ダンスライフとビジネスの共存。ダンスシーンを分析したTAKUYAが気付いたこと

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バックダンサー、振付師、インストラクター、プレーヤー…。
ひとくちに「ダンサー」といってもさまざまなタイプがいる。中には起業し、経営者となるダンサーも。ストリート育ちの経営者とは一体どういう人なのだろうか。

「ダンサーが生きる道〜CEO編〜」第2回は、TAKUYA。ダンスチームSYMBOL-ISMとして国内のハウスダンスシーンに新たな一石を投じ続けながら、レンタルスタジオ・studio worcleを始め、さまざまな事業の経営者としての顔も持ち合わせている。
オタクともいえる職人気質なプレーヤーの性(さが)と、社会をフラットに見つめる視点。その両方を飼い慣らす類いまれな彼の言葉には、さまざまな立場における「ダンスと自分の在り方」へのヒントが詰まっていた。

■「ダンスが好きだから…」ダンスを100%仕事にはしない理由

――起業されたのはいつ頃ですか?
14年前に会社を立ち上げて、今15期ですね。studio worcleの運営、大小問わずパーティーをオーガナイズしたり、アパレルショップ・CONTE-NUを運営したり、ゆっくりとしたペースではありますがレコードレーベル・yygrecもやっています。
――studio worcleは、代々木、新宿御苑、渋谷、高田馬場、原宿、池袋と来て、次は新宿にオープンするそうですね。前々から思っていたんですけど、絶妙なところを突いてきますよね。大都会の中にある隠れ家っぽいスポットを確実に見つけてくる、物件探しのプロじゃないですか。
(笑)。でも、スタジオを始めて14年やっているわりには、店舗数はそんなに多くないんです。すごくたくさんスタジオを持っているように思われているけど、何年かに1カ所。つまり、それだけ時間をかけて探しているとも言えます。
――なるほど。
自分がしっくりくる所でしかやりたくないんです。ダンスと空気感の兼ね合い、互換性というのはすごく重要だと思っていて、そういう場所を探しています。
――1店舗目は代々木でしたが、その理由は?
いろいろ探して、代々木がしっくり来たんです。「無理のない都心」っていう裏コンセプトがあります(笑)。賃料や知名度の面でも。あとは、最先端の渋谷や原宿の隣に位置しているところが自分たちのシーンでの立ち位置ともぴったりで(笑)。“代々木で踊ってる人”っていうコミュニティーもなかったから、たぶん「代々木系ダンサー」みたいな言葉も生まれたんでしょうね。偶然だったけど、そういう意味でも面白いですよね。
――当時、TAKUYAさんはまだ20代半ばくらいで、起業するダンサーとしては早い方だったと思います。構想はずっとあたためていたんですか?
自分は九州で育って、ただダンスが好きだったから「ダンスをしに東京へ行こう」っていきおいで上京したんだけど、なぜかダンスで食べていきたいとは思ってなかったんです。ただただダンスが好きだから、自分がカッコイイと思うことだけをわがままにやりたいっていうのがあって。だから最初は、踊りながら、バイトをしたり、某外資系企業で正社員として働いていたりしたこともありました。
――へぇ! 知らなかったです。
ただ、正社員の仕事が忙しくなってきて、海外勤務の話が出てきたこともあって、若いうちに一度ダンスの世界をのぞいてみようかと(笑)。
――“のぞく”感覚なんですね(笑)。
九州にいた頃は、コンテストなどにも出ていたんだけど、上京してからはさらにアンダーグラウンドというか、クラブにいることが多かったんですよ。だから、意外とダンサーとして生きる世界を知らなかった。
――それで会社を辞めたんですね。
24歳で思い切って辞めて、レッスンをやってみたり、いろいろなイベントに出てみたり、コンテストに出たり、バックダンサーをやったり…約一年でいろいろやりましたね。でも、自分が思っているダンスとはやはり少し違う気がして、しっくりきませんでした。それが2000年初頭で、ちょうど東京に商業的なダンススタジオなどが増えてきた時代。当時のスタジオは、ストリートダンサー以外の資本で運営していることが多くて、自分がそこでレッスンをしていても何かしっくりこない。ストリートダンスの大事な部分が反映されていないんです。このままではダンサーってあまり良い職業にはならなそうだな、と予想できちゃったんですよね。良くも悪くも一般的なところにダンスが広まっていった時期でした。
――その分、ちょっと濃度が薄まらないといけない、と。
そう。だから、ダンスのインストラクターは近い将来、ある程度なら誰でもできるようになるな、と思いました。まぁ、インストラクターにしても、イベントに出るにしても、このままその中で活動していったら自分がダメになりそうだな、と。
――そこで起業することになるんですね。
「自分のコミュニティーをつくって、自分ならではの仕事をしないと俺はもう生きていけないぞ」と思い、起業することにしました。ダンスを通じて何か役に立てることを探そう、と。そうしたら、初心者が行けるスタジオ、つまり習うスタジオは山ほどあるけど、ダンスが上手になってきたダンサーやダンスを自由に続けたい人たちが行く場所が意外にもない気がして、自分もそういう場所が欲しいし、同じように思っている人がいるんじゃないかな、と思ったんです。それでstudio worcleを作りました。

