子どもから学び、子どもへ還元する。BBOY KATSU1が絶対に曲げない信念

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バックダンサー、振付師、インストラクター、プレーヤー…。
ひとくちに「ダンサー」といってもさまざまなタイプがいる。中には起業し、経営者となるダンサーも。ストリート育ちの経営者とは一体どういう人なのだろうか。

「ダンサーが生きる道〜CEO編〜」第3回は、BBOY KATSU1。現役のプレーヤーとして国内外で活躍しつつ、株式会社IAM(アイアム)を設立。最近ではユースオリンピックの競技となったブレイクダンスの予選大会開催にも関わるなど、ブレイクダンスシーンにおいて欠かせない存在だ。自分の目で見て確かめたこと全てを話したいというKATSU1は、話し出すと誰も止められない。混じりっ気のないHIP-HOP魂で突き進むKATSU1の信念にやられっぱなしだった。

■“ノリ”で起業…KATSU1の心を動かした子どもたちとの出会い

――起業されてどれくらいですか?
5年ですね。ストリートエンターテイメント事業ってカッコ良く言っているだけで、基本的にはやりたいと思ったことを全部やっています。
――ストリートエンターテイメント…まさにKATSU1さんがやられていることが総合されていますよね。
BBOYを軸に他のストリートの人たちとも何かを起こすということを基盤にやっています。
――もともと起業するという構想はあったんですか?
ノリです(笑)。だから、起業した時はもう大変! もうけたいという思いで始めたんですけど、いきなり税金がどんっと来て…。今もですが、最初の1年は特に勉強の日々でした。
――起業するきっかけはあったんですか?
個人でやっていた時は、給料が良い時もあれば悪い時がある代わりに、自分で好きに時間を使えていたんです。でも、会社もやってないし、システムもないし、断る仕事も多かったんですよ。それがずっと頭にあって、漠然と「いつかみんなで会社をやりたい」と20代の頃から思っていました。
――考えてはいたんですね。
なんとなく。で、30歳くらいの時にベトナムへ行ったことがきっかけで見切り発車しちゃいました。
――ベトナムで何があったんですか?
ストリートチルドレンとの出会いですね。夜中の1、2時くらいになったら8歳くらいの子どもたちがたくさん来て「ガム、アメを買ってくれ」って寄ってくるんですよ。「働いてんの?」って驚きました。全部買っても200円くらいだし、買ってあげようとしたら、現地のBBOYたちに止められたんです。なんでも、その売り上げはボスの元へ行って、ストリートで働かされる子どもがもっと増えるって言うんですよ。それが分かっててなぜ何もしないんだろうって疑問に思いました。その時にベトナムの事情を聞いてすごく衝撃を受けて、どうやったらこの子たちを助けられるかなって考えましたね。でも、いざやろうと決めてもお金が…。
――お金がないと始まらない、と。
そう。自分の給料だけで継続的にボランティアを続けることは絶対に無理だから、お金をもうけるなら起業だと思って。
――起業したのは、ベトナムの子どもを救うためだったんですね。
「救う」というか、まずは周りの後輩や同世代、先輩、自分も含めて、やっぱり食べていくことに関して、今は良くてもこれからどうするのかという不安を解消できるようなことをしたいと思っていたんです。
――Red bullのインタビューで、ハノイでのエピソードを読みました。Big Toe Crewが、フランスで開催されるBattle of the Year Final(以下、BOTY)へ行くはずだったのにビザが取れないでいたら、KATSU1さんが掛け合ったことでBOTYへ行けたというのは、まさにKATSU1さんの活動につながるな、と感じました。
あれは本当にすごかったですよ。一部のベトナムのBBOYは、そこそこの生活をしているようなイメージがあるけど、兄貴が人殺しで刑務所から明日出所すると言っている子もいましたね。それと、子どもは学校へ行かずに家でTVゲームをしている方が不良に走らないから良いことだって思っている人もまだまだいます。BOTYへ出場するのが十数年の夢だと言っていて、ビザが取れてないから行けるかもわからないのに毎日、朝から晩まで練習している彼らの行動には相当くらいました。自分も含めて「日本人、甘ッッ!」って。
――環境の違いがすごいですよね。KATSU1さんがいなかったら、彼らは行けなかった可能性もあるわけじゃないですか。
ちょっとはあるかな、とは思います。助けるというよりは、俺とつながっている人だし、俺が持っている物を自分だけの物にしようと思っているわけではないから、それを欲している人がいたらシェアする。そんなことをいつもスタンダードにしています。
――そう思っていてもなかなか行動には移せない人の方が多いと思います。
でもさ、考えてみてよ。例えば、お金をめっちゃ持っていたら、お金を持っていない仲間たちにあげて、みんなでハワイへ旅行した方が楽しいって思わない? それがスタンダード。そういうつながりがあるなら別に減るものでもないと思っています。
――行動の真っ直ぐさがすごいです。KATSU1さんは、海外に住んでいたこともあって、活動する上でのキーワードのひとつに“海外”があると思います。環境は同じでも国によってカルチャーは違うじゃないですか。そういうカルチャーを理解するために大事にしていることはありますか?
宗教とかもそうですけど、絶対に否定しないことですね。まずはリスペクトする。最初の頃は慣れなくて「ふざけんな!」って思うこともありましたよ(笑)。
――衝撃的なくらい違う部分もありますよね。
例えば、ある民族が大事にしているお客様をもてなす食べ物が、俺らからしたらゲテモノの場合もあるじゃないですか。
――彼らからしたらごちそうで、それだけ歓迎しているっていうことですよね。
そう! だからちょっとでも食べてみる。否定から入るとぶつかっちゃいますからね。例えば、一般的な目線からしても失礼だと思うことが普通に受け入れられている部分が社会に元々ある国の場合、そこを否定しないで「こういう文化があるから成り立っているんだ」って受け入れるようにするとイライラしないですね。

