悩み、もがいたからこそ今がある。アーティスト・仲村宗悟が積み重ねてきた13年7ヶ月

「まるで太陽のような人」――声優・仲村宗悟を、そう評する声は多い。

いつも明るくパワフルで人々を笑顔にする彼を見ていると、なるほどたしかに、とうなずける。しかし、これまで彼がたどってきた道のりは、決して順風満帆ではなかった。かつてアーティストを目指していたこと、26歳で声優デビューという遅咲きのスタートであったことを知る人も多いだろう。

2006年3月、沖縄県の高校を卒業した後に上京。介護職などのアルバイトをしながら音楽活動を続ける中、“もうひとつの夢”として声優を目指すことになる。

その後、人生初のオーディションで『アイドルマスター SideM』の天道輝役を勝ち取り、キャリアをスタート。そして今年、31歳にして、第13回声優アワードの新人男優賞を受賞した。

声優として着実にキャリアを築き上げながらも、彼はひとときも忘れずに“音楽”という夢を温めていた。心の中で消えることなく燃え続けていたその炎が、この秋、「アーティストデビュー」という形で人々を照らす。

撮影/宮坂浩見 取材・文/たまお
スタイリング/奥村渉 ヘアメイク/fringe
衣装協力/ADONUST MUSEUM(tel.03-5428-2458)、Velvet Lounge(tel. 03-6434-0594)

このままじゃ人生が楽しくなくなる! 決意した子ども時代

仲村さんは沖縄出身ですね。小さい頃はどんなお子さんでしたか?
実は大人になってから知り合った人には意外に思われるくらい、友達も全然いなくて泣き虫な子どもだったんですよ。でも小学6年生のとき、子どもながらに自分の未来について考えたことがあるんです。「俺、このままだと将来、人生が楽しくなくなるんじゃないか?」って。

それで中学生のときにハンドボール部に入りました。そうしたら友達もできるようになって、完全に“中学デビュー”ですね(笑)。それまではスポーツも全然できなかったのですが、2年、3年と成長するにつれて体つきもしっかりしていきました。
中学生の頃は、合唱コンクールで独唱を務められたとインタビューでお話されていましたね。
中学3年生のときですね。仲のいい音楽の先生が、出てみないかって言ってくれたんです。

「はい!」って二つ返事で引き受けたものの、当時の僕はすごく緊張しいだったので、いざ本番になったら自分の目で見てもわかるくらい、足が震えていたんです。でもその経験で、ステージに立つ高揚感を知ったような気がします。
緊張してしまうのを克服できたのは、いつ頃だったのでしょうか?
声優になってからですかね。それまでは“悪い緊張”をしていたのですが、いろんなステージに立って、たくさん現場を経験させていただいてから、(パフォーマンスにプラスの影響を与えられるような)“いい緊張”になりました。
そして高校生のとき、ミュージシャンを夢見るようになったんですよね。ご家族の影響もあったとか。
小さい頃から家にクラシックギターがあったんです。歌謡曲がたくさん載っている“歌本”を見ながら父が弾き語りをしてくれたので、音楽は身近な存在でしたね。高校ではコピーバンドを組んでいました。ライブもしないようなバンドだったんですけど、みんなで集まってGLAYとかを演奏したり。

そういえば、ギターが弾ける友達と海の近くのホテルのすぐ横で歌っていたとき、ベランダから見ていた宿泊客の方が「お兄さんたち、もう1曲歌ってよ!」って言ってくれたことがありました(笑)。

音楽が好きなら、無理にその気持ちを拒絶しなくてもいい

そして、高校卒業後に上京。沖縄で音楽を続けず、東京に出ようと思った理由は?
高校生の頃にはもう、人とコミュニケーションをとるのが好きになっていたんですよね。だからこそ沖縄で、狭い枠の中だけで人生を終わらせたくないなっていうのがあって。

東京に出たら、まったく知らない人だらけじゃないですか。中学生のときみたいに新たな関係を一から築いていくっていうのを、もう一度やりたいなと思ったんです。
なるほど。しかし、音楽の道はなかなか上手くいかなかったと。
上京後は専門学校に通っていたのですが、学校って、“安心を買う場所”でもあるなって思うんですよ。「学校に行ってるからまだ大丈夫」っていう気持ちが絶対どこかにあって、卒業してから、まさに自分がそうだったんだなって思いました。