studio worcle

――経営者という、今までとまた違う形でダンスと関わっていると思いますが、苦労はありますか?
特に苦労はないですね。ダンサーってユルいイメージがあると思うんですけど、自分が社会人を経験して、きっちりやるスイッチのようなモノがあって、そこで切り替えることに苦労やストレスはなく、むしろ好きな方です。
――それは、「ダンサー・TAKUYA」ではないですね。
はい。自分で「仕事はとにかくちゃんとしよう!」ってシンプルに思っていました。起業前に、インディペンデントなレコードとテレビゲーム機を売っている6畳くらいの広さのお店や、マニアックな家具や雑貨を売っている店とかを経営している友人たちがいたことがすごくラッキーでしたね。一見ふざけているような商品もあるのに、お客さんに対してはしっかり対応する。そうやって健全に経営をしていて「締めるとこは締める大人ってカッコイイな」ってすごく影響されました。
――全部がユルいコミュニティービジネスになっちゃうと成り立たなくなりますよね。
だから、「対外的」って面白い。「ビジネスって何だろう?」って考えたときに、ビジネスからダンスへのヒントも見えてくるんです。遊びから出てくるフィードバックもあるし、社会性や倫理観とか真面目な側面から、ステージに還元する要素が出てくる。この両方が自分にとってすごく良いバランスなんです。
――お互いが刺激し合っているんですね。ただ、そのふたつを飼い慣らすことは容易ではないですよね? 例えば、僕自身もダンサーとしてステージ上でわがままになりきれず「求められているモノ」に寄せ過ぎてしまい、悩んだことがあります…。
それは、ある意味才能だから良いと思う! 俺も「そう言っておきながら、結局サービスしてるじゃん」ってよく言われますよ。でも、それが「即興」。人の目が介入して、自分に変化が起こることは即興だと思います。俺もそんなタイプ。イキりたいのに、イキりきれない(笑)。でも、目の前の空気に影響されて作品の出来が変わることは良いと思います。
――エモーショナルな部分とロジカルな部分を天秤にかけているんですね。
昔は、ロックな精神とか「振り切ってるモノ」がカッコイイと思っていて、意味もなく憧れていたんです(笑)。もちろん今でもカッコイイと思うけど、そこに比重を全て持っていくって意外と簡単で、数グラム単位でバランスを取る方が難しいと思い始めて。だから、白黒ハッキリさせることがあんまり好きじゃないんです。ほとんどがグレー。ダンスのスタイルもビジネスも真面目さも不真面目さも…全て良いあんばいで絶妙なバランスを取りたいです。
――TAKUYAさんはそこのあんばいが抜群に良くて感動します。
例えば、ビジネスで言うとダンサーは「自分のダンスそのものをお金に替えていこう」という発想が最初に浮かぶと思うんだけど、自分はそこで「何を足して何を引くか」みたいな感じで自分の理想のバランスを保とうとはしていますね。自分は、ダンスのことをもっともっと掘り下げたいし、試したいし、未来を作りたい。だから、ダンスそのものだけを大きなお金に替えることは向いていない。というか、まだ先々に取っておきたい、まだ認められなくてもいいと思っています。「じゃあ、いつなんだ」って話だけど(笑)。

