夏目漱石の『それから』に臨む、平野 良の類まれな“表現力”の秘密。

自信満々の口調というわけではない。なのに、平野 良の言葉は、舞台上でもインタビューの場でも、不思議な説得力に満ちている。それは疑問や要求、課題を受け止め、咀嚼(そしゃく)し、必ず自分自身の中から答えを見つけているからだろう。そんな彼が、夏目漱石の名作『それから』の舞台化に挑む。一筋縄ではいかない厄介な主人公を、この男の感性はどう受け止め、どう料理するのだろうか? 同業の俳優たちからさえも、嫉妬と羨望まじりに称賛される、平野 良の表現力の源泉に迫る!

撮影/倉橋マキ 取材・文/黒豆直樹 制作/iD inc.
企画/ライブドアニュース編集部

本読み段階で「心が折れる音が聞こえた(苦笑)」

前回、お話をうかがったのは、植田圭輔さんとの共演作舞台『インフェルノ』のときでした。人気漫画の原作から一転、今回は明治の文豪・夏目漱石の文学作品の舞台化です。
昔の文学作品を舞台化するって、決して多くはないですよね。ただ以前に、同じ事務所の村井良大くんが漱石の『こころ』の舞台版に出演していて、それがすごく面白かったんですよ。物語はもちろんなんですけど、それだけじゃなく。
舞台ならではの面白さが?
舞台の面白さっていろいろあって、最近ではプロジェクションマッピングとか、視覚効果の進化もめまぐるしいですよね。それはそれで面白いし、スゴいんですけど、でもそっちじゃなくて、役者の力というか、まさに“心”を見せるような作品で。僕、そういう作品が大好きなんです。なんて言うか、50歳、60歳になっても面白い作品だなぁと。
すでに共演の帆風成海さん、今立 進(エレキコミック)さんとの顔合わせを終え、本読みも行われたそうですね? かなりのセリフ量のようですが…。
そこなんですよ! 久々に…いや、初めてですね、本読みの段階で心が折れる音が聞こえました(苦笑)。もうね、日本語がゲシュタルト崩壊して、古代文字を読んでいるような感じで…。終盤はひらがなさえも、ろくに読めなくなってましたもん。
文字情報ではなく、演劇という形で、声と肉体を使って物語を観客に伝えることになります。
普通にやったら、お客さんも僕と同じ状態に陥って、廃人になって劇場を後にすることになるかもしれません(笑)。なので、情報をそのまま伝えるのではなく、感情表現を工夫しながらやっていかないといけないなと考えています。
物語は、平野さん演じる長井代助が、以前から思いを寄せていて、いまは代助の親友である平岡常次郎の妻となっている三千代を平岡から奪うという、“略奪愛”の物語ですね…。まずは代助の印象を教えてください。
代助は大学を出ても働かずに、親の金で暮らす放蕩息子、高等遊民というやつです。この時代、代助のようなタイプの男がちらほらいたのかもしれませんね。帝大を出て、知識はあふれるほどあるけど、心も実力も伴わないでいるような…(苦笑)。
頭は切れるし、口も達者なんですが、神経質で理屈っぽくて…。率直に言って、友達や同僚として近くにいたら、けっこうめんどくさそうな…(笑)。
こういう若いヤツ、現代でも会社とかにいそうですよね?(笑) やれコンプライアンスだのって理屈をふり回して仕事しないで、残業も拒否して定時にすぐ帰るような。
周りのスタッフのみなさんが「うんうん」と深くうなずいてらっしゃいます(笑)。
いや、若者だけじゃないかな。僕も一度、芸能界の仕事をやめて、しばらくの間、社会人として会社勤めをしてましたけど、バブルを経験した世代とか、団塊のおじさんとかで、本当に仕事しない人たちがいましたよ!(怒) でも、終身雇用だからボーナスもたっぷりもらって…って、何の話でしたっけ?(笑)
現代にもつながる物語、登場人物であると…(笑)。
そうです! これは明治期の物語ですけど、心が伴わないままに、年齢だけ大人になった人間の物語ということで、「あぁ、わかる」とおっしゃっていただける、現代にも通じる話だと思います(笑)。
ただ、本当に近くにいたら面倒ですし、小憎らしくはありつつも、代助はどこかユーモアもあって、憎めないなとも思います。
そうなんですよ。最初、プロットを読んだときは、「うわ、こいつ最低だ」って思ったんですけど、小説を読み終えると代助に共感し、愛らしく思っている自分もいて(笑)。
どんなところが愛らしく思えましたか?
これだけ口が達者なのに、父親の前ではまったく弁が立たなかったり。それをまた、知識でもって愚痴ったりごまかしたり。いるでしょ? 後輩の前ではイキってるのに、先輩が来るとペコペコする人とか(笑)。一方で、頼まれてスラスラと翻訳をしたり、頭はすごくいいんですよね。
東京帝大卒業ですしね。
なまじ秀才だからこうなのかも…(苦笑)。もっとずば抜けた天才だったなら、それを国家や人々のために、素直に使ってたんじゃないかな? 今後、精神的に成熟すれば、偉業を成し遂げる可能性を秘めているとも思います。

代助と三千代の会話のやりとりに“ドキドキ”