具体的には、卒業して、またまっさらになったとき、焦りが出てきてしまって。「どうしたらいいんだろう」って思う日々はかなりありましたね。

それでも、沖縄に帰ることはまったく考えていなかったです。何だろう……根拠のない自信みたいなものがあったんですよね。成功するというより、「何かできるだろう!」っていう。それもアホな考え方なんですけど(笑)。
音楽をやめようと思ったことも、一度もなかった?
そうですね…。たとえば自分の同期からも、「もう音楽はやめたよ」って聞くことがあるのですが、「音楽をやめる」って何だろうなって思うんですよ。きっとそいつの家にもまだギターとかあるだろうし、音楽なんて日常にあふれかえっている。趣味で弾くにしろ何にしろ、「やめる」ということがわからないなと。

「音楽を好き」って気持ちが自分の中に残っているなら、無理に拒絶しなくてもいいなって。僕自身は、ずっと音楽を好きだと思い続けていました。
当時の仲村さんを支えてくれたものは、何だったのでしょうか。
常にいろんなところから影響は受けていました。バイトもいろいろしましたが、とくに長くやっていたのが介護の仕事だったんです。

その仕事に出会って、利用者の方や同僚と話をしながら、「やっぱり人生は楽しくあるべきだ」って思う瞬間が何度もあったんですよ。あの頃に学んだことは多かったと思います。

人生初のオーディションで飛び出した「運命の一言」

その頃、ご友人がキッカケで声優の養成所に入られたんですよね。
はい。音楽仲間が芝居もやっていて、声優の学校に通っていたんです。その友達がキッカケで、「声の芝居ってこんなに奥が深いんだ!」って興味をもって。僕はそれまで、声優に関することをまったく知らなかったんですよ。でも、その魅力にとりつかれて以来、もうひとつの夢ができたんです。

僕は、人生に楽しいことはいくつあってもいい、たくさんの楽しいことで彩ったほうがいいって思うので、その夢を目指そうと決めました。養成所時代は、とにかく何でもやってみようってがむしゃらに挑戦していましたね。
そして今の事務所に入り、『アイドルマスター SideM』のオーディションを受けられました。
人生で初めてのオーディションだったんです。もともとは柏木翼を受けていたのですが、そのオーディションで「他にも受けてみたい役はある?」って聞かれ、「天道輝をやりたいです」と答えて、結果受かったという形です。
運命の一言だったんですね!
本当ですね。ちょっと図々しいくらいでいいのかなって思いました(笑)。
『SideM』は、さいたまスーパーアリーナでライブイベントを開催するほどに成長しましたね。何か印象的な思い出はありますか?
役が決まって、初めてニコ生(ニコニコ生放送)に出たときのことからよく覚えています。何もかもが初めての経験で、そのときに「人は緊張しすぎると頭が痛くなるんだ」ってことを知りました(笑)。もし今、映像を見返したら、相当緊張しているのがわかると思います。

それからリリースイベントもあったのですが、僕はダンス自体も初めてで。スケジュールに組まれている日程のほかに、DRAMATIC STARSの3人(仲村さん、内田雄馬さん、八代拓さん)で一緒に自主練をして本番に挑みました。本番では、ゲストの神原(大地/伊集院北斗役)さんが僕たちの緊張をほぐしてくれたのを覚えています。

そして、1stライブ(THE IDOLM@STER SideM 1st STAGE〜ST@RTING!)。舞浜のアンフィシアターでやったのですが、正直言って、出るまでは2,000人のお客さんの前で歌うという規模感がわからなかったんです。でもステージにバーンと出たら、客席一面にオレンジ色の光が見えて……こんな景色が世の中にあるのかってすごく感動しましたね。

ファンのみなさんに何かあったら、僕が心の拠り所になりたい

ついに願いが叶って、アーティストデビューが決まった瞬間はいかがでしたか?
1本の軸として声優をしながら、将来はアーティストとしてもやっていきたいという話をしていました。その気持ちをランティスさんが快く受け止めてくださって、「一緒に頑張っていきましょう」って言ってくださったんです。デビューを知ったのは、1年ほど前でした。本当に嬉しかったです。
周りのみなさんは、どういった反応をされていましたか?
両親は僕が声優になったことを喜んでくれて、出演作はすべて観ているし、雑誌も全部買ってくれているのですが、今回もうひとつの夢が叶ったことにもすごく喜んでくれましたね。その顔が見られて良かったなと思いました。

