歌は自分そのもの――快進撃を続ける海宝直人の声が、私たちの心に響く理由。

「自分のアラジンの声を残しておきたかったんです」

俳優・海宝直人は感慨深げにそう語る。

7歳のとき、劇団四季『美女と野獣』のチップ役でデビュー。実力派で知られていたが、注目が集まったのは2015年。『レ・ミゼラブル』マリウス役、『アラジン』のタイトルロールと続けて抜擢され、その後も『ライオンキング』シンバ役、『ノートルダムの鐘』カジモド役などを演じ、ミュージカル界で得難い存在となった。

昨年は草なぎ剛主演の音楽劇『道』でメインキャスト、Bunkamuraオーチャードホールでのソロコンサートが完売するなど快進撃が続く。

そんな彼が歌うディズニーミュージカルの楽曲をメインに収録した、ソロアルバムが完成。

海宝直人の歌声がひとりでも多くの人に届きますように。そんな願いを込めて、ロングインタビューをお届けする。

撮影/須田卓馬 取材・文/千葉玲子 制作/アンファン
スタイリング/小渕竜哉 ヘアメイク/hijiri
衣装協力/tk.TAKEO KIKUCHI(03-6851-4604)

「ミュージカルの世界」特集一覧

子どもの頃から舞台は生活の一部。学校に通う感覚だった

1月30日にウォルト・ディスニー・レコード社より、『美女と野獣』や『アラジン』、『ノートルダムの鐘』などのディズニー楽曲を集めた『I wish. I want.』〜NAOTO KAIHO sings Disneyがリリースされました。待望のソロアルバム発売、おめでとうございます!
ありがとうございます! ソロのCDを出したいという話は以前からありましたが、自分を育ててくれたディズニーミュージカルのアルバムを出せる、アラン・メンケンさんのディズニーソングを歌えるという理想的なかたちで実現できて、本当にうれしいですね。
ミュージカルの世界に入ったのは、劇団四季で『美女と野獣』のオーディションに受かったのがきっかけだったのですよね?
はい、7歳のときに初舞台を踏みました。その前に子ども服のモデルなどはやったことがありましたけど、ちゃんとお芝居をしたのは『美女と野獣』が初めてでした。
小さい頃からピアノやダンスを習って……という環境だったのですか?
いえ、ぜんぜん! 習いごとは何も。もともと、姉(海宝あかね。劇団四季『ライオンキング』などに出演)が3、4歳のときにミュージカル『アニー』に出演していたんです。僕もベビーカーに乗せられて、青山劇場の舞台裏でスタッフさんに遊んでもらったりしていて。

家でも姉と『アニー』ごっこをしたり、歌やダンスの真似ごとをして遊んでいました。

千葉の市川出身なので、家族でディズニーランドに行くことも多くて、ディズニーもすごく好きでしたね。
ご両親の方針は?
母は学生時代に劇団四季を観て以来、ミュージカルが好きだったのですが、僕に本格的にやらせる気はなかったみたいです。父はミュージカルに興味があるタイプではなかったですね。でも『ジーザス・クライスト=スーパースター』だけはずっと好きだったらしいんですけど。

たまたま、同じ事務所の男の子が『美女と野獣』のオーディションを受けることになって。きっと受からないだろうけど、楽しそうにミュージカルごっこをしてるぐらいだから、一緒に受けてみる?ぐらいの、記念受験的な気持ちだったようです。
そうして1996年から1998年まで、ティーカップ姿のチップ役で出演されました。
当時は怖いもの知らずで、稽古中は共演者の方々にちょっかいを出して親に怒られたり、わりとやんちゃで言うことをきかない子どもでした。本番が始まってからも、衣裳さんの楽屋に行って、スタッフさんに遊んでもらったり。舞台が生活の一部になっていて、学校みたいな感覚で楽しく劇場に通っていました。
『ライオンキング』のオーディションにも受かり、初代ヤング シンバ(主人公のシンバの子ども時代)のひとりとして1999年から2001年まで出演されました。
もう小学3年生でしたからね。責任感も芽生えていたし、すごく緊張もするようになっていました。芝居の稽古で浅利(慶太)さんにほめていただいたことや、海外スタッフから歌を教えてもらったときのワクワク感とか、すごく覚えています。
どんな場面で浅利さんにほめられたのですか?
お父さんのムファサがヤング シンバを助けて命を落とす場面があるんです。叔父のスカーからお前のせいだと責められるところで、その日はすごく自分の中で感情が動いて。自然と涙が出て、ぐっと役に入った瞬間があったんですよね。あの感覚は今でも覚えています。そのときに(浅利)先生が、「こういう感じでやればいいんだよ」と言ってくださったのが印象に残っています。