昔も大きなコンテストで優勝した翌日にもかかわらず淡々と会社の仕事をしていたし、いろいろな場所から呼ばれることが増えてうれしかったけど、それが仕事として定着はしないな、と思っていましたね。冷めた暗い人です(笑)。それよりも、認知度があがったことを利用してやれることはもっと他にあるんじゃないか、と考えていました。で、自分が追求し続けたいダンスライフとビジネスを共存させていきたい、と。

■日本のダンスの歴史を知ることは、「創る楽しみ」を知るヒントのひとつ

――ダンスのニュースサイト「Dews」内で、日本のダンス界を築いてきた方々にTAKUYAさんが話を聞くDewspeakというコーナーがありますが、当時をリアルタイムで体験していない僕たちのような世代にとって、すごく勉強になっています。どういった狙いがあって、始まったのでしょうか?
ダンスがどんどん普及するのは良いことだし、その反面、広まるほど薄まってしまうのは仕方がないんですけど、同時に目利き力がある人も増やしたいんですよね。

今の時代、世界の情報がいろいろ入ってくることで年々更新されていくモノがあることは面白いし、YouTubeなどのSNSによって、ここ10年で日本人が世界に目を向け始めたのも良いこと。だけど、逆に日本人の歴史にあまり目を向けなくなったとも少し思うんです。

だから、日本のダンスの歴史をつくった人たちの話を紹介して、「じゃあ、俺はこう生きていこう」「こうやってもいいんだ!」とか何かしらのヒントにしてもらえたらいいな、と。逆に、「もっと世界を見なきゃ!」「日本の先輩のやり方は嫌だ!」でも良い。あくまでヒントのひとつ。もうネタというか、基礎となる情報はいろいろと出尽くしたから、「創る楽しみ」を知らないとダンスを続けられなくなる時代になっている気がしますね。
――知った上でどうするかって考えることは大事ですね。
俺らより上の世代にもすごく細かいイノベーションを起こしてきた日本人ダンサーはいるんですよ。そういう人たちを見て感じたことがあったから、何というか…今、自分自身がある意味で国産のオリジナルな踊り方になっているっていうことも伝えたい。
――先輩とは違うことをやっているけど、影響が全くないわけじゃない、ということですね。
むしろ、俺はめちゃくちゃ“ある”。もしかしたら、先輩からすれば「何やってんの?」って思われる踊り方かもしれないけど(笑)。これが自分なりの継承。だから、きっと自分みたいにいろいろな発想の元や考え方とかをもっともっと知っていけば、また違う進化を遂げる人もたくさん出てくるんじゃないかなって。歴史を知るっていうことはダンスを続ける、楽しむ、進化するひとつのコツな気がしています。
――なるほど。
日本のダンスのクリエーティブは、世界よりも面白いと思う部分がいっぱいあると思うし、自分ももっと知りたいから、いろいろ紹介したいですね。あとはビジネスの話もああいう場でもっとしたいですね。