あとは、その土地の特徴を知る。特定の仕草も国によっては失礼にあたることもあるので、そういうことは前もって教えてもらうようにしています。

■スポーツ化することでぶつかるカルチャーの壁

――ユースオリンピックの競技にブレイクダンスが選ばれ、先日予選が開催されましたが、終えられた感想は?
いやぁ、正直本当に大変でした。
――大切にしなければいけない、譲れないカルチャーの部分と、広めるために理解が必要な部分のバランスを取るのが大変そうですね。準備期間はどれくらいだったんですか?
だいたい1年半。ユースオリンピックの最終予選をやることが決定してからは1年もなかったかもしれないですね。
――そこから委員会が発足されて?
これがきっかけで、その前から公益社団法人日本ダンススポーツ連盟(JDSF)の中にブレイクダンス部を作るという話になったんです。方針やメンバーなどを決めていくところからのスタートでした。
――実際に動き出すまでが大変だったんですね。
かなり大変でしたね。でも、予選当日は思っていたよりも大変じゃなかったです。準備は結構できていたかも。ただ、当日までの1週間は死ぬかと思いました。
――何はともあれ、無事成功だったんですね。ルールが細かく分かれていたようですが、今後、変わる可能性はありますか?
100%変わると思っています! どの競技でも言えることだけど、やるにつれてルールは変わるものだから変わっていくと思います。

ルール全てを俺らが作ったわけではないんですけど、作った人たちに話を聞くと僕らカルチャーの人間は、まぁ納得できるんですよ。でも一般の人が100%納得するかといったら、納得できない部分があるかな、と。お互いの意見を聞きながら間を取ったのが今回のルールだったと思います。だから、これからは「なぜ○○なのか」という疑問に対して解説した教科書がないとダメですね。
――例えば?
相手の動きをパクる「Bite(バイト)」というのは減点対象になるのですが、僕らのシーンでは時に「そういうBiteはOK」ってなることもあるじゃないですか。実際のところ、俺らでさえうまく説明はできないんですけどね(笑)。

