音楽を諦め、2度の不合格を経て声優へ。仲村宗悟が『SideM』でつかんだ夢のキセキ

夢へのトビラがどこにあるかなんて、誰にもわからない。

探し、疲れ、途中で心が折れてしまう人もいる。誰もが叶えられるわけじゃない。だからこそ夢は残酷で、美しい。

それでも諦めずに切り拓いた者もいる。声優の仲村宗悟もそのひとりだ。

デビューは26歳、その道のりは決して順風満帆とは言えなかった。ミュージシャンを志し、故郷の沖縄を離れて東京へ。なかなか芽が出ず、介護の仕事で生計を立てるなど、下積みの日々が続いた。

転機は、声優業へのチャレンジ。養成所でゼロからスキルを磨き、事務所の門を叩くもオーディションで2度の不合格。しかし、3度目の正直でついに合格すると、人気ゲーム『アイドルマスター SideM』の天道 輝役に抜擢される。そこからアニメ、音楽、イベントとひとつずつ夢を叶え、今年3月には第13回「声優アワード」で新人男優賞も受賞した。

故郷から上京、そして声優デビュー。仲村宗悟が夢をつかむまでのキセキをたどる。

撮影/すずき大すけ 取材・文/横川良明
スタイリング/小田優士 ヘアメイク/高橋 優(fringe)
衣装協力/すべてスタイリスト私物

家族の前で披露していた『こち亀』の『葛飾ラプソディー』

元々はミュージシャンになるのが夢だったそうですね。音楽に目覚めたきっかけは?
昔から歌うのが好きな子どもで、よく家族の前で歌ってたんですよ。『こち亀』(『こちら葛飾区亀有公園前派出所』)の『葛飾ラプソディー』がすごく好きで、そういうアニメソングとかをいろいろと披露して。
家族のみなさんはどんな反応を?
ばあちゃんがめちゃくちゃ褒めてくれるんです。「(沖縄の方言で)宗悟の声は最高さー!」ってよく言ってくれて。おかげで自分のことをすっかり天才だと思い込んでましたね(笑)。
ファン第1号ですね。
それで、中学のときに合唱コンクールがあって。音楽の先生から「宗悟くん、独唱をやってみない?」って言われたんです。
独唱! ちなみに何の曲ですか?
『帰れソレントへ』です。緊張しましたよ〜(照)。だって1000人近い観客の前で、ひとりで歌うんですから。

本番はもう足がガタガタ震えちゃって……。でも、終わったあとの達成感がスゴかったんです。あのとき、ステージに立つ楽しさを知った気がしますね。
本格的に音楽にのめり込んでいって。
そうですね。中3のときにギターを始めて。親父がバンドブーム世代なので音楽をやっていたらしく、ずっと家にギターが置いてあったんです。

中学生のころって、音楽やってるヤツはカッコいいみたいな憧れがあるじゃないですか。それで僕もやってみようと。友達にギターをやっているヤツがいたんで、そいつの家に泊まり込んだりして練習しました。
猛特訓ですね。
はじめは指がめちゃくちゃ痛くて全然うまく弾けないんですけど、きのうはできなかったことが次の日にできることが嬉しくて。コードを4つ覚えたぐらいから、自分でオリジナル曲を作っていました。
人前で歌を披露することも?
高校の文化祭で、Mr. Childrenさんの『抱きしめたい』を弾き語りしたことはありますね(笑)。

あとは卒業のときに、自分が作った曲をみんなの前で歌う機会があったんですよ。どんな曲だったのかもう覚えていないんですけど、僕の歌を聴いて泣いている同級生もいて、それを見ながらグッと来た思い出があります。あれは、ありがたい経験でしたね。

何者にもなれない日々。それでも何かやるんだと信じていた

プロになりたいと思うようになったのは?
そのころにはもう考えていましたね。高校を出たら東京へ行こう、って。
18歳で沖縄から上京。大きな決断でしたね。
僕、やろうと思ったらパッと動けちゃう人間みたいで。……でも、動機なんて本当に何でもいいと思っているんですよ。
どういう意味ですか?
最初の動機なんて、そんなに大それたものじゃなくていいんじゃないかなって。それよりも、何か目標ができたとき、すぐに動ける人間のほうが強いと思うんです。

音楽をやりたいなら、東京に行ったほうが勉強できるしチャンスもある。だから、東京の専門学校で学ぼうって決めました。
専門学校での生活はどうでしたか?
当たり前ですけど、そこには音楽を志している人たちがたくさんいて。その出会いはすごく刺激になりました。
東京に来てからはライブハウスでライブを出ることも?
そうですね。対バン形式でいくつか立たせてもらいましたけど、お客さんを呼ぶって本当に大変なことだと実感しました。当時は10人を呼ぶのも苦しい状況で……。