『ミス・サイゴン』に出会い、プロとしての自覚が芽生えた

ミュージカルのご出演としては次が2008年の『ミス・サイゴン』になるわけですが、学生時代はどのように過ごされたのですか?
ちょこちょことミュージカル以外のお芝居やモデルに挑戦させていただいたり。小学生のときはあまり学校に通えていなかったので、中学・高校はちゃんと学業と両立していた時期かな。かなり本気で大学の受験勉強もしていたんですよ。
もし『ミス・サイゴン』のオーディションに受かっていなかったら、別の可能性もあったのでしょうか……?
いやホント、そうですよね。教育学部志望だったので……先生になっていたかもしれませんね?(笑)

18歳のとき、読売新聞で『ミス・サイゴン』のオーディションを知ったんです。大学受験もするつもりだったし、自分の中でまだ定まらない状況で応募書類を出して。それでアンサンブルキャストに受かって、やっぱりこの道でいこうと思えた、転機になった作品でした。
やっぱりこの道でいこう、と。
ミュージカルが好きっていう気持ちは当たり前にずっとあったんですが、『ミス・サイゴン』で稽古なども含めて約1年お仕事させていただいたことをきっかけに、プロとしての自覚が芽生えていきました。

でもそのあとは、僕はわりと遅いほうで……あまりオーディションに受からない時期や、アンサンブルの期間も長かったです。アンサンブルの中でも、たとえば『ミス・サイゴン』にはいわゆる「プチソロ」といってソロを歌うキャストもいるんですが、僕はそれもない役でしたし。派遣に登録したり、コンビニで働いたり、バイトもしていました。
そういった時期に、どうモチベーションを維持されていたのですか?
今思えば、わりと楽観的だったのかなと思います。もちろん悔しかったですし、ソロを歌いたい、メインキャストに受かりたいという思いはありました。

けど、やめようって現実的に考えたことはないです。小さい頃からそういう生活をしているので、歌をやめる、っていう選択肢がないんでしょうね。
現在の事務所に所属するきっかけになったミュージカル『ポストマン』との出会いや、『ファントム』のシャンドン伯爵役なども経て、大きなチャンスをつかんだのが『レ・ミゼラブル』のマリウス役。26歳の頃ですね。このときは、どうしてオーディションに受かったのだと思いますか?
演出補の海外スタッフ(エイドリアン・サープル)が立ち会ったのですが、オーディションというよりはワークショップのように、その場で一緒にマリウスのお芝居を作っていくようなスタイルだったんです。大勢の審査員の前で、1曲歌って「はい、お疲れさまでした」というオーディションじゃなかった。

僕はかなり緊張しやすいタイプで、オーディションが苦手というか、圧迫感のある空気の中ではなかなか自分を出せなかったんですけど、あのときはのびのびと自分のイメージを表現することができた。その違いは大きかったと思います。
『レ・ミゼラブル』と同じ2015年から、アラジン役でディズニーミュージカルにカムバック。劇団四季が『アラジン』の公開オーディションを実施して話題になったときでした。
『レ・ミゼラブル』の新演出版を観にニューヨークへ出発しようとしていたとき、空港でネットを見ていたら『アラジン』のオーディション情報を知って。飛行機に乗る直前に、マネージャーさんに「受けたいので調べてもらえますか」とお願いして、そのまま日本を発って。ちょうどブロードウェイで『アラジン』を上演していたので、現地で観劇しました。

子どもの頃からディズニー映画の『アラジン』が大好きだったんです。とくにジーニーが好きで。『Friend Like Me』とか何回も巻き戻して観ていました。音楽も、世界観も、魔法も、ぜんぶ好きでしたね。それがミュージカルになるなんて。絶対に出演したいなと思って、日本に戻ってオーディションを受けました。

