最初に、宣伝を一つ。僕の新刊「杉山茂樹のワールドサッカー♪4231♪観戦ツアー」が、昨日発売になりました。

これは、過去10年間に渡って書きためた、幾多の観戦旅行記を1冊にまとめた本だ。本書の前書きでも述べているが、僕はサッカージャーナリストではない。評論家や戦術家、研究家や分析家でも全くない。肩書きを敢えて言うならスポーツライター。オタク度は自分で言うのも何ですが、かなり低い。

原稿依頼されることが多い「サッカーゲームの進め方」も、取材を通じてたまたま知り得た知識にすぎない。本を読んで学んだり、ビデオを見て検証したりすることも滅多にしない。まず、観戦ありき。まず、現地でサッカーを見る。行ってみたい。見てみたい。この職業に就いている一番の動機はこれだ。

乗り物に乗り、できる限りキョロキョロしながらスタジアムに駆けつけることに、僕は一番の意義を感じている。で、サッカーは、その移動スケールがどのスポーツよりも大きい。旅ライターになった気分もたっぷり味わえる。サッカー観戦が、むしろついでに思えてくるほどだ。

なんと言っても、試合時間はハーフタイムを入れても2時間弱。ワールドカップを1ヶ月フルカバーすれば最大25試合観戦できるが、それでも観戦時間は50時間弱。その時間内に限った出来事だけを原稿化しても、ワールドカップの魅力は少しも伝わらない。読者を、現地に行った気分にさせることはできない。

試合だけがワールドカップではない。チャンピオンズリーグも然り。Jリーグだってそうだ。もしサッカーが、映画のように、映画館のスクリーンを通して見るものだったら、たぶん僕はサッカー好きにはなっていなかったと思う。現地、現場が、けっして近場にないところが、サッカーの魅力だ。

ピッチの上の話より、むしろ伝えたいのはこちらになる。一言でいえば「遠さ」だ。

来る南アワールドカップは、そうした意味でとても楽しみな大会だ。岡田ジャパンの成績だけに関心があるわけではまったくない。せいぜいそれは1、2割。もし3連敗を喫しても、彼らと一緒にズッコケでいるわけにはいかない。こちらの旅のスケジュールが、それに影響されることはない。現地の治安に気を配りながら、決勝まで移動を続けることになる。

僕はサッカー観戦は、旅行そのものだと思っている。できれば、そこで他人と違うことを考えたい。実際、場所を移してみると、新たな発見が必ずある。頭の中に何かがふっと浮かんでくる。オリジナルな意見を持とうと思えば、場所を移すに限るのだ。

ところが、日本では、オリジナルな意見は言いにくい。多くの人が考えていることと違う意見を述べれば、すぐに奇異な目で見られる。現状を否定すれば、辛口と言われてしまう。

サッカーが、世界で最も盛んなスポーツである所以は何か。僕がこれまでの旅行体験から得た結論では、人間の最大の特性との関係が良好だから、となる。喋らずにはいられない。つい一言、何か言いたくなるのがサッカーだ。

いつでも世界は「一言」で溢れている。よく言えば「批評」、悪く言えば「文句」で溢れている。サッカーの周辺は、常にワイワイガヤガヤしている。

それがほとんどないのが日本のサッカー界だ。世界とはずいぶん異なるサッカー界が形成されている。ここのところがぶっ壊れない限り、僕は日本のサッカーはこれ以上発展しないだろう。

そうした意味では、今回の岡田サンに対するブーイングは、好ましい現象だったと思う。当たり前の話が、当たり前に起きたに過ぎないが、日本の風土を考えると、希なケースになる。

ただ、偉そうに言わせてもらえば、遅いのだ。岡田ジャパンの体たらくは、先の4連戦に始まった話ではない。ずっとこの調子を維持している。岡田サンは、以前はできていたようなことを言っているが、それは嘘だ。岡田ジャパンは、過去40戦強、試合をこなしているが、その中に、将来に希望が持てる好試合を演じた試しはほぼゼロ。ワールドカップ本大会で0勝3敗を予想させる試合が大半を占めている。ベスト16の光が見えた試合は、ただの一つもない。アジア最終予選でオーストラリアに勝点差5をつけられ、2位に甘んじた瞬間こそ、ブーと叫んでおくべきだったのだ。

自らの立ち位置が、多数派になったのを確認した後に文句を言うのは、ちょっとかっこ悪い。やっぱり文句は、少数派でいるうちから言っておかないと、重みやインパクトに欠ける。「赤信号みんなで渡れば怖くない」ではないけれど、いま岡田続投に反対してもリスクは一切、生じない。勝負している感じはしない。むしろ批判は、大衆迎合になる。

いま、格好良く見えるのは(?)、岡田続投賛成の意見になる。かつては多数派だったがいまは少数派。少なくとも、岡田采配や犬飼会長発言を肯定するにはリスクがいる。勝負している感じはある。

ファンを含めた日本のサッカー界にズバリ欠けているのは、この勝負する精神だ。リスクを負う気構えだ。先の東アジア選手権の最終戦で対戦した韓国の選手は、局面で「勝負」を挑んでいた。日本人にはない格好良さをそこに覚えたのは、僕だけではないはずだ。

片や日本人の選手は勝負しない。奪われてもオッケーな場所でさえ、勝負を避けてパスを回す。絶対にあるはずの監督批判も、絶対に口にしない。相変わらず、嘘臭い社会の一員を構成している。OBの解説者の中は「悪いのは監督だけではない」と、岡田サンに助け船を出そうとする輩さえいる。支持するなら支持するとハッキリ言った方が、100倍格好良く見えるのに。

ブーイングが出たのを確認するかのように、急に岡田批判を開始したメディアもそうだ。専門性は疑われる。

確信を抱いたら、その瞬間、口にすることだ。こりゃダメだと思ったら、周囲を気にせず1人ブーイングすべき。ファンが勝負しないと、選手も勝負しない。奇妙なパスパスサッカーを助長させるだけだ。その素早い反応こそが、日本サッカーを良くする方法だと僕は思う。

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