才能があるとは思わない、でも――世界に挑み続けるサムライギタリスト・MIYAVIの矜持

常に世界に向けて挑戦を続けるサムライギタリスト、MIYAVI。

三味線を意識した“スラップ奏法”と、圧倒的なパフォーマンスで世界中から注目を集め、これまで約30カ国350公演以上のライブ、8度のワールドツアーを成功させている。『マレフィセント2』などのハリウッド映画にも出演、紛争をなくすための社会活動を行うなど、音楽以外の分野でもワールドワイドに目まぐるしい活躍を見せる。

そんな活躍の裏側には、度重なる挫折と努力があった。

サッカー選手を目指すも怪我で夢を絶たれ、サッカーへの想いを埋めるために始めたバンドは解散。しかし、解散翌日にはソロ活動を開始し、2年後(2004年)にメジャーデビュー。その後、英語を学ぶため単身で渡米、2009年に独立し個人事務所を立ち上げる。

そして、独立10年目の2019年末、MIYAVIは新しいステージへ進むべく、芸能事務所LDH JAPANへの移籍を発表した。

常に「世界との戦い方」を模索し選択し続けてきたMIYAVIならではの、価値観を世界基準に作り変える思考法に迫る。

取材・文/阿部裕華 写真/Jun Tsuneda

「ギターで飯を食っていく」気持ちが決まった瞬間

MIYAVIさん、学生時代はサッカー選手を夢見ていたものの、怪我を機に断念。夢を失い、恋人にもフラれてしまった中で、バンド活動を始めたそうですね。
誰から聞いたんですか? (僕の)元カノからですか?(笑)
過去のインタビューで拝見しました(笑)。なぜ、そこでバンド活動を始めたのでしょうか?
本当にたまたまです。夢に挫折して自分の胸にぽっかり空いた、サッカーボールぶんの穴を埋めるために、ギターを弾きはじめました。

プロのサッカー選手になるという夢を追いかけていたけど、怪我で夢を失った瞬間、輝きも失った。それこそ当時の彼女にフラれたのも、その夢を追う輝きを失ったからだと思います。それまでサッカー以外に何もやったことがなかったので、何をしたらいいのかわからず、何にも自信が持てず、友だちとつるんでいても喪失感と虚無感でいっぱいでした。でも、何かしたいというエネルギーだけはあったんですよね。
そのタイミングでバンドに誘われたんですか?
はい。「バンドやろうぜ」って、本当に勢いで始めました。そのときは何の目標もなかったし、ただ退屈をしのげればいいやと思って始めました。

だから、よくある「ジミ・ヘンドリックスに憧れて」とか「ビートルズに衝撃を受けて」といったようなエピソードとか、まったくなくて。
バンドを始めてから、音楽の面白さに気づいた?
初めてギターを弾いた瞬間、なんだこれは……!!!!と。チューニングの仕方もドレミファソラシドの弾き方もわかってなかったんだけど、指を動かせば自分でも音が出せる、曲が作れる。自由を感じたんです。サッカーをやっていたときの感覚とすごく似ていた。

「これ(ギター)で飯を食っていく」と感じていました。

泣きながら英語を勉強した、3ヶ月間の語学留学

“世界”を意識し始めたのはいつからでしょう?
サッカーをやっていたときも海外でプレイしたいと思ってたので、音楽も世界でやりたい、とは漠然と思ってたけど、ハッキリ意識し始めたのは、バンドを解散してソロ活動を始めたタイミングくらいですね。ちょうどMyspace(音楽のSNS)が流行り出して、海外にも自分のファンがいる状況に気づき始めました。
「海外でもやっていける」と自信を持てるようになったのは?
それは最近ですよ。ここ1〜2年くらい。
最近ですか!? これまでワールドツアーを8度も成功させてきたり、ハリウッド映画に出演されたりしてますが……。
そこまで考える余裕がなかった。ただひたすら挑戦し続けることがステータスになってたりして。挑戦してるときは目の前のことしか見えてないから。ずっと日本と海外を行ったり来たりして、より高いところを目指す作業をずっとしてきました。

