転落事故さえも、必要不可欠なことだった――窪塚洋介にとっての「真っ当な人生」
“カリスマ”、“レジェンド”といった言葉が、やや安易に使われがちな昨今だが、この男の持つ人を惹きつける力は間違いなく本物である。
窪塚洋介、40歳。
菅田将暉など、多くの若手俳優たちが窪塚を「憧れの俳優」と公言しているが、その菅田が『あゝ、荒野』で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を獲得したのが25歳。十分すぎるほど若くしての受賞だが、2002年に窪塚が映画『GO』にて同賞を受賞したのは21歳のとき。改めてそのスゴさがうかがえる。
だが窪塚自身は、『GO』への出演を「人生を大きく脱線するひとつのきっかけ」と語る。そして、その“脱線”は決して失敗ではなく「自分の人生にとって必要不可欠なことだった」とも。その真意は――?
“不惑”の年を迎えて初めて公開となる映画『最初の晩餐』では、初めての父親役にも挑戦している。波乱万丈の半生を歩み、ハリウッド俳優にまでなった男が人生を説く!
ヘアメイク/佐藤修司
パブリックイメージを逆手に取れるようになってきた
- 映画『最初の晩餐』は東家の父・日登志(演/永瀬正敏)の通夜の一晩を描いた作品です。窪塚さんは、日登志の血のつながらない息子であるシュンを演じていますが、本作に出演することを決めた理由は?
- すごくシンプルだったんですよね。脚本を読んだときの印象が、とても温かったんです。
- 窪塚さんの出番は決して多いとは言えませんが、穏やかで落ち着いたたたずまいが印象的でした。
- 自分は、決して「こういう役柄を」とか「こんな作品に出たい」と考えるタイプではないんですが、昨今の僕のパブリックイメージとして、トリッキーでクレイジーな印象が先走っている部分がありまして…(苦笑)。
20代の頃、いまとは逆方向で同じようなことを感じていたんです。「ピュア」で「繊細」みたいな印象を持たれがちで…。そういうところがないわけじゃないけど、そればっかりじゃないんだよ!っていう居心地の悪さはずっと感じていました。
でも、「違和感がある!」と口に出していた20代といまとで圧倒的に違うことは、それを逆手に取れるようになってきたということ。 - というと?
- 「そう思われているなら、こういう部分を見せたら楽しんでもらえるかな?」とか、すべてを前向きに捉えて、いい形に作用させるためのネタにしているというか。
たとえば(ハリウッドデビュー作となった)映画『Silence-沈黙-』では変わった役でしたけど、シンプルな芝居が多くて、そのギャップを楽しんでもらえたんじゃないかな。呼吸ひとつ、目線ひとつでいろんなことが表現できたり、たったひと言で万感の思いを伝えることができたりした役柄で楽しかったんです。 - 本作で脚本も担当された、常盤司郎監督とはどんな話を?
- 監督から「一度、飲みに行きましょう」ってずっと言われていて、「この人、どんだけ酒が好きなんだ?」と思ってたんですが(笑)。
撮影前に監督の行きつけの目黒の小料理屋でさんざん飲んで、ふたりともグデグデになって家族の思い出話とかして。死んだおばあちゃんの話をしているうちに僕も泣けてきて…、「歳だなぁ…」って思うんですけど。その話を聞きながら、監督が「うん、そういうことだよね」とかよくわかんないことを言い出したり(笑)。
そうやって芽生えた信頼関係に裏打ちされた、撮影現場での会話があったなと思います。強く「こうしてほしい」と言われることもあれば「どう思う?」と聞かれることもあったりして、「いや、それは監督が決めてくださいよ!」と思ったりもしつつ(笑)。
常盤さん初の長編監督作品をみんなで支えようという空気があって、役者もスタッフも集中できて、すごくいい現場でした。僕自身、普段はあまりエモーショナルなシーンを繰り返し撮るのは好きじゃないんですが、それが苦にならなかったんですよね。
染谷将太への安心感。「画で“会話”ができた気がする」
- シュンが通夜のためにひさびさに実家を訪れ、血のつながらない弟の麟太郎(演/染谷将太)、妹の美也子(演/戸田恵梨香)と再会するシーンは、何度もテイクを重ねたそうですね。
- 監督がそのシーンにすごく懸けているのは感じていました。一筋縄じゃ行かないだろうと覚悟はしてたんですけど、やっぱり何度も撮影を繰り返しました。でも、決して苦ではなかったです。
それは染谷のおかげであり、戸田さん、斉藤(由貴/母親役)さんのおかげであり、集中してくれたスタッフのおかげでもあったと思います。何なら「もう1回、ひさびさの再会ができるんだ」って楽しんでいました。
ほら、「何度目でも初めてのように」とか「リハーサルは本番のように、本番はリハーサルのように」とか言うじゃないですか? まさに何度目の再会でも、ひさびさの再会のようにできたんですよね。 - そのシーンについて、染谷さんと事前に相談したこともあったんですか?
