつの大きな要因として、渡辺(明)先生にVSをお願いしたことでしょうか。

去年の5月くらいに調子を崩して、「自分が今後どういう方針で将棋に取り組むのか」「結果が出ず、行き詰まっている現状をどうしたらいいか」というのを、お世話になっている方々に相談したりしていました。自分を新たに変えていかなければいけないなと感じていたのです。

渡辺先生から具体的なアドバイスをいただいたわけではありません。でもトップの力を経験したことで、自分の中で見えてくるものがあり、大きく成長できるひとつの大きなきっかけになりました。

さらにもうひとつ挙げるなら、去年の6月くらいから研究部屋を借りるようになったことです。今年に入ってからはひとり暮らしになりました。部屋にパソコンを置ける環境になったのも大きいですね。
ひとり暮らしを始めようと思ったきっかけは何かあったのでしょうか?
先ほどの中2、3日のペースで対局があって日程的にキツかった頃、対局に初めて遅刻したんです。

当時は横浜市内に住んでいたんですけど、対局日の朝、急に電車が止まってしまったんです。「運転再開が昼過ぎになる」とアナウンスされるレベルの遅延でした。

ちょうど対局規定が変わって電子機器の持ち込みが禁止になった時期で、対局日には携帯電話を持ち歩かないようにしていたんです。時計も「別になくてもいいか」と持ち歩かなくなって…。

車内で「運転再開の見込みがない」とアナウンスが流れたんですけど、まず「今、何時なのか」時間がわからない(笑)。つり革につかまっている隣の方の腕時計をチラ見して「今、9時20分なのか…」と確認しました。

降ろされた駅も中途半端でタクシーも捕まらないし、乗り換えしてスムーズに将棋会館まで向かえる路線じゃなかったんです。「こうなったら走って連盟に行こうか」とかいろいろ頭をよぎったんですけど、方向がわからないし、けっこう雨も降っていた日で、本格的にヤバイなと思いました。

そこでヒッチハイクをしたんです。

当たり前ですが、プライベートでヒッチハイクをしたことは一度もないんですけど、まさか対局の日にすることになるとは(笑)。

でもヒッチハイクって手を挙げても、車は止まってくれないんです。なので、信号待ちや渋滞で止まった車の窓をトントンって叩いて、開けてくれた方に名刺を渡して「こういう事情で」というのを説明して、「もし良かったら、渋谷まで乗っけてくれませんか?」とお願いしました。

そしたら快くそのお願いを受けていただいた方がいらっしゃって…。

その方には、本当に感謝ですね。電車遅延のことを連盟に伝えるために電話しないといけないんですけど、携帯電話を持っていないんです。すぐに携帯を貸していただいて、しかも連盟の電話番号がわからなくてどうしよう…とテンパっていたら、「自分の名刺に書いてあるんじゃないの?」と冷静に指摘していただいて…。

さらには少しでも早く将棋連盟まで着くように高速道路まで使っていただいて…。お金を置こうとしたんですけど「それはいらないよ」と。その後も連絡がとれず、お礼をする機会を逃してしまいました。

結局90分の遅刻でした。1時間遅刻したら不戦敗だと思っていたんですけど、交通機関の乱れなどやむを得ない場合は、持ち時間の等倍引きで指せるようで。

対局者に申し訳ないことなので、ずっと公には伏せていたんですけど、師匠(深浦康市九段)に話したら、すぐニコニコ生放送で話しちゃったんですよね(笑)。

でも関係者含めいろいろな方にご迷惑をおかけしてしまいました。それが横浜を出てひとり暮らしをしないといけないなと思ったきっかけです。

佐々木先生は長崎県対馬市のご出身。離島に住んでいた小学生時代のお話からお伺いしたいと思います。離島ということでディスアドバンテージはあったと思います。小学生の時、大変だったなという思いはありましたか?福岡まで船で2時間かかるそうですね。
あんまり自分の中で苦労したとは思っていなくて、それが当たり前だと思っていたんですよね。

長崎県大会に行くにも飛行機に乗ったりしないといけないのは大変でしたが、子どもだったので飛行機に乗れることで、むしろテンションが上がっていました。たしかに親は大変だったかもしれないですね。