ステージに立ったら、お客さんは対バン相手のメンバーしかいないこともありましたね(苦笑)。
ツラい……!
18歳で上京して2年間、専門学校に通ったけど、何者にもなれないまま卒業して。そこから4〜5年はずっとフリーター生活。

正直、かなりくすぶってたと思います。ライブはやりたいけど、食っていくためにはバイトもしなくちゃいけない。そうやっているうちに、どんどんライブハウスに立つ回数も減っていって……。気がつけば毎日バイトばっかり。

こんな生活なら、沖縄でもできるなって。音楽に対する情熱も徐々に薄れていく感覚がありました。
そこで、沖縄に帰ろうとは?
(すかさず)それは思わなかったですね。
どうして?
何でだろう……。地元が好きだからこそ、帰ったら絶対に自分が甘えちゃうこともわかっていたから。東京で新しくいろんな人と出会い、自分の世界を広げる楽しさも知ったので離れたくないなって。

まだ何者にもなれていなかったけど、それでも俺は何かをやるんだ。その可能性だけは漠然と頭の中にありました。

養成所では、おしくらまんじゅうでメンタルを克服

お芝居に興味を持ちはじめたのは?
24、5歳のころだったと思います。

もともと友達の中に音楽をやりながら芝居をやっているヤツがいて、それで僕もよく舞台を観に行ってたんですね。で、少しずつ「自分がこの板のうえに立ったらどんなことをするだろう?」って考えるようになったのが、きっかけでした。
不退転の覚悟でお芝居に転身したというより、自分の可能性の幅を広げようと。
まさにそうです。やってもやらなくても一緒なら、やってみたほうが絶対楽しいじゃんって。

それで友達が通っていたR&A VOICE ACTORS ACADEMYっていう、今僕が所属している事務所が共同運営している養成所に行ってみることにしたんです。
それまで声優業界に詳しかったわけではないんですよね?
ゲームやアニメは大好きでしたけど、その声を誰がやっているとかまでは、あまり気にしたことがなくて。当時知っている声優さんと言えば、山寺宏一さんぐらいでした(苦笑)。
音楽と声優はまったく別ジャンル。入ってみて驚くことも多かったのでは?
はい(笑)。

今でもハッキリ覚えているのが、初めて授業を見学させてもらったとき、生徒たちが大声を出しながら「おしくらまんじゅう」をしていたんですよ。
おしくらまんじゅうって、あの?
そう、しかもめちゃくちゃ笑顔で(笑)。恥を捨てるためのトレーニングらしいんですけど……。当時は戸惑いました。

養成所で最初に学んだことって、表現のための技術というより、もっと根底の部分。つまり心を動かすことなんですよね。おしくらまんじゅうもそのひとつなんです。

僕は目立ちたがり屋のくせに恥ずかしがり屋、っていう面倒くさいヤツなんですけど(笑)、そういう授業をやっているうちに、少しずつ羞恥心を捨てられるようになったというか。胸を張って堂々と表に出られるようになった気がします。
養成所に入った当初、仲村さんの声優としてのスキルはどれくらい?
もうダメダメですよ〜。それまで意識して声を発すること自体、したことがなかったので。本当に右も左もわからない状態です。完全に新しいことをイチからやっているような感覚でした。

それに引き換え、周りはずっと声優を目指してここに来た子ばかり。みんな優秀で、演技も慣れているのがすぐわかりました。
じゃあ、つまずきを感じることも?
それで言うと、今もずっとつまずき続けているようなものですね。やればやるほど目標にすべきこと、挑戦すべきことが見えてきて、毎日つまずいています。
でも、何事にもチャレンジしている姿にメンタルの強さを感じます。
ありがとうございます(笑)。でも、メンタルはずっと介護の仕事をしていたので、そこで鍛えられた部分も大きいかもしれませんね。

介護だけが大変なわけじゃない。どの仕事も、みんな立派

介護のお仕事をしていたころの思い出をツイートされていましたね。いつからやっていたんですか?
23歳から4年間です。事務所に入ってからも最初の1年間ぐらいは続けていました。
具体的にはどんなお仕事を?
ホームヘルパーですね。介護が必要な方のお宅に直接うかがい、サポートをするお仕事です。