――その場の雰囲気や前後の流れがありますもんね。
だから、フィギュアスケートの15年前のルールみたいだとフィギュアスケートの選手に言われましたね。俺らは基準を作りたくないので、基準を決めていきながらも自由な部分も入れなきゃいけないと思っています。
――基準というのは、スポーツの価値としての基準ですか?
技、ポイントの基準ですね。「○○をやったから△点」とかは作りたくないんですよ。
――そういう基準を作ってしまうとバトルをする意味がなくなってしまいますね。
そうそう。やり合いがなくなって、ただのショーケースになっちゃいます。
――それを教科書にするって恐ろしい作業ですね。
“スポーツ”としてやっていくなら絶対にやらなくちゃいけないことだと思います。
――他国のBBOYはスポーツ化されることについてどう思っているんですか?
気にしている人はもちろんいるけど、日本人よりは気にしてないんじゃないかな。
――海外のBBOYは、スポーツとカルチャーを割り切って考えているということですか?
「スポーツとしてもやりたい」と言う人もいるけど動き方がわからないか、周りがやっているところに便乗するっていう感じで、まだ軽いノリですね。俺らは定期的にドーピングの講習を受けるんですけど、外国人のBBOYに聞いたら受けたことがなく、テキストが送られてきて、それを読んで終わりだったらしいです。
――Instagramで「To be honest, “Sport” or “Culture” I really don’t care about it. This is “Breaking” which is connect us(本当はスポーツかカルチャーなんてどうでもよくて、これは「ブレイキン」なんだ。それが僕らを繋げてくれている)」と書かれていて、グッと来ました。肉体の動きから見たらスポーツ性がないわけではないけど、ユースオリンピックの競技になることで、BBOYだけでなく、ダンスに対しての価値観も変わっていくんじゃないかと思いました。
ブレイキンはカルチャーでもあるし、スポーツでもある。分けなきゃいけない時は分ける。だから、どっちが「良い」「悪い」ではなく、「自分たちがどうしていきたいか」ということが大事だと思います。簡単に言えば、両方やればいいんです! この先、もしスポーツにならなくてもそこにカルチャーは確実にあるので、そのままやり続ければいいと思います。
――分からないから言葉にして安心したい、というのがあるかもしれませんね。
かもしれない。物事を大きくするとなると細かく追求して分けていくことは大事だし、やりたければやればいいと思うんですよ。でも、説明できないものがあるのは間違いないから、自分なりに追求、勉強して理解した上でやればいいんじゃないですかね。

