東日本大震災で味わった絶望。『エヴァ』好き青年が、「特務機関NERV」を始めるまで

東日本大震災から、10年目に入ろうとしている。

あの日をきっかけに、日本は変わった。今では情報ツールとして当たり前となったTwitterも、「3.11」を契機に普及し、広い分野で影響力を持つまでに至った。

そんなTwitterで防災情報を発信し続けるアカウントとして知られているのが「特務機関NERV」だ。Twitterフォロワーは、3月10日現在約86万人。アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(以下、『エヴァンゲリオン』または『エヴァ』)に登場する組織の名を冠したこのアカウントを、震災直後に節電を呼びかけた「ヤシマ作戦」で知った人も多いのではないだろうか。

「特務機関NERV」を運営するのは、東京の情報セキュリティ会社であるゲヒルン株式会社。代表取締役の石森大貴氏は、東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県石巻市出身の29歳。家族が大津波で被災し、連絡がつかないという状況下、不眠不休で東京から防災情報を発信し続けたという。

小学生でレンタルサーバーのサービスを始めた天才少年だった彼は、いかにして防災のプロへと育っていったのか。東日本大震災を乗り越えて、今も災害と闘い続ける石森氏の“想い”に迫る。

取材・文・撮影/照沼健太

「家族が亡くなったかも」と不安の中、節電を呼びかけた

2011年3月11日の東日本大震災から、10年目に入ろうとしています。発生時、石森さんはどうされていたのでしょうか?
自分は東京にいて、家族が宮城県石巻市にいました。地震発生直後は携帯電話がつながっていたので、家族から「こんな感じですけど、大丈夫です」って家がぐちゃぐちゃになった様子の写真と一緒に連絡が来ました。でも、その直後の大津波警報を最後に圏外になったらしく、返事が来なくなってしまいました。

その後、電波が通じるところまで移動した地元の友だちから「もう街は全滅です」と連絡が届いて「家族が亡くなったかも」と覚悟しました。それから3〜4日くらいは家族とまったく連絡がつかず、気が気じゃなかったです。
震災当日の夜は、どうされていましたか?
11日は石巻の情報を集めて、それをまとめたページを作るためにブログを書いていました。
当日から、今につながる活動をされていたんですね。
はい。翌日の12日に輪番停電(計画停電)を行うことがニュースとなり、そこでTwitterを通じて節電を呼びかける「ヤシマ作戦」を始めました。
家族と連絡が取れない状況で活動を行うのは、大変でしたね…。
ゲヒルンを手伝ってくれていた人たちに、精神的に支えてもらいながらの仕事でしたね。彼らには文面などが過激にならないように内容を相談したりチェックしてもらったりもしました。

気をつけていたのは3つ。過激にならないこと、デマに加担しないこと、なるべくエヴァンゲリオンという"作品"に迷惑をかけないことです。また、「ヤシマ作戦」は日本全体で行う“みんなの運動”なので、自分自身が表に出ることは避けるというルールを作って動いていました。