僕の場合は、高齢者よりもハンディを抱えた方の自立支援ケアが中心で、食事や入浴の介助をしていました。
そもそも、どうして介護のお仕事を?
入り口は単純で、時給が高かったからです!(笑)
シンプル!
でも、仕事って必ずしも立派な動機がなくていいと思うんです。

むしろそういう気持ちでパンパンになっている方を見ていて、大変じゃないかなと心配になります。僕が働いていたときも、「社会の役に立ちたい」や「人助けがしたい」と職に就いた方が、心身をすり減らして辞めていく姿を何度も見たので。

決して一生懸命になるなという意味じゃなくて、気持ちの3割ぐらい余裕を持っていたほうが、人生は楽しいと思うんですよ。僕なんて完全に私利私欲からスタートしてますし(笑)。
とくに介護は貢献意識がないと務まらないというイメージがありますしね。
「介護の仕事をやっていた」って話をすると「大変な仕事でしょう」とか「偉いですね」って必ず言われるんです。

でも、介護だってほかのお仕事と一緒だと思いますよ。どのお仕事も立派だし、働いている人はみんな偉い。それだけだと思います。
先ほどの「メンタルが鍛えられた」というのは?
やっぱり介護ってコミュニケーションが大切なお仕事なんです。

4年間のあいだにたくさんの人と出会って、たくさん話をしました。そこでいろんなことに気づくことができたおかげで、精神的にも成長させてもらえたと思っているんです。
具体的に言うと?
たとえば入浴のお手伝いをしようと思ったとき、まずはお風呂の工程をちゃんと意識しなくちゃいけないんですね。

湯船に入ったり、体を洗ったり、と作業の流れを具体的にイメージする。そのうえでコミュニケーションを取りながら、健康や安全などに気をつけてサポートをします。

そういう作業って、普通はなかなか考えて行動しないですよね。何もなければ気にも留めないようなことに意識を向けるだけで、見え方もインプットも全然変わってくる。
なるほど。
そう考えたら、いつもの通勤路もまったく違う景色に見えてきたんです。ちょっと視界を広げてみれば、道端に季節の花が咲いていたとか、あのビルの3階に新しいお店ができたとか、いろんな発見がある。

そういう感覚は今の仕事にも活きていて、何気ない日々の気づきがラジオで話すネタになることもあります。26歳で今の事務所に入るまでの期間は、大事な人生の下積みをさせてもらったなと思います。

2度目のオーディションでダメなら諦めるつもりだった

養成所を経て、今の事務所に入るまでの経緯を詳しくお聞きしても?
僕、事務所に入るオーディションを3回受けているんですよ。初めて受けた1回目は、あっけなく1次選考で落ちまして。

2度目は1次選考に受かったので、2次に進むことができました。……で、選考が終わった何日かあとに、知らない番号の電話がかかってきて。

「誰だろう?」と思って出たら……今の事務所の社長だったんですよ!
おおっ!?
完全に「よっしゃー! 受かったああああ‼」と思いましたね。何なら「ありがとうございます!」の「あり」ぐらいまで言いかけてました(笑)。

……そしたら「今回は残念ながら……」と。
ガーン。
正直、「ああ、終わったな」と思いました。先ほどもお話したように、何かにチャレンジするときって、入り口は広くてもいいけど、引き際は肝心だと思っていたんですね。

だから2回目がダメだったなら、「自分には才能がないんだ」と思って諦めようと。
声優は諦め、別の道を探そうと思った。
そうなんです。でも――。

社長が続けて、「もう一度オーディションを受けてみない?」って勧めてくれたんです。「半年後、ここから君がどのくらい成長するのか、その度合いが見たいんだ」って。

もう即「やります!」って答えましたね。
ドラマみたいな展開ですね。それからの半年間は、まさに人生を懸けた時間だったのは。
それまでは養成所の同期っていわばライバルだから、相談とかできなかったんですけど……。でも、何としてもチャンスをつかみたかったので、もうためらってる場合じゃないなと。それでひと足先に受かった養成所の同期にアドバイスをくださいとお願いしまして。

カラオケボックスで自分が原稿を読むところを聞いてもらって、ダメなところなどを指摘してもらいました。
そうやって裸一貫で受けた3度目のオーディションで見事合格。
あまりに緊張しすぎて、オーディションのときのことはまったく覚えていないんですよね。足が震えてたのかすら覚えていないです(笑)。

ハッキリと覚えているのは、合格通知をもらったとき。郵送された封筒をドキドキしながら開けて、めちゃくちゃ嬉しかったときの記憶は忘れられないです。

今行かなきゃ人生が終わる。『SideM』オーディション秘話

声優・仲村宗悟の初めてのお仕事は?
あるゲームアプリのスキルボイスでした。ほんの二言三言なんですけどね。スタジオのマイクの前に立つのも初めての体験です。もう心臓がバックバクですよ(笑)。