■面白半分でブレイキンをスポーツ化したくない。だから自分の目で確かめに行く

――ユースオリンピック予選を開催するにあたり、何かやったことはありますか?
ブレイキンがどうやってできたのかを知りたくて、去年12月にHIP-HOPの発祥地・サウスブロンクスへ行ってきました。HIP-HOPが始まる前からあるギャングの人たちと交流させてもらって、案内してもらったんです。本当に「クレイジージャーニー」(TBS系)みたいな感じ。彼らがやっていたことが後にHIP-HOPと言われるようになったので、どういう気持ちでブレイキンを始めたのかが気になったんです。
――どういうところへ行ったんですか?
「本物のパーティーに連れて行ってやるよ!」って言われて、廃墟みたいなところに連れて行ってくれましたね。細い道を入っていくと入り口にセキュリティーの人がいて、その先にはジャックダニエルを持って、ビリヤードをやっていたり、踊っていたりしている場所があるんです。それが彼らの楽しみ方。
―― 一見さんお断りなんですか?
入り口に監視カメラもあって、セキュリティーの人が知らない人を見つけるとチェックしに行くんですよね。ポケットには武器が入ってて。
――えええ!
サウスブロンクスの旅は自分のHIP-HOP人生の中でもトップ3に入るくらいの衝撃を受けましたよ。自分たちがユースオリンピックに関わるからには、彼らがどう思っていたか、どう始まったのかを絶対に消しちゃいけないと思ったし、自分の目で見て、自分の耳で聞くことをした上で、スポーツ化にも取り組んでいかなきゃいけないな、と思ったんです。
――何を知ることができましたか?
まず、「ブレイキン」と名前が付く前の前、HIP-HOPになる前は“100%黒人の文化”ではないですね。プエルトリコ人だと思いました。でも、HIP-HOPが誕生して広めていったのは絶対に黒人が中心だと思います。HIP-HOPの前の「ブレイキン」だけを見ると、発祥はプエルトリコなんだけど、プエルトリコ人はそれをあまり言わなかったですね。黒人がHIP-HOPを始めたっていうことは間違いないので、俺の憶測では、HIP-HOPの先駆者の黒人に対して顔色を伺う部分もあるんじゃないか、と。
――暗黙の了解ということですか?
そんな感じはしましたね。でも、黒人がHIP-HOPの文化をバーっと広める時に、HIP-HOPとはまた別に黒人の人権を訴える団体があって、そこの教えもHIP-HOPになっていることが今回行ってみて分かったこと。さらに追求するとイスラム教も関わっていることが分かっちゃいましたよ(笑)。
――撮影はしてないんですか?
撮ると「撮るな!」って注意されちゃうんです。だから写真はありません。驚くような爆弾発言もありましたよ。
――え? 歴史が変わるような?
でも、詳しくは言わないんですよ。たぶん派閥があるのかな。
――HIP-HOPは口承文化だから、聞いたこと全てが真実とは限らないですもんね。“言わない美学”なんですかね。
いまだに、彼らを通さずに何かをやると…っていうのはまだあるらしいです。それを分かった上で、ユースオリンピックの予選をオーガナイズするのと、分からずにやるのとでは、自分にとっては全然違いますね。予選を終えてみて、本当にサウスブロンクスへ行っておいて良かったと思いました。
――自分の目で見て確かめるというのが、KATSU1さんの信条なんでしょうね。
そうなっちゃうんです。今回のサウスブロンクスの旅でいえば、まだ当時を知る人が生きているんだから話を聞きに行くのが一番早いじゃないですか。
――そのギャングたちは、自分たちがやっていたことが、のちにHIP-HOPになったことについてどう思っているんですか?
こんなふうになると思っていなかったみたいですよ。だから、ユースオリンピックの競技になったことについても「これはフリーダムなんだから全然いいと思うよ。みんなが楽しければそれでいい!」ってみんなが言うんです。でも、酔っ払った時に本当はどう思うのか尋ねたら「F**k man!」「そんなのブレイキンじゃね〜よ!」って(笑)。
――本音が出ちゃいましたね(笑)。
でも、自分たちがやっていたことで人殺しがなくなってフリーダムになれたこの文化が世界に広まって、遠い日本からわざわざ文化を学びに来たことに感謝されました。「これを学びに日本から来たのか?!」と驚かれて「Yes!!」と答えたら「Hey, Brother!!」みたいな(笑)。彼らは「楽しければいい」と本当に思っていますね。その昔、囲まれてリンチされて友達が死んでいっていたけど、HIP-HOPになったことで武器を持たずに囲んで(=サイファー)決着をつけられたことが一番うれしいみたいです。
――他にはどんなところへ行ったんですか?
ウエストハーレムでやっていた友達のイベントへ遊びに行きました。この場所は、昔すごく抗争があったと言われているとこころなんです。その時に、日本から来たひとりの若い子が僕らのクルーに入るために、20対1くらいでダンスバトルを路上で始めたんですよ。端から見たらリンチ状態。昔は本当にやり合っていたんですけどね。本気でダンスバトルしている様子を遠くから見ていたギャングの1人が「Too beautiful…」って言って泣いてるんですよ(笑)。その姿を見て、めちゃくちゃ鳥肌が立ちましたね。そういう文化があって今があるんだから、そういうことは知っておいてほしいし、発信し続けなければいけないと思いました。
――実際に見た人にしか発信できないことですよね。
そうですね。他にもHIP-HOPやギャング時代の豆知識も教えてもらいました。ブレイキンの生い立ちも聞いていた話と違うことがあって、そういう話でさえ鳥肌が立ちましたね。
――そこで得た知識はどこかで聞くことができるんですか?
本当はSNSで発信するのがいいと分かってるけど、したくないんです! 今じゃないって思っちゃってて。他に見せたい動画もあるんですけど、SNSは嫌なんですよね。会って直接やりとりできる人にまずは見せたいし、話したい。まぁ、いつかはSNSで流すかもしれませんが(笑)。
――そのスタンスって、さっきの話に出てきたギャングと一緒ですよね。
みんな、匂わすけど発しはしない(笑)。「Cypher」や「Peace」などのHIP-HOP用語の本当の意味とか…あの言葉にはこういう意味が込められていたんだって知った時はひっくり返るくらい驚きました。
――すごいことを学べましたね。
HIP-HOPっていろいろな意味で“自分”でもあると思っています。例えば、踊っている時にそれを表現する動作で“俺だ”という意味が込めてムーブを作るんですけど、この“俺”と言うためにHIP-HOPでどう表現しているかを学びました。これはフリーズや技ではないけど、胸張ってこんな単純な動きを楽しめることに俺は救われています。
――全然スポーツじゃないですね(笑)。
このカルチャーができた頃って本当にたくさんの方が亡くなっているし、人生を懸けてHIP-HOPという文化を唱えてきたような人たちがたくさんいるんです。それを知ってしまった以上、俺は面白半分にはできないところも多少あります。