たぶんですけど、今自分たちがいる、いわゆるストリートダンサーのシーンよりも振付師とかインストラクターに特化しているダンサーの方が平均的には稼いでると思うので、例えば、それがどういうことなのかひもときたい、とか。
――ビジネスとしての“ダンス”ですね。
分かっている人からすれば「なぜストリートダンサーは知名度のわりにお金にならないのか」という答えをたぶん知っていると思うんだけど、ストリートダンサーの大半は分かっていない気がします。知名度やリスペクトはストリートダンサーの方があるのかもしれないのに「なぜなんだー!!」って(笑)。いや、笑えないね。
――冷静に解明していく必要はありますよね。
分かってる人は普通に分かってると思う。もちろん正解はないけど…。ただ、結局「仕事とは何だ」ってことが収入に直結するという話でしかないですけど、そんな話をすることも大事なことだ、と。自分は、いろいろな意味で「早く知っておきたかったー!」みたいな話が多いですから(笑)。
――ダンスの現場では、言葉のパワーがあまり大事にされていないと感じることがあります。どちらかというとプレーヤーは言語化することを嫌う傾向にありますよね。
プレーヤーというか「アーティスト」って呼ばれる人は本来そうあるべきだと思う。言葉がいらないのがダンスとも言えるし。ただ、例えば、絵画は画家が亡くなった後に評価が上がることってよくある話ですよね。そういうことがあるのがアートだと思う。つまり、分かりづらい価値はたくさん隠れているということ。

それに対してスポーツは、シュートが入れば1点っていう結果主義。ダンスのバトルは結果主義に向かってると思うけど、本来のダンス自体の価値はそこのみで決められることじゃないと思います。多くの人に分かってもらっていないモノでも、少数派の人が強くその人のことを応援していれば、すごく高値が付くことがあるじゃないですか。ダンスはそれにちょっと近い世界があると思ってるから、Dewspeakのように言葉でひもといて、価値の可能性を探ることは重要なんじゃないかなって。
――実際に、ダンスの知識もあるプレーヤー自身が言葉で解説することで、ダンサーにはもちろん、一般の方にもプラスになることがあると思います。
そう。だけど、今はそこを言語化する役割を担う人が少ないのかな? だから、極端に勝ち負けの結果や人気がバロメーターにされがち。地方のイベントなどですごく良いダンサーを見かけて調べてみたらSNSのフォロワーが極端に少ないことがたまにあって。「うわっ! 彼、全く気付かれていない(笑)」とか。それが逆に面白いけど(笑)。

例えば、DJが1時間1プレイセットの場合、いろいろな曲の配分や選曲、タイミングを考えてストーリーを仕上げていきますよね。その流れや新旧の絶妙な配分、シチュエーション、この曲だからロングミックスとか、そういう部分が評価されるし、面白がられますよね。そこに芸術性も見いだされる。

ダンスのショーも本来は同じようなもので、スキルとかだけじゃなく、そういうところも評価されるべきだと思います。「その曲で、そのファッションで、そのスタイルで、その構成で!」っていうすごさがあるじゃないですか。要は、“組み合わせの妙”、センス。そういう部分の評価とかが本当に希薄化してきたな、と思います。
――TAKUYAさんの話をいつか書籍化してもらいたいです(笑)。
(笑)。いろいろな分野で批評家たちは批判もされるけど、個人的には言語化する人が増えたら面白くなるのになって思いますね。
――それこそ、そういう人が増えていけばきっと意見が混ざっていきますよね。
そう! アートの世界だと、批評したり、答えが出ないからたまに対立みたいなことに発展したりすることもあるけど、それも含めて面白い。
――音楽もアートも絶対に言葉が入って、議論が起きて、さらに発展するという流れがあると思います。
議論はいらないという意見も分かるけど、それは成熟した上でのぜいたくな意見ですよね。成熟する前段階であれば、ある程度のルールを多くの人が知るために必要だと思います。そういう意味でダンスは若い文化でとどまっちゃっている部分もあるから、まだあんまり成熟してないのかな。今は特にスポーツ化が進んでいるから、短絡的に感じるのかな。スポーツ化はフィットする人にはとても良いコンテンツだと思うので進んでいってほしいけど、その反対のセンシティブなカルチャーシーンも成熟していけたらな、と思います。

