「人生で大切なことはすべてブースの中で教わった」鷲崎健、アニラジと歩んだ15年

アニメ・声優業界において確たる存在感を放っている、ラジオパーソナリティの鷲崎健。

30歳までコンビニでアルバイトをしていた鷲崎が、ひょんなことから飛び込んだアニラジ業界。初レギュラー番組となった『浅野真澄のスパラジ!』では、アクセス集中により配信用サーバーをダウンさせるなど、さまざまな逸話を残しつつ瞬く間に人気パーソナリティへと駆け上った。

高いテンションと軽妙なトークに加え、強めのツッコミをはじめとした愛のある絡み方は業界一。絡んだ相手を必ずおいしくすることから出演者たちからの信頼も厚い。

声優でも作家でも芸人でもアナウンサーでもない、肩書きゼロからの成り上がりっぷりはまさに「生ける伝説」と言えよう。

今回は、そんな鷲崎の経歴を本人の言とともに振り返りつつ、トーク術の秘訣や刻々と変化する声優業界への懸念、そして意外なプライベートまですべてを掘り下げていく。

撮影/小嶋淑子 取材・文/岡本大介 ヘアメイク/谷口祐人

夢や目標がないまま、芸能活動をスタートしました

きょうはアニラジの人気パーソナリティであり、アニメイベントの司会としても大活躍中の鷲崎健さんに、いろいろとお話をお聞きしたいと思います。よろしくお願いします!
ひとついいですか? このインタビューのお話をいただいたとき、企画書を拝見したんですけどね。
何か気になるところがありましたか……?
「アニラジ界の生ける伝説」って書かれていたじゃないですか? あのフレーズ、絶対にイキでお願いします。このインタビューが終わるころには伝説でもなんでもないことが露呈すると思うんですけど、でもこの言葉だけはぜひ残してほしくて(笑)。
まぁその、あれは企画書のアオリ文であって。
そこをなんとかお願いしますよ。人生において「生ける伝説」なんて、まず言われないじゃないですか。僕はこれからの人生、そのことを誇りに生きていこうと思っているので。
リード文に入れますね(笑)。では改めて、鷲崎さんの経歴を知らない人もいるかと思いますので、まずは現在に至るまでを振り返るところから始めたいと思います。
お願いします。僕自身、なんで今ここにいるのかよくわかっていないですからね(笑)。
1973年10月26日生まれ、兵庫県出身の46歳。大阪芸術大学に通われていたんですね。もともとは何を目指していたんですか?
とくに何も目指してはいませんでした。単純に、受けた大学の中で受かったのが大阪芸大だけだったんです。
しかも取得単位が0のまま中退したとか。
実際は2単位だけ取得したことになっているんですけど、それもコンピューターの計算ミスですから、実質0で、その通りです(笑)。
鷲崎さんは大学時代から芸能活動をスタートされているんですよね。
高校時代に僕の兄貴が「バンドやるぞ」と言い出して、「ワシザキーズ」というバンドをやっていました。そのライブをたまたま見に来ていた人が芸能事務所を立ち上げることになり、誘われるがまま入ったのが最初ですね。
お兄さんと一緒に「ワシザキーズ」として?
いや、兄貴はもう社会人になって舞台照明の仕事に就いていたので、僕だけですね。
それは鷲崎さんの音楽的な才能を買って、ということでしょうか。
音楽はまったく関係なくて、社長が言うには「舞台上での居住まいがよかった」と(笑)。本当かどうかわかりませんけど、事務所を新設したばかりだったのでタレントの頭数が欲しかったんだと思いますね。
芸能事務所に所属してからは、どんな活動をされていたんですか?
若手の集まりだったので、ライブでもコントでもなんでもやるという劇団のような活動をしていましたね。照明や音声などの裏方をやったかと思えば演者もやったり、とにかく言われるがままになんでもやっていました。それなりに楽しかった思い出があります。
その当時は、ミュージシャンか芸人を目指していたんですか?
いや何も。
とくに目標がなく芸能活動をする人がいるんですね?
ですよね。でもここにいたんですよね(笑)。

