大沢たかおが『キングダム』王騎を演じる理由。「一寸先は闇」の現場に身を置く楽しさ

自らの仕事について語るとき、「ロマン」という言葉を堂々と口にすることができる大人がいま、どれくらいいるだろうか?

大沢たかおは照れるでもなく、サラリと口にする。

それだけで、51歳を迎えたいまも、大沢がまったく飽きることなく若い頃と同じ思いを抱いて、俳優という仕事に情熱を傾けていることがわかる。

そして、4月19日公開の映画『キングダム』において、原作ファンのあいだでも絶大な人気を誇る“カリスマ”である“王騎”という役が、この男に託された理由も――。

・成蟜役・本郷奏多のインタビューはこちら
・佐藤信介監督のインタビューはこちら

撮影/祭貴義道 取材・文/黒豆直樹 制作/iD inc.

王騎は『キングダム』におけるシンボル的な存在

紀元前の中国を舞台に、天下の大将軍になるという夢を抱く少年・信(シン/山﨑賢人)と中華統一を目指す若き王・嬴政(エイセイ/吉沢 亮)の姿を壮大なスケールで描く本作。制作発表時、原作ファンのあいだで注目を浴びたのが、その絶対的な強さと言葉で信や嬴政に進むべき道を示す大将軍・王騎のキャスティング。“秦の怪鳥”の異名を持つカリスマを任されたのは、大沢だった。
『風に立つライオン』(2015年)以来の映画出演ですが、これまで王騎のような、キャラクター性が非常に強い役柄を演じられた印象がなかったので、大沢さんがこの役を引き受けたことは意外にも感じました。
「これは一筋縄ではいかない作品、役柄だな」というのが第一印象でした。

やはりここまでの大作は大きな賭けであると思いますし、実写化映画の評価が決して高いとは言えない昨今の状況のなかで、ある意味アンタッチャブルと言える『キングダム』に手を付けるのはものすごいハードルですよね。

役柄ももちろんですが、そもそも「この原作を実写化するのか」と驚きました。
まさに、漫画を原作とした実写化が乱発するなかで、「原作が好きだからこそ映画は見ない」という声もあります。そうした声を承知のうえで、王騎役を引き受けた理由は?
以前、プロデューサーと一緒に仕事をさせていただいていたというのもありましたし、何より佐藤信介監督が、すごく好きな監督というのがありました。

彼は間違いなく、いまの日本のエンターテイメントを牽引されている監督のひとりだと思います。この人がこの作品をやるということは「ある程度、頑張りました」ではなく、相当な覚悟を持って、本気で勝負に出るということなんだろうと。

だったら自分もそこで勝負をかけて、同じ船に乗ろうと決めたんです。
原作はオファーがあってから読まれたそうですが、どのように王騎という男を作り上げていったのか教えてください。
最初は台本もできていなくて、原作だけを読んで話し合っていかないといけなかったんですが、王騎はキャラクターとして特殊で人間離れした部分もあって(笑)、そういうところをどこまで表現できるんだろう?というのはありました。
▲王騎役・大沢たかお
…いやそれよりも、そもそも王騎という存在って何なのか?が大事なんじゃないかと。原作は50巻以上ありますが、じつは王騎が出てくるのはごく一部なんですよね。でもなぜか、彼の存在がいろんなところから感じられる。

王騎は、『キングダム』の象徴的な存在なんじゃないか? 信の目を通して、ずっと生き続けるシンボリックな存在なんじゃないかという結論にいたりました。そのあたりから、そういう人物はどうあるべきか?と考えて、作り上げていきました。
王騎しかり、信も嬴政も大きな野望を持って生きています。大沢さんには、穏やかなイメージがありますが、彼らの熱さに共感する部分はありましたか?
まず、いわゆるパブリックイメージと実際の僕は全然違うのでね(笑)。

世間で思われているような優しいだけの男だったら、20年以上もこの世界で仕事を続けていくことはできないし、やはりこの仕事は、強さだけじゃなく誰よりも厳しくなくちゃできないと思います。
そういう意味では「のぼっていかなくちゃいけない」という意識は当たり前にありますよね。明日には自分の代わりになる人間がいっぱい出てくる世界ですから。ごく自然にそういう意識はあります。
山﨑さん、吉沢さんは今年25歳。王騎は若者たちに自らの背中で生き方を示しますが、大沢さんも若いキャストが主演の作品に出演されるようになって、現場での立ち居振る舞いが変わってきた部分はありますか?
意識はしてないですが、そう言われてみると、違いはあるのかもしれません。やはりデビューした頃から10年くらいは、自分がやりたいことを無我夢中にやっていたし、周りに迷惑をかけても自分がやりたいことをやるのが表現だと思っていましたね。

それがいまもそうかと言うと、そうではありません。たとえば今回の王騎も“シンボル”という言い方をしましたが、主人公たちが彼の背中を見て生きていくような人物を演じなくちゃいけない。

では、どうしたら彼らがついてきてくれるのか? 目標にしてくれるのか?と考える時点で、若い頃とは違いますよね。
▲信役・山﨑賢人
▲嬴政役・吉沢亮

積み上げてきた経験と知識のハシゴは、自ら外す

年齢を重ねたことで、演技や俳優という仕事への意識に変化はありますか?
難しい質問ですね。人間、みんなそうだと思うんですけど、同じ仕事を10年、20年とやっていけば、いろんなことを知りますよね。経験を積むわけですから。それでいて無知なのは「おいおい、そんだけ経験してきて知らないのかよ!」というただのバカになっちゃいます(笑)。

でも「無知の強み」というか、知らないからできることってあるんですよ。いろんなことを知ることで成長もできるけど、知識が邪魔になることもある。知ることによって自分の可能性を閉ざしてしまうこともあると思うんです。
長くやってると「こうすればうまくいく」とか「こうやっとけばゴールにたどり着ける」、「この役はこういうイメージで持っていけばいい」とか、わかってくるわけですよ。脚本や企画書を読んだ瞬間に。そうすると悪い意味でだんだん器用になっていっちゃうんですね。

だから、自分でそのハシゴをいちいち外していくのが面白いんです。自分でハシゴを外さないと、新しいものって生まれない。
要領のよさなんて、若い人たちに真似してほしくないし、要領が悪いほうがいいんですよ。そうやってあがいているほうが、いろいろ学べるでしょ?
昨年はロンドンに赴き、全編英語によるミュージカル『王様と私』に挑戦されましたが、あえて厳しい環境に身を置いたのもそういう考えからなのでしょうか?
そうですね。そうしないと生まれないものってあるじゃないですか。何となく主演として「こうしてりゃいいだろう」って感じでいちゃ…。現場でも、僕に対してみなさん本当によくしてくれるんですよ。それが悪いとは思わないけど、自分はそういうタイプじゃないし、そういう姿を若い人に見せたくないんです。
それじゃロマンがないでしょ? デビューしたばかりの若手に「あぁ、何十年経っても、こんな面白いことやれるんだ、この人は」って思ってもらったほうが、やりがいがあるじゃないですか。

この仕事は、不安定なのが面白い部分なんでね。

質問の答えに戻ると、僕は年齢を重ねたことで、そういう厳しい場所に、自らを置けるようになったかなと思いますね。

年齢を意識すると、結局「そういう人間」になってしまう