最終選考には海外スタッフ(オリジナルスタッフである演出補スコット・テイラーほか数名)が来日して、楽しいオーディションでしたね。
楽しかった?
『アラジン』の演出陣って、すごくハッピーな人たちなんですよ。オーディションでやった『One Jump Ahead』のときなんかも、ニコニコ笑いながら見てくれて。
作品によって来日するスタッフは違いますが、海外のクリエイターはそういった傾向にありますか?
そうですね、『ノートルダムの鐘』もそうですし、昨年『道』でご一緒した(デヴィッド・)ルヴォーさんもそうですし。オーディションも、審査というよりは一緒に作っていく。その場で伝えられる演出意図に、僕らがどれぐらい反応できるか。役者ひとりひとりのポテンシャルを見ようとしてくれるんです。

思うように表現できない悔しさをバネに、歌唱力を磨き上げた

『アラジン』に続いて『ライオンキング』のシンバ、『ノートルダムの鐘』のカジモドと、ディズニーミュージカルの主要キャストに選ばれました。歌声にもどんどん磨きがかかっていきましたが、どういった努力を重ねられたのでしょうか?
20代はじめ頃までは、ずっと独学でした。僕は音大出身でもないですし、専門的な教育を受けたこともなかったので、自分の中ではすごく……ストレスというか。
ストレス?
自分の思うように表現できないストレス。音域もそうですし、声色も、音色もそう。この曲ではもっとこういう表現をしたいのに、自分の技術が足りないからできない、っていう悔しさがあって。でも今のボイストレーニングの先生と出会ってから、どんどん声が変わっていきましたね。
ボイストレーニングを始めたのはいつ頃?
21歳のときです。僕が習っているのは、スティーヴィー・ワンダーやマイケル・ジャクソンの先生だったセス・リグスさんが作った「SLS(Speech Level Singing)」というメソッドで、その資格を持つ先生に習っています。

解剖学の本を読んだりほかのメソッドも勉強したうえで、自分には今のやり方が合っていると思いますね。
声が変わったことを実感したのは?
『ノートルダムの鐘』のカジモドはやはり大きな経験でした。不自然な姿勢でいなければいけないし、特殊な発声の役だったので。
特殊な発声?
普段ならセリフと歌で声の切り替えはいらないんですが、カジモドは、心を開いている相手とそうでない相手とでは、障害の重さが変わってくるんです。

強いストレスを受ける相手としゃべるときは口が回らなかったりしわがれた声になるんですが、エスメラルダに心を開くにつれて、言葉が出てくるようになる。もちろん歌の中でもそうで、心の開き具合によって声のグラデーションを調節しなきゃいけないんです。
カジモドのお稽古期間中に声が出なくなったというのは、そういうことだったのですね。
そう、喉を潰してしまって。あの経験があったから、自分の中ですごく悔しい思いもあって、いろいろ声について研究したんですよね。疲れた喉をどうリセットするか、いかに負担がかからないように歌うか、先生にも相談して。ボイストレーニングを受けていなかったらしんどかったと思います。

自分のアラジンの声を残しておきたい、とずっと思っていた

初のソロアルバムは、ディズニーソングの中でもアラン・メンケンの楽曲から海宝さんがセレクトしたそうですね。CDタイトル「I wish. I want.」の由来は?
『ノートルダムの鐘』で歌唱指導を受けたブレント=アラン・ハフマンさん(アソシエート・音楽スーパーバイザー)から、ミュージカルには“I wish song. I want song.”という概念があると伺ったんです。

たとえば『アラジン』なら『Proud of Your Boy』で母の自慢の息子になりたいと歌い、『ノートルダムの鐘』なら『Out There』で陽ざしの中へ出ていきたいと歌うように、物語のわりと早いタイミングで主人公が願いを歌う曲が多いと。

すごく素敵な言葉だなと、ずっと心に残っていたので、今回のCDタイトルに決めました。
教えていただいたことと、海宝さんのお気持ちが合致する、と?
そうですね。ディズニー作品って、『星に願いを』じゃないですけど、希望を描き続けていますよね。やっぱりそういう楽曲が素敵だなと思って。『ヘラクレス』の『Go the Distance』や『ポカホンタス』の『Colors of the Wind』などもそうですよね。

もちろん厳密に「I want song.」の概念にあてはまるかどうかではなく、自分の好きな作品や曲の中から、“願い”や“祈り”、そういったものが感じられる曲を選びました。
“祈り”?
はい。自分にとっては、このアルバムのテーマでもあると思っています。

『ノートルダムの鐘』の『Someday』なんかが、まさにそうですよね。いつか平等に暮らせる未来がくるように、いつか世界は変わると祈ろう、と。『ノートルダムの鐘』と同じ(ヴィクトル・)ユゴー原作の『レ・ミゼラブル』とも共通する部分ですが、人間として伝えていきたい、共有していかなきゃいけないテーマだと思います。