でも、スタッフの方が「もっと勢い良く!」と丁寧なディレクションをしてくださって、何とかやり切ることができました。
そのアプリはやってみました?
もちろんやりましたよ! ほかにも事務所のメンバーが何人も参加していたので、声優もマネージャーもみんなで一緒にプレイしました。
初々しいですね。そのあと『アイドルマスター SideM』の「天道 輝」役が、仲村さんの運命を変えることに。『SideM』が初めてのオーディションだったとか。
じつは僕、最初は輝じゃなくて同じアイドルユニットの「DRAMATIC STARS」に所属する「柏木 翼」役でオーディションに挑んだんですよ。
柏木 翼と言うと、八代 拓さんが演じているキャラクターですね。
そうです。拓にはオーディション会場で初めて会ったんですけど、お互いに共通の友達を通じて知っていたので、「やっと会えましたね〜」とか「一緒に受かるといいね!」なんてエールを送り合いながら、オーディションに挑んだ覚えがあります。
そしてオーディションに。人気作品だけに懸ける想いも大きかったのでは。
1週間前ぐらいからドキドキして眠れなかったです(笑)。

ベッドの中でもセリフの練習をしてたんですけど、ずっと握りしめてたおかげで、オーディション用の原稿がグシャグシャになってましたから。
その様子だとオーディションはさぞかし緊張したでしょうね。
右も左もわからなくて、何もかもが初めての体験でしたね……!

まず、ひとりでブースに入ったんですけど、中に誰もいないんですよ。あれ?と思って隣の部屋をのぞいたら、選考をされる偉い方々がズラリといました。

で、ブースには高さの違うマイクが3本並んでいるんですけど、スピーカーから「好きなマイクの前に立ってください」って指示があって。

「好みのマイクのことかな?」と思ってマイクの前に立ったら、「そうじゃなくて、身長の高さが合うマイクのところです」と……。
聞いているこちらも赤面しちゃいそうです。
気を取り直して、手元にあったヘッドフォンを耳に当てたんですけど、「それはまだ大丈夫です」と言われ、「あっ、はい」と戻しました。
(笑)。
正直、柏木 翼のオーディションはお芝居に緊張している様子が出ちゃってて、自分でも「これはダメだな」って。本当に散々な内容でした。

でも、最後にディレクションの方が「もうひとつ受けたい役ある?」と聞いてきたんです。思わずとっさに「天道 輝を受けさせてください!」と言ってました。
そのひと言が運命の分岐点だったんですね……!
あのときは「ここで自分から行かなければ人生が終わる!」って、そういう気持ちでいっぱいでした。

ガムシャラというだけで技術もまだまだだし、お芝居もひどい内容だったと思うんですけど。今振り返ると、その必死さに何か引っ掛かっていただけたのかも、って思います。
天道 輝のキャッチコピーは「努力と根性の熱血弁護士ヒーロー」。たしかに仲村さんのひたむきな姿と重なる気がしました。
ありがとうございます! そう言っていただけて嬉しいです。
合格の知らせが届いたのは?
たぶんひと月ぐらいあとだったと思います。そのあいだは「いつ電話がかかってくるんだろう?」と気が気じゃなくて、何度も何度も携帯をチェックする日々。とにかく何でもいいから早く連絡がほしいっていう気持ちでした(笑)。
そして、見事合格。
連絡を受け取ったのは、沖縄の同級生も通っている馴染みのバーでした。

飲んでたらマネージャーさんから電話がかかってきて。電話に出たら「合格しました、天道 輝役です」と。もう心の底から「よっしゃああ‼」って叫びました。

拓と雄馬と3人、シングルベッドに川の字で寝た

『SideM』では、オーディションで出会った八代さんと同じ「DRAMATIC STARS」のメンバーに。桜庭 薫役の内田雄馬さんを含め、おふたりは仲村さんにとってどんな存在なのか、お聞きしたいです。
声優人生のはじまりからずっと一緒なので、親戚とか兄弟に近い感覚ですね。

もちろん、ふたりの活躍している様子を見ていて「俺も頑張るぞ!」って気持ちになるんですけど、そういうライバル的な感情より、もっと心の近い部分で一緒にいられていると感じる相手です。
3人での思い出と言えば?
まだ「DRAMATIC STARS」の活動がはじまったばかりのころ、雄馬と拓の家に遊びに行ったんですよ。

