「真実はいつもひとつ!」の生みの親、諏訪道彦が語るアニメ『名探偵コナン』誕生秘話

8月26日、劇場版『名探偵コナン 紺青の拳(フィスト)』が7年連続でシリーズ最高興行収入記録を更新した。1997年に公開した『時計じかけの摩天楼』から今年で23作目。近年とくに盛り上がりを見せている劇場版シリーズだが、その快進撃を支えているのがテレビアニメシリーズだろう。

1994年、青山剛昌が『週刊少年サンデー』(小学館)で連載をはじめてからわずか2年後、1996年1月から放送をスタート。以来、20年以上にわたって途切れることなく原作と並走を続けてきた。「真実はいつもひとつ!」といった名セリフや「Next Conan’s HINT」など、『名探偵コナン』を連想させる骨格はアニメ発祥なものも多い。

こうしたアニメ『名探偵コナン』を国民的作品に育ててきた功労者のひとりが諏訪道彦氏。『シティーハンター』『YAWARA!』『犬夜叉』など、数々の漫画原作アニメをヒットに導いてきた名プロデューサーだ。

アニメ『名探偵コナン』はどうやって生まれたのか。20年以上前の誕生前夜まで、諏訪氏と共に時をさかのぼってみよう。

撮影/西田周平 取材・文/岡本大介
▲第927話「紅の修学旅行(鮮紅編)」(2019年1月5日放送)。

ひと目見て「アニメにしたい」と感じた原作との出会い

諏訪さんが『名探偵コナン』と出会ったのはいつですか?
連載がスタートした1994年1月のときから知っていました。当時、同じ小学館の『YAWARA!』(浦沢直樹が1986〜1993年に『週刊ビッグコミックスピリッツ』で連載した柔道漫画。1989〜1992年に日本テレビ系で放送)のアニメを手掛けていたので、週に1回は小学館に出入りしていたんです。

毎週木曜日の雑誌校了日には必ず編集部に顔を出して、校了を終えた編集者さんたちと一緒に飲みに行っていました。
その流れで『名探偵コナン』もチェックされたんですね。
当時は『週刊少年マガジン』(講談社)の『金田一少年の事件簿』が大ヒットしていた時代で、「それならサンデーでもミステリーものを」ということではじまったのが『名探偵コナン』だったと聞きます。そこで『YAIBA』『まじっく快斗』で人気を博していた青山剛昌さんに白羽の矢が立ったと。

はじめて第1話を読んだとき、非常に完成度が高くて驚いたと同時に、「これはアニメに向いているんじゃないか!?」と感じた記憶があります。
『名探偵コナン』のどんなところがアニメ向きだと感じたんですか?
僕はもともとミステリーが大好きで、とくに『刑事コロンボ』(アメリカのテレビドラマ)は「この作品がなかったら僕はここにいない」というくらい影響を受けた作品でした。『刑事コロンボ』は倒叙ミステリー(物語の冒頭で犯人が明かされているタイプのミステリー)なので『名探偵コナン』と形式が違いますが、その劇場型(犯罪)のような演出に、すごくリンクする部分を感じました。

さらに面白いのが、「体が縮んで子どもになる」という大きなウソの1点を除けば、とてもリアルな設定であること。逆に子どもになってしまう描写はアニメでないと表現しにくいです。ひとつの大きなウソをついて、ミステリー部分はリアルに徹する。そういったリアルとファンタジーのバランスが、とてもアニメ向きだなと感じたんですね。
▲第1話「ジェットコースター殺人事件」(1996年1月8日放送)。
諏訪さんはこれまでに数々の漫画原作アニメを手掛けてこられましたが、そもそもご自身が相当な漫画好きなんですよね?
そうですね。小学校の頃から『鉄腕アトム』(手塚治虫著)や『鉄人28号』(横山光輝著)などの少年漫画をずっと読んできました。自宅には当時から集めていた漫画が3000冊ほどあります。読売テレビの入社面接も5回あったんですが、漫画の話しかしていないかもしれません(笑)。
それだけ漫画から影響を受けていたわけですね。
僕にとって漫画は、映画やアートなど、他のクリエイティブな作品と同じようにインスピレーションを受け、人生の機微を教えてくれる存在です。子どもの頃は新聞の投書欄に「漫画は悪影響を与えるのでいかがなものか」と書かれていたものですが、むしろその風潮こそ「いかがなものか」と疑問を感じていたものです。
つまり諏訪さんが漫画原作アニメを多数手掛けてきたのは、「優れた漫画文化をもっと広めたい」という気持ちがあったから?
とくにそうした強い信念があったからではないんです。たしかにアニメのプロデューサーになったのは漫画好きを買われてのことですが、僕が漫画原作を多くやっているのは、実際にその作品を読んだときにスイッチが入るからなんですよ。「この漫画はアニメにしたらより面白さが伝えられるんじゃないか」って。