俯瞰して自分を見ることができたのはここ1〜2年です。言葉、コミュニケーション、リーダーシップ、音楽性、多様性。今の自分なら、もっといけるなって感じてます。
25歳のとき、3ヶ月間ロサンゼルスに語学留学をされていますよね。そのときは、自信の欠片もなかったのですか?
まったくなかった。アメリカという国のスケールの大きさに、ただただ圧倒されていました。
留学中、いちばん苦労したことは?
留学した、その行動自体が苦労ですよね。それこそ泣きながら英語の勉強をしてましたよ。本当にしゃべれなかったから。今でこそ、英語でビジネスメールとかミーティングとかしてますけど、それが奇跡だと思うくらい。

結局、僕は何に涙したのかって「英語ができないことがデフォルト」である事実に涙したんです。もし英語圏に生まれていたなら、英語の勉強に時間を割かずに、その時間をクリエイションに回せる。
たしかに……。
だけど、それで親を恨むのかというと、それもまた違って。英語を勉強したいと思う気持ちを持てたこと、英語をしゃべれるようになるために実行する自分でいられたこと、実行できる環境に自分を置かせてくれたこと、これは親からもらったものなので感謝ですよね。
素敵な考え方です……! 留学に行ったことで、何を得たと感じていますか?
日本に生まれて、日本のカルチャーで育って、日本で当たり前だと思っていたことが、アメリカでは当たり前じゃない。言語、気候、風習、食、パーソナリティ、住んでみて初めていろいろなものが見えてくる。
『MIYAVI“NO SLEEP TILL TOKYO "World Tour 2019 JAPAN』東京公演より。写真/TAKAMICHI YUASA

技巧じゃない、カッコいいギタリストを目指す“使命”

“サムライギタリスト”と呼ばれ始めたのはいつ頃だったのでしょう?
留学のタイミングかな。当時、ラスベガスのMGMグランド(ホテル)で、世界的なHIP HOPチームROCK STEADY CREWがイベントをやっていて、そこで弾かせてもらったときに、メンバーのMr.Freezeが「Let’s welcome, SAMURAI guitarist MIYAVI」と紹介してくれた。そこからアメリカ、ヨーロッパのファンなどに広がりました。
当時から、ピックを使わずに指でギターを弾く“スラップ奏法”はされていたんですか?
してました。スラップ奏法自体は2001年くらいから取り入れていて、ステージで披露したのは2003年くらい。2005年あたりから作品として出し始めた感じです。
三味線に影響を受けた弾き方だそうですが、スラップ奏法は世界で戦うための武器になると考えていたのですか?
それは思ってましたし、今でも思ってます。

でも、このままでは勝てないと思っているので、違う方法を模索し始めました。
それは、どんな方法でしょうか?
「ギターで歌う」ことです。今までは、刀の代わりにギターという武器を持って、飛んでくる弾を斬って斬って斬りまくっていた。でも、全部弾を斬って顔をあげると先には無数の戦車が待ち構えている。海外にいると、とくにそう感じます。

これまでは海外で勝つための戦い方を考えてきたけど、そもそも戦う必要はあったのかなと。刀を抜かずに勝つ選択もあるんじゃないかと。

やはり僕はギターで人をハッピーにしたい。スラップでリズムを叩くだけではなく、今はもっとソフトなトーンでメロディを弾く、ギターで歌うことも取り入れて意識しています。
ギターを始めた瞬間に「これで食べていく」と気持ちが決まり、スラップ奏法を編み出し、今度は新しい方法で世界と向き合っているMIYAVIさんは、才能の塊だと思います。ご自身ではどう思っていますか?
自分に才能があるか? そう思ったことは一度もないです。今でもない。

超絶ギタリストとか言われることもありますけど、自分のことを技巧派のギタリストだと思っていません。僕より上手いギタリストは世界中に腐るほどいますから。

やはり僕は“上手いギタリスト”でいるより、“カッコいいギタリスト”でいたい。自分がギターを始めて、いろんなギタリストを見てカッコいいと思い始めたように、「ギタリストってカッコいいな!」と思わせたい。それが僕たちギタリストの使命でもあるというか。
使命ですか?
「ギターがカッコいい」というイメージって、ギターそのものが作ったんじゃなくて、ギターを弾いてきたギタリストが作ってきたんですよね。僕もこの時代のギタリストとしてカッコいい存在でいる責任があると思っています。

