「のたれ死に上等っす」 漂流写真家・天野裕氏がつかんだ理想の仕事。

写真拡大 (全11枚)

「自分らしく生きよう」。そんな歌やドラマが世にはあふれかえっている。「好きな人生を進もう」。誰もが昔から知る助言だ。しかし実践するのはなんと難しいことか。

恋人、家族、地位、安定。「そんなものはいらない」と写真家・天野裕氏は即答する。定住せず、家族も持たず、車で全国を回りながら写真を見せて生計を立てる。多くの人が諦めた自由を、天野はあっさりとやってのける。

私たちと少し違った生き方をする人たちに話を聞き、これからの働き方を探る「アウトサイダーの労働白書」。最終回は、天野にこれまでの生きざまを尋ねた。働き方改革なんていちべつもくれない男の人生に私たちは何を思うか。

「アウトサイダーの労働白書」一覧
天野裕氏(あまの・ゆうじ) 写真家。福岡県出身。20代までフリーターとして過ごし、30歳でカメラ付き携帯電話で撮影を始める。TwitterなどのSNSで鑑賞希望者を募り、1対1で作品を見せるスタイルを貫く。2009年に「塩竈フォトフェスティバル」写真賞で大賞を受賞。著書に「Rirutuji」、「あなたがここにいてほしい」、「鋭漂記」、「Night Waited Mad Rain」など。
■最初は全くお客が来なかった
―流浪しながら写真を見せて生活している人がいる、というのは衝撃でした。なぜそのような生活をしようと?
僕、前に「塩竈フォトフェスティバル」で大賞を取ったんです。でも、それだけだと仕事が来るわけでもない。

別に撮って載せたい雑誌もなかったので、持ち込みも全然しなかったんです。ギャラリーにも興味がなかった。とはいえ仕事もしていないから収入もない。大賞を取った写真だけはあるので「これを持って、誰かが見てくれてお金を稼げたらいいな」と思ったのがきっかけです。

ほら、ビートニクの小説家で、ジャック・ケルアックっているじゃないですか。彼の「オン・ザ・ロード(路上)」って小説にも影響を受けました。ヒッチハイクでアメリカを放浪して開放的な生活をする。読んでワクワクしたし、自分もそんなふうに自由に生きたいと思いました。
―具体的にはどんなふうにお客さんを募るのでしょうか。
最初はツイッターを使って「どこどこのマクドナルドに◯時から◯時までいます。1冊1000円で写真を見せます」と投稿して募集しました。
―お客さんは来ましたか。
全く来ませんでした。車でいろいろな地域を回っているうちに東京都の日暮里にたどり着きまして。初めてひとりお客さんが来たんです。うれしかったですね。それから見たい!という人が少しずつ増えていって……こうした活動を続けて今年でもう6年目になります。

ツイッターは一度やめました。ちょっと連絡が多すぎて対応できない。今は直接メールのやり取りができる人だけに連絡しています。その県を通る前に「2日後くらいに行きます」みたいな感じで。
―移動先はどんな基準で決めているのですか。そもそも天野さんの旅の目的は?
性格的にひとつの場所にとどまっていられないんです。同じ場所に3日もいたらすぐ飽きてしまう。基本的に下道で移動するんですけど、どの街にもブックオフがあって、イオンがあって……代わり映えはしません。だから土地じゃなくて、人と会うためにこんなことをしているんだと思います。毎回、多くの人と出会えるから。
―どうしてこの車を選んだのですか。
いやこれ、もともと僕の持ち物じゃないんです。昔に付き合ってたカノジョのもので。

当時、全国を回りながらいろいろ撮っていた写真の中に女性の姿もあって。街歩いている女の子とか思わず撮っちゃうんですよ。

カノジョは嫉妬深かったので、写真を見てものすごく怒って。あんまり叱られるうちに「これはどちらも両立するのはムリだな」と思って、カノジョに別れを切り出しました。交渉して車だけはもらって、今もこうして旅を続けています。
■ひとりだからさみしいときもありますけど
―これまでどれくらいの人に会いましたか?
うーん、だいたい2500人ですね。ちょっと名前は出せませんけど、結構有名な俳優さんなんかもいて。「人の紹介で来ました」って、喫茶店で真剣な顔で写真を見ていました。
―お客さんたちはどんな人たちが多いですか?
いろいろです。僕と話しながら写真を見たり、中には全然しゃべらない人もいます。