大学を中退して上京。風呂なしアパートでの暮らし

大学4年生のときに上京されたんですね。
事務所が丸ごと東京に進出することになって、僕らも一緒に出てきたんです。両親には「俺は夢を叶えるために東京に行く。大学を中退するのは悔しいけど、でも今しかないと思うんだ」と熱く語って(笑)。もちろん夢なんてなかったけど、大学を卒業できる見込みがゼロだったから、これはむしろチャンスだと思って。
上京を理由に中退しようと。
そう。今となっては親も僕のWikipediaを読んで真相を知っているかもしれないけど、一応、僕は夢を追いかけて上京したことになっていますね。
上京後はどんな生活を送っていたんですか?
社長が葛飾区の四つ木出身だったので、上京した仲間はだいたいその周辺にアパートを借りたり、一軒家をシェアしたりしていました。僕は青砥で3万円の風呂なしアパートに住んでいました。隣に外国人の一家が住んでいて、何語だかよくわからない不気味な子守唄が延々と聞こえてきたりしていたなぁ(笑)。

コンビニでバイトをしながら、事務所の仕事があればそっちをやるという生活でしたね。
そんな生活が長く続いたのですか?
いや、23歳のときにバーのマスターになりました。と言っても、事務所が所有していた練習スタジオにバーが併設されていて、そこを任されたというだけなんですけど。そこは一般のお客さんも入れるんですけど、ほとんどのお客さんは練習スタジオを使っているミュージシャンたちでした。
今に通じる話術は、もしかしてバーのマスター時代に培われていたり?
どうなんでしょう。ただ僕はそれまでバーというものに行ったことがなかったので、「正しいマスター像」がわからずに、ひとりでずっとしゃべっていたのはたしかです。
夢を追いかけている人たちを間近に見たことで、ご自身も感化されたりは?
まったくないです(笑)。毎日どんちゃん騒ぎで楽しかったんですけど、おそらくいちばんダメな時期でもあったと思いますね。スタジオ兼バーですから、仕事なのか仲間内の飲み会なのかもよくわからない、ただただ朝まで飲んでグダグダになってね。結局あの場所に集まっていたヤツで世に出た人はひとりもいないんじゃないかな……。

「鷲崎くんってギター弾けたよね? じゃあ曲作ってよ」

ここまでのお話ではラジオの“ラ”の字も出てきませんが、鷲崎さんとラジオの出会いは?
伊福部崇くんとふたりでやっているポアロというユニットで、かつしかFM(葛飾エフエム放送)でMCをしたのが最初かな。たしか上京したての22歳だったと思います。
そんなに早い時期からラジオに関わっていたんですね。
ただこれをプロとしてのキャリアと言っていいのかは疑問なんですよ。僕はただ伊福部くんと雑談をしていただけで、当時はマイクの先にリスナーがいることなんてほとんど意識していませんでしたから。
ただの雑談気分だったんですね。
伊福部くんはもともとラジオが大好きですから、すごく楽しそうにしゃべるんですが、僕はそんな伊福部くんを横目に見つつ「こんなに楽しそうにしゃべるんだから、ラジオにはきっと俺の知らない魅力があるんだろう」なんて思っていました。完全にラジオごっこでしたね。
相方である伊福部さんの存在は大きいですね。
大きいですね。伊福部くんとは大学時代に仲良くなってユニットを組んだんですが、ポアロが音楽をやり始めたのも伊福部くんの発案で、しかもラジオ局に売り込みをするためだったんです。

彼がある日「鷲崎くんってギター弾けたよね?」と聞いてきて、「弾けるけど?」と答えたら「じゃあ曲作ってよ。歌詞は僕が書くから」と。彼の中では「ギターが弾ける=作曲できる」だったんですよね。かなり乱暴ですよね。
伊福部さんから求められるままに作曲活動を始めたんですね。作って、と言われてできちゃうのもスゴいですけど。
僕は小器用だけで生きているので(笑)。
お兄さんからの「バンドやるぞ!」の一声でワシザキーズを結成したのもそうですが、基本的に人からの無茶振りを断らないんですね。
流されるままに生きてきました。……あの、ここまで美談らしきものはゼロですけど、本当に大丈夫ですかね?
面白いので全然大丈夫です。いずれにしろ鷲崎さんにとっては伊福部さんとのラジオが原点なんですね。
そうですね。ラジオに必要なことのほとんどは伊福部くんから学んだと思います。