役作りはスケジュールとの戦い。それでも俳優を続ける理由

ギターや歌だけでなく、2014年には映画『不屈の男 アンブロークン』でハリウッドデビューも。本作の監督であるアンジェリーナ・ジョリーさんからオファーが来て、役者に挑戦されたそうですが、どんな心境だったのでしょうか?
迷いはありましたし、僕にできるのだろうかという葛藤もありました。だけど、作品にかけるアンジーの熱意や想いを聞いて、純粋にサポートしたいと思ったし、僕にできることがあって、僕を選んでくれるなら全力を尽くしたいと思いました。

実際、僕はプロの役者じゃないので、役の出入りには時間がかかります。演じるキャラクターがギターを弾かなければ、自然とギターも弾かなくなるし。そういう意味で音楽に支障をきたすこともありますし、いつもスケジュールとの戦いです。
逆に、俳優の活動が音楽活動に影響することもありますか?
もちろんあります。すべては循環で、インプットすればアウトプットにつながる。それこそ、役を演じることは、人の人生を学ぶこと。決して楽な旅ではないけど、確実に自分の中で役に立つ経験で、血となり肉となり、それが作品にも投影されます。

ミュージシャンは自分という人間を120%表現して生きる。アクティング(演技)は見ず知らずの人の人生を学び、それを自分の中にインストールするわけだけど、そこに自分のエゴやパーソナリティがあったら邪魔になるので、ニュートラルにしておく必要がある。カメラの前でパフォーマンスするという意味では、表現方法は同じかもしれないけど、そこに至るまでのプロセスが全然違います。この経験は僕の中で大きかったですね。
海外での俳優活動だけでなく、2018年には映画『BLEACH 死神代行篇』で朽木白哉役を演じられたり、最近では蜷川実花監督のNetflixオリジナルドラマ『FOLLOWERS』で本人役で出演されていたり、国内での俳優業も増えているように感じます。なぜ、俳優活動をされるのでしょうか?
もっともっと、日本でも世界でも目に見える形で影響力をつけていきたい。そのために活動の幅を広げて、かつクオリティを上げていく。音楽に限らず、その都度パフォーマンスの質を上げていかないといけないと思ってます。
今、ご自身の目標は、どれくらい達成できていると感じていますか?
5割ちょいじゃないですか。まだまだですね。やるからにはゴールまで達成したいし、ゴールを設定して初めて、人は走れる。今、僕が走れているのはゴールがあるからだと思っています。
MIYAVIさんは行動することで生き方のスケールを拡張していると感じています。そんなMIYAVIさんから、自分の殻を破れない人や、なかなか一歩を踏み出せない人へアドバイスを送るとしたら、どんな言葉を送りますか?
うーん、「殻に閉じこもっているあいだにも、できることはある」かな。そう思うと少し楽になれる。殻に閉じこもっている自分にしか見えない自分もあるし、そのときにしかできないこともあったりします。
無理に殻から出る必要はないと。
どのみち殻に閉じこもっている状況を打破する方法は、その状況の中でベストを尽くすほかないので。

今も(新型)コロナウイルスの影響でいろんなものが立ち止まってます。僕が今いちばん危惧しているのは、物流の遅延から派生して起こる国と国の争い。これは絶対に阻止しなければいけないと感じています。個人レベルに関しても、とにかく嘆いていても仕方ないから、今、何ができて、どうすればいいのかを考えて、行動するしかない。
置かれた状況に文句を言っているだけでは、結局何も変わらないですもんね。
「コロナ最悪」と言っても何も変わらない。今が殻に閉じこもっている状態だとすれば、この状況でしかできないことを考えて行動する、それだけかなと。
『MIYAVI“NO SLEEP TILL TOKYO "World Tour 2019 JAPAN』東京公演より。写真/Mikey Newell

HIROさんの懐の広さ、その志に共鳴した

最新のMIYAVIさんの動きと言えば、今年1月からEXILEグループが所属するLDHへの加入。ネット上では「電撃移籍」と話題になっていましたが、移籍の理由について教えてください。
日本と海外を行ったり来たりしながら、音楽、俳優、ファッション、親善大使、娘や家族との生活……これをひとりでやることに限界を感じてきたんですよね。維持しながら少しずつ前進はできますが、もっともっと今より先へ進むことを考えると、取捨選択しなきゃいけない時期だと感じていました。