神戸に立ち寄ったとき、必ずといっていいほど来るピアニストのお客さんがいるんですよ。スッとやって来て、写真をじっと見て帰っていく。そういえば、ほとんど会話をしたことがないですね。不思議です。
―態度の悪いお客さんもいますか?
いますよ。作品のめくり方が雑というか。ムカつく人はだいたい追い出しますけどね(笑)。「カネ払ってから帰ってくれ!」って。
―漂流のような6年間を過ごしてきて、良かったことはなんですか?
良かったこと……さまざまな人間がいて、みんないろんなことをやって生きていて。多くの人生に触れることができるのはものすごく財産になっています。

ひとりだからさみしいときもありますけど。続けていけばたくさんの人と出会うことができるので。
―苦労したことは何ですか?
夏はとにかく車内が暑い(笑) 寝るときは冷房を切るので蒸し風呂ですね。我慢できないときは北の方を目指して車を走らせます。仙台ではナビも通じない場所まで行き「ここどこだ?」って迷ったこともありました。

大牟田にはたまに戻りますけど、故郷という印象はないです。今日はこうして大牟田で話していますが、旅の途中に立ち寄っただけ、という気持ちです。
■人に認められたい思いはあまりない
―大牟田市が、天野さんの地元になりますが、いつ頃まで暮らしていましたか?
中学生までいました。高校は長崎県の国見高校に入って、寮生活でした。この街は15歳で出ましたね。当時の国見高は本当にサッカーが強くて、僕も丸坊主でサッカーばかりやっていましたね。

高校を出てからは、東京に出て女の人のところに転がり込んで暮らしてました。
―どうして東京へ?
長崎にいてもヒマだなって(笑) 東京は大都会という印象。同棲していた女性は街で声を掛けました。その人はいわゆる「夜の人」で。その後に付き合った人もみんな「夜の人」でした。たぶん偶然ですけど。

それから10年間はスケボーばっかりやっていて、30歳になってようやく写真を始めました。写真を始めるまでは本当にやることがなくて。カノジョの送り迎えばかりでした。

「今から一生かけて打ち込めることないかな」っていろいろ探したんですよ。サックスも吹いたし、犬のトリマーの仕事、いろいろなセミナーにも参加しました。
―どんな基準で選んだのでしょう?
とにかく、自分が経験したことのないものを片っ端からやっていく。何でも良かったんですよ。本当に気に向くまま、できることから取り組みました。
―うっ屈した時期、自分の人生はどのように見えていましたか?
なんだろう。人に認められたい、って思いはあまりなくて「自分が納得できる何かを残したい」と考えていました。他人の目とか、そんなに気にならないので。周りからはどんなふうに見られていたんでしょうね。

写真を撮り始めた頃はガラケーのカメラ機能を使っていました。割と面白い写真も取れましたね。そのうちちゃんとしたカメラで撮るようになって、例の大賞をもらいました。
―「塩竈フォトフェスティバル」で大賞を取ったことへの誇りは。
特別な思いはないです。大賞を取りにいって取っただけって感じです。
■写真に取りつかれた男の1日
―各地を車で回っているとき、どんなふうに1日を過ごしますか?
移動は基本的に夜です。真っ暗な道を走っていると、気持ちが落ち着くんです。その日に撮った写真をコンビニでL版にプリントアウトして、車の中で確認しているうちに寝落ちして、という感じ(笑)。朝の6時頃ガバッと起きてまた見始める。写真に取りつかれてますね。

寝るときは車の中にマットを敷くんですけど、足が伸ばせないのでとにかく辛い。すぐに起きちゃう。起きたらコインランドリーに行って、たまった洗濯物を洗って。パソコンも車に積んでます。いままでの写真を編集したり、外で写真を撮ったり……とにかく一番時間を割いてるのは移動ですね。
―お風呂などは?
高速に乗っているときはパーキングエリアにシャワーがあるので。それをたまに使っています。
―1日に何枚くらい撮りますか?
日にもよりますけど、地方だと10〜15枚とか。東京だと100枚以上は撮りますね。使っているカメラはリコーのGRです。
―天野さんがシャッターを切りたいと思う瞬間に共通点はありますか?
僕、普通にキレイなものが好きなんですよ。絵画とか、誰が見ても普通に美しいものが好きです。花も女の子も「ああ、キレイだな」って感じたら撮ります。
―今までの中で印象に残っているキレイなものを教えてください。
東日本大震災(2011年)のあとに東北に物資を運んだときかな。宮城の七ヶ浜にある海岸にDragon Ashのダンサーの人と一緒に行って。彼が海に向かって踊りを始めたんです。その姿を後ろから見ていて、思わずシャッターを切りました。今でも鮮明に覚えていますね。
(写真提供:天野裕氏)
■僕ね、必死に探して良かったです
―今はお付き合いしている人はいないんですか?
いないです。付き合わないようにしています。写真に集中できる環境を作りたいので。
―うらやましいほどの集中ぶりです。
自分でもうれしいですよ、そこまで打ち込めることが見つけられて。何やったらいいか分からない人もいるだろうし。