一番苦労したのは同世代に将棋を指す人がほとんどいないので、刺激を受けるライバルがなかなかいなかったことですね。でも、当時はネットで将棋を指せる環境が整い始めた頃だったので、インターネット将棋で指せたのがすごく大きかったです。
事前にお答えいただいたアンケートでは、お世話になった方として、新聞三社連合で王位戦の運営をご担当されていらっしゃる藤本裕行さんのお名前が挙がりました。
藤本さんには、僕が小学1年生のときからお世話になっています。

初めてお会いしたのは、小学生名人戦の長崎県代表になって、西日本大会が大阪で開催されたときです。大会では負けてしまったんですけど、その後に関西将棋会館で2、3局指して、また別の道場に行きました。そこで藤本さんと初めて出会いました。講師をされていたと思うんですけど、「君は強いね」と声をかけていただいて。

「もし良ければネット将棋を指していただけませんか?」と親が頼んでくれて。それから、月1でインターネットを介して指導対局を受けたりするようになりました。コミュニケーションは、ほとんどインターネットや手紙でしたね。

あとは、棋譜並べのために、新聞の将棋欄の切り抜きをノートに貼り付けていたものを定期的に送ってくれました。離島に住んでいた自分が、そのハンディをものともせず成長できたのは、藤本さんが教えてくれたからです。とても大きな存在です。

本当に面倒見のいい“先生”です。菅井(竜也)先生や、女流初段の石本さくらさんなども小さい頃から気にかけていたりしたそうです。「将棋が好き」というのが根底にはあるんでしょうけど、いろいろ時間をかけて面倒を見てくださりました。
四段昇段時には、なにか声を掛けられましたか?
「おめでとう」と声を掛けていただきました。

将棋世界の「四段昇段の記」にも、師匠の名前は出していないのですが、藤本さんのお名前は出させていただきました。最近やっと、藤本さんと奥さんと3人でご飯に行かせていただいて、ちょっとしたお礼の場を設けることができました。
佐々木先生も王位リーグ入りされ、菅井七段は王位のタイトルも獲得されました。そういう部分ではある意味、王位戦を担当される藤本さんへの恩返しのような感じになりますね。
王位リーグ入りしたときには、「本当に良かったね」ということは言っていただけました。

やはり王位戦は気合いが入りますね。

もちろん師匠が過去に王位のタイトルを獲ったことも大きいですが、自分としては藤本さんが王位戦の運営をご担当されているということで、「頑張らなきゃ」と、気合いが入る要因になっています。
9歳のときには拡張型心筋症という大病を患ったそうですね。酸素ボンベを付けながら小学校に通ったとも伺っています。どのような気持ちで病気に向き合っていたのでしょうか?
「病気に負けないぞ」とか「死ぬのが怖い」とかそういう感じは特になかったのですが、「どうなってしまうんだろう」という不安はありました。

小学3年生のとき、夜中にいきなり胸が痛くなって…。翌朝には、対馬から福岡の病院に転院しなければいけないというくらい、ひどい状態でした。

すぐに脈拍が高くなってしまって。ベッドの上でPSPの「パワプロ」をしていただけで、脈拍が150を超えてしまっていたことも…。看護師さんには「そろそろゲームを止めなさい!」とよく怒られました(笑)。将棋をしている最中は意外に冷静にできるので、そんなに上がらないんですけどね。

一番ヤバかったときは、ベッドで寝ているだけでも脈拍が200を超えてしまって。そのときは「あ、さすがに死ぬかも…」、体感的に「これはヤバイ」と思いました。
病を押しながらも小学生名人戦の福岡県大会に強行出場されたそうですね。どうしても出たかったという気持ちが強かったのでしょうか。
毎年、小学生名人戦の長崎県大会に出場していたんですけど、病気で出られなかったのがすごく悔しくて、めちゃくちゃ号泣しました。

院内学級に通うために、住所を対馬から福岡に移して、福岡県大会に出られるようになって。病気を押しての強行出場だったんですけど、それがきっかけで病気がいい方向に向いたというのはありましたね。
現在はフットサルを楽しまれる様子など拝見していますし、お話を聞くまで大病を患われていたようにはまったく見えませんでした。普段生活されていて、特に気をつけていることはあるのでしょうか?
今も通院はしているんですけど、ほとんど治っています。心臓に関してはほとんど心配していません。