寺島(拓篤)さんからは「やっとか! 良かったな!」って言っていただいたり、岩田光央さんや森久保祥太郎さんといった先輩方、周りのみなさんにもたくさんお祝いの言葉をかけていただきました。

(『SideM』で共演する)伊東健人には、アーティストデビューをしたいって前から話していたのですが、僕の誕生日に放送した『仲村屋』に来てくれたとき、「遅かれ早かれ、デビューすると思ってたよ」って言われました(笑)。
ファンのみなさんには、その番組『めんそ〜れ! 仲村屋』の公開収録でアーティストデビューを発表したんですよね。
そうですね。もともとはもう少し早く告知できそうだったのですが、ファンのみなさんの顔を見て直接伝えられたらいちばんいいなって思いましたから。

あのときの現場の様子をスタッフさんがムービーに撮ってくれていたのですが、すごく大きな歓声があがっていて……もう一生忘れないですね。ずっと耳に残っています。
感動で泣いてしまったファンの方もいらっしゃったとお聞きしました。
はい。たくさんいらっしゃったのですが、まず僕の横にいた堀江瞬がめちゃくちゃ泣いてました(笑)。でも本当に、ありがたいなと思いました。
改めてお聞きしたいんですが、仲村さんにとってファンの存在とは?
僕が(目標に向かって)連れていくよというよりは、「一緒に行こうぜ!」って感覚で。「仲間」という意識が強いなって思います。僕が弱っているときはずっと支えてもらっていたし、ファンのみなさんに何かあったときは、僕が心の拠り所になれればいいなって。

リード曲は明るくて爽やかな楽曲だけど、それだけじゃない

それでは、記念すべきデビューシングルについて、仲村さんご自身に語っていただきたいと思います。まずリード曲の『Here comes The SUN』は、どのように作っていったのでしょうか?
最初にアーティストとしての方向性を決めていく会議があって、そのときに担当者の方が「仲村さんには“太陽”のイメージがあります」と言ってくれたんです。それでプロデューサーと、1曲目は明るくて爽やかな楽曲にしましょう、と話しました。デモを聴いたときには「これだ!」と感じましたね。
とくにお気に入りの部分はありますか?
サビに変わったときに一気にぱっと解放されるようなメロディラインとサウンド。爽やかで好きですが、ただ明るいだけじゃないんですよね。

Dメロの「ずっと眠ってた夢がそっと目覚めたのは いつだって君が信じ続けてくれたから」っていう2行もそうですが、これまで花が咲くことはなかったけど、信じてくれたからここでようやく花開いたんだっていう。ずっと順風満帆なだけではなかったことが伝わると思います。

「君」という言葉は、応援してくれている人たちを頭に思い浮かべながら、想いを込めて歌いました。
仲村さんご自身が出演されたMVも、とても爽やかですね。
撮影の日、天気予報では雨だったんですよ。でも午前中はけっこう晴れていて、むしろ暑いくらいでした。屋外で歌って撮影して、それが終わって室内の撮影を始めたとたんに雨が降り出して…。
さすが太陽の人……!
いやどうなんですかね、結局、雨降ってますからね!(笑)

でも、そういうことが多いです。イベントの日に台風や雨の予報になることもあるけど、いざ開催したら晴れて、みなさんが帰ったあとになって雨が降るっていう(笑)。
そして、2曲目は『Rain forecast』です。
これも会議で、ふたつの異なる面を見せられたらいいなと話していて。表と裏じゃないですけど、太陽と雨、みたいな。

タイトル案は日本語含めていくつかあったのですが、僕はこれがいいなと思いました。というのも、「Rain forecast」って「雨予報」って意味なんです。「予報」ってことは、晴れに転ずる可能性もある。だから、ただの「雨」じゃないところがミソです!
素敵な考え方です! 歌詞も印象的でした。
すごく強烈なんですよね。サビでも「僕がここにいる意味はあるのかな?」って歌っていたり。でも、後半に向かって少しずつ光が見えてくる。

実はこの曲、ラストの1行がレコーディング当日まで決まっていなかったんです。作詞・作曲の渡辺翔さんとプロデューサーと僕で話していて、僕が「光掴もう 飛ぼう」ってどうですか?って提案して、採用されました。