■ビジネスのヒントはダンスライフから。生活におけるHIPHOP感度が生んだDIY精神

――TAKUYAさんのダンスチームSYMBOL-ISMといえば、映像を使う先駆けでしたよね。今、面白いダンスの映像が出尽くしちゃっているように思いますが、この先、ダンスシーンはどうなっていくんでしょう。
今は世代が変わって、俺が映像を使っていたこととか知らないですよ(笑)。ダンスシーンについては、相変わらずダンスをやめていく人も多いと思います。だから、やめない人、続けていく人を増やせたらいいですね。studio worcleが元々そういう思いでつくった場所ですし。そういう人たちを成熟させていかないと、どんどん人が入れ替わっていくだけでシーンは成熟しないし、面白いこともできなくなっちゃうと思います。目利き力が高い大人のダンサーを増やしたいです。
――TAKUYAさんは、そこに少ししかない、ただ見ただけでは分からないところからHIP-HOPな部分を抽出してきますよね。そういう方法は、映画や本などからインスパイアされているんですか?
絵とかが多いかな。あ、あとは昔のコントとかが好きです。最近、スネークマンショーやラジカル・ガジベリビンバ・システムとか、シティボーイズの人たちとかがやってたお笑いのコント作品を見直して、リアルタイムで見たことはなかったけど、手法が「HIP-HOPだなぁ」って(笑)。
――HIP-HOP感度が高い! そういう芸術系などをちょっと抜いた生活面で「これはHIP-HOPだな!」と思うモノはありますか?
まぁ、言ってしまえば何でも。例えば、お店をひとつ作るのなんて完全にダンスのショーを作ることと同じだし。HIP-HOPは、その環境の中で自分たちらしくDIY精神で何かを創りあげていくことだと思っています。

だから、あまりカルチャーを理解していないダンススタジオのインストラクターをやるよりも起業した方が“ダンス”“HIP-HOP”だって思っていた部分もあります。起業というと堅苦しく聞こえるけど、とにかく自分なりのHIP-HOPライフを完成させたかったんです。昔やっていたBottle Cafeっていうカフェも、shirokumaっていうバーもANCEも全て自分の中にある理想のHIP-HOPライフから始めたこと。そういうことをやってる方がダンスも養われるんじゃないかと思ってました。毎日行く場所は本当に重要だと思っているので。環境こそが人をつくると思っています。

CONTE-NU

――CONTE-NUはどういう空間のイメージがあるんですか?
みんなが分かっていることだと思うけど、ダンスはダンスの動きだけじゃなくて、音楽やファッションも関係があると思うんです。自分のビジネスはダンスライフの中からヒントを得ているんだけど、ダンスって、本来はダンス以外の要素がたくさん詰まっているモノ。そういう中で養ったモノのひとつとして、自分のファッションとしての側面をお店という形にしたいというところから始まりました。でも、お店としてはダンサー向けに提示するというコンセプトというわけではないんです。お客さんの8割ぐらいはダンサーじゃない方が来てくれています。自分ではHIP-HOPを感じているセレクトだと思っているけど、そうとらえてもらいたいわけでもなく。
――あくまでも、裏テーマなんですね。
ストリート向け、ダンス向けにチョイスしてたわけじゃないんです。そういった「ストリートtoストリート」なブランドもほぼ置いていないです。実際、元々HIP-HOPってそうなんですよね。例えば、PUMAのスニーカーは元々はBBOY用に作られた物ではないし、ターンテーブルも別にスクラッチしてほしくて作られた物じゃない。そういう部分も影響されていますね。
――価値がそもそも付いてなかったモノに新しい価値を付けるということですね!
そう! 自分のチョイス次第で、今まではそう見られていなかったモノが違う角度から見られ始めると面白いですよね。「TAKUYAはこれにストリートを感じたんだ。確かにカッコ良く見えてきた」みたいな(笑)。もちろん、何も知らずに「ここカッコイイじゃん!」って買ってくれる人もうれしいですね。
――全然知らなくて、関係なくそこに引っ掛かるって面白いですよね。
自分の刺激にもなるだろうからやりたいと思って立ち上げたんです。自分が率先して楽しんでやっていますね。

■ダンスがただ“うまい”だけではダメ。大事なのは“人の役に立つこと”