正座をする職業なので、体重管理に気をつけているくらいでしょうか。さすがに渡辺先生のように、1日5回も体重計に乗るようなことはしないんですけどね(笑)。

プロに上がる前に体重が70キロを超えてしまって。記録係はプロよりも正座を続ける時間が長いので大変でした。今はだいたい62、3キロでキープしています。

家では、お米を食べないですね。そもそも炊飯器をもっていないので(笑)。お米を食べずに豆腐とか、野菜がメインですね。ちょっと前まで野菜が高い時期があったので、近くのスーパーでも「ちょっと高いなー」と思っていたんですけど、ようやく価格が落ち着いてきて「ありがたい」と思っています。

料理も自分でしますけど、美味しくはないですね(笑)。
対馬から奨励会に入るために、ご家族で神奈川県に移住を決断されたそうですね。お父様は52歳での転職活動…行動力に敬服します。一家での移住とのことで、プレッシャーのようなものを感じたりもしましたか?
自分が父と同じ環境になったとしても、その勇気はないですね。父の決断と行動力はすごいと思います。

小6の12月、奨励会への試験を受ける前の移住でしたから、「受かるかな」というプレッシャーはありましたね。神奈川の小学校にはその翌月の1月に転入したので、通ったのはわずか2ヶ月弱…。卒業式は「おまえ、誰?」みたいな感じでした(笑)。

特別に家族と「仲が良い」というのはありません。

プロ入りしてからフリークラスを抜けるくらいまで、父から毎回「今日の結果はどうだったの?」と聞かれて、負けたときなどは、いろいろ言われたりしましたね。積み重ねのように、言われてキツかったんです(笑)。今はひとり暮らしをするようになって、自由にやれています。

奨励会二段のときには、スランプで降段の危機もあったそうですね。「三段までは将棋を指さない」と決めていた深浦先生が初めて「一緒に指してみようか」と誘ってくださったと伺いました。
実は三級のときにも成績が思うように伸びなかったことがあって、そのときにも指してもらったことがあります。

将棋の内容はもちろんですけど、時間の使い方、秒読みになったときに、すぐに指すよりもしっかり考えて指しなさいとか。踏み込みが少し足りなくて、負けを恐れているところがあったので、いろいろアドバイスをいただきました。

二段時代には、あと3連敗したら降段するということもありました。そのときは「最初はしっかり勝っていたわけだから、実力がないわけではないよ」と励ましてもらいましたね。

当時は「一緒に指そう」と言われるより、「棋譜を送って」とよく言われていたんです。でも僕自身は「あまり良い棋譜がないな」と思って全然送りませんでした(笑)。
奨励会のときは学生ですし、どうしても遊んでしまったり、気が抜けてしまったり、ということもあったのでしょうか?
遊んでしまうというより、真剣味が足りないんでしょうね。学校では、全然勉強をしていなかったです。成績も下から3、4番目くらいじゃないですかね。

プロ棋士になった今は自分がやるべきこと、目標をしっかり考えて集中できていると思います。今のほうが将棋にかける時間が長いですし、真剣に取り組んでいるような気がします。
四段昇段を決めた最後の三段リーグでは、9勝3敗と快調に勝ち星を伸ばしている中で、痛い連敗を喫した際に、戒めとして頭を丸めたそうですね。今どき、そんな若者はなかなかいません。
誰かに強制されたわけでもなく、同じ三段の仲間で「○○だったら坊主」みたいに、目標に届かなった時の罰ゲームに設定していたんです。メンバーは本田(奎)四段とか斎藤(明日斗)四段などです。

自分は“13勝5敗を取れなかったら坊主”と決めていて、他の人は“12勝”だったり、“10勝して勝ち越し”とか目標を決めていて。そしたら9勝3敗の後に連敗して、9勝5敗になってしまったんです。

残りの4つ、すべて勝てば坊主は免れるんですけど、そんなところで連敗する自分に嫌気がさして「これは坊主にするしかない」と思ったんです。

自分が率先して坊主にしたせいか、なぜか斎藤四段とか他の仲間も「俺も坊主にするしかないのか」と続いてきて、さらには罰ゲームに参加していなかったはずの、他の級位の子たちまで、みんな坊主になりだしました(笑)。

三段リーグ最終日は、関西からも奨励会員が来るんですけど、対局部屋に入ったとき「なんだこの部屋は!? 坊主がいっぱいいる!」とびっくりしていました。奨励会の幹事だった藤倉(勇樹)先生にも「何かやらかしたの?連帯責任?」と聞かれたりしました。たしかに異様な光景だったと思います(笑)。
その坊主姿の写真が四段昇段のプロフィール写真にもなりました。
坊主にしたときは9勝5敗だったので、プロに上がれるとは思っていなかったんですよ。たまたま運よく拾われたんですけど、あれがプロデビューの写真になるとは想像していませんでした(笑)。