がむしゃらに頑張っていたら、そのうち雨もやむかもしれない。そうやって光を目指して泥臭くやっていくのは、カッコいいんじゃないかって思うんですよね。

『Here comes The SUN』は笑顔多め、明るめで歌ったのですが、これは少し表情を変えてみました。少しダウナーに歌いつつ、サビでは絞り出すように。ちょっとがなる感じになっちゃってもいいから、心から叫んでいるように歌いたいなと思って、レコーディングに臨みました。

苦しかった瞬間も、夢に出会った瞬間も描いた『ゆらゆら』

3曲目の『ゆらゆら』は、作詞と作曲を仲村さんが担当されました。
自作の曲を入れたいと話していて。僕が作ったものがほぼそのまま、直しもほとんどなく使っていただけたのでありがたかったです。
どのようなコンセプトで作られたのでしょうか?
これは……それこそ専門学校を卒業してから悶々としていた時代が長かったので、そのときの気持ちを思い出しながら書きました。そこから新しい夢であるお芝居に出会って、また自分のやりたいことに向かって一歩踏み出してみよう、っていう決意までを描いています。

あの頃は、楽しいことは楽しかったけど、ふと気づいたときに心が苦しくなる瞬間がいっぱいあったんです。「何してるんだろうな、俺?」って。現実から逃げていたわけじゃないんですけど。
そうだったんですね…。
「『会いたいね』って君の声が 空に溶けていくよ流れ星」というサビ。「声」の主はぜひみなさんでいろいろ想像してみてほしいんですけど、僕の中では、“未来の自分”を思い浮かべていました。その声がぼやけて見えませんっていう。

「ゆらゆら」っていう言葉も、「何もできないな、同じ場所をさまよってるな」っていう、ふらふらゆらゆらしているイメージ。でも後半にかけて、ゆらゆらしながらも未来に向かっていくっていう希望を込めて、タイトルに決めました。
仲村さんの曲作りについて、もう少しくわしく教えてください。以前から曲作りはされていたんですか?
高校生くらいかな? 最初にコードを4つ覚えた時点で、「オリジナル!」って言って自分で曲を作っていましたね。拙いですけど、そういうのが好きだったんです。
歌詞とメロディはどちらを先に作られるんでしょうか。
『ゆらゆら』に関して言えば、サビの歌詞とメロディが同時に2行ぶんぐらい頭に浮かんで、そこから「あっ、これを曲にしよう!」と広げていきました。
最初にメロディが浮かんでから完成するまでに、どのくらいかかりましたか?
『ゆらゆら』はまず1番だけ作ったんです。それで、「この曲どうですか?」とプロデューサーに聴いていただいたところ、「いいじゃん! 続き作りなよ」って言ってもらって、2番以降も作りました。だから日にち自体は少し空いていますが、実際には完成までにそこまで時間はかかっていないかな。

実はこの曲の中で、Bメロって1回しか出てこないんですよ。2番からは、AメロのあとにDメロに行って、最後に大サビっていう流れになっています。サビを何度も連発したくないっていうのもありました。1曲でお腹いっぱいにしたくない、4分台におさめて何度でも聴ける曲にしたいと思い、構成を考えましたね。

あとは、語尾の母音もこだわりました。口の形を「おー」で終わらせたいとか、「あー」にしたいとか。
インスピレーションから始まっている曲ですが、そういったテクニックもふんだんに詰め込まれているんですね。スゴいです…!
好きでやっているだけなんですけどね(笑)。

「つらいな」って感じるくらいなら、やめたほうがいい

アーティストデビューの発表時、「これから、声優としてもアーティストとしても全力で頑張る」と意気込みをお話されていましたね。声優とアーティスト、両方の目標を教えていただけますか?
僕にとって声優は、揺るぎない自分の軸です。声優という立場があったからこそ、アーティストデビューができたと思っています。