テレビ番組や新聞など、メディアからの取材依頼も「みんなの運動なので、街で節電してる人たちを取り上げてください」とお断りしていました。

非公式な活動に、『エヴァ』公式からまさかの素材提供

ヤシマ作戦は、『エヴァンゲリオン』公式から素材の提供を受けましたよね。どのようにして版権とコンタクトを取ったのでしょう?
大きな話題になったところで、関係者の人が『エヴァ』の版権管理をしているグラウンドワークス、キングレコード、カラーの3社それぞれの担当者につないでくれたんです。そこで自分が各担当者に電話して「どうにか続けさせてもらえないでしょうか?」とお願いしたところ、「本来なら難しいんですが、僕らも応援したいところなので、 知らないということにしておきます」と黙認してくれたんです。
いい意味で“大人な対応”ですね(笑)。
そうなんです(笑)。とはいえ、『エヴァ』公式ブログに「ヤシマ作戦応援してます」っていう記事を上げてもらって、非公式ではあるけど公認いただいたかたちとなりました。そのうえで素材までいただけたので「こんなことあるんだ」って驚きました…(苦笑)。
ちなみに、石森さんと『エヴァ』の出会いを教えていただけますか?
2004年、中学2年生のときに、仲のいい友だちが『エヴァ』のDVDを貸してくれたんです。とにかく衝撃的でした。それまで子ども向けのアニメしか観てこなかったこともあって、大人も子どもも他者との距離感に悩んでいるというストーリーや、専門用語が飛び交う難解さなど、何もかもが新鮮でした。
『エヴァ』が提示したスタイルは、アニメはもちろん、ゲームやテレビドラマ、バラエティ番組などにも大きな影響を与えましたもんね。
『終わる世界 / Do you love me?』といった各話のサブタイトルや、アイキャッチで表示されるその英訳がひとひねり利いている点も面白かったです。タイポグラフィを綺麗に使っていたり、劇中のモニターのデザインもカッコいいですよね。

その後、2007年には新劇場版シリーズが始まって、1作目の『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』は高校2年生だった当時、何回も劇場に観に行きました。
▲ゲヒルン株式会社のエントランスの一角。『エヴァ』を彷彿とさせる文字や、特注のグッズが並ぶ。
石森さんの会社名である「ゲヒルン」は『エヴァ』内に登場する、特務機関NERVの前身組織「ゲヒルン」が由来ですが、その理由とは?
悩みに悩んだんですけど、誰も使っていない社名がよくて「ゲヒルン」にしました。
劇中では途中で解体される組織ですが、その辺は気にせず?(笑)
「特務機関NERV」になるのが2010年の設定なんですけど、自分が「ゲヒルン」を設立したのが2010年なので、その時点で「If」の世界になっていますね(笑)。ただ、NERVだと直接的すぎるので「版権元に怒られたら嫌だな」と思って避けました。
▲ゲヒルン株式会社の社内には、『エヴァ』グッズが所狭しと並ぶ。
その後、まさかオフィシャルから素材提供を受けることになるとは…というエピソードですね(笑)。そんな中、「特務機関NERV」のTwitterアカウントを立ち上げた理由は?
それはもう個人として、単純にNERVの世界観をTwitter上で表現して遊びたかったんです。でも、とくにツイートすることもないので、世の中に起こっている現象をトリガーにしようと思って、気象警報を手動でツイートしていました。

当初は今と比べて痛々しいくらい『エヴァ』っぽい感じでツイートしてましたね。
余談ですが…『エヴァ』ファンとして『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』の公開が近づいていることについては、どう感じていますか?
実は、『シン・エヴァ』の冒頭約10分を世界各地で公開した「0706作戦」の上映システムの構築に携わったんです。

でも、周りの優しさで、『エヴァ』ファンでもある僕には公開まで作品内容に関する情報が降りてこないようにしてもらっています(笑)。打ち合わせの場でも「これは君のために言わないでおこう」って(笑)。
▲ゲヒルンが各地に設置した定点カメラの輸送箱。『エヴァ』愛が感じられるデザインだ。

テレビに張り付き、“手動”で地震速報を投稿

震災がある程度落ち着いてからは、どのような方向に「特務機関NERV」のアカウントの舵をきったのでしょうか?
当初は手動で更新していた緊急地震速報を自動化しました。「ヤシマ作戦」の流れでフォローし続けてくれていたアカウントも多かったし、当時Twitterではリアルタイムで地震速報を受け取れるアカウントがそんなになかったので、“地震情報最速アカウント”みたいな扱いに自然となっていきましたね。
“手動で更新”というと、ずっと情報をチェックし続けていたということでしょうか?
そうです。自宅でもテレビをつけっぱなしにして寝る生活をしていました。緊急地震速報が鳴ったら飛び起きて、急いでツイートしていましたね。お風呂にいても、映画館にいても、親戚のお葬式でも、地震速報が入れば抜け出して更新していました。