しかもテレビはマスメディアで、作品を知らない不特定多数の人たちに伝えられる媒体ですから。自分もテレビ局の一員として、できることをやろうと思っていたんです。

連載開始から5〜6話の時点でアニメ化をオファー

『名探偵コナン』がアニメ化に向けて動き出したのは、いつからですか?
編集部には第5、6話くらいのタイミングで「アニメ化したいね」という話をしていました。とはいえ、いつになったら放送枠が空くのか検討がつかない状況で。

そんな中で、当時、僕がプロデューサーを担当していた『魔法騎士レイアース』(1994年10月放送開始)の後続番組として、夜7時半の枠で『名探偵コナン』ができるという動きになったのは、1995年の2〜3月頃だったと思います。
それは言い換えれば、いつ終わるかわからなかった『魔法騎士レイアース』の終了時期が決まったから、ということですか?
そうです。『魔法騎士レイアース』は原作もヒットしましたし、グッズの売り上げも上々で、さらに内容の評価も高くて、それはもう大グッド作品だったんですよ。ただ、どういうわけか視聴率だけは低かったんですね。局としてはやはり数字が取れないとダメなので、『名探偵コナン』に舵を切ることになったんです。

じつは当初は夜7時の枠で、というプランもあったのですが、その頃は『クレヨンしんちゃん』(テレビ朝日系)が裏番組にあって、ものすごい人気でした。僕らとしては「アニメ化できるだけでも喜ぶとしよう」と覚悟していたのですが、放送ギリギリのタイミングで「夜7時半で勝負!」と時間帯が変更になった経緯があります。
『名探偵コナン』のアニメ化に向けた動きの中で、青山先生とはどんなお話をされましたか?
これは『シティーハンター』など他の作品もそうなんですけど、当時、漫画原作のアニメ化の交渉はすべて編集部を窓口に行われていて、僕が直接青山先生にお話を伺うことはなかったんです。

僕がはじめて青山先生とお会いしたのは、第1話のアフレコにお見えになった際か、もしくは年末の小学館のパーティだったと思います。そのときも挨拶だけで、しっかりとお話をさせてもらったのはアニメが放送スタート後、劇場版の企画が持ち上がったタイミングですね。
青山先生とのやり取りは、編集部経由で行っていたわけですね。
担当編集者さんを通じて、キャスティングの希望も含めたアニメ化への要望はすべてお聞きしました。

また、漫画の連載開始からあまり時間が経っていない状況でのアニメ放送だったので、原作にアニメが追いつかないように最初の段階からアニメオリジナルの話も入れていきたいと、綿密にやり取りさせていただきました。

実際にアニメオリジナル回は第6話「バレンタイン殺人事件」(1996年2月12日放送)から入れています。青山先生も最初のほうは細かくシナリオをチェックしていただきましたが、次第に「アニメチームにお任せします」という感じで信頼いただけるようになりました。

『サザエさん』のようなテレビが持つ安心感を作りたい

初代監督を務めたのは『シティーハンター』のこだま兼嗣さんでした。
以前からこだまさんはミステリー好きだと聞いていたので、迷わず声をかけました。『名探偵コナン』のアニメ化の動きが本格始動してから第1話の放送まで8ヶ月ほどあったんですが、そのあいだ僕とこだま監督はほとんど一緒にいて、あらゆることについて話し合いました。

アニメ版の『名探偵コナン』の骨格は、こだま監督がとても熱心に作品に向き合ってくれたことで生まれたものだと思います。
『名探偵コナン』をアニメ化させるうえで、とくにこだわっていた部分は?
こだま監督や東京ムービーの吉岡昌仁プロデューサー(故人)とは、いろいろ詰め込んで「頭から尻尾まであんこが詰まったたい焼き」にしようと話し合っていました。当時はオープニングからエンディングまで28分間あったんですが、視聴者が飽きずに最後まで観てくれるにはどうしたらいいか、どこから観ても「これはコナンだ」と思ってもらうにはどうしたらいいのか。そのためのフォーマット作りを徹底的に考えました。