高校球児がプロ入りしたみたいな感じでしたもんね(笑)。フリークラスでプロ入りするか、はたまたもう一度三段リーグを戦うのか。千駄ヶ谷のカフェで師匠と大事な話し合いが行われたそうですね。しかし今後の人生を占う大事な場面で、深浦先生の手元にはハートのラテアートが施されたカプチーノ。それを見て二人とも話し合いの内容が頭の中からが吹っ飛んでしまったというエピソードも残っています。師匠が「三段リーグに残りなさい」と話されていたら、本当に残っていたそうですね。佐々木先生ご自身はどのように考えていたのでしょうか。
師匠から「君は三段リーグでもう一度頑張ったほうがいい」と言われたら、やるしかないわけです。師匠は笑って話しているんですけど、こっちからすると話が進む中でも、ずっと「どっちなんだろう」と不安な状態が続くわけですよ。

もう一度、三段リーグを選んだ場合、昇段を蹴ってリーグに加わるわけですから、昇段枠を争っている人にとっては目の敵ですよね。「ふざけんなよ、そこでプロに上がらないやつがいるのかよ」と。そのとき、昇段を蹴っていたら、今もプロに上がれているか怪しいと思います。

佐藤(天彦)名人はフリークラスでの昇段を選ばなかったわけですが、これは本当にすごいことです。当時、佐藤名人と三段リーグで当たった人たちは、かなり気合いを入れて対局に臨まれていたと思いますね。
佐々木先生ご自身は三段リーグ残留とプロへの昇段、どちらを望んでいたのでしょうか?
師匠から事前に「君はどうしたいのか?」と聞かれて、自分の意見を話しました。「プロになりたい、そっちのほうが“楽”なので」というようなことを言ったと思います。

でもそう言ったら、師匠に「その考えはよくない」と言われました。三段リーグはキツイけど、プロになってからもキツい戦いが続くわけだから、「その考えは甘い。正したほうがいい」と言われました。

でも師匠に「もう一度、三段リーグをやりなさい」と言われたら、ためらいなく「わかりました。やります」と言うつもりでした。
プロ入り後は、史上最速わずか10ヶ月半でフリークラスからC級2組入りを決められました。プロ入りしたときと比べて、同じくらいうれしかったですか?
うれしいというより、「ひと安心」という感じでしたね。そのときのインタビューでは「うれしい」と答えたと思うんですけど、あれは本心ではなかったです。「うれしくない」と答えるよりは前向きな発言のほうがいいと思って。

やはり、“フリークラスは半人前”というイメージがあったので、ここから結果を出さないといけないというプレッシャーはありました。うれしくなかったというのは、まだまだ心を緩める時期ではないなと思っていたからですね。
影響された人の中に、増田康宏六段のお名前も挙がりました。増田先生とは八王子の道場から切磋琢磨していたようですし、昨年は新人王戦の決勝でも対局されました。「とても刺激を受けますし、切磋琢磨できることに感謝しています」と述べられていらっしゃいますが、改めてどういう存在なのでしょうか?
奨励会も同期ですごく切磋琢磨し合いましたね。

師匠からも“ライバルとして意識するように”と言われていました。今でも追いかける存在ではあります。

常に増田くんが先を走っているので、こちらとしては焦りとか早く追いつかなきゃという気持ちはありますね。新人王戦でも負けましたし、順位戦でも竜王戦でも、常に彼が先を走っているので刺激をもらえるというのはあります。やっぱり負けられないですね。

それは増田くんに限ったことではなく、近藤誠也くんもそうですし、同世代に関して自分は遅れを取っているので、やっぱり追いつかなきゃいけないという気持ちが強いですね。
増田先生は、以前に行ったインタビューの中で、佐々木先生のことを「一番指しているが、あんまりライバルと考えたことないです」と発言されています。増田六段らしい発言でもあると思うのですが、自分がライバルと思う相手だけにちょっとイラッとしたりしませんか?
増田くんはいつもそういう感じの人なので(笑)。