『Someday』に続くラストを『How Does a Moment Last Forever?』にすることも、早い段階で決めていました。『美女と野獣』実写映画化のときにアラン・メンケンさんが新たに書き下ろした曲なのですが、この曲にも祈りが込められているというか、最後にふさわしいんじゃないかと。改めて、音楽も、歌詞も、ホントにいいですよね。
曲順で悩んだりしましたか?
そんなに悩まず決められました。でも、『アラジン』メドレーが1曲目でいいのかは迷いましたね。とても長い曲なので。当初はボーナス・トラックの予定だったんです。それを頭にもってきました。

自分のアラジンの声を残しておきたい、とずっと思っていたんです。やはり自分にとって大切な作品なので。オーバチュアも導入にふさわしいですし、これを1曲目にしようか、と。
もとの1曲目の候補は?
『美女と野獣』の『If I Can't Love Her』でした。自分の初舞台でしたし、ディズニーがブロードウェイに進出した最初の作品。しかもこのナンバーはミュージカル版にしかない新曲だったこともあって、思い入れは強いですね。
2月15日開幕のミュージカル『イヴ・サンローラン』の役柄のイメージで、メガネ姿でも撮り下ろし。
ほかに思い出深い曲などは?
『So Close』(『魔法にかけられて』)も19歳頃からいろんなシチュエーションで歌わせていただいていて、大好きな曲です。『恋するブロードウェイ♪ vol.3』というコンサートでも歌ったことがあって、9.11のテロの話のあとに披露したんです。

自分の中では、あの『恋ブロ』で歌ったときの感覚が強く残っているんですよね。テロの影響からブロードウェイで公演ができない状態が長く続いて、観光客も激減して、みんなが大切にしていたものが失われてしまった。

そのときには、原詞のイメージとはちょっと違うかもしれませんが、そういう、家族だったり、愛する人だったり、失われたり離れてしまった大事な存在を思って歌いました。この曲には、そういう切実な思いが込められていると感じます。
レコーディングの思い出は?
12曲中9曲はオーケストラ編成なんですが、オーケストラの収録は金沢で行いました(2017年に共演した「オーケストラ・アンサンブル金沢」とのタッグ)。タイトなスケジュールの中、9曲を1日で収録してくださって。僕も『ジャージー・ボーイズ』名古屋公演の前に金沢へ行き、僕が別室で仮歌をリアルタイムで歌って、その歌に合わせて音楽監督の森 亮平が指揮を振って。

『Go the Distance』には、僕がボーカルを務める「CYANOTYPE(シアノタイプ)」というバンドの小山将平(ギター)と西間木 陽(ベース)も参加してくれているんですが、森が原曲に忠実な譜面をおこしてくれたところへ、彼らもディズニーが好きだからアレンジを加えたりしていて、ぜひ聴いてほしいですね。ヘビーなギターの音が入ったりしています(笑)。
昨年のBunkamuraオーチャードホールでのソロコンサートで、海外のクリエイターから直接指導を受けた経験を大事にしていきたいとおっしゃっていたのが印象的でした。たとえばどんなことでしょうか?
作品ごとに違いますけど……たとえばビブラートをかけるタイミングも、ブロードウェイでは慣例みたいなものがあって。オーケストラが動いているあいだはロングトーンでストレートに伸ばしていって、オーケストラが最後伸ばすようになったらビブラートをかけ始める。そういった細かいテクニックもそうですし。

『アラジン』の稽古では、「breezy」という言葉がよく使われていました。停滞することなく、そよ風のように前へ前へと進めていってほしい、と。コメディ要素も強い作品なので、狙って落としにいってテンポが悪くなったり、お客さまに先を読ませてしまったら面白くないから、とにかく「breezy,breezy」って。これはどの作品にも共通することだな、「breezy」っていい言葉だなと思いますね。
なるほど。
カジモドの『Out There』を歌うときには、もちろんヒーローソングでもあるんですが、気持ちよく歌い上げるのではなく、彼は命をかけて外に出るわけだから、その苦悩を、内面を繊細に表現してほしいと。眩しすぎる希望に向かって手を伸ばし切れない、そういうキャラクターのバックボーンをちゃんと背負って歌ってほしいって。