そうした理想の極地にあるのは『サザエさん』なんですよ。夕方6時半にテレビをつければ、いつも見慣れた番組がやっていることの安心感。ああいう感覚を『名探偵コナン』でもたらせたら最高だなとずっと思っていました。
毎週決まった時間にきちんと同じ番組がはじまるのがテレビの魅力であり、パワーでもあると思っているので、その感覚はいまだに大切にしています。
冒頭のナレーションや「Next Conan's HINT」などの細かい仕掛けは、そうした狙いから生まれたものだったんですね。
たとえば次回予告は少しだけ先行してシーン映像を流していますが、これは次週の絵コンテからカットを選び、先行して作画したうえで編集しないといけません。じつはアニメーター泣かせな作業なんですよ。今はデジタル体制なのでいくぶんマシなんですけど、セル画時代はとにかく大変で、こだま監督からは「これ、本当にやるんですか?」と何度も聞かれました(苦笑)。
それでもやるべき工夫だったわけですね。
エンディングでその回のよかったシーンをダイジェストで流しているのも、感動をあと押しする効果があるだろうと考えていたからです。「Next Conan’s Hint」のあとに、来週観てほしい情報をキャストの掛け合いで入れているのもこだわった部分のひとつです。

そこまでやらないと、頭から尻尾まであんこが詰まっているとは言えないし、ちゃんと「ごちそうさまでした」と完食してもらえる作品にならないと考えたんです。今振り返ってみると、アニメがここまでヒットしたのは、こうした最初のフォーマットの作り込みもひとつの要因になっていると思います。
今では女性ファンを中心に、子どもから大人まで楽しめる作品として認知されていますが、もともとターゲットとしていた視聴者層はあったんですか?
少なくともキッズ層やティーン層だけでは厳しいだろうとは考えていました。今はもっと厳しい状況ですが、1996年当時のアニメを取り巻く環境を考えたとき、いわゆるF2(女性35〜49歳)層の取り込みはかなり意識しましたね。

これは『シティーハンター』や『YAWARA!』など、僕の手掛ける作品は基本的にそうなんですけど、大人も楽しめるようなアニメを作りたいというのがありまして。つまりは自分も楽しみたいという気持ちなんですけど、それが強かったですね。
F2層を意識するうえで、絵作りや演出面で意識されたことはありますか?
不快感を与えない」というのは第一に意識していますね。血の色は赤ではなく黒にしていますし、銃やナイフでの犯行シーンも、ドラマ上どうしても必要のあるとき以外は省いています。

また、原作では「死体」と表現している部分も、アニメでは「遺体」と言い換えました。そもそも『名探偵コナン』という作品は殺人事件そのものを見せたいわけではなく、まずはコナンの謎解き、そしてその裏にある人間ドラマを楽しんでもらいたいなと思っております。

オファーとオーディションで構成されたコナンファミリー

キャスティングについてですが、どのように決められたのでしょうか?
青山先生にイメージがあればそれを優先しつつ、基本的には僕とこだま監督、吉岡プロデューサー、音響監督の浦上靖夫さん(故人)とで決めていきました。高山みなみさん(江戸川コナン役)は、青山先生の前作である『YAIBA』(アニメタイトルは『剣勇伝説YAIBA』)で主人公の鉄刃(くろがね・やいば)を演じてもらっていたのでイメージがしやすく、青山先生も「ぜひ」とおっしゃっていたので高山さんにお願いしました。

また、緒方賢一(阿笠博士役)さんと茶風林(目暮警部役)さんもこちらからのオファーでしたが、演じるキャラクターは逆でもいいなと思いつつ、どちらかでとお願いして、話し合いの末にこの形になりました。大谷育江さん(円谷光彦役)は、僕がプロデューサーをしていた『コボちゃん』で主人公(田畑小穂)を演じてもらっていたご縁もあってお声がけしたのと、高木渉さん(小嶋元太役)もキャラクターは決まっていなかったんですが、何かはお願いしたいと思ってお誘いしました。
毛利蘭役の山崎和佳奈さんはいかがですか?
山崎さんはオーディションですね。やっぱりヒロインである毛利蘭はオーディションで決めたいと実施したところ、山崎さんのお芝居が抜群で、満場一致で決まりました。

他のキャラクターも直接声をかけさせてもらった方もいればオーディションで選んだ方もいて、キャスティングはかなりの混成で作り上げたイメージですね。
主題歌も印象的ですが、アーティストや楽曲選びに何かこだわりはあったんですか?
これは『名探偵コナン』に限りませんが、新番組の主題歌というのは本当に大変なんです。作品の世界観とアーティストの世界観があって、どちらも両立させるのは至難の業です。