- 多くは言葉を交わさなくて、だからこそたくさん画で“会話”できていたような気がします。会話がないほうがより伝わるって、不思議でしたね。
もう9作くらい一緒にやってて、本当にちっちゃかった頃から知ってるから(※初共演は2002年の映画『ピンポン』)、半ば親戚みたいな感覚で。そう考えると「あれ、俺が成長してないのか?」と思わなくもないけど(苦笑)。
年に一度も会わないんだけど、要所要所で一緒にやってきて、そういう意味で感じる安心感と喜びみたいなものを、シュンと麟太郎の関係に置き換えられたと思います。でも、そういう話をふたりですることもないし、だからこそ、より感覚を共有できていたんですよね。
- 窪塚さんと永瀬さんが、血のつながらない息子と父親という関係で対峙する姿もグッときました。
- 前回の共演が、ドラマ『私立探偵 濱マイク』(1994年)という、わりと変化球を投げ合うような関係性だったんですけど、今回はストレートを投げ合うような感じで。永瀬さんの投げる球が速くて強くて、うれしかったですね。
- 当時は窪塚さんが20代前半、永瀬さんが30代半ばでしたが、ふたりとも年齢を重ねて、当時とは違った重み、深みが感じられました。
- 丸くなったのかな…。でも「角が取れた」というのとはちょっと違う気がします。近くで見るとゴツゴツしてるんだけど、少し離れると丸く見えるみたいな?(笑)お互いにいろいろあったけど、あっという間だった気もするし、「お互いにオッサンになったな」と思う部分も、「変わんねぇな」という部分もありつつ。
一緒に飯を食いに行って話したわけではないけど、どこかで当時の続きをやってるような感覚もありましたね。
大人になりつつ、なりきれない自分を称するなら「コドナ」
- 今作で、初めて父親役を演じられました。
- ちゃんと父親役をやるのって、何気に初めてだったのかな?
- 映画『愛の渦』(2014年)のラストで、窪塚さんが演じた店員が仕事から帰る際に、奥さんが無事に出産したと連絡が入るシーンはありましたね。
- あぁ、そういえばそうですね(笑)。というか、もっと前に父親役の話が来ても全然、不思議じゃなかったんですけどね。息子はもう16歳で、背は俺より高いし、こんなになるまで俺、1回もお父さん役を演じてなかったんだ…って(笑)。
- 私生活ではしっかりお父さんをやっているのに…(笑)。
- 本当にね。まあ、でもこのタイミングだったのかなと思います。いや、もちろん過去にそういう役のオファーが来ていたとしても、別に背伸びしてやるような感じではなかったと思うけど。
2017年に“いいパパ賞”みたいのをもらっちゃったりして(※第10回ペアレンティングアワードの「パパ部門」を受賞)、「おいおい! 世の中、大丈夫かよ?」と思いつつ、ようやく俺に子どもがいるってことを認識してくれたのかと思って(笑)。さっきのイメージの話もそうだけど、俺と世間のあいだには常に温度差があったから、やっといい具合の湯加減になってきたのかもしれません。
俺自身、ゆっくり大人になっているのかな?という感覚はありますが、一方で自分はずっと大人になりきれないのかもしれないと思って、都合のいい「コドナ」という言葉を使い続けてます(笑)。 - これから父親役も増やしていきたい?
- これが呼び水になってまた話が来るかもしれないし、また違う世界が開けてくるかもしれないなと。そのときどきのすべてを肯定して、その瞬間、自分が楽しめるものをやっていきたい。そのうち白髪ももっと増えてくるだろうし、年相応の役がもっと似合うようになって…という感じでいろいろ楽しみですね。
人生を脱線したから、いまメインストリートを歩めている
- 菅田将暉さんや野村周平さんなど、窪塚さんを憧れの存在と公言している若手俳優も多いですが、その声をどう受け止めていますか?
- 正直、悪い気はしないですね。
僕は『GO』で自分自身と向き合った結果、人生を脱線した部分があって。ただ、そこで脱線したから自分の人生の“メインストリート”に入れたと思っているし、ちゃんと踏みしめながら歩めている感覚があります。
でも、人によっては奇異にも見えるみたいで「大河ドラマを断るヤツいねーよ」、「レゲエとか始めちゃって、人生ミスったな」って思われたりしがちなんだけど、本人的にはどれもベストウェイなんですよね。 - 人生に必要な回り道だったと?
- それこそ「マンションの9階から落ちた」ことも自分には必要不可欠だったし、それがあったからこそのいまだと思ってるし。まあ、アドベンチャーと言えばアドベンチャーだったけど(笑)。
見てくれとかポーズじゃなく、傍から見たらすごく遠回りに思える過程でも、自分と深く向き合うのは大切なことで、役者という仕事においてもいちばん必要なことだったんじゃないかと思います。
何が言いたいかって、若い子たちにも、演技が上手になるとかじゃなく「自分って何だろう?」と、「上へ」ではなく、自分と寄り添い続けて「奥へ」行くことをしてほしい。
その結果、周りが用意する道じゃない道を歩くことを楽しんでほしいし、そっちのほうが実りの多い道になるんじゃないかって…。俺が言ったところで説得力があるのか?って思うけど(笑)。 - 先ほど、「いまはメインストリートのレールを踏みしめている」とおっしゃっていましたが、メインストリートに入ったと感じたのはいつのことですか?