それでお泊まりしたとき、拓のシングルベッドにみんなで川の字で寝たことがあって。「せまい、せまい!」って騒いでたら「バキッ!」ってスゴい音がして。見たらベッドの床板が破れてました(笑)。

まあ結局、そのまま壊れたベッドに3人で寝たんですけどね(笑)。
『SideM』ではライブなどで歌を披露する機会もありますが、ミュージシャンを志していた仲村さんにとって特別な感慨があるのでは?
そうですね。ライブをやっていたときは10人呼ぶのも大変だったのに、最初のリリースイベントでは200人くらいのお客さんが来てくださって。ライブハウスがパンパンになっている光景を見たときは、本当に感動しましたね。
『SideM』での活動の中で、とくに記憶に残っていることは?
2015年のファーストライブ(THE IDOLM@STER SideM 1st STAGE〜ST@RTING!)で、寺島拓篤さん(天ヶ瀬冬馬役)にかけていただいた言葉は、今でも仕事をするうえで大切にしています。

会場は2000人くらいのお客さんでいっぱい。もちろんそんな大勢の前で歌ったことなんてありませんでした。だから寺島さんに「すごく緊張します」って話をしたんですよ。

そしたら「でもね。ひとりの前も、1000人の前も、1万人の前も、みんな同じ。お客さんの人数で僕らのモチベーションは変えちゃいけないんだよ」って。あれは本当に心に響く言葉でした。

ファンに、作品に、仲間に、家族に。すべての人々に感謝

改めて『SideM』とは、仲村さんにとってどんな存在ですか?
僕の声優人生のはじまりですね。いろんな初めてを経験させてもらいました。
天道 輝役に抜擢されてから4年。今年の3月には「声優アワード」で新人男優賞を受賞しました。
ありがとうございます! 賞をいただいたことは素直に嬉しいのですが、それで自分が偉くなったとか、成長したとか、そういうのは全然なくて。これまでやってきたことを見ていただけたことに感謝しつつ、だからこそよりいっそう身が引き締まる思いです。
せっかく選んでいただいたのに、ここからどうにもならなかったら、「何だ、仲村宗悟はこんなものだったのか」って周りをガッカリさせることになる。そうならないように、ひとつひとつの仕事をしっかりやっていきたいです。
最後に、仲村さんのこれからを聞かせてください。今後の目標は?
えっと……。都内にお家を買いたいです!(笑)
めちゃくちゃ現実的な目標が出てきました(笑)。
あはは。でもこうやって仕事をしてみたら、つくづく感じるんですよね。親ってスゴいんだなって。

うちは4人兄弟なんですけど、子どもたちを育てて学校に通わせて、しかも家や車も買って……。今の僕の感覚からしたら尋常じゃないです。純粋にカッコいいなって思うし、僕も見習って、ちゃんと生活したいなって気持ちになるんですよ。
では、声優としての目標は?
まだまだ出演作も多くはないので、これからもたくさんオーディションに挑んで、チャンスを勝ち取りたいです。キャラクターとの出会いは運命だと思うので、これからその出会いを逃さないようにもっともっと頑張ります!

スペシャル動画!「声優・仲村宗悟が"早口言葉"に挑戦!」

仲村宗悟(なかむら・しゅうご)
1988年7月28日生まれ。沖縄県出身。B型。2015年に『アイドルマスター SideM』の天道 輝役でデビュー。主な出演作に『TSUKIPRO THE ANIMATION』(久我壱星役)、『オンエア!』(天神陽人役)、『音戯の譜』(モモセ役)、『アトリエオンライン〜ブレセイルの錬金術士〜』(タンドリオン役)など。

サイン入りポラプレゼント

今回インタビューをさせていただいた、仲村宗悟さんのサイン入りポラを抽選で3名様にプレゼント。ご希望の方は、下記の項目をご確認いただいたうえ、奮ってご応募ください。

応募方法
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受付期間
2019年4月30日(火・祝)18:00〜5月6日(月・祝)18:00
当選者確定フロー
  • 当選者発表日/5月7日(火・祝)
  • 当選者発表方法/応募受付終了後、厳正なる抽選を行い、個人情報の安全な受け渡しのため、運営スタッフから個別にご連絡をさせていただく形で発表とさせていただきます。
  • 当選者発表後の流れ/当選者様にはライブドアニュース運営スタッフから5月7日(火・祝)中に、ダイレクトメッセージでご連絡させていただき、5月10日(金)までに当選者様からのお返事が確認できない場合は、当選の権利を無効とさせていただきます。
キャンペーン規約
  • 複数回応募されても当選確率は上がりません。
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