親族には文句も言われましたが、震災を経験した身として、義務感があったんです。ただし、それでも「速報」にはなっていないと自覚していたので「自動化しなくては」という想いはずっと持っていました。
現在は気象庁とも連携しているそうですね。気象庁との連携というとかなり高いハードルがあったのでは? 実際はどうでしたか?
いくつかの段階がありましたね。まずは気象業務支援センター(気象庁と民間気象事業を結ぶ機関)に専用線(第三者が利用できない、独占的な通信回線)を引きました。これは法人格(法人登記をし、認められること)を持ったうえで仕様通りにプログラムを組むことができれば大丈夫でした。

次に気象庁のデータネットワーク室に入館し、光ファイバー工事するというステップです。これも日程調整や許可取りは大変でしたが、明確にダメな理由がなければ断られることはないので無事にクリアできました。

続いてのステップは「地震動の予報業務許可」(気象庁以外の事業者が天気や予報の業務を行う場合は、気象庁の許可が必要)の取得でした。そのために地震を予報するための数式を提出し、プログラムの正当性をチェックしてもらい、会社の立ち入り検査を受けて、無事にOKをもらいました。

ただただ真面目に、コツコツと条件をクリアしていった感じです(笑)。
▲社内では、日本各地のライブカメラで状況を逐一確認できる。カメラの揺れに合わせて、地震の詳細を数値化することもできるという。
▲社内の巨大モニターには、気象庁から提供された最新のデータが表示されている。

PCに没頭した幼少期。小5で校長室のサーバーをハッキング

ここからは、石森さんの半生についても伺います。幼少期、どんな少年だったのでしょうか?
とにかく機械が好きでした。「ファミコン」も持ってはいたんですけど、あまりゲームはせずに、ROMカセット自体に興味を持っていました。「どうやって動いているんだろう? カートリッジでどうやってデータを扱っているんだろう?」って、仕組みの研究に夢中でした。
そもそもパソコンを触り始めたのはいつ頃から?
1998年、小2のときに学校で「Windows95」を触らせてもらったのが最初ですね。休み時間のわずか10分とか15分を使って、コンピュータ室に行って触っていました。

そこでも他のみんなは学習ゲームをやっていたんですけど、自分はWindowsディレクトリの中のDLL(ダイナミックリンクライブラリ)構造とか、中に入ってるデータを見ては「これはどういう役割をしたデータなんだろう?」と確かめるのが好きでした。
とにかく仕組みに興味があったんですね(笑)。
小6の頃は、『Windowsはなぜ動くのか』(日経BP社)を読むのがすごく好きでしたね。
自宅にPCを買ったのは、いつ頃ですか?
小3のとき、家庭訪問で「特別な子だからPCを買ってあげたほうがいい」とパソコンが得意だった先生が両親にアドバイスしてくれたんです。親も「先生が言うなら」という感じで、パソコン自体は貯めていたお年玉で買って、ダイヤルアップのインターネットをつなげてもらいました。
過去のインタビューなどを読むと、石森さんは小学5年生の頃に校長室のサーバーをハックしたそうですが、どうしてそんなことをしたのでしょう?
入れたから、ですね(笑)。
(笑)。
ネットワーク上でつながっていることが見えたので、どうにかならないかなと思って、教室に置いてあるPCから侵入しました。結局、誰にもバレなかったので、卒業後に自己申告しました(笑)。