裏方として入ったラジオ業界で、パーソナリティに抜擢

文化放送のラジオに呼ばれたのも、最初は伊福部さんからの紹介なんですよね。
そうですね。伊福部くんは最初こそポアロとして売り出そうとしていたんですが、そのうち放送作家としての仕事も安定してきて、今さらポアロとして売れようという気持ちもなくなってきて(笑)。

そんな折、彼が参加していた『小野坂・伊福部のUNHAPPY』という番組で楽曲を作ることになり、僕が呼ばれたんです。「鷲崎くんってギター弾けたよね?」って(笑)。
完全に裏方として呼ばれたんですね。
そうです。でも小野坂昌也さんも優しい方なので、僕を番組に出演させてくださって。何回か出演させてもらっているうちに、文化放送A&Gゾーン(以下A&Gゾーン)のお偉いさんから「番組やってみる?」って声をかけられたんです。
それが2003年の『浅野真澄のスパラジ!』ですね。かなりの大抜擢ですよね。
当時はわりとお試し的な感じで、いろいろと冒険できる風潮があったんですよね。とはいえ予算は少ないわけで、だからこそ僕に白羽の矢が立ったのかなと。
オファーをもらったときの心境は?
それまでにいくつかの声優さんのラジオ番組にゲストで出演させてもらっていたりして、なんとなくノリはわかっていたつもりだったので、「とにかくツッコんでおけばいいんでしょ」みたいな、わりと舐めた感覚で気軽にオッケーしました(笑)。当時の僕は、まだまだラジオに対するポリシーも美学も、何もなかったですね。
そのわりには『浅野真澄のスパラジ!』はものすごい人気が出ましたよね。
これは純粋に浅野さんが天才だったからなんですけど、ただその天才性というものは、どういうわけか僕が相手のときにだけ発揮されるんです。つまりはコンビとしてハマりがよかったんです。
その人気を受けて、A&Gゾーンの『A&G 超RADIO SHOW〜アニスパ!〜』(以下、『アニスパ!』)のパーソナリティへとつながっていくわけですよね。21〜23時の生放送、しかもA&Gゾーンの看板番組ということで、大出世じゃないですか。
でもそのころの僕はまだコンビニでバイトをしていたんですよ。当時の文化放送の重役たちは、浅野真澄とコンビニ店員を、21〜23時のワイド番組でしゃべらせようとしたんですよ(笑)。
(笑)。でもさすがにそのころには、ラジオパーソナリティとしての自覚もありましたか?
そうですね。『アニスパ!』をやるとなったときには、ちゃんとしなきゃと思ったような気もします。浅野さんだけを相手にしていればよかったのが、これからはゲストを招くことになるので、アニメや声優のことも知っていかなければと。

それで初めてほかの声優さんのラジオを聞いてみたり、深夜アニメなるものをチェックしてみたりしました。たしか最初に『フタコイ オルタナティブ』を観て、「うーん、よくわからん」ってなった覚えがあります(笑)
それまでは、アニメや声優のことはほとんど知らなかったんですね。
まったくと言っていいほど知りませんでした。もともと僕はテレビの『ジャンクSPORTS』というトークバラエティ番組をイメージしていたんですよ。ダウンタウンの浜田(雅功)さんがスポーツ選手たちにツッコミを入れていくあの感じって、スポーツ業界に明るい人だと逆にできなかったりもするじゃないですか。
選手側のスゴさをわかっていますから。
そうそう。だから僕自身がそこまでアニメや声優にくわしい必要はないんじゃないかなと。ただしばらくやっているうちに、声優さんたちの本職であるアニメやキャラクターにまったく触れないのも失礼だなと思うようになり、それからは真剣にアニメを観るようになりました。
実際にアニメを観るようになって、ハマったりもするんですか?
それが、僕自身にオタク要素がまったくないので、そういうハマり方はしないんです。これはアニメに限った話じゃなくて、僕はかなりの音楽好きではあるんですが、音楽オタクではないんです。僕の好きなブルースにしても、愛好家なら「○○年に○○スタジオで録音した音源がベスト。なぜなら……」とか語りだすんですけど、僕はそんな話さっぱりわからないし興味もない。CDに同梱されているライナーノーツを読んだことさえないですから(笑)。