――代々木にあったANCEやshirokuma、今年8月末にはstudio worcleもクローズして、代々木からそういう場所がなくなりますよね。今後、代々木に変化はありますか?
あくまで代々木は自分の中できっかけとなった場所でしかなくて、場所が重要だったわけではない。そこにいた人ややっていた内容が重要なんです。だから、代々木で遊んでた人たちは仲間だと思っているし、そういう人たちとはまた新たに着々と何かをつくっていきます。代々木に集まる場所がなくなることを寂しがる人もいて、それはもちろんうれしいし、申し訳ないのですが、自分としてはさらに前進するための決断だったので、これからの動きも楽しみにしていてほしいです。
――場所に執着しているわけではなかったんですね。今後、起業する若い世代のダンサーが増えると思うんですけど、何かアドバイスはありますか?
自分が偉そうに言えることはあまりないのですが…。まぁ、強いて言うなら「何を商材にするか」ってことはとても大事。例えば、ダンススクールを立ち上げるなら、「自分が思うレッスンって何?」とか。これだけスクールが増えてくると、ただ教えるだけでは都内で簡単にうまくいくと思えない。だから、しっかりとしたブランディングができてる人たちがうまくいき始めてる気がします。それは、集まって起業しなくてもひとりの、いちダンサーとして生きていくにしても同じで、自分をビジネスの商材にしてロジカルに落とし込む作業をできる人が生き残っていくのではないでしょうか。

やり方は何でも良いと思うんです。自分のダンスのショーを売るのか、レッスンを売るのか…まずは商材を選ぶところからですね。
――何を目的にダンスをやるかハッキリさせる、と。
そう。何でうまくいくかは分からないので具体的な答えはないけど。例えば、ダンスのショーを商材にするなら「めちゃくちゃ感動させる」「めちゃくちゃ笑わせる」とか、何か強い方向性がいるのかな、と。ただ「うまい」とかだけだと、そろそろビジネスとしては成立しづらくなっていく気がします。

自分は、何度も言うように比重としては“自分追求寄り”だから、そういう意味では優れたプロダンサーではないかも(笑)。まぁ、好きなようにやって、それが人からも求められて富を得るみたいなことが一番良いですが(笑)。それは死ぬまでの目標で。

ビジネスについて散々語ってきましたが、好きなダンスをひたすら追求して一生貧乏でいることも覚悟して生きていく、ある種のダメ人間(?)なダンサーもカッコイイです! 大好きです! しかし、一生貧乏かもしれないのに、それを愚痴っちゃいけないのはかなり高度です!(笑)。
――最後に、経営者、ダンサーとしての展望はありますか?
たまたまの出会いやきっかけで変わっていくことでもあるので、会社としての展望はあまり先までは決めないようにしていますが、社員が将来家族を持ってずっと一緒に働いてくれるとしたら、その子たちも幸せにしたい。そういった意味では、会社を大きくするに越したことはないし、大きくなることはそれだけいろいろなダンサーやたくさんのお客様の役に立っていることになるんだと自分では解釈しているので前進していきたいです。

ダンサーとしては、自分の“好き”をさらに突き詰めたいから会社の展望とは真逆(笑)。最近、ダンスがますます楽しくなってます。ダンスに限らず、好きなことをどんどん自分で実現できることが自分の憧れてた「大人」で、それに近付いているかな、と感じています。ダンスはやっぱり面白いですよ。

TAKUYA/平塚拓也
ダンスチーム・SYMBOL-ISMのメンバーであり、有限会社ワークルの代表取締役。HOUSEの一要素であるジャッキンを日本のシーンに持ち込み、再解釈した彼ら独自のスタイルは日本のHOUSEダンスのスタイルや音楽性の幅を広げる要因のひとつとなり、彼の拠点である東京・代々木にちなみ“代々木系”と呼ばれる現象を起こした。また、これまでになかったダンスやカルチャーをビジネスに落とし込むことで、ダンサーのライフスタイルを変革させ続け、日本のダンスシーンに大きな影響力を与えるダンサーのひとりだ。


インタビュー・文=Yacheemi
写真=TMFM
企画・編集=渡部真咲