0→1を創り出すことのできる人間がアーティストと呼ばれる。そのアーティストとしての役割に没頭したかった。自分がやらなくていいことはやらない環境を作ってあげたかった。あと、やはりずっとひとりでやってきたので、チーム、仲間が欲しかった、という気持ちはずっとありました。

世界にコミットし続ける。そこにはリスクも弊害もたくさんあります。日本においてそのマインドを受け入れてくれる組織はなかなかありません。でも、HIROさんは「MIYAVIくん、LDHを自由に使ってください」と言ってくれました。彼の懐の広さはスゴいと感じましたし、根っこにある志は近いところにあると感じています。
LDHに所属して3ヶ月経ちますが、実際入ってみていかがですか?
倉庫が広い!
倉庫、ですか…?
会議室もいっぱいあるし、エンターテイナーを育成するためのスクールもあるし、レストランまであります(笑)。音楽事務所を超えた在り方に、僕はすごくワクワクしています。

何が言いたいかって、やはり土台となる基盤や設備があることによって、僕たちアーティストは0→1を創るといういちばん大変な作業に没頭できる。それこそ僕は今まで倉庫も、仕事場の確保も自分でしていた。今、組織の強さ、力を強く感じています。感謝もしていますし、そのぶん、もっと頑張ろうと思わされます。
LDHのみなさんの印象はいかがでしょうか?
HIROさんもAKIRAくんもSHOKICHIくんも、本当に熱い男たちですね。音楽性、パフォーマンス、活動の仕方は違うけど、温度は近しいところにあると感じています。結局僕たちがなぜ創るのか? やはり、愛や夢、幸せのためなんですよね。共鳴する部分は大きいと思います。
m-floのVERBALさんがLDHに所属されたことも、MIYAVIさんの中では大きかったと伺っています。
VERBALさんがLDHに入った瞬間、「LDHは本気なんだな」って思いました。VERBALさんの存在も唯一無二だと思いますし、非常に稀有な存在だと思います。それこそ音楽だけじゃなくて、いろんな分野にボーダレス、シームレスに活動している。ああいう人こそ、日本でもっともっと評価されないといけないと思います。

日本のアーティストと呼ばれる人を見てると「えぇ〜〜!本当に〜〜?」ってなっちゃうときもあります。軽くマスオさん状態ですよ。日本でのみ評価されている人を見ると、正直そこじゃねぇだろと思うときもあります。本当の意味でのグローバリゼーション、世界と向き合うためには、価値観を変えないとダメですね。
価値観を変えるというのは、「日本のエンターテインメントの価値観」を変えないと、という意味ですか?
エンターテインメントだけではなく、すべてにおいて、です。さまざまな場面で、日本のいいところが活かしきれてないと思います。

日本しか知らなくて「日本最高」と言うのと、世界を知ったうえで「日本最高」と言うのは違うと思います。日本の素晴らしさを理解するには、まず世界を知ること。世界の中で僕たちはどこにいて、何を持っていて、何が足りないのか、それを知ったうえで、はじめて僕たちの本当の素晴らしさを知ることができる。
世界を知らない人が日本のよさを語っても説得力がないと。
まず、自分の素晴らしさを理解するには相手の素晴らしさを理解すること。たとえば、日本の素晴らしさを日本語で「ねえ、これ、最高なんだよ」と言っても世界には伝わらないですよね。そもそも日本語がわからない(笑)。まず、英語で伝えないと。

僕は、“英語が話せないから日本語で歌う”ということが嫌だった。だから、英語で歌い続けてきたし、失敗もたくさんしてきた。そして今、英語で自分の想いを表現できるようになってきた。なので、今、表現方法のひとつとして日本語の歌詞を意図的に入れて歌っている。これは僕の中では、大きな違いです。
なるほど。英語を知ったうえで、日本語の素晴らしさを伝えているんですね。
世界を知る。そこから改めて自分たちを知る。そこの意識を持って活動していきたいと思ってます。英会話スクールのCMの仕事とか来ないかな(笑)。それか英会話教室を作るか…。

新アルバムも自信作。日本の音楽を世界へ昇華させる

4月22日に発売されるアルバム『Holy Nights』には、矢沢永吉さんの『止まらないHa〜Ha』や沢田研二さんの『TOKIO』のカバー曲が収録されています。「日本の音楽を世界へ」という思いも感じられました。
そんな大それたことは考えてないですけど、日本人アーティストとして曲を作っている以上、日本の音楽を世界市場へどれだけ昇華させるか、サウンドも世界照準に合わせようといつも考えて作っています。

どうせ一度きりの人生、登山するならエベレストを目指したい。まず富士山を登るにしても、エベレストを登る装備で挑みたい。富士山を登るにはtoo much(過剰)な装備かもしれないけど、富士山を登りきった先にエベレストが見えてきたら、その装備は役に立つ。

テクノロジーが進化することで、時代によって装備は変わってきます。それらの装備を都度活かして、自分自身もアップデートしていく。やっと装備も整ってきたかなと感じています。
LDHという装備を手に入れたMIYAVIさん、新しいファンがさらに増えるのではないかと思います。世界を目指しているとはいえ、国内のファンが増えることは嬉しいですか?
もちろん。僕がLDHに入ったからって創る音楽は変わらない。単純に聴いてくれる人、好きになってくれる人が増えることは本当に嬉しいです。そして、聴く人が増えれば、そのぶん責任も大きくなると感じています。
新しいアルバムに対して、ご自身の中でどんな手応えを感じていますか?
前作『No Sleep Till Tokyo』から、より言葉やメッセージに注力したフォーマットでやってきた。決してボーカリストとしての自分のファンではないけれど、でも直接、言葉で伝えたい。伝えたい言葉もたくさんあります。次作までそのスタンスでいこうと思っています。自分たちの作るメロディや言葉が、聴いてくれる人たちの感情、楽しさ、寂しさ、悲しさとリンクしてもらえるような楽曲を作れたと感じています。

自信作です。毎回思ってますけど(笑)。
『MIYAVI“NO SLEEP TILL TOKYO "World Tour 2019 JAPAN』東京公演より。写真/Mikey Newell
MIYAVI(みやび)
1981年9月14日生まれ。大阪府出身。AB型。2002年「雅-miyavi-」名義でソロデビュー。エレクトリックギターをピックを使わずにすべて指で弾くという独自の“スラップ奏法”でギタリストとして世界中から注目を集め、これまでに約30カ国350公演以上のライブと共に、8度のワールドツアーを成功させている。また、アンジェリーナ・ジョリー監督映画『不屈の男 アンブロークン』(2016年日本公開)で俳優としてハリウッドデビューを果たすほか、映画『Mission: Impossible -Rogue Nation』日本版テーマソングのアレンジ制作、SMAPへの楽曲提供を始め、さまざまなアーティスト作品へ参加している。

CD情報

12thオリジナル・フルアルバム『Holy Nights』
4月22日リリース!

左から初回限定盤A[CD+DVD]、初回限定盤B[CD+DVD]、通常盤[CD]

初回限定盤A[CD+DVD]
¥6,600(税込)
初回限定盤B[CD+DVD]
¥6,600(税込)
通常盤[CD]
¥3,080(税込)

サイン入りポスタープレゼント

今回インタビューをさせていただいた、MIYAVIさんのサイン入りポスターを抽選で3名様にプレゼント。ご希望の方は、下記の項目をご確認いただいたうえ、奮ってご応募ください。

応募方法
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受付期間
2020年4月22日(水)12:00〜4月28日(火)12:00
当選者確定フロー
  • 当選者発表日/4月30日(木)
  • 当選者発表方法/応募受付終了後、厳正なる抽選を行い、個人情報の安全な受け渡しのため、運営スタッフから個別にご連絡をさせていただく形で発表とさせていただきます。
  • 当選者発表後の流れ/当選者様にはライブドアニュース運営スタッフから4月30日(木)中に、ダイレクトメッセージでご連絡させていただき5月3日(日・祝)までに当選者様からのお返事が確認できない場合は、当選の権利を無効とさせていただきます。
キャンペーン規約
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