ソースの味じゃなく、出汁の味で食べてもらいたい

ラジオに本気で取り組むようになって、最初に手応えを感じた瞬間は?
『セガサミーアワー はーい井上商店ですよ!』ですね。あの番組は井上喜久子さんと井ノ上奈々さんが僕の娘という設定で進む、コント仕立ての番組だったんですが、井上喜久子さんの人柄もあり、すごくアットホームでハートウォーミングな雰囲気だったんです。

かたや同時期にやっている『アニスパ!』はめっちゃエッジが効いた尖った番組だったので、「あれ? 俺ってどっちもできるんだ」とわかり、そこでちょっと自信がついた気がしましたね。
鷲崎さんのトークが斬新だったのは、声優さんに対する新しい絡み方を開拓してみせたことだと思います。ご自身のスタイルについてはどう思われますか?
僕はほかのやり方を知らないので、これが王道なのか邪道なのか、新しいのか古いのかもよくわからずにやっていたんですが。知り合いに「これまでの声優ラジオは下ネタを大声で言うことが面白さのすべてだったけど、人間性そのものを面白くしたのは『アニスパ!』が初めて」と言われたことがあって、「そうだったのかな?」と思ったりはしました。

これはよく言うことなんですけど、「ソースの味じゃなく、出汁の味で食べてもらう」ということは、今でもすごく意識しています。
“出汁”というのは、その人の人間性のことですよね。たしかにそういうところが垣間見えると、リスナーとしては本当に嬉しいですよね。
そうだと思います。とくにゲストに女性を迎えているときには、僕のラジオに出演しているときが「いちばん可愛くあれ」といつも思っています。それはデコラティブな可愛さではなく、あくまで人間性の魅力であるべきで、心の奥底にあるものが思わず見えちゃったときの可愛さなんですよね。
ゲストに来られる声優さんの中には初対面の方もいると思うんですが、相手のことを事前にどれだけ調べるんですか?
基本的にはほとんど調べません。『アニスパ!』時代にはある程度調べていた気もするんですけど、下調べしてうまく転がったことって、僕の場合はそんなにないんですよ。これはパーソナリティのタイプによるとは思いますけど、僕は即興でのセッションのほうが性に合っているなとつくづく思います。

フラットな状態でドンっと始まって、あとはもう伸るか反るか。もちろん失敗することもありますけど、でもそのほうがいいダンスを踊れる感じがするんですね。
放送中に「やった!」と嬉しく思うのはどんなときですか?
営業用ではなくて、自分の言葉で気持ちを表現してくれた瞬間ですかね。先日も石原夏織ちゃんと絡んだとき、ああ、全部こちらに委ねてくれているなと感じて嬉しくなりましたし。まぁでもあの子は天才だから、きっと誰と絡んでも面白くなるんでしょうけど。

あと最近だと、水瀬いのりさん。あまりほかではやらないだろうなという絡み方をしても、それに素直に乗っかって楽しんでくれるんです。「力強い楽曲ばかりのアルバムなのに、ジャケット写真だけはなぜかアンニュイですよね」と振ったら「ジャケット詐欺でしょ」とか「私、なぜか口が半開きの写真ばっかり使われるんです」とか返してくれる(笑)。ちゃんと自分の言葉でしゃべってくれているなと感じるんです。

とくに若い子だと、自分の言葉でしゃべるのってちょっとおっかないと感じると思うんですよ。それでもしゃべってくれたときは、僕というか、ラジオを信じてくれた瞬間でもあると思うので、とても気持ちがいいんですよね。

ラジオはキャッチボール。ホームランは必要ない

鷲崎さんって、基本的にツッコミがかなりキツいじゃないですか。この人にここまで言うんだと驚くこともあるんですが、これまでに「やらかした!」という大失敗はありますか?
それがないんですよね。僕が唯一褒められる点があるとするならば、こんな芸風なのに、この15年間で一度も致命的な地雷を踏まなかったことです(笑)。
地雷まではいかなくても、たとえばトーク中に「これはヤバい」と思うことはあるんですか?
それはつねにあります。ただ、この方向ではダメだなと思ったら瞬時にやり方を変えます。挽回するのも仕事のうちですから、最後までダメなままで終わることはほとんどないですね。