こういう人物を演じてみていかがですか?
たとえば、マッドサイエンティストのような、ぶっ飛んでる感じでもないんですよね。いや、最初はそんなイメージだったんですけど、知れば知るほど、そこまでおかしいわけじゃないんだなって。
「ぶっ飛んでる」というよりは、もしかしたら誰しもが持っている心の歪みが、少し目立ちやすいタイプなのかも…?
決して彼の立場を弁解しようとは思わないし、“いいヤツ”として演じようとは思わないけど、誤解があるなら解いてやりたいなって立場ですかね?(笑)
その微妙なねじれ加減が、共感や憎めなさにもつながっているのかもしれませんね。
自分の矛盾にも気づいてるし、でも、そんな複雑な内面を他人に対して前面に押し出して、理解してもらおうともしてない。飲み会で出会った初対面の人に、恋愛相談したり、恋人の愚痴を言うような人もいるけど(笑)、代助はそういうタイプじゃないんです!
演じるのが楽しみなシーン、読み合わせの段階で心動かされたシーンなどがあれば教えてください。
愛情の表現における、みなまで言わない奥ゆかしさ――将棋崩しとか、砂場での棒倒しみたいに、そっと周りをかき分けながら、少しずつ核心に近づいていくような、エロティシズムがところどころに散りばめられてるんですよね。
代助と三千代の会話のやりとりですね?
ドキドキしてもらえると思います。帆風さんがセリフを読むと、非常にヤバいんですよね。全然、そういうことを言ってるわけじゃないのに、非常に色っぽいという。なので、会話のやりとりからも色っぽさを感じていただけるのではないかと思います。
不倫劇、三角関係が展開しますが、決して健気な三千代を男ふたりが奪い合うというだけでなく、三千代自身も…。
かなりヤバいです(笑)。いやぁ、ヤバいでしょ、三千代!
一見、エキセントリックなイメージの代助のほうが、三千代の大胆な言動にオロオロしたり…(笑)。
そうなんです。「マジかこいつ!?」って代助のほうがビビってる(笑)。決して平平凡凡な女性じゃないし、そういうものをはらんでいるからこそ、惹かれたんですかね? 物語では、代助が途中、容姿端麗で性格もよく、非の打ちどころのない女性を紹介されるんですが…。
そんな、申し分のない縁談をあえて断って、三千代のほうに傾いていきます。
それだけ素晴らしい女性を紹介されたからこそ、ハッキリと「いや、自分には三千代しかないんだ」と心が動き、覚悟が決まったんじゃないかと思います。

好きだけど言わない…? 淡い恋の思い出と貫いた美学

こうした代助の恋愛面における心情については、どんな印象をお持ちですか?
まあ、いまの自分は、人に恋する気持ちというのを忘れかけてて、何とも言えないんですが…(苦笑)。ただ、恋多き中学の頃を思い出したんですよ。
中学時代の恋?
幼稚園で一緒だった女の子で、小学校は別々だったけど、中学で再会したんです。当時は携帯電話なんてもちろんなかったけど、その子の家に毎夜、電話をしてました。あ、でも、付き合ってるというわけじゃないんです。
付き合ってないのに、毎日、家に電話するって逆にスゴいですよ!(笑)
向こうの親は「もうわかってるわよ」って感じで。「彼から電話よ(笑)」なんて言って、その子が「彼じゃないってば!」とか(笑)。ある時期からは、学校に行く途中に彼女の家に寄って、一緒に通うようになって…。
でも、付き合ってない? どちらかが告白したり、気持ちをたしかめることもなく?
それが、彼女は中3のときに、別の男と付き合うことになるんです。しかも相手は僕の友達で、僕は彼女から相談されて、「いいんじゃない?」ってその恋を応援するんです。
なぜ…!?
何でなんでしょうね…(笑)。何も言わなかったけど、お互いに好きだったのは確かなんです。それは、高校になってから本人にたしかめました。「あのとき、どうだった?」って。そうしたら「好きだったよ」って。「だよね? 俺もだよ」と言いつつ、でもそこで「じゃあ、いまから付き合おう」とはならないんです。もう通りすぎてしまった恋だから。
文学ですね! というか、三千代のことがずっと好きだったのに、なぜか三千代と平岡の仲を取り持った代助そのままです。
そうなんです(笑)。たぶん「好きならなんで、わざわざ平岡と三千代の仲を取り持ったんだ?」と思う人もいるでしょうけど、なんか、そうしちゃった代助の気持ちがわかります。逆らうことのできない流れがあるんですよ。
そう考えると、30歳を超えて、わざわざもう1回、その流れをひっくり返そうとする代助ってスゴいですね(笑)。
ホントに(笑)。しかも明治期の30代とか、社会的にはいまよりもう少し大人ですよね? 何をしてるんだと(笑)。でも、大人が恋すると、そこには若いときとはまた別のキュンキュンするところがあるんだなぁって。
そんな経験が?
最近、平野啓一郎さんの『マチネの終わりに』(毎日新聞出版)という小説を読んだんです。40代の恋が描かれているんですけど、ちゃんと恋に向き合ってこなかった大人が恋愛すると、すごく世界がキレイに見えたりするのかなって思いました。
先ほどからビミョーに、ご自身の「現在の恋愛」というところから逃げてませんか?(笑)
いや、何でなんでしょうね?(笑) 誰かを好きになる時期と、ならない時期ってあるんですよね。
つまり、いまはそういう時期ではないと?
「え? 『好き』って何だっけ?」という感じというか…(苦笑)。ただ、今回の作品を通じて昔のことを思い出す機会が増えそうだなって思います。恋に対して純粋な気持ちで代助を演じたいですね。
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