もちろんディズニー作品に限らず、ミュージカルは芝居であり演劇であるということは、いつも大事にしています。
もし海宝さん自身の役者人生に「I want song.」があるとしたら、どんな願いを……?
難しい質問ですね(笑)。うーん、今は海外に挑戦したい気持ちが強いです。

昨年ロンドンのウエストエンドで、ミュージカルではないですが役者として舞台に立たせてもらって、「世界は地続きなんだな」と感じることができました。その経験を次につなげるためにも、もっともっと自分をブラッシュアップしていかなきゃなぁって思います。

いかにクセを削ぎ落として、シンプルに伝わる声でいられるか

改めて、海宝さんにとって「歌」はどんな存在ですか?
そうですね……とにかく小さい頃からずーっと歌ってて。今年の正月に実家に帰ったとき、家族で食事をした帰りに、無意識に歌ってたら、父に「お前はホントに……恥ずかしい」って言われたんですよ(笑)。まぁ、それぐらい、いつも気付いたら歌ってるから。

ミュージカルに限らず、歌は自分の中に自然と溶け込んでいるものなので……言葉にするのは難しいですけど、歌は自分そのものかな、と思いますね。

ただ、それだけではダメだなと思うので。さっきストレスの話をしましたけど、今も、「もっとこういう表現をしたいのに、できない」っていうことが毎回毎回あるんです。技術的な部分をもっともっと積み重ねないとダメだなと、いつも思いますね。まだまだです。
今、役者として大事にしていることは?
ニュートラルでいないとな、っていうのが大きいです。もちろん個性って大事ですけど、あとから自然とついてくると思うので、どの役にもニュートラルに臨める役者でいたいです。

とくにミュージカルやお芝居、コンサートで歌うときに、年を経るごとに、ついクセとか余計な情報が増えてきてしまう。それをいかに削ぎ落として、シンプルに言葉を伝えられる声や表現でいられるか。すごく難しいんですけど、自分の中では大きなテーマですね。
海宝直人(かいほう・なおと)
1988年7月4日生まれ。千葉県市川市出身。A型。主な舞台出演作に、劇団四季『美女と野獣』(チップ)、劇団四季『ライオンキング』(ヤング シンバ)、ミュージカル『レ・ミゼラブル』(マリウス)、劇団四季『アラジン』(アラジン)、劇団四季『ライオンキング』(シンバ)、ミュージカル『ジャージー・ボーイズ』(ボブ・ゴーディオ)、劇団四季『ノートルダムの鐘』(カジモド)、THE HIT OPERA SHOW『TRIOPERAS』、音楽劇『道』(イル・マット)、ほか。ロックバンド「CYANOTYPE(シアノタイプ)」のボーカルとしても活動中。2月13日まで『海宝直人展「ミュージカルの一番星」』を開催。2019年4月〜9月、ミュージカル『レ・ミゼラブル』にマリウス役で出演予定。12月5日〜30日、ミュージカル『ロカビリー☆ジャック』に出演予定。

「ミュージカルの世界」特集一覧

CD情報

海宝直人 ソロ・メジャー・デビュー・アルバム
『I wish. I want.』〜NAOTO KAIHO sings Disney
2019年1月30日(水)リリース
https://www.universal-music.co.jp/kaiho-naoto/


左から初回生産限定デラックス盤、通常盤

出演作品

ミュージカル『イヴ・サンローラン』
[東京公演]2019年2月15日(金)〜3月3日(日)よみうり大手町ホール
[兵庫公演]2019年3月26日(火)11:30(東山義久出演)/17:00(海宝直人出演)
兵庫県立芸術文化センター 阪急 中ホール
https://www.yume-monsho.com/

サイン入りポラプレゼント

今回インタビューをさせていただいた、海宝直人さんのサイン入りポラを抽選で3名様にプレゼント。ご希望の方は、下記の項目をご確認いただいたうえ、奮ってご応募ください。

応募方法
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受付期間
2019年1月31日(木)18:00〜2月6日(水)18:00
当選者確定フロー
  • 当選者発表日/2月7日(木)
  • 当選者発表方法/応募受付終了後、厳正なる抽選を行い、個人情報の安全な受け渡しのため、運営スタッフから個別にご連絡をさせていただく形で発表とさせていただきます。
  • 当選者発表後の流れ/当選者様にはライブドアニュース運営スタッフから2月7日(木)中に、ダイレクトメッセージでご連絡させていただき2月10日(日)までに当選者様からのお返事が確認できない場合は、当選の権利を無効とさせていただきます。
キャンペーン規約
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