まぁ、この人は結局告知しかしてくれなかったな、と思うこともありますけど。僕は昔からゲストで来てくれた若い子に「自分のファンを楽しませるのは当たり前で、ファン以外の子を楽しませるのがあなたの仕事だよ」と言うんです。それなのに、最後の最後まで自分のファンに向けた顔しか見せてくれなかったときには、やっぱり凹んじゃいますね。
鷲崎さんも落ち込むんですね。
終わってから落ち込みますね。放送中=試合中ですから、最後までファイティングポーズは崩さないつもりでいます。
ラジオやイベントを通して、ずっと若手声優を見てきているわけですが、この15年で変わったなと思うことはありますか?
確実に言えるのは、圧倒的にしゃべりがうまくなりましたね。今の声優さんって、歌やダンスはもちろん、バラエティをするのも当たり前になってきているので、レベルがどんどん上がっていて。

ラジオに関しても、子どものころから好きな声優さんのラジオを聞いて育ってきている子が多くて。堀江由衣さんや田村ゆかりさんのラジオとかね。だからラジオ愛も強いですし、感情表現の技術も高いから、そこは純粋にスゴいなと感心しますね。とくに女の子はその傾向が強いと思います。
男性に関してはいかがでしょうか。
端的に言うと、男の子はすぐにホームランを狙おうとするんです。これがテレビだったらいいですし、むしろ狙うべきなんですけど、ことラジオに関して言えば、別物なんですよね。
ラジオでホームランは狙ってはいけない?
ラジオはキャッチボールなんです。こちらが投げた球に対して、どんなふうに捕球してどんな球を返してくるか、その「投げざま」こそがラジオの視聴者が求めているもので、そこに人間性が滲み出るんですが、男の子はついつい打ちにいきたがるんですよ。そうするとそこで会話は止まっちゃいますし、積み重ねができなくなるんですよね。
テレビとラジオでは、明確に役割が違うんですね。
僕はそう思っています。もちろんすべての男の子がそうではないですし、ちゃんとキャッチボールができる人もいるんですけど、全体の風潮としてはそうなっている気がしますね。

ファンあってのタレントですから、そういう意味では仕方のない部分もあるとは思うんです。でもラジオ業界に身を置くものとしては、やっぱりそこに対しては譲れない気持ちもあるんですよね。

イベントの司会として、終了時刻を絶対に守ると決めた

アニメや声優のイベントの司会も務めている鷲崎さん。ラジオとはまた違った醍醐味や魅力があると思いますが、いかがですか?
イベントはダイレクトにお客さんの反応が返ってきますし、しかも壇上でいちばん偉いのが司会者である僕なので、その特権を振りかざす瞬間は格別ですよ(笑)。とはいえ、イベント中は僕自身も半分演者のようになってしまうので、一緒にはしゃいでいる感覚も強いです。
最近では、鷲崎さんがキレることでその場を収めるというやり取りも定番化してきましたよね。
あれは本当に怒っているんですけどね。みんな本当に好き勝手に暴れるので、僕以外の司会者はあれをどうやって収めているんだろうって不思議に思うくらい。

でもよく考えたら、僕が司会じゃなければそもそも暴れたりしないんでしょう。そこは僕を信頼して身を委ねてくれているということなので、むしろありがたいんですけど。でもその瞬間は本当に腹が立つ(笑)。
イベントの終了時刻を絶対に守ることをポリシーとしているそうですね。
それは苦い経験があるからです。初めて司会をしたときに、いろいろと押してしまって終了時間をオーバーしたんです。その瞬間はそんなに気にしていなかったんですけど、最後まで見れずに途中で帰った人がいたとあとで聞いて。

当たり前のことなんですけど、当時はそういうことすら考えたこともなかったんですよね。それで猛反省して、それからは時間は絶対に守るようにしたんです。まぁ今となっては趣味のようなもので、いつも残り時間0秒ピッタリで終わらせてやろうと狙っています。