バチバチのライバルというわけではなく、「あいつまた勝ってるな」と意識するような感じです。直接対決だと少しは意識しますけど、彼が挙げている戦績とか結果はやはり気になるというか。自分も頑張らなきゃいけないという発憤材料になります。

昔は増田くんと近藤くんと、元奨励会の甲斐日向さんと4人で研究会をやっていました。三段リーグで当たるようになって解散したんですけど、増田くんとはその後もVSをやったり研究会をやったり、今も月1か2ヶ月に一度くらいで教わっています。人生で一番指している相手かもしれませんね。
増田先生は先日のニコ生の放送で、佐々木先生について「普段はすごくチャラけているのに、解説のときは真面目すぎてちょっと…」と不満のようです。佐々木先生とお話していると浮ついた感じはなく、とても誠実な印象を受けるのですが、実際はどんな性格なのでしょうか?
残念ながら弁解できませんね(笑)。自分は解説など公の場では、取り繕うんですけど、彼はどんな場所でも本当に裏表がないです。

普段の僕は、他の人の将棋を見て厳しめに批評したりとか…(笑)。

同世代の棋士とプライベートで会うことはあんまりないですよ。下だと、本田、斎藤(明)、上だと高見(泰地)先生ですね。高見先生は住んでいる沿線が同じだったので、今もVSで教わっています。とても面倒見のいい先輩ですよね。
昨年は叡王戦の名古屋対局まで足を運ばれたり、高見叡王のタイトル獲得時にはネクタイをプレゼントしたり。とても仲の良い姿がTwitterにも上げられていますよね。
本当にお世話になっている先輩です。

将棋はもちろん強くて、大事な対局の直前に教えていただくことが多いです。あとは立ち振る舞いがすごくお手本になるというか、すごく勉強になります。コミュニケーション能力が長けている先生で、処世術がすごいなと勉強させていただいています。

高見先生には、プライベートなことを含めてなんでも話していると思います。他の棋士にプライベートの相談とかはあまりしないんですけど、高見先生くらいですね。全部が言える関係なのは。

プライベートに関して、逆に師匠にはガードを固くしています。ニコ生とかですぐ話されちゃうので(笑)。
三段リーグの頃には、将棋教室の講師のお仕事もこなしていらっしゃったそうですが、師匠の深浦先生には止められていたそうですね。
高校を卒業して18歳くらいの頃、「遊々将棋塾」という教室で月に1回、講師を担当していました。きっかけは将棋界を離れる先輩から引き継いだというような感じでした。

でも正直、指導対局というのは、奨励会のときの修行中の身である自分にとっては、ほとんどメリットがないわけですよ。お金はいただいていましたけど、そんなのプロに上がってから稼げばいいので。固定の仕事を毎月こなすというのは、精神的に負担になってくるんですよね。

師匠からも「月1の仕事でも負担になってくる」と、ずっと言われていました。師匠自身も過去に道場の手合係をやっていたそうで、「大変だったので、僕はすっきりやめた。今も固定の仕事は受けていない」と話していました。

普通そういうアドバイスをいただいたら、その時点で講師を止めると思うんですけど、自分は続けてしまったんですよね。去り際がわからなくて(笑)。とりあえずプロになるまで続けることになりました。

フリークラス入りしてプロになったときも、改めて師匠から「まだ固定の仕事はやらないほうがいい」と言われました。今も師匠の教えに従って、定期の仕事はやっていません。今になって思うと、師匠からそういうアドバイスをいただけたのは、とても大きいですね。
アンケートのお答えの中でも、やはりお名前が挙げられていましたが、師匠・深浦先生のお話も聞かせていただきたいと思います。深浦先生は数々の素敵なエピソードをお持ちですが、深浦先生が四段、鈴木大介先生が三段の頃、ドラクエに熱中する鈴木先生に対して「ゲームでいくらレベルを上げても、やってる本人のレベルは上がらないでしょ」という逸話は最高です。弟子の佐々木先生から見て、“深浦康市”とはどういう人物に映りますか?また、どんな部分を尊敬されていますでしょうか?
将棋に対してすごくストイックに向き合っていて、それでいて弟子への面倒見がいい。他の棋士とは大きく違うところだと思います。

先ほどのアルバイトの話もそうですが、自身の体験談を弟子に伝えてくれます。師匠の根底にある「やるべきことを、しっかりやってきている」という生き様がすごく伝わってきますよね。