- 落っこちた瞬間ですかね。「飛び込んだ」と言うべきか?(笑)
9階から落ちて、ケガをしたことで、自分の歩くべき道が見えてきたんです。そこに至るまでの何が欠けてもダメで、この“料理”にはすべての材料が必要だったということなんですよね。
求めるべき答えは、世間ではなく「自分の中」にある
- 1998年にドラマ『GTO』で話題を呼び、2000年には『池袋ウエストゲートパーク』で人気に火が点きました。映画『GO』でアカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞し「天下を獲った」ように見えましたが、本人的にはそのとき、すでに「脱線」していた?
- そうなんですよ。その後のいろんなことを含めて「真っ当な道を歩んでたら…」みたいなことはさんざん言われたけど、正直、意味がわかんなかったですね。
まあ、世間的に真っ当ってことだと思うけど、「世間」とか「社会」なんて、説明することのできない得体の知れないものじゃないですか? あたかも存在するかのように語られて、意識しないといけないように言われるけど、その中にゴールを見つけようとしたってあるわけないのに…。みんな惑わされて、自分の中にあるはずの答えを外に求めてしまうから、わけのわかんないことになったりするんです。 - 求めるべき答えは、外ではなく自分の中にあって、それを確かめる術として「社会」があるんだなと。それはやっぱり間違ってないって実感を持って、ここまで生きているし、それが俺の「真っ当」だったんだなと感じる。
得体の知れない“世間の真っ当”なんてものに、自分の人生をゆだねることはできなかったし、そうしなくて本当によかったと思います。 - 世間は勝手に、紆余曲折した人生を送ってきたというイメージで窪塚さんを見ているかもしれませんが、ご自身の意識はあまり変わってないんですね?
- そうですね。「高低差」ってわかりづらいんです。自分で苦労を感じることが少ない時期は「高いところにいる」と思うかもしれないけど、曖昧なものですよ。
結局、他人とか世間のせいじゃなく、自分自身がどうなのか?というだけの話なんだってことですね。「よく寝た日は調子がいいし、ごはんもおいしい」みたいな自分のフィーリング次第というか。
マネージャーの言葉で、プライベートを明かせるようになった
- 「世間」とつながるツールとして、SNSが存在します。窪塚さん自身、Instagramで私生活や家族について、かなりオープンに発信していますが、どういうスタンスでSNSをやられているんでしょうか?
- それこそ僕も二十歳くらいまで「役者が歌なんて歌うもんじゃねー」って言ってたし、「ミステリアスなほうがどんな役をやるにもいい」と言ってたんですよ。にもかかわらず、レゲエをやるわ、プライベートをさらけ出すわって事態になってて…(笑)。でも、何も考えずにそうなったのかと言えば、そうじゃないんです。
- どんなきっかけがあったんですか?
- 僕のマネージャーは、3歳くらいから知ってるヤツなんです。友達として関係が始まって、その後、一緒に仕事をするようになったんですけど、そいつは僕が役者を始めた頃は、僕の出演作が見られなかったらしいんですよ。気恥ずかしくて(笑)。
でも映画『ピンポン』で、窪塚洋介じゃなく、(役柄の)ペコという存在として見ることができたと聞いて、「あ、俺、これなら誰でもダマせるな」と思ったんです(笑)。俺のことを子どもの頃からいちばん知っているヤツに役として見てもらえたんなら、他の人たちにそう見てもらうなんて造作もないことだろうと。 - なるほど。
- そこから自分のプライベートを出すことが怖くなくなったんですよね。(映画『Silence-沈黙-』で演じた)キチジローを見て、俺のレゲエがアタマの中を流れたら、それは俺のせい。ちゃんとキチジローとして画面の中に存在すればいい、シュンとして映画の中を生きていればいいんだって。
それってある意味、毎回、足枷をつけて勝負しているようなもんなんですけど、腹をくくってやってることなので、そこは勝負というか「望むところだぜ!」という気持ちです。
- 窪塚洋介(くぼづか・ようすけ)
- 1979年5月7日生まれ。神奈川県出身。O型。1995年、ドラマ『金田一少年の事件簿』(日本テレビ系)で俳優デビュー。1998年のドラマ『GTO』(フジテレビ系)、2000年『池袋ウエストゲートパーク』(TBS系)で人気を博す。2001年の映画『GO』では日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を始め、数々の賞を受賞した。その後も『ピンポン』など話題作に出演。その他の出演映画に『ヒミズ』、『ヘルタースケルター』、『愛の渦』、ハリウッドデビューを果たした『Silence-沈黙-』など。2020年には映画『みをつくし料理帖』が公開。日英を舞台にしたドラマ『GIRI/HAJI』(BBC、Netflix London)にも出演している。2006年からは、卍LINEの名義で音楽活動も行っている。
映画情報
- 映画『最初の晩餐』
- 11月1日(金)ロードショー
- http://saishonobansan.com/
- ©2019『最初の晩餐』製作委員会
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- 2019年10月21日(月)12:00〜10月27日(日)12:00
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