■「死ぬまで一生つながっていよう」熱く交わした約束のワケ

――これまででターニングポイントは何かありましたか?
フィリピンで2番目にゲットー(貧困地域で、犯罪の多発する場所)だって言われているマニラにある地域に、HIP-HOPを使ってストリートチルドレンをかくまっているKAPAYAPAAN PROJECT(カパヤパンプロジェクト)というものがある、という話を友達伝いに聞いて、実際に行ってから考え方が変わりましたね。
――何があったんですか?
まず、空港に着いてすぐに「雷」が落ちましたね。空港に住んでいる子どもたちが「お金をくれ」って寄ってくるんですよ。そこで、プロジェクトをやっている友達から、お金の渡し方を教えてもらいました。
――お金の渡し方?
子どもたちに「お前ら、ブレイクダンスやってみて!」って言って、ショーケースをその場でやらせて、踊れたらお金をあげる。できない子にはその場でワークショップをやって、最後に踊らせてからお金をあげる。
――なるほど!
近くの茂みで寝泊まりしているような子どもたちに「KAPAYAPAAN PROJECTっていうのを○○でやってるから興味があったらおいで」って声を掛けていくんです。そういう現場を目の当たりにして、着いて1時間で固まっちゃいましたね。
――マニラにもそういうところがあるんですね。
ハンパないですよ! 1週間滞在している間に、その地域のストリートで2人が頭を撃ち抜かれていましたからね。基本的に、そういう治安の悪い場所で子どもたちがダンスの練習しているんです。ただ、ドラッグ絡みで銃弾が飛び交うこともあるので、ボスの家で英語や算数、アート、ブレイキンを中心に教えていて、そこで1週間一緒に過ごしました。最後にはコラボしてイベントも開いたんです。その中で、10歳の子どもとバトルになって。俺は本当に叩きのめしてやろうって思っていたし、子どもも本気だった。フィリピンで生まれ育った子どもの10年間と、日本で生まれ育った俺の36年間の全てがぶつかりましたね。そのマッチ具合がすごくて…説明できない気持ちが涙になってしまって、バトルが終わって抱き合った時に涙が止まらなかったんです。
――す、すごい。
良くも悪くも日本人の子どもたちもその親も、勝ち負けや目立つかどうかを気にする人が多いけど、彼らはそういう現場があまりない。だから、その感情がなくて、人生の全てをダンスでさらけ出せるんですよ。日本人はうまい人がとても多いけど、グッとくるものがないって言われているじゃないですか。そこがやっぱり全然違うと思いました。日本とフィリピンの良いところと悪いところを感じました。
―― 一緒に行った人たちはどういう感想を持ったんですか?
後輩は、フィリピンのBBOYたちが無名の自分たちにでさえ、俺と同じように接してくれることに「くらった」って言ってましたね。だから、なぜそう接してくれるかを聞きに行ったんです。そうしたら「みんな、僕たちに会いに来てくれてるBBOYのBrotherじゃないか! 良くしてあげるのがフィリピンのカルチャーだから」って答えたんですよ。
――その後、交流はあるんですか?
子どもたちに夢を聞いたら「兄ちゃんたちみたいにうまくなって海外に行きたい」と言っていたので、これは叶えてあげたいと思って、俺らのブレイキンのイベントにボスと子どもを招待しました。

イベントはキッズの日本大会だったんですけど、途中でタバコを吸いに行ったらボスが号泣し始めたんですよ。しかも、「この涙が何なのかどう説明していいか分からない」と。だから抱き合って「俺もその涙知ってる」って言って(笑)。俺がフィリピンで感じたことと一緒だったと思います。