小6でレンタルサーバーのサービスを開始。両親の反応は…

その後、小学生にしてレンタルサーバーのサービスを始めたとのことですが、その動機は?
当時は、CGI(ウェブサーバー上でプログラムを動かす仕組み)を設置できる無料サーバーがなかったんです。かといって小学生が有料サーバーに課金するのは無理なので「自宅サーバーを作れば自分のパソコンでCGIを動かせる」と思って自宅サーバーを作りました。
すさまじい実行力。それは有料サービスだったのでしょうか?
いえ、電気通信事業者の届け出もしたくなかったし、税金手続きをしたくなかったので、無料サービスでした。その頃チャット友だちがいて、彼らが使ってくれていました。そのうちひとりは、今のゲヒルンの専務です。あの頃から彼とチャットやスカイプをしていたので、人生の半分以上一緒にいる計算になりますね(笑)。
そんな石森さんの活動を見て、ご両親はどんな反応でしたか?
よくわかってはいなかったんですけど、とりあえず「電気代が高い」とは言われました(笑)。
そりゃそうですよね(笑)。
でも「これが止まると多くの人が困る」と言って説得してました。あとはサーバーの使用を審査制にしていて、利用目的と置くコンテンツの内容をオンラインではなく郵送してもらって1件ずつ精査していたんです。だから毎日のように知らない人から手紙が届いたので、それを不思議がっていました(笑)。

起業のきっかけは、テレビドラマの考察ブログ

そして、20歳で起業。現在は、セキュリティサービスをメイン事業とするゲヒルンを経営されているわけですが、セキュリティに興味を持ったきっかけは?
高1のとき、中学校に遊びに行ったらパソコン部時代の顧問に「セキュリティ・キャンプ(経済産業省やその他団体が主導する、セキュリティ人材の発掘・育成を行うための合宿)の案内が来てたから行ってみたら?」と言われて、応募してみたのがきっかけです。

かなり厳しい審査にどうにか受かって参加したんですが、そこで本格的にセキュリティを教えてもらいました。もともとサーバーは管理をしないと侵入されたり、スパムメールの踏み台になるので、レンタルサーバーをやっていると自然とセキュリティについて興味を持つんですが、セキュリティ・キャンプでの経験によってさらに興味が強くなりました。
なるほど。
同年代の人たちが参加していたので、そこで友だちができたのも大きかったですね。学校ではそういう友だちはいなかったんですが、全国から僕と同じようにサーバーやセキュリティが好きな人たちが集まっていました。そのときできた友だちのひとりは、アメリカのTwitter本社を経て、Google Cloudサービスを作って、今ではアメリカのベンチャー企業で働いています。
そこからゲヒルンを設立・起業した経緯は?
2008年にハッカーが世界を救う『ブラッディ・マンデイ』という漫画原作のテレビドラマがあったんですが、そのハッキングシーンが本格的に描かれていたものだったので、劇中のコマンドがどういう攻撃をしているのかなどの考察をブログに書いてみたんです。

すると『ブラッディ・マンデイ』のハッキングシーンを監修していたサイバーディフェンス研究所というセキュリティ会社の方から連絡があって、しばらくそこでバイトするようになりました。
どこにチャンスが転がっているかわからないですね。
大学に入ってからしばらくそこで働いていたんですが、役員から「起業してみたら?」と勧められて、やってみようと思って起業しました。最初はあえてデザインやウェブ制作をやっていたんですけど、やっぱりあんまり面白くなかったので、2011年くらいからセキュリティ分野に移行しました。

『特務機関NERV防災アプリ』開発秘話

ゲヒルンと「特務機関NERV」の最新の動きとしては、昨年9月に「特務機関NERV防災アプリ」としてスマホアプリをリリースしました。アプリ化の経緯を教えてください。
正直、「Yahoo!防災速報」や「NHKニュース・防災アプリ」があるなかで、今から参入したところでどうするのだろうという葛藤があったんです。でも、2018年末に『エヴァ』関係者の忘年会に誘っていただいたときに「防災アプリを作っている」と話したら、「NERVの名前を使っていいよ」と言われたんです。