必死に探しましたもん。高校ではサッカーを本気で取り組んで、挫折して……それから「心ここに在らず」って状態から抜け出せなくなって。何をやっても面白くない。

もう、むちゃくちゃにいろんな挑戦をしました。やるたびに「ああ、全然これじゃねぇな」って。結構みんな「やりたいこと」って口にするけど、それを見つけるのって簡単なことじゃないと思います。
―とはいえ「やりたいこと」は見つからずとも生きてはいけます。どうして天野さんは必死に探したのでしょうか?
なんか……どんな大きな会社に入っても一歩外に出ればただの人で。僕もカノジョの送り迎えをしているだけの時期に「自分は何者なのか?」「なにできて、なにができないのか?」みたいなことをかなり考えました。

確かにこのままぼーっと歳をとって生きることもできるけど……でも誰にもできないことをやりたいな、って。
―天野さん、いま世の中で働き方を模索する人たちが増えているのをご存知ですか?
いえ、知らなかった。そうなんですか?
―では「サラリーマン的生き方」をどう思いますか。
誤解を恐れずに言えば、みんなヒマだな、って(笑)。会社員って月曜から金曜まで時間がある人じゃないとできないじゃないですか。

それほどやりたいことがなくて、ただお金のために生きている人もいっぱいいるんでしょうね。でもみんな、心のどこかでは「何かに挑戦したい」って思ってるんじゃないでしょうか。ただ、探していないだけで。

僕ね、必死に探して良かったです。ようやく30歳でそのときがフッとやってきた。「あ、写真やろう」って。でもそれは急なものじゃなくてサックス演奏とか、トリマーとか、いろいろ模索した積み重ねがあったからこそ降りてきたんだと思います。
■のたれ死に? 上等です
―今、ご家族は? 大牟田にいらっしゃるんですか?
いえどちらもいないです。父親はどこかで勝手に生活していて、母親も再婚したので。
―結婚は?
していないです。カノジョもいませんし。
―本当に作ろうと思わない?
思わないですね。もう誰ともつきあわないって決めているので。僕には写真がある。十分な人生ですよ。
―老後の不安もない?
全国回りながら、どこかでのたれ死ねばいいかな、って。みんな、体調のこととか心配してくれるんですよ。でも僕が答えるのは「音信不通になったら戦死したことにしてくれ」って(笑)。いいんですよ。別に誰に理解されなくても。

もし僕が死んだって話を聞いたら「あいつは戦って死んだんだ」って思ってくれればそれで良い。
―のたれ死に上等ですか?
上等っす。
■またすぐ旅に出る。終わらない漂流
―それでは人生で大切にしているものを3つ、順位をつけてもらえますか。
3つかぁ。一番は写真ですね。ニ番目は…………もしかしたら全部写真かもしれないです。他に思い浮かばない。
―写真を始めることでどんな意識の変化がありましたか?
始める前とでは全然違いますね。何というか、シャッターを押すたびに今が過去になって。瞬間、時間に対しての意識がずいぶんと変わりました。「一瞬一瞬を大切にしよう」って考えるようになりました。

写真には一瞬しか写っていないけど、積み重ねで人生があると思うので。今日も写真のために起きて、写真のために街に出て、写真のために車を動かします。

今はちょっと大牟田に腰を落ち着けているけど、もうそろそろ回ろうかなって。
―次はどこに?
四国へまだ行っていないんで、徳島とか。あとは沖縄も良さそうですね。

そうそう。東京・神田の「Kanzan Gallery」ってところで個展を開催することが決まったんですよ。確か8月1日から。僕はいないんですけどね。その頃にはどこかに行ってる(笑)
―個展も開催して、ある程度の落ち着いた生活も可能だと思いますが、それでもどこかに定住するつもりはないですか?
ないですね。最近おカネが増え始めて「これはヤバいな」って思っているくらいで。

僕、たぶんカネがあったら動かなくなっちゃう。むしろ、もうからないほうがいいんです。そもそも「1冊1000円で見せる」って最初の方針は今も変えていないので。
―じゃあ、この先にもし値上げしていたら?
このやり方が1冊2000円になったときはアイツ変わりやがって、と軽蔑してください。ハハハハ!

企画・インタビュー・文=森田浩明
写真=西田周平
デザイン=桜庭侑紀
「アウトサイダーの労働白書」一覧