これが日本の現実なのだ。世界のトップクラスとの対戦では、歯止めのきかない脆さを露呈してしまうのである。

 メキシコ戦後のザックは、「イタリア戦の疲労が残っていたので、十分の回復できていなかった」と話した。吉田ではなく栗原を今野のパートナーに指名したのも、吉田の疲労を考慮したものだったと説明している。

 ブラジル、イタリア、メキシコと同居したコンフェデ杯のグループステージは、”死の組”と呼ぶにふさわしい。だが、ワールドカップで同じようなグループ分けが実現しないとは断言できない。

 疲労の主な理由は試合間隔の短さで、ワールドカップはもう少し日程に余裕がある。ただ、連戦と言う意味では同じである。

 日本と同じスケジュールを消化したブラジルは3連勝を飾った。前2試合からスタメンをほぼ半分入れ替えたメキシコは、それでも日本を退けた。

 そうした事実を踏まえると、「疲労から回復できていない」ことを敗戦の理由とするのは、率直に物足りない。ワールドカップでベスト8入りするには4試合、ベスト4入りするには5試合を戦い抜かなければならない。しかも、対戦相手のレベルはラウンドが進むごとに上がっていく。1年後のワールドカップを考えると、不安を抱かざるを得ない。

 イタリア戦のようなメンタリティでメキシコに挑むことができれば、今大会から収穫を持ち帰ることができたかもしれない。しかし、ブラジル戦で先制点の重要性を突きつけられながら、メキシコ戦では序盤の決定機を逃した。ブラジル戦とイタリア戦で後半開始直後に失点しながら、この日も52分にビハインドを背負った。66分に許した追加点は、課題と言われ続けているリスタートからだ。

 同じ過ちをかくも繰り返したあげく、メンタリティはブラジル戦に逆戻りである。積極性を失い、それによって連動性が削がれた。

 2点を追いかける時間帯でも、前への推進力がまるで出てこない。同点で押し切ろうとするかのような無為な時間が流れ、終盤にようやく体力と気力を振り絞って攻撃に転じた。

 後半途中の選手交代に伴い、ザックはシステムを3−4−3に代えたという。そう言われれば、そのように見えなくもない。ただ、4−2−3−1のままだったとも解釈できる。つまり、システム変更は実効性を伴っていなかった。

 連動性を高めたい時間帯に、3−4−3を持ち出したのは疑問である。3−4−3にトライした過去のゲームでは、選手同士の距離感が遠くなる弊害を生みだしていた。リズミカルなパスワークができず、日本の良さが発揮されないのである。

 メキシコ戦の日本は、ゴールを直接狙える位置でFKを獲得していない。守備側からすれば、日本のパスワークに置き去りにされたり、反則覚悟で止めるしかないシーンがなかったということだ。 

 選手交代はシステム変更を前提にしたもののようだが、右サイドバックを入れ替え、1トップを下げてCBを投入する交代が、追いかけるチームにふさわしいとは思えない。1対2で終盤を迎えているのに、戦い方を変えないのは策も欲も無さすぎる。

 栗原か吉田を最前線に上げ、パワープレーを仕掛けてもいいはずである。3枚目のカードとして、ハーフナー・マイクを送り込んでもいい。

 メキシコの最終ラインは長身揃いだが、ハイクロスを供給すれば何かが起こる可能性が生まれる。セカンドボールが日本の選手の足元へ落ちれば、決定的なシュートチャンスとなる。ゴール前へ何度もボールを入れられるのは、GKやDFの心理としてイヤなものだ。少なくとも、チャンレジ精神の薄いパス回しよりは、よほど圧力を覚えるはずである。

 選手のプレーもザックの采配も、メキシコ戦はすべてが中途半端だった。スコアこそ1点差で収まったが、両チームの間には簡単に埋めきれない力の差が横たわっていた。

 南アフリカW杯のベスト16入りは、直前の戦術変更へのアレルギーという副作用をもたらした。当事者たる選手からも、「自分たちの良さをぶつけて、どこまでできるのかやってみたかった」という声が聞かれた。

 相手の良さを潰すことに注力するスタイルは、このチームのタレントにふさわしくない。イタリア戦のような姿勢を維持しつつ、失点を減らすのが目ざすべき方向性である。

 もっとも、失点を減らすのは簡単でないし、決定力も一晩寝たら改善されるものではない。

 だとすれば、ワールドカップで上位進出を成し遂げるには、チームと個人をこれまで以上に追い込んでいかなければならない。チームの目標設定がこれまでより高い以上、「敗戦から収穫を得た」とか、「内容的には評価できる」といった好意的な視線は成長速度を落とす、と思うのである。