そこで、このカルチャーで俺らは出会っちゃったんだから死ぬまで一生つながっていよう、と約束しました。俺らにあってみんなにないものは渡すし、逆にみんなにあって俺らにないものがあったらちょうだいって。

――いい出会いでしたね。
日本の子どもたちにもこういう話はするようにしています。マニラの子どもたちからしたら俺らはすごい金持ちの国に生まれているにもかかわらず、「時間がない」「お金がない」とか何かと言い訳をするんですよね。でも、彼らがやりたくてもできないことが、俺らにとっては底辺でもできちゃったりする。だから、やりたいことはやるべき。平和だからこそちゃんと知っておいた方がいい。殺される可能性もあるからその地域に行くことは危なくて勧められないけど、地球上にいる子どもの半分くらいはそういうところで生まれ育っていて、俺らはラッキーだと教えています。

特に子どもたちには、そういった現状を知らずにブレイクダンスをやっていてほしくない。知った上で踊っている子が増えれば、これからの人生がすごく良くなるんじゃないかな、って勝手に思ってます。ビジネスでもカルチャーでもそういうのを発信していきたいですね。「お金にならないのにやり過ぎじゃないですか」「会社が回らなくなっちゃいますよ」って言われることもあるんですけどね(笑)。
――でも止めるわけにはいかないんですよね。
大切なことなんです。本当はビジネスと分けなきゃいけないけど、ビジネスがあるからそれができている部分もあるんですよね。それだけを目的としたNPOのような団体がこれからはできていくと思うんですけど、それを作る、継続させるノウハウや知識がないから、今は学んでいるところ。世界中にHIP-HOPやストリートカルチャーを中心とした教育の学校を建てたいですよ。そしたらもう俺は死んでもいい。
――KATSU1さんだからこそ+αでできることがあるんじゃないですか?
子どもたちと一緒に「楽しむこと」かなぁ。Brotherだから本当に好きだし、一緒に喜びを分かち合いたい。そういう気持ちでいろいろなことをやっていきたいですね。だって、俺らはBBOYとして出会ってしまったんだし、せっかく出会ったなら一緒に何かをしたい。BBOYと言うだけで、性別や国籍、年齢、宗教…全てを取っ払ってフラットでいられるんですから。
2017年3月、KAPAYAPAAN PROJECTにCYPHERCODE CREWとして参加した際のショートドキュメンタリー映像。

―― …くらい過ぎてしまって放心状態です。
ダンスで食べていくことは、たくさんある中のひとつでいいと思っています。ただ、そうは言ってもユースオリンピックはいろいろ子にチャンスを与えることができるじゃないですか。今回の予選には、フィリピンのプロジェクトからもひとり来たんですよ。そういうチャンスがある。だから、カルチャーじゃないと否定するのも違うかな。これはこれと割り切って、子どもたちが「あそこに立ちたい!」って思うようなステージを作らなきゃいけないですね。スポーツ部門でお金を稼いだら、カルチャーに持っていって、子どもたちに何かできたら一番最高じゃないですか!
――スポーツにした方がマネタイズしやすいですもんね。
そうそう。そこで稼いだお金を、どうすれば子どもたちやカルチャーに使えるか。どうすれば良くなるかという過程の部分に使いたい。これは子どもたちから学びました。だから、企業と仕事をする時はハッキリ金額まで言うようにしています。ちゃんと理由も説明するので胸張って言えるかな、と。でも、その代わりに自分らのことばかりではなく相手にもどんなメリットを与えられるのかをしっかり考えていかなければいけません。他の分野との仕事は、勉強をしていないとできないことだと思いますし、まずは社会人としてシーンの人以外とのかかわりもバランス良くやらないといけないと思っています。そして、そこにお金を発生させていく。
――そうでないと経済が回らないですよね。
今はそういう考えが少なくなってきていると思いますが、僕らはBBOY中心でビジネスを成り立たせようとするので、お金を持っていない人からお金をもらっているんです、きっと。お金を持っていない人からお金を取ったら、ちゃんと「これだ!」っていうものを作らないといけない、とみんなにも言っています。