でも、『名探偵コナン』の場合は、すごくマッチしたものばかりだと思います。とくに番組がここまで長く続いてくると、アーティストの方々が作品の世界観をきちんと理解してくれるので、何も言わなくてもバッチリ合うんですよね。ビーイングさんがはじめて参加した際も、コナンのイメージに合わせて小松未歩さんの『謎』を用意してくださっていて感激しました。

B’zさんやZARD(故・坂井泉水)さん、倉木麻衣さん、GARNET CROWをはじめ、みなさんが作品の世界観にちゃんと合わせてくれて、僕らとしてはそれがすごく嬉しいです。それができる作品って意外と数少ないので、長寿番組ならではの強みかなとも思います。
中でも愛内里菜さんの『恋はスリル、ショック、サスペンス』は話題となりましたね。オープニングアニメーションで、コナンくんが無表情でパラパラを踊るという。
正直、スタッフから演出プランを聞いたときは戸惑いましたね。「さすがに青山先生からクレームが来るかも…」とヒヤヒヤしていました(笑)。

でも、やるなら中途半端ではなくちゃんとやったほうがいいという結論に達し、実際に吉岡さんとパラパラの聖地という神楽坂のディスコ「TwinStar(ツインスター)」(2003年に閉店)に行ってみたんです。そしたら本当にみなさん無表情で踊っていて、それが作法というか、パラパラの流儀だと確信しまして。

周囲からは「やらなくてもいいチャレンジなのでは?」という声もありましたが、でもやってみようじゃないかと。結果的に今でも多くの方の印象に残っているので、思い切ってよかったなと思います。
▲第927話「紅の修学旅行(鮮紅編)」(2019年1月5日放送)。

年間視聴率が20%を突破。社屋にコナン像が建つ快挙

このように綿密な準備をして迎えたテレビアニメの第1話(1996年1月8日放送)ですが、当時の反響は覚えていますか?
第1話の視聴率はさほど芳しくなく、初回は関東で8.5%、関西で12.7%だったと思います。翌週には関東でも2桁に乗り、関西は13%ぐらいまで伸びたんですけど、それから数ヶ月はそのまま低空とは行かないまでも、“中空”飛行がずっと続きましたね。
視聴率2桁でも中空飛行という評価なんですか?
当時の感覚ではそうですね。アニメなら15%は当たり前、ヒット番組になれば20%は取らないと、という風潮がありましたから。そういう意味で『名探偵コナン』は決定的に悪いわけではないものの、「このままだとヤバいな」という状況だったんです。
その状況を打破するために、何か手を打ったんですか?
第11話「ピアノソナタ『月光』殺人事件」がそうでした。1997年4月の頭に1時間スペシャルと銘打ち、勝負に出たエピソードです。

同じ3月には視聴率があまり振るわないにも関わらず、劇場版の話(後の『時計じかけの摩天楼』)も浮上するんですが、当時の僕らは目の前の放送回に必死で、とてもそれどころではないという状況でした。1996年の前半はとにかくドタバタしていて、あの頃、僕らはいったいどういう生活を送っていたのか、記憶がないくらいなんです(笑)。
たしかに「ピアノソナタ『月光』殺人事件」は人気の高いエピソードですが、実際に視聴率は上がったのでしょうか?
じつはあまり変わらなかったんです。で、気が付けばそのまま夏休みに突入し、僕らはさらに苦境に立たされることになります。

『名探偵コナン』はもともと、学校などでの口コミを通して広がってほしいと考えていた作品ですが、夏休みになれば口コミ効果が期待できません。しかも夏休み明けの9月は番組の期末編成で3週間ほど放送が休みを挟まなくてはならず、いよいよ焦りました。

それで苦肉の策として、夏休み期間に大々的にキャンペーンを打ち出したんです。とはいえ『週刊少年サンデー』での特集やテレビスポットCMくらいしか手段はなかったんですけど…。でもそのおかげか、数週間休んだ10月中旬の放送で、数字がポンと上がったんです。10%ほどだった数字が一気に16〜17%になり、明確に上がったと実感した瞬間でした。
ちなみにもっとも視聴率がよかった時期は?
1999年から2001年の3年間ですね。今の時代では考えられない数字ですが、年間視聴率が20%を超えて、読売テレビの社屋にコナンの銅像が建つ異例の事態となりました。民放のテレビ局にキャラクターの銅像が建っているのは唯一じゃないかと思います。

ただそのぶん反動もあって、2004年以降