24年前の他人のラブレターを入手してロマンチックが止まらない話(後編)

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ラブレターにまつわる話を5回にわたってお届けする本特集。

今回は、中古の家具から24年前の最高に素敵なラブレターを発見し、それを本来の持ち主に返しに行ってきたという、嘘みたいだけど本当にあったロマンチックな「実話」の後編です。(そのラブレターがどのようなものであるかは【前編】にてご覧ください。)

イラスト/オカヤイヅミ
文/飯田直人(livedoorニュース)
デザイン/桜庭侑紀

ラブレターを本来の持ち主に返したい。そう思った私は履歴書に記されていた住所を訪ねてみた。
着いたのは、家から歩いて10分程の一戸建て住宅。引き出しを買ったのは近所のリサイクルショップだから、元の持ち主もかなり近所だったのだ。

しかしいざ玄関前に立って、「あ」と思った。

古びた外壁とは不釣り合いに、表札のデザインだけが妙におしゃれである。そして名字が、坂口ではない。私は早くも落胆しつつ、そっとインターホンを押した。
案の定、みゆきさんと俊一さんはすでに引っ越しをしていた。きっとあの引き出しは、引っ越しに際して売りに出されたものだろう。
さて、どうするか…。

履歴書には出身高校が書いてある。そこに電話して実家の連絡先を聞いてみてもいい。でも学校は個人情報の取り扱いに慎重なはず。

たぶん無理だろ…。

みゆきさんの元職場もわかる。だけど退職した社員のその後なんて、会社が把握してるわけがない。

絶対無理だろ…。

半日ほど、あれこれ悩んだ。

その末に、私はひとつの可能性を見出した。

「みゆきさんは転職しちゃってるけど、同じ会社で働いてた俊一さんは、まだそこにいるかもしれないな。」
そういうわけで、みゆきさんの元職場の電話番号をネットで調べ、さっそく掛けてみた。大きい会社だったので、代表番号への電話は総合受付につながった。

私は受付の人に状況を事細かに伝えていった。

しかし。
電話口から返ってくるのは「はぁ」という、気のない返事ばかり。まったく信用されていないのは、明らかだった。それでもひと通りの説明を終え、俊一さんがまだ在籍しているかどうか聞いてみたところ、受付さんの返答はこうだった。

「個人情報に関わるので、何も申し上げられません」。

なんだよ! いいじゃんそれぐらい!

と思ったけど、今のご時世、まあ仕方ないのかもしれない。私は「俊一さんがもしまだいらっしゃるなら、手紙のことと、私の電話番号を伝えておいてください」と頼んで電話を切った。
「折り返し、絶対来るだろ」と確信して、私は電話を待っていた。「こんな良い手紙、俊一さんが取り戻したくないはずがない」と。

でも2日経っても音沙汰なし。

そのうち、「あの受付のヤツ、ちゃんと伝言してないんじゃないのか?」と疑い始めた。そう思うと異様に腹が立ってきた。こっちはこんなに真剣なのに!

しかし、そもそも俊一さんがまだ勤めている確証はない。勤めていなければ受付の人だって伝言しようがない。いくら待っても、最初から意味なかったのかも知れない。

この路線はもう諦めよう。
私は次の行動を起こすことにした。
坂口夫妻が引っ越す前に住んでいた家の近隣住民に、手当たりしだい聞き込みをするのだ!
探偵ごっこはなかなか楽しかったが…
結果としては完全な空振り。

「駅前のサービス付き高齢者向け住宅に移ったらしいね」という証言があったが、それもガセネタだった。ご近所さんは誰も、ふたりの転居先を知らなかった。
「もう、<探偵!ナイトスクープ>(朝日放送)に頼むしかないか…。"たむけん"に会えるなら、それはそれで嬉しいしな…。」

自力で見つけるのはすっかり諦めた。

その日の夜、私はもう「テレビに出るなら、どんな服装がいいかな」ばかりを考えていた。

しかし3日目の朝、
連絡がついに来た。
私は"たむけん"ではなく、あのラブレターから24年後のみゆきさんと俊一さんと会う約束をした。(受付の方、疑ってごめんなさい。)