BBOYの「B」はいい意味で「バカ」の「B」だとも思っています(笑)。たとえ大きな大会で優勝しても、そんなに生活は変わらないことを知っているにもかかわらず、いろいろなモノを犠牲にして、エゴで“やり通す”。一般的に見て「バカ」ですよ。でも、その中でみんなが大切にしているモノがこのシーンの“コミュニティー”! これが超好きなことなので、そういった同じ考えを持った仲間を集めてユースオリンピックができたら最後まで“やり通す”と思ったし、スマートになればこのシーン以外からお金を引っ張ってきて、シーンに落とせるかな、と。こういったことがきっかけで、この先シーンが潤ってきたら、俺らはそれで食べていけるかもしれない。でも、お金を持っていない人たちからもらったお金は、お金を払ってくれた人に還元していく。これは基盤として考えていることですね。あまり経営者のマインドではないな(笑)。

■ブレイキンに、HIP-HOPに少しでも興味を持ってくれたことがうれしい

――結果的に会社になっただけで、KATSU1さん自身は変わっていないと思いますが、起業して変わったことはありましたか?
まだまだ現役でやりたいし、やっているんだけど、やっちゃダメなことが増えてきたこと。一緒にやろうと誘われて大会に出たくても、自分の立場やタイミングを考えると出られないこともあるんです。あとは毎日している練習がいきなりできなくなることも多々あります。
――周りは誘ってくるんですね。
人によっては、「やりたいことをやっているのがKATSU1さんだし、そっちの方がカッコ良い」って言ってくれて、それはとてもうれしいことですが、現実的に考えてみるとやっぱり良くないと思って気を使うことはありますね。だから、出るイベントも選ぶようになりました。“選んでる”とか、BBOYとしてはかなりダサいな(笑)。
――いやいや(笑)。以前、YASSさん(零〜ZERO〜)、TAKESABUROさん(XXX-LARGE/SODEEP)とHIP-HOPのバトル「SWEET DREAM HIPHOP SP 2018」に出て優勝していましたね。
YASSはBBOYじゃないんだけど、HIP-HOPの話ができて、よく飲みにも行きます。その時に「BBOYが一番HIP-HOPだ」って言ったら、HIP-HOPのバトルに誘われて(笑)。ブレイキンではなくHIP-HOPのバトルだからと渋っていたら「BBOYが1番HIP-HOPだって言ってたじゃないですか!」って言われてノリで出ました。

左から、YASS、KATSU1、TAKESABURO。

――意外な組み合わせだと思いました。
3人ともHIP-HOPの話が合うんです。バトルに出てから、HIP-HOPを踊っている子がワークショップに来てくれました! しかも、HIP-HOPを踊っているダンサー限定のワークショップをYASSが主催してくれて40人くらい受けてくれたんです。
――えー! すごい!!
めちゃくちゃうれしかったですね。やっぱりBBOYって一番HIP-HOPなんじゃないかなってくらい掘り下げていると思うんですよ。あとはいろいろなジャンルを取り入れていく。グラフィティもそうだし、世界的にもそういう傾向にあるような気がします。
――BBOYはHIP-HOPの一番近くにいる感じがしますね。KATSU1さんは生き証人ですね。
いやいや(笑)。でも、ドキュメンタリー番組の制作をやっている人がいて、俺の話を番組側にしたら興味を持ってくれて、資料作りのために俺のことを追ってくれたことがあったんです。その人が番組側に提案したら「結局何になるのかが一般人に伝わりにくい」と言われて流れちゃったんですけど、少しでも興味を持ってくれたのがうれしかったですね。
――映せない部分も多そうですね(笑)。
いろいろな裏話は20年後くらいに暴露…ですね(笑)。次回はお酒を飲みながら話しましょう!

BBOY KATSU1/石川勝之
神奈川県川崎市にある溝の口を拠点に、国内外の大会で活躍し、日本だけでなく世界のブレイクダンスシーンでも多大な影響を与え続けているBBOYであり、株式会社IAM代表取締役。2010年、2015年にはBOTY FINALにおいて、現役BBOYとして日本人初のジャッジを務めている。プレーヤー、ジャッジとしてだけでなく、JDSFのブレイク部部長に就任し、ブレイクダンスの「スポーツ」としての発展にも力を注ぐなど、ブレイクダンスを中心に多岐に渡り活躍中だ。


インタビュー=Yacheemi
写真=TMFM
企画・文=msk