つい先日も「俺は時間ピッタリに終わったら心が勃起するんだ」と話していて、実際に時間ピッタリにイベントが終わったら、前野(智昭)くんから「鷲崎さん、今心が勃起しているんでしょ?」って言われたばかりです!
鷲崎さんが司会のイベントでは、演者の皆さんが本当にイキイキとしている印象を受けます。イベント司会で心がけていることはありますか?
ぶっちゃけて言えば、イベントにはすべて台本があるので、その通りに進行すれば司会は誰でもできるんですよ。でも僕がやったからこそこうなった、こういう方向で盛り上がったというのが欲しいなとは思っています。そのために、お客さんにはわからないように、密かに“奇跡のタネ”を撒いているんです。
“奇跡のタネ”ですか?
そう。序盤のうちから、のちのちにドラマや事件に発展するかもしれないフリをたくさんばら撒いておくんです。そのほとんどは花が咲かずに終わるんですが、ひとつかふたつはイベント中に花開くことがあるんです。その花はきょうここにしか咲かない花なので、会場に来てくれたお客さんだけが見ることができる。それを見せられるかどうかが、司会者の仕事だと思っています。
短いイベント中に、そこまでのドラマを作り出せるのがスゴいです。どのくらい先まで見えているんですか?
カーナビのルート計算のように、予定のコースから外れるたびにリアルタイムで再計算をし直しているような感覚です。たまにビカッとひらめいてオチまで見えるときもあります。今ここにこういうボールを投げると、こいつの頭に当たって、こぼれた球に日笠(陽子)がつまずいて、それをあいつがゴールするだろう……とか(笑)。それがその通りになったときは、これまたすごい達成感がありますね。

トークが上達するいちばんの早道は?

アニラジのパーソナリティで、声優でもアナウンサーでも芸人でも作家でもなく、かつアニメファンでもない鷲崎さんのようなタイプは非常に珍しいと思います。ご自身でその特殊性のようなものは感じていますか?
それはもう、こういう立場にいるのは僕だけだと思っていますね。それが強みでもあり、同時に弱みでもあることも感じていますし。

つい先日も業界の知り合いから「司会候補から鷲崎さんの名前が落とされていく様子を何度も間近で見てきました」と言われました(笑)。僕はなんの肩書きもないですから、お偉いさん方からすると使いにくいだろうなとも思うんですよ。まぁでも、それは今さら考えても仕方のないことですからね。
パーソナリティをするうえでのポリシーだったり、心がけていることを教えてください。
嘘をつかないことですね。トークがうまくなるいちばんの早道って、「楽しそうにしゃべることができる」ことではなくて、「本当に楽しいと思えるようになる」ことだと思うんですよ。その意味で、僕はこの15年間、ちゃんと嘘をつかずにしゃべれてきたなと自負しています。
簡単そうに見えて、それがいちばん難しい気がします。
数多くやっていると、最初は面白がっているだけのつもりが、だんだんと本当に面白いと感じてくるんですよ。
その人のいいところに自然と目が向くようになるんでしょうか。
そうですね。僕は昔、1日3本、3ヶ月で300本ほど映画を観まくったことがあるんです。もともと映画をほとんど観ない人間なんですけど、ふと思い立って。

するとどんどん批評眼が冴えていって、この映画はここがダメだとか、これは素晴らしいとか、自分の中でランキングが作れるようになっていく。でもあるときを境に、どの映画も面白く感じてくるんですよ。どんな作品にもチャーミングなポイントがあって、それを純粋に楽しめるようになってくる。

ゲストとのトークもそれと同じだとは言いませんけど、そういう面白さを捉えるセンサーを敏感にしていくことで、誰としゃべっても面白いと感じるようになるのかもしれません。そのうえで、ゲストの本音や人間性をのぞけたときには僕の心も思わず動くし、それがラジオでのトークの、いちばんの醍醐味だと思っています。

スタジオから出ると、人としゃべることができなくなる

現在放送されている『鷲崎健のヨルナイト×ヨルナイト』(以下、『ヨナヨナ』)は月〜木の帯番組ですし、他のレギュラー番組やイベント司会なども考えると、かなり多忙ですよね。
『ヨナヨナ』は3年半くらい前に始まったんですけど、それ以前にどんな生活を送っていたか思い出せないくらい、生活が激変しましたね。
深夜番組ですし、生活リズムをキープするのは大変ではないですか?
毎日深夜2時くらいに文化放送を出て、家に帰って4時か5時くらいに寝るというリズムは一定ですから、そんなに大変ではないです。