自分がプロになって、改めてその偉大さがわかるようになりました。

昔はちょっと怖いなと思っていました。怖いけど優しいですね。今は“怖い”というのはなくなりました。プロになってから距離が近づいたというか、話していてユーモアを感じる部分もたくさんありますね。

一門の研究会で月1で将棋を教わることがありますが、コミュニケーションは主にメールです。アドバイスをいただくこともありますし、「この○○戦はどういう感じなの?」というふうに逆に質問が来ることもあります。
深浦先生としても、弟子の佐々木先生を頼りにされているんですね。
師匠にとって他の棋士と比べると、壁が薄いと思います。

師匠が忙しいときには、師匠の研究会に代打で出席させていただいたりしています。特に三段時代は、ありがたい機会でした。参加するメンバーのレベルが高いので、とても勉強になりましたし、得られるものがすごく大きかった気がします。
こんなに師匠想いな弟子はいないなと思います。師匠の対局を現地まで見に行かれる姿もよくお見掛けしましたし、仲の良い師弟ですよね。昨年の王座戦挑戦者決定トーナメントの深浦vs藤井聡太戦で解説をされていたときも、師匠の形勢が悪くなると佐々木先生のテンションまで下がっていくように見えました。
見ていた方には申し訳ないですよね。自分ではそこまでテンションが下がっているつもりはなかったのですが…。

その翌日、まさか一緒に救急車に乗ることになるとは思いませんでした(笑)。(※)

※定期的に開催される棋士のフットサル同好会で、深浦九段は右肩を脱臼。佐々木五段が付き添いで救急車に乗って病院に向かった。深浦九段はその後しばらく、利き手ではない左手で対局に臨んでいた。
提供:日本将棋連盟
先日も、A級の順位戦で深浦先生がB級1組に降級された対局後、佐々木先生が誰よりも落ち込まれていたようにお見受けしました。師匠が落ち込んでいるときは、どんな声をおかけになるんでしょうか。
自分からはまったくかけないです。師匠の対局については、何も言わないようにしています。勝っても何も言わないです。

逆に自分が悩んでいるときには「こういうとき、どうされていたのでしょうか?」とアドバイスをもらったりはします。対局が多くてコンディション作りが難しいときとか、「師匠はどういうふうに過ごされていたんですか?」などお聞きしました。

師匠には、羽生先生が身近な存在としていらっしゃったので、「『羽生さんならどうするんだろう』と僕は考えている」と言っていました。「佐々木くんの場合は、身近に藤井くんとかがいるから、『藤井くんだったらどうするんだろう』と考えてみては」というようなニュアンスの言葉をかけていただきました。
ちなみに、昇段が半年後輩の藤井七段の存在は意識しますか?
あまり意識はしないですね。インタビューでそういう答えがほしいのかなと感じるときは「意識します」と言うこともあるんですけどね(笑)。

自分にとってそのポジションにいるのは、藤井くんよりも、増田くんや近藤くんなんですよね。修行時代から切磋琢磨していて、常に先を行く存在なので。

自分も藤井くんと指してみて、藤井くんはたしかに強いと思います。読みの量や正確さというのは他の人とは違うなとは思っています。当たるときはそういう気持ちは捨てますけど、ひとりのトップ棋士としてみているという感じですね。
深浦先生のお話の中で、最も印象に残っている言葉を教えていただけますでしょうか?「好調は長く、不調は短く」と話されているインタビューを拝見しました。
その言葉、自分にはあまりピンと来なかったんです。言われた記憶も覚えていない…(笑)。というか、自分はそういうのを常に忘れていくんですよね(笑)。

最近だと、地方の仕事で師匠と一緒になることがあるんですけど、「気を遣いすぎるのはよくない」と言われました。初めてお会いする方だったので、手土産をお渡ししたんですけど、「仕事先の方は、君からお土産をもらうことではなく、君が活躍することを求めているんだよ」と言われました。

あとはフリークラスのとき、新宿将棋センターで師匠とVSをやったときのことですね。研究範囲のところだったので、僕はほとんどノータイムで進めていて。師匠が悪手を指されたのもあったのですが、持ち時間を10分くらい余らせて勝ったんですね。

そうしたら、「しっかり時間を使いなさい」と本気で怒られました。

たしかにそうだなと納得しつつも「研究範囲だったので…」と伝えてみたら、「研究範囲だったとしても、実戦と同じように考えなさい。公式戦のための練習将棋だ」と話されて…。普段はまったく怒られたことがないんですが、そのときは真剣な表情で話されて…怒られたのはそのくらいです。