「NERVの看板を背負うなら中途半端なものは出せない」と思い、リリースを半年遅らせて、デザインを全部やり直しました。そこで上がってきたデザインがすごくよくて、初めて「これならYahoo!やNHKと並んででもやる価値がある」と感じ、「防災」を何より重視したアプリを作ろうと覚悟を決めました。
具体的には、どのような点にこだわりましたか?
最初に「Twitterで実現できていないことをやる」という目的があり、それが位置情報の活用でした。データビジュアライゼーションが得意なメンバーがいたので、いろんな地図アプリを調べてどんな表示方法がよいかを徹底的に探り、地図表示と情報が時系列に並ぶタイムラインにこだわりました。
▲「特務機関NERV防災アプリ」の画面。地域の最新の災害情報が、リアルタイムに更新されていく。
それとデザインも当初は『エヴァ』カラーということで初号機の紫、零号機の黄、弐号機の赤という色が使われていたんですが、それらはそれぞれ特別警報、注意報、警報の色なんですよね。だから、必要な箇所以外でそれらの色は排除しました。また自分自身が色覚異常を持っているので、そういう人でも色が判別できるように明度や彩度の調整も行いました
▲洪水警報や土砂災害の危険度がレベルごとに色分けされており、ひと目で判別できる仕様に。
フォントに関しても、社内の人間から「普段会社で使っているAXISフォントを使えないんですか?」という声が上がったんです。AXISフォントをアプリで使用すると通常何千万円もかかってしまうのですが、どうにかフォントメーカーさんと交渉して、現実的な値段で使わせてもらえることになりました。
とても見やすい、落ち着いたデザインですよね。それでいて『エヴァ』ファン目線で見ると、実際に「NERV」の人が使っていてもおかしくないような印象を受けました。
極太明朝体を使えばわかりやすく『エヴァ』風になるけど、それは防災機能としてベストかというと、違うと思ったんです。NERVの看板を背負うからには“本当の防災“をしたいと思って取り組みました。
▲「特務機関NERV防災」のデザイナーは、アプリ開発に際して防災士資格を取ったそう。
天気予報機能をつけたねらいについても教えてください。
天気予報のねらいは、毎日防災アプリを開く習慣をつけてほしいというものです。どんなアプリを作っても、普段から開く習慣がないと、いざというときに「あのアプリを開こう」と思いつくことができないと思うんです。

日の出と日の入りの時刻表示も入れたのですが、これは被災したときや遭難したときに、活動時間を計るために重要な情報になるものです。

「便利で安心」というメッセージを入れなかった理由

アプリをリリースして、反響はいかがですか?
おかげさまで毎日大量のメールをいただいていますし、要望もたくさん来ます(笑)。最近だと「新型コロナウイルスの情報を!」などの要望も多いですね。あとは「雨雲レーダーのおかげで助かった!」という連絡もいただいていて、うれしいです。
▲ユーザーからの人気が高いという雨雲レーダー。「外出する際などに役立っている」という。
強い気持ちを持って作り出した成果ですね。
3.11の経験もあったので、自分の中では“やりたいこと”や“使命”という次元を超えて、もはや“義務”という気持ちでした。あの震災を経験して、次の世代に何も残さないという選択肢は自分の中になかった。だからアプリの冒頭にも、防災の想いを綴っています。

これまでの防災アプリは「便利で安心」というメッセージがどこかに入っていたのですが、僕らは「アプリの情報だけに依存するな」というメッセージを込めています

僕の家族が3.11の津波から生き残ったのはあくまで偶然で、再現性はないんですよね。次に津波が来たときに生き残れるかというと、そうではない。だからこそ、このアプリを通して少しでも生存の確率を上げたいと思っています。
▲石森氏の防災に対する想いが象徴された「特記事項」。「情報に依存しないでほしい」「自分の命は自分で守る」など、強いメッセージが記されている。
石森大貴(いしもり・だいき)
ゲヒルン株式会社代表取締役。1990年4月3日生まれ、宮城県石巻市出身。2010年にセキュリティサービスを主力事業とするゲヒルン株式会社を設立。2011年3月11日の東日本大震災を機にTwitter防災アカウント「特務機関NERV」の運用を本格化。輪番停電のための節電協力を呼びかけた「ヤシマ作戦」が大きな話題を呼ぶ。その後、同アカウントを拡大し、2019年9月にアプリ化した。
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