ただ土日になるとイベント司会があるので、今度は朝早く起きなくちゃいけない。それについてはお医者さんにも「こんな生活を続けていたら自律神経失調症になるよ」と言われました。今はまだなんともないですが、これからどうなるんでしょうか(笑)。
もっと休みたい、とは思いませんか?
昔のほうが休みたいと思っていましたね。でも今は休みになると何をしていいかわからなくなるので、できるだけ仕事をしていたいですね。
休日にやる趣味はとくにないんですか?
ないです。ラジオをやっているときと家でギターを弾いているとき、あと散歩しているときがいちばん楽しいです。人としゃべりたいのか、しゃべりたくないのか、自分でもどっちなのかわからないですね。
そういえば、鷲崎さんはプライベートではあまり人と話さないと聞いたことがあります。
あまりというか、僕はスタジオから出たらほとんど何もしゃべりません。基本的に人が怖いので(笑)。僕がスタジオ外で話せる人って、ラジオやイベントで何回も共演して、気心が知れた人だけですから。
プライベートで友達と飲みに行ったりすることもあまりないんですか?
本当に友達がいないんでねぇ。『ヨナヨナ』の話を聞いたとき、「これを引き受けたらあんまり飲みに行けなくなるなあ」って一瞬考えたんですが、よく考えたら誰とも飲みに行っていないことに気がついて、「やります」と即答したくらいですから(笑)。

昔は共演していた久保ユリカとよく飲みに行っていましたけど、彼女も忙しくなったしなぁ。今はもっぱら後輩の青木佑磨くんだけですね。完全に彼が僕の相手をしてくれていますね(笑)。
ひとりでいることに寂しくなるときはないですか?
そりゃありますよ! でもそんなときも誰にも連絡ができないんですよ! これは性格的なもので、俺なんかから連絡が来たら相手は迷惑だろうなって考えちゃうんです(笑)。だから、つくづくラジオをやっていてよかったです。告知物という免罪符のおかげで、こうして楽しくしゃべる理由ができてますから(笑)。
ラジオではあれだけハイテンションでしゃべり倒しているだけに、意外な一面ですね。
オンエア中は調子に乗っているので誰とでもしゃべれるんですけどね。それ以外だと無理ですね。
ちなみにプライベートであまりしゃべらないのは、ご家族ともそうだったんですか?
そうですね。だから僕の両親は、僕がラジオのパーソナリティをやっていることを知ったときにはさぞびっくりしたと思いますよ。
今でも実家に帰ったら無口なタイプに戻るんですか?
いやそれが、実家では超しゃべるようになりました。大人になってくるにつれて、両親のことをもっと知りたいと思うようになってきたんですよね。

ただ露骨に質問攻めにすると「俺、もう死ぬんかな」と思われそうなので、さりげなくスッと聞くようにしているんですよ。「俺も神戸時代よりも東京のほうが長なってもうたな。あれ? そういえば親父は何歳のときに佐賀から神戸に来たん?」みたいに(笑)。
トークスキルがこんなところで生きるとは。
文化放送で培った技術で、鷲崎家を盛り上げてます。80歳になる父親から聞く「チェ・ゲバラはカッコええな」とか、かなり新鮮ですよ。自分の親なのに、「こんな人だったんだ」と改めて知ることも多くて(笑)。

流れに身を任せて飄々と生きた結果、今の自分がいる

今後の夢や目標のようなものはあるんですか?
ないですね。そもそもこれまでの人生で目標や夢といったものを一度も持ったことがないんですよ。むしろ「夢なんて持つからダメなんだ」と言っていたくらいで(笑)。

人に言われるままにアニラジ界に流れ着いて、「ここで居場所を作れ」と言われてやっていたらだんだんと楽しくなっていって、気がついたら自分なりにプライドやラジオ愛なんかも生まれてきて、というのが僕の今なんです。
流れに身を任せて飄々と生きた結果、今の姿があるということが本当にスゴいと思うんですよね。
日本有数のラッキーマンだと思ってます。苦労した覚えも下積み時代もないですし。
運だけの話じゃないと思うんです。流れに身を任せるのは勇気もいることですし。大抵の人は、将来が不安になって、そんなに好きでもない仕事でも働き口があれば就職しようかと考えるんじゃないかと。
ああ、それで思い出しましたけど、30になる手前くらいに、フラついている僕を心配した兄貴が「俺の会社に来ないか?」って声をかけてくれたんですよ。でも僕は断りました。「大丈夫!」つって。
断っていたんですか……! でもそこで就職していたら、ラジオ業界に入っていなかったわけで、今考えるとすごく大きな分かれ道でしたね。
ははは、そうですねぇ。
ではこの感じのまま、今後もずっと生きていくと。
なんか聞こえがよくないですね(笑)。あ、そういえば、ここ1年でやっている遊びで「これまで自分にかけてきた魔法を解く」というのがあって、それは自分なりの変化というか、改革に近いかもしれません。
それはどういう意味でしょうか?
僕は今46歳なんですけど、「甘いものが苦手」だということになっているんです。でもふと、それっていつ頃からか自分が自分に勝手にかけた魔法なんじゃないのって思ったんですね。40も半ばになると、いろいろと凝り固まってくる部分ってあるじゃないですか。自分で勝手に思い込んでいたことを疑ってかかって、魔法を解いてみようと。それは好き嫌いだけじゃなく、価値観や人生観も含めて。
46歳でそういうことをしようと思うのは、大きな変化かもしれませんね。
武田鉄矢さんのエッセイ本を読んでいたら、45歳で人生の降り方を考えろと書いてあるんですよ。僕は「マジで? まだまだこれからじゃないの?」って、それに大きな衝撃を受けたんです。