だからやっぱり、お芝居をたくさんやっていきたいという想いがありますね。僕らはオーディションに合格しないと役に巡り会えないので、そこで勝ち取っていくことが大事だなって思います。まだまだ自分の出会っていない役がたくさんあるはずなので、早く会いたいですね。
演じてみたい役もありますか?
僕は『マクロスセブン』が大好きなので、機体に乗って戦うような熱い役をやってみたいです!
では、アーティスト活動の目標はいかがでしょうか?
アーティスト活動に関しては……どうだろう、漠然とした大きな目標を言うと、武道館でライブしたいなって。
漠然というか、意外と具体的なのでは?
やっぱり音楽をやっている人間にとっては夢ですから!
上京されて13年、ふたつめの夢も叶えたわけですが、長いあいだあきらめずにいられたのはなぜだと思いますか?
頑張っている意識って別になかったんですけどね。「努力した人は努力していない人には勝てるけど、楽しんでいる人には勝てない」っていう言葉を聞いたことがあるのですが、言えてるなって思うんですよ。

新しい挑戦って、僕にとってはすごく面白いんです。だから、「努力してる」とか「頑張っている」っていう想いではなく、挑戦させてもらえる環境がただただありがたいです。不安よりも、いろいろなことにワクワクしています。「つらいな」って感じるくらいなら、やめたほうがいいなって思うので。

26歳でのデビューが「遅い」と思ったことは一度もない

夢をあきらめないのは難しいことですが、「夢が見つからない」という人も多いんじゃないかと思います。そうした方に向けてメッセージをいただけますか?
ラジオでもそういう相談があるのですが、今の世の中って、チャレンジできることがたくさんあって、でも選択肢がありすぎるからこそ迷ってしまうと思うんですよ。

レストランでも、死ぬほどたくさんメニューがあったら「どうしよう!?」ってなるじゃないですか(笑)。「この店はこれがイチオシです!」って3品くらいになっていたら決めやすいけど。

情報があふれているからこそ、見つかりにくい時代なのかもしれません。でも、ただ頭でっかちになるだけじゃなくて、何かちょっとでも面白そうだなとか、他の人を見て「いいな」と思うことがあったら、何でも手を出してみたらいいと思うんですよね。それがいくつあったっていい。
その中から、本気で追いかけたいと思えるものが見つかるかもしれない。
そうですそうです!
では最後に、過去の仲村さんご自身に声をかけるとしたら、どんな言葉をかけますか?
ああ、それに関しては何もないですね。
何もない!
はい。僕は、あの悶々としていた期間があったからこそ今があるんだと思っているんです。もしあのとき、他にどんな道があったとしてもデビューはできなかっただろうし、今が本当にベストなタイミングなんだって。僕が声優になったのは26歳で、同期には10代もいましたけど、遅いと思ったことは1回もないです。

昔の自分には……今こうなってるよって教えちゃったら、あいつ絶対成功しないと思う(笑)。だから、何も言わないです。
この先どうなるかわからないからこそ、頑張れたということですよね。
そうですね。だからこそ、そんな想いを込めた曲も作ることができたんだと思います。
仲村宗悟(なかむら・しゅうご)
1988年7月28日生まれ。沖縄県出身。B型。2014年に『アイドルマスター SideM』の天道輝役でデビュー。2019年3月に、第13回声優アワード新人男優賞を受賞。主な出演作に、『TSUKIPRO THE ANIMATION』(久我壱星役)、『オンエア!』(天神陽人役)、『刀剣乱舞』(北谷菜切役)、『厨病激発ボーイ』(高嶋智樹役)など。

CD情報

デビューシングル『Here comes The SUN』
10月30日(水)リリース!

左から初回限定盤[CD+BD+56p リリックフォトブック]、通常盤[CD]

初回限定盤[CD+BD+56p リリックフォトブック]
¥2,800(税抜)
通常盤[CD]
¥1,300(税抜)

サイン入りポラプレゼント

今回インタビューをさせていただいた、仲村宗悟さんのサイン入りポラを抽選で3名様にプレゼント。ご希望の方は、下記の項目をご確認いただいたうえ、奮ってご応募ください。

応募方法
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受付期間
2019年10月30日(水)20:00〜11月5日(火)20:00
当選者確定フロー
  • 当選者発表日/11月6日(水)
  • 当選者発表方法/応募受付終了後、厳正なる抽選を行い、個人情報の安全な受け渡しのため、運営スタッフから個別にご連絡をさせていただく形で発表とさせていただきます。
  • 当選者発表後の流れ/当選者様にはライブドアニュース運営スタッフから11月6日(水)中に、ダイレクトメッセージでご連絡させていただき11月9日(土)までに当選者様からのお返事が確認できない場合は、当選の権利を無効とさせていただきます。
キャンペーン規約
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