自分たちの対局の後ろで斎藤くんと本田くんがVSをしていたのですが、「時が止まった。空気が凍った」と言っていました。

後日談で、師匠は「時間の使い方が気になったのもあったけど、負けて悔しかったから」というのをつけ加えていましたね(笑)。本当かどうかわかりませんが…。

自分の糧になっているかまだわかりませんが、時間をしっかり使うようになりました。しっかり考えた上で、納得した上で指すようにはなりましたね。
少し脱線しますが、「羽生先生・藤井先生が将棋星人だとしたら、地球代表は深浦先生しかいない」ということで、深浦先生はいつしか“地球代表”の異名を持つようになりました。師匠が“地球代表”って、弟子の立場からしたらどんな気持ちなんでしょうか?
最近、ニコ生とかで揮毫(きごう)をする際に「九段」だけでなく「地球代表」とか書かれていますよね。「えー師匠、何やってんの!?」という感じですよね(笑)。

普段の厳格でストイックな師匠とのギャップというか、インパクトがすごいです。ニコ生を見ていても、最近は常に“地球代表”とか“フローラ”とか書き始めて…。「フローラ!?はぁ!?」みたいな(笑)。
師匠への恩返しをしたいというお気持ちはあると思いますが、さまざまな形があると思います。佐々木先生はどんな形が「一番の恩返し」だと思いますか?
考えたこともないんですけど、“師匠を超える成績を出すこと”が恩返しかなと思います。

一般的には、“師匠と指して勝つことを恩返し”と言うと思うんですけど、どうですかね。自分としては、「結果を出すこと」ですかね。

今、師弟戦があったとしても、僕は気楽に指せる立場なので。もちろんいつもよりは気合いが入ると思うんですけど、師匠に勝つのは「そんなに大事なことかな」という気持ちがあり、あまり気にしないと思います。

僕は棋戦優勝も一度もないので。まずはそれを目標に。超えられるように頑張りたいです。まだまだ課題が多いなというのは常に感じています。
最後に2019年度の目標を教えてください。
僕自身、あんまり大きい目標というのを持たないんですよ。夢とか。プロ入りした当時も、周りは「タイトル挑戦、タイトル獲得」とか言うんですけど、自分はまずは「フリークラス脱出」というような感じでした。

今の自分にとって、「タイトル獲得」とか言えるレベルの将棋を指していないんです。トップとの差は感じます。そんなに大きいことはまだ言えないな、という感じですね。なので、目の前の対局を一局一局、全力投球で頑張るしかないなと思っています。
今回、参考にさせていただいたインタビューや書籍などのリストになります。どれも素晴らしい内容ばかりです。ぜひ合わせてご覧ください。
ストイックだった深浦康市少年 - 将棋ペンクラブログ
なぜ深浦康市は立ち上がることができたのか?【叡王戦24棋士 白鳥士郎 特別インタビュー vol.18】
師弟 棋士たち魂の伝承 著:野澤亘伸

「棋士の感謝」特集一覧

サイン入りポラプレゼント

今回インタビューをさせていただいた、佐々木大地五段の揮毫入りポラを抽選で3名様にプレゼント。ご希望の方は、下記の項目をご確認いただいたうえ、奮ってご応募ください。

応募方法
ライブドアニュースのTwitterアカウント(@livedoornews)をフォロー&以下のツイートをRT
受付期間
2019年4月3日(水)21:00〜4月9日(火)21:00
当選者確定フロー
  • 当選者発表日/4月10日(水)
  • 当選者発表方法/応募受付終了後、厳正なる抽選を行い、個人情報の安全な受け渡しのため、運営スタッフから個別にご連絡をさせていただく形で発表とさせていただきます。
  • 当選者発表後の流れ/当選者様にはライブドアニュース運営スタッフから4月10日(火)中に、ダイレクトメッセージでご連絡させていただき4月13日(土)までに当選者様からのお返事が確認できない場合は、当選の権利を無効とさせていただきます。
キャンペーン規約
  • 複数回応募されても当選確率は上がりません。
  • 賞品発送先は日本国内のみです。
  • 応募にかかる通信料・通話料などはお客様のご負担となります。
  • 応募内容、方法に虚偽の記載がある場合や、当方が不正と判断した場合、応募資格を取り消します。
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