でもひょっとしたらこの「魔法を解く」作業が、自分なりの人生の降り方というか、人生の折り返しを過ぎた表れなのかもと思いますね。
ではこれが最後の質問になりますが、鷲崎さんにとってラジオとは?
昔の芸人さんって、飲む・打つ・買うなどの破天荒なプライベートが芸の肥やしになると言われていましたけど、僕の場合はその逆で、ブースの中で起こったことや学んだことが、そのままブースの外の生活に役立っているなと思います。そういう意味では、「人生で大切なことはすべてブースの中で教わった」ような気がするんですよね。

……どうですか? かなり使いやすくていい感じの締めじゃないですかね(笑)。
さすがです。いただきます!
これに、最初に言った「生ける伝説」を加えてもらえれば、かなりいい感じにまとまるんじゃないですか?
推しますね。僕としてはむしろ「心が勃起する」を絡めていこうかなと思っているんですが。
じゃあ「アニラジ界の生ける伝説、ブースで勃起しまくる!」。いやこれはさすがにヤバいでしょ?(笑)
鷲崎健(わしざき・たけし)
1973年10月26日生まれ。兵庫県出身。B型。大学在学中に伊福部崇と音楽ユニット・ポアロを結成。音楽活動を続ける傍ら、『小野坂・伊福部のUNHAPPY』に作曲担当として招聘(へい)されたことをきっかけにラジオ出演が相次ぎ、2003年『浅野真澄のスパラジ!』で初のレギュラー出演。2004年に文化放送 A&Gゾーンの看板番組『A&G 超RADIO SHOW〜アニスパ!〜』のパーソナリティに抜擢され、以降はアニラジ界を代表するラジオパーソナリティとなる。現在は『鷲崎健のヨルナイト×ヨルナイト』をはじめ『鷲崎健のアコギFUN!クラブ』、『鷲崎健・藤田茜のグレパラジオ』など多数のレギュラー番組を抱えるほか、アニメ・声優イベントの司会としても活躍。

サイン入りポラプレゼント

今回インタビューをさせていただいた、鷲崎健さんのサイン入りポラを抽選で3名様にプレゼント。ご希望の方は、下記の項目をご確認いただいたうえ、奮ってご応募ください。

応募方法
ライブドアニュースのTwitterアカウント(@livedoornews)をフォロー&以下のツイートをRT
受付期間
2019年12月13日(金)12:00〜12月19日(木)12:00
当選者確定フロー
  • 当選者発表日/12月20日(金)
  • 当選者発表方法/応募受付終了後、厳正なる抽選を行い、個人情報の安全な受け渡しのため、運営スタッフから個別にご連絡をさせていただく形で発表とさせていただきます。
  • 当選者発表後の流れ/当選者様にはライブドアニュース運営スタッフから12月20日(金)中に、ダイレクトメッセージでご連絡させていただき12月23日(月)までに当選者様からのお返事が確認できない場合は、当選の権利を無効とさせていただきます。
キャンペーン規約
  • 複数回応募されても当選確率は上がりません。
  • 賞品発送先は日本国内のみです。
  • 応募にかかる通信料・通話料などはお客様のご負担となります。
  • 応募内容、方法に虚偽の記載がある場合や、当方が不正と判断した場合、応募資格を取り消します。
  • 当選結果に関してのお問い合わせにはお答えすることができません。
  • 賞品の指定はできません。
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