待ち合わせ場所には表参道(東京都)の老舗カフェ「フィガロ」を指定した。表参道はふたりの新居からアクセスが良かったし、この店は週末でもそれほど混んでいなくて居心地が良い。
1995年、当時26歳と33歳だったふたりは、現在50歳と57歳になっていた。想像通り、同じ部署の部下と上司だった。

想像と違ったのは、ラブレターの存在を、どちらもほとんど覚えていなかったことだ。なくしたことにもまったく気づいてなかった。
私が買った引き出しは、俊一さんが中学生の頃から使っていたお気に入りのものだったという。3年前にマンションへ引っ越しするにあたり、手狭になるので仕方なく手放したのだそうだ。

ちなみに、私が電話で面会場所に「フィガロ」を指定した時、俊一さんは「なんでこの人は僕の好きな店を知ってるんだ?」と思ったそうだ。どうも私は俊一さんとかなり趣味が似ているらしい。
この辺でひとつ白状しておくと、実は電話で話したとき、俊一さんは「手紙は郵送していただけますか」と言っていたのだけど、私が「直接会って返したい」と主張したため、この日わざわざ会っていただく流れになったのだった。
なぜ直接会いたかったか?

当時の思い出を、根掘り葉掘り聞いてみたかったからだ。

ただの野次馬根性で申し訳ないが、そういうわけで、私は当時のデート内容やなれ初めについてなど、ふたりを質問攻めにしていった。
俊一さんがみゆきさんと急接近したきっかけは、1994年初夏の週末、同僚みんなで横浜へ遊びに行った日の帰り道だったそうだ。
何台かの車に分かれて、同じ方面へ帰る人を自宅まで送っていく。

俊一さんが運転する車には、みゆきさんと、もうひとりの同僚が乗り込んだ。俊一さんとみゆきさんの家はどちらも東京の世田谷、もう一人は神奈川の川崎で降りる予定で。
横浜から川崎はすぐそこだから、いい流れでふたりきりである。

しかし、首都高へ入ったふたりの車は、大変な渋滞にハマってしまったそうだ。
1年前にできたばかりのレインボーブリッジ付近で、2時間近く足止めを食らったという。
その時ふたりは車内で何を話していたのか。
今ではふたりとも、一切覚えていない。

もしかしたら「ほとんど会話なんてなかったかもしれない」とさえ言う。「まだそこまで親しくなかったしね」。

それでも、お互いにとても居心地良く感じられたことだけはたしからしい。
じゃなきゃ、俊一さんは後日デートに誘わないし、みゆきさんもそれに応じたりしない――
この日は他にもいろいろな話を聞いた。

あのラブレター以後24年間、誕生日とクリスマスには欠かさず手紙を送り合っているとか、結婚記念日にも手紙を交換するんだとか、ケンカは昔も今もほとんどしないよねー、とかとか…。

思いつくまま質問し続けていたら、すっかり日が傾いていることにも私は気づかなかった。
お会計を済ませながら、最後にもうひとつ気になっていたことを聞いてみた。うちの引き出しの奥に落ちてたあのラブレターは、これからどんな場所に行くのだろう?
大事なもの入れ?
そのクリアケースには、卒業アルバムや賞状といった思い出の品と、24年間に交わしたすべての手紙が収められているのだそうだ。

手紙は年に3回交換して、24年ならひとりあたり72通、ふたり分合わせたら140通以上もそこに入ってるってことなのか…。
と、ふたりの素敵すぎる関係に妬ましさすら感じられ始めたこの辺りで、24年前のラブレターにまつわるこの話はおしまいである。
家に帰ると、掃除のためにいったんカラッポにしたままの引き出しがそこにあった。あの手紙以上に素敵なものを、こいつが収納する日は訪れるのだろうか。
2019年現在の中身は綿棒、爪切り、風邪薬、汗拭きシート…などなど退屈な日用品ばかり。引き出しくんには「ま、そのうちいつかなー」と言って聞かせる日々である。

そうだ最後に、せっかくなので引き出しくんの実物も見ていただこう。
リサイクルショップでの購入金額はたしか3000円くらいだったが、俊一さんによると実は北欧系の結構いいやつらしい。私はこいつを、とても気に入っている。
「ラブレターの話」特集一覧
【次回予告】「ラブレターの話」特集、次回は歌人・穂村弘さんによる恋愛短歌についてのエッセイ。鼻血が出るほど素敵な文章は2/14(木)21:00公開予定です。