恋愛相談としての読書! 早稲田の教授が選ぶ、悩める人のための文学5作品。

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どうしてあの人は、自分を好きになってくれないのだろう。
付き合いたての頃はキラキラしていた関係が、なぜ色あせていくのだろう。

本をひらけばそこに答えがある。
なんて、話は単純じゃない。
みんなにはみんなの、あなたにはあなただけの恋の悩みがある。

でも、さまざまな人生を描いてきた文学の中には、私たちと同じように恋に苦悩する人々が息づいている。

文学は恋愛を教えてはくれないけれど、一緒に悩む相棒にはなってくれるかも知れない。

今回、livedoorニュースでは「文学に恋の悩みをぶつけたい人」を事前に募集し、5人の男女から相談文を受け取った。

恋の仕方を忘れてしまった人、不倫相手と結ばれるべきか悩む人などなど。生々しい相談内容は、相談者ひとりだけの悩みではあるけれど、思わず「この気持ち、わかる!」とうなずきたくなるものもちらほら。

リアルな恋の悩みと文学を接続させるため、翻訳家の都甲幸治さんをお招きし、それぞれの恋愛相談に応えていただいた。
撮影/金本凜太朗
取材・文/飯田光平(Value Books)
デザイン/桜庭侑紀
都甲幸治(とこう こうじ)
1969年、福岡県生まれ。翻訳家、早稲田大学文学学術院教授。著書に『偽アメリカ文学の誕生』(水声社)、『21世紀の世界文学30冊を読む』(新潮社)、『狂喜の読み屋』(共和国)などがある。
翻訳家として、古今東西の文学に精通している都甲さん。「年齢・性別・相談内容」だけを記した匿名の相談文をお渡しして、相談者の悩みに合わせ、読むべき文学作品をチョイスしてもらいました。
こちらが今回の相談内容です。全部で5人分の相談文を、持参しました。
都甲 いやぁ、しかし不思議な企画ですね(笑)。こんなふうに文学を通じて他人の恋愛相談に乗ることなんて、はじめてです。
そうですよね…! 今回は、突飛な企画にも関わらず、ご協力いただきましてありがとうございます。
都甲 いえいえ。(相談文を読みながら)なるほど、なるほど…。うん、でも、興味深いですね。ここに書かれている悩みって、相談者の方だけでなく、今の世の中を生きる人たちにも通じるものがあると思います。どれだけ力になれるかはわかりませんが、精一杯答えますね。
さて、どの質問から始めていこうかな。まずは、悩める20代男子の相談に向き合いましょうか。
これはね、ふつうの感覚だと思います。20代ともなれば、ひとりでなんでもできて、稼ぎもあって楽しく、人と関わるのはめんどくさい。女の人が何を考えているか、なんて男は大抵よくわからないですしね。

では、何が肝心かと言うと、「一生20代じゃない」ということだと思うんです。この先、体力は落ちるし、仕事もハードになって、心と体のパワーが下がっていきますから。

そこでね、吉田篤弘さんの書いた『おるもすと』(講談社)をおすすめしたいです。
主人公は、町外れの崖の上にひとりで住んでいる若い男。たったひとりの身寄りだった祖父も亡くなり、今は残されたボロボロの小屋に住んでいますそこからは灯台が見えるのだけど、「あの灯台には誰か住んでいるんだろうか。女の人だろうか」なんて思いながら、なかなか家からは出ない。

だんだんと心身が追い込まれていったとき、たまたまあるパン屋を通りかかる。そこがまた不思議な店で、中に入ると黒電話が置いてある。その電話口で「食パン一斤」なんて伝えると、気づかぬあいだにパンが置いてあるんです。誰が置いたかもわからない。ハッと気がつくと、なぜか目の前にパンがある。

またこのパンは噛み応えがあって、食べきるのに数日かかるんです。でも、食べ終わるとまた欲しくなって、次第にパン屋に通うようになっていく。通い続けるうちに、一瞬だけパンを差し出す手を垣間見ることに成功するんです(笑)。不思議な話ですよねぇ。その腕から判断して、どうやら店主が男性ということだけはわかる。

そのうちに、彼はこのパン屋さんが一生懸命つくったパンが自分のお腹に入り、それによって生かされているんだという実感が湧いてくるんです。つまり、他者との関係性によって生かされている。そう思えたら、だんだんと気分も晴れてきて、かつて炭鉱夫だった祖父と同じように石炭を掘る仕事を始めるまで回復します。
灯台に住む女性を空想するだけだった彼の暮らしも、他人のつくってくれたパンを食べ、他人と一緒に石炭を掘る生活へ変わっていく。意外と自分は他人とつながっていけるんじゃないか…というところで物語は終わります。この小説は、自分だけの世界にいた人が、どのようにして外に出て行くのか、という記録になっているわけです。

本当は、Netflixを見ていたって、人を好きにならなくたって、いいと思います。ただね、恋愛以前に、人と出会って気持ちが変わったり、自分の弱さを受け入れたりする体験がないと、ジリ貧になってしまうんです。

でもね、それもまた大丈夫。今は体力があるからひとりでも平気だと思えているけれど、これからしんどいことも増えてきて、自然と人に助けてもらいながら生きるようになるはずです。今は他人とつながるのが難しくても、時間が解決してくれるから、心配しなくていいですよ。
不倫…ですか。

彼は、30代になって「自分がどういう人間か」がわかってきたんじゃないのかなぁ。不倫云々は、実は本質的な問題じゃなさそうです。

20代は、自分が何を大切にしていて、どうすると気持ちよく生きていけるのかが、把握しづらい年代です。だから、世間が良しとする価値観で相手を選んでしまったりする。美人だったり、高学歴だったりでね。

そして30代になった頃に「あれ、俺は別に美人が好きじゃないぞ?」と気づく。たとえば、自分は文学が好きなのに、奥さんは本なんて読んだりはしない。そうした不一致に苦しみ始める。

本当は、そこでお互いが歩み寄っていけばいいんですが、「離婚も辞さない」という文面を見るとそれも難しそうですね。でも、悲しいかな、不倫相手と正式に付き合っても、結局数年で別れることになるかもしれません。

そんなあなたには、ぜひ『優雅なのかどうか、わからない』(松家仁之著、マガジンハウス)を手に取ってみてもらいたいです。
主人公は、編集者。奥さんは金融関係の会社で働いて、旦那さんよりもずいぶん稼いでいます。

奥さんは経済的な思考の人です。だからたとえば、「これを使えば心が豊かになるはず」と思って旦那さんが買ってきたアンティークの家具も気に入らない。もっと安いものにしておけば、浮いたお金を頭金にしてより良い家に住めたかもしれないのに、なんて言うぐらいです。

付き合い始めと違って、きれいだった奥さんのことも魅力的に思えなくなってくる。そんな頃、主人公はある若い女の人と出会います。ふたりは不倫関係になるものの、結局は「いつまでも将来が見えないこんな関係はいやだ」と振られてしまい、最終的にはそれが原因で奥さんとも別れてしまうんです。そう、奥さんも不倫相手も離れていってしまうんです(笑)。
自分は一体どうしたかったんだろう。そうやってこれまでのことを思い直していたとき、彼は吉祥寺の井の頭公園(東京)に面した、ボロボロの一軒家を見つけます。そのままそこを借り、リフォームし、壁面を思いっきり本棚にしてしまう。そこで、「そうだ、自分は一軒家に住みたかった、薪ストーブで揺れる火を眺めながら好きな本を読みたかったんだ…」なんてことを思い起こすんです。

やっと自分の理想の暮らしを見つけた主人公ですが、なんと近くの店でばったりかつての不倫相手と出会います。そしてふたりは…、というところで物語は終わり。ラストは夢のような展開に近いけれど、“自分自身になっていく”ことの大切さを教えてくれる、素晴らしい小説です。

自分がどういう人間なのかを理解し、それを相手に認めてもらう。そこには勇気が必要だし、何より自分が相手を認めないといけません。何十年にもわたってプロセスを重ねる面倒な交渉ごとだけど、そこできちんと踏ん張ることで、大切な誰かと人生を歩めるようになるんだと思いますよ。
今回、寄せられたお手紙を読んでいると、皆さんに共通する部分がありそうです。それは、お金を稼ぐという資本主義社会の中で頑張りすぎて、普通に生きるということがよくわからなくなっている、ということ。

思うに、人間が生きている世界には「お金の世界」と「感情の世界」があります。

お金の世界で大切なのは、できるだけ自分は払わず、もらえるものはもらうという態度。支出を減らして収入を大きくする、ということですね。これはお金の世界では正しい行為だけど、それをそのまま感情をやり取りする日常生活に持ってくると、失敗してしまう。

他人に愛情を与えなければ、損はゼロですよね。その一方、相手から愛情をもらえれば、とてもお得。でもね、本当は与えるものがゼロだと、もらえるものもゼロなんです。

恋の仕方ってね、実はとても単純。

笑顔を見せたり、相手を認めてあげたり、肯定的な気持ちを示してあげれば相手はそれ以上に返してくれる。これは、自分の支出を減らすべきお金の世界とは、正反対の法則ですね。

困ったことに、学校ではお金の世界と感情の世界のふたつがあることを、教えてくれない。でもね、それは今から知っていけばいいんです。
カズオ・イシグロの『日の名残り』(土屋政雄訳、早川書房)は、愛がわからない人がどこまで追い込まれるのかを教えてくれる、なんとも切ないお話です。主人公は、イギリスの貴族に仕える執事・スティーブンス。彼は、主人である貴族をとても尊敬しています。

このお屋敷には、執事のほかにもメイドがいて、彼女は主人公のことが好き。彼もそのことはよーくわかっているのだけど、「仕事に自分の感情を交えてはいけない!」と気持ちに蓋(ふた)をしてしまうんです。主人の人生を助けるのが自分の役目、だから自分の幸福を追求しちゃいけない、とね。まるで武士みたいな心構えですね。

彼は、もうこれは告白じゃないか! というぐらい、メイドから愛のアピールを受けたりもします。しかし、それでも動くことができない。
このシーンなんて、とても象徴的ですね。そうして何もできずにいるあいだに結局、彼女はほかの人と結婚して去ってしまいました。

そこから何十年か経ち、彼は元メイドのところへ訪ねて行くことに。そこで、こんなことを彼女から告げられるんです。

私があのとき、あなたを好いていたことはわかっているでしょう。その頃と気持ちは変わらない。でも、あなたはひとつのことに気がついていなかった。それは、過去とは取り戻せないもので、そのときに素直にならなければ、あなたは自分の人生を永久に失ったままなのよ。

なんとも手厳しい言葉、です。彼が優先したものはお金ではなく執事としての仕事でしたが、原理は同じですね。仕事が人生のすべてを占めてしまった結果、感情の世界のことがわからなくなってしまった。それを、劇的なまでに示す小説です。

惚れたら負け、なんて言葉もあるけれど、勝ったつもりでいる限り幸福は訪れない。できるだけ自分から愛情を与え続けていれば、きっと、それ以上に返してくれる人があなたの前に現れてくれますよ。
突然ですが、「ロマンチックラブ・イデオロギー」というものをご存知ですか? ここ何百年かで社会に浸透してきた考え方で、「ロマンチックラブの落とし穴」、なんて言い方をすることもあります。

簡単に説明すると、運命の人と出会い、気持ちが盛り上がり、そのピークで結婚するべしという世界観のこと。「大好きな人と両思いになって、結婚! それ以外ありえない!」という感じのイメージですね。実はこれ、近代になってから生まれた考え方なんです。

ただ、困ったことにこれは実際には成立しないことが多いんです。なぜなら、結婚してからのほうが人生は長いから。興奮状態で居続ける、ってちょっとしんどいですよね。
ここで参考にしたいのが谷崎潤一郎の『痴人の愛』(新潮文庫)。『痴人の愛』は現実には困難なロマンチックラブを持続することに“成功してしまった”物語です。さあ、果たして恋愛のピークを味わい続けるカップルとは、どんなものなのでしょうか?

主人公はエリートサラリーマンで、お金もある。そんな主人公の心を射止めたのは、カフェの「女給」として働く“ナオミちゃん”。アメリカの映画女優みたいな、ちょっと洋風の顔立ちです。

主人公は余裕にあふれてますから、彼女との関係を愛人としてスタートさせて、「良いと思ったら妻にアップグレードするよ」なんて持ちかけるわけです。ナオミちゃんもまた健気で、「頑張るから捨てないでね」なんて、かわいい態度でふたりの同居は始まります。

しかし、ここに落とし穴が。実はこのナオミちゃん、とんでもない浮気性だったんです! 怒った主人公は彼女を家から追い出すんですが、その後、ナオミちゃんは置いていった自分の荷物を一品ずつ取りに戻ってくる。この一品ずつ、というのが憎いですねぇ。しかも、そのたびに露出の多い、きわどい服で主人公を誘惑するんです。

はじめは「ダメだ、ダメだ!」と我慢していた主人公も、ついには耐えきれなくなって「俺が悪かった、浮気を認めるから戻ってきてくれ」と同居を再開します。晴れて浮気公認になってしまいましたから、彼女は常にありとあらゆる男性と肉体関係を持ち、その浮気話を主人公にもする。嫉妬の炎を燃やしながら、それでもナオミちゃんから離れられずに、主人公は生きていくんです。
と、このように、ときめきは“ドキドキ”を介在させれば持続します。それが良いものであれ、悪いものであれ、心が動揺するとアドレナリンが出て、刺激を感じられるんです。

ただ、そんなこと言われたって、こんな生き方は心身が持ちませんよね。なので、ときめきを求めるのはやめましょう(笑)。代わりに、静かな刺激を感じ取れるようにするのはいかがでしょう。たとえば、相手が好きな牛肉を買ってきて焼肉をする、一緒にお茶を飲んでリラックスする。そうした薄い刺激を味わっていくのが、長く関係を保っていくコツかも知れません。

ときめきがなくなるのは、愛が失われたからではない。むしろ、その逆。刺激を感じなくなるのは、愛が深まっている証拠なんじゃないですかね。
プレゼントを贈りたくなるような小説、ですね。こちらの相談者さん、ちょっと危ういシチュエーションかもしれません。「戦友」とおっしゃるけれど、実はルームメイト化しているとも言える。どちらかが「これは愛じゃないな」と感じてしまったら、その途端にふたりの生活は終わってしまいそうで、ハラハラしますね。

少し怖いことを言ってしまいましたが、そうなってしまう前に『日本人の恋びと』(イサベル・アジェンデ著、木村裕美訳、河出書房新社)を開いてみてもらえれば、解決の糸口が見つかりそうです。
『日本人の恋びと』は、ポーランドからアメリカに逃げてきた「アルマ」という白人女性と、日本人の庭師の息子「イチメイ」、ふたりの愛を描いた作品です。

アルマは大金持ちの家の娘。そこで働く庭師の息子と、尊敬し合う関係から次第に恋人へ変わっていきます。早くに10代から付き合うふたりですが、時は戦前(第二次世界大戦前)。人種差別が激しく、白人と日系人との恋愛が認められるのはほぼ不可能な時代です。

戦争に翻弄されるふたりでしたが、無事に終戦を迎えたからといって、社会的な壁がなくなるわけではありません。では、愛を貫くにはどうすればいいのか。

そこでね、アルマはゲイの男性と結婚することを選ぶんです。イチメイもまた、体面を保つために日本人の女性と結婚する。そしてふたりは、年に1回だけ会って愛を育む、という関係を何十年も続けていくんです。お互いに、愛情を与えあって、支えあって、戦後の厳しい状況下を生き抜いていく。
相談者の方も、プレゼント交換ではなく、自分ができること、とくにお金を介在させない何かを与えることを心がけるのはいかがでしょうか。

愛してるよ、ときちんと伝える。笑顔を見せる。相手を気づかい、何をしてあげられるかを考える。そうしたことで、緊迫している関係が溶けていくはずです。まずは自分自身をプレゼントとして渡すことで、きっと愛する人とこの先も暮らしていけるはずです。
都甲 さて、これでいただいた相談は終わりですね。
ありがとうございました! 今回の内容、相談者の方々にもあとでお伝えてします。ちなみに、5通の相談内容を振り返ってみてどんな印象を受けたか、改めてお聞きしてもいいですか?
都甲 そうですね、よく読んでみると「これは全部、恋の悩みではないぞ」ということに気がつきました。
恋の悩みではない?
都甲 ええ。恋というよりも、“自分の生き方についての悩み”と言ったほうが正確かも知れません。今回の相談を突き詰めていくと、「今の自分の生き方に違和感を覚えているけれど、どうしたらいいのかわからない」という不安が見え隠れしているように思います。
なるほど…。たしかに、恋愛がキーとなって、自分自身のあり方を考え直す状況になっているのかもしれませんね。
都甲 ただ、こうやって「相談」されていること自体が、相談者の方々の希望につながっているとも感じました。だって、恋人の代わりにNetflixで満足していたって、プレゼント交換を廃止して生活していたって、何の問題もないはずです。

でも、「何か、このままでは違う気がする」という思いを拭えなくて、こうして相談を寄せてくれたわけですよね。今の自分への違和感に気づいているだけで、もう相談内容の半分は解決しているようなものじゃないでしょうか。あとは、そうやって気づいてしまった自分ときちんと向き合っていけるのかが、大切なポイントになると思いますよ。
以上で、今回の恋愛相談は終了です。

恋の悩みを深掘りしていくと、見えていなかった自分自身が姿を現す。それって、本を読んでいくうちに自分自身が揺さぶられる、上質な読書体験ととても似ていることのように思えます。

文学は答えにならないけれど、一緒に悩む相棒になってくれるはず。

困ったときは本棚に手を伸ばして、とことん悩んでしまうのもいいかもしれませんね。
【次回予告】
「読書の達人」特集、次回のテーマは、解読不能と言われる中世の奇書「ヴォイニッチ手稿」。近年ではAI技術を駆使した分析なども行われているようだが、解読は実際どの程度進んでいるのだろうか? 最先端の研究事情について、慶應大学の安形麻里准教授にインタビューしてきた。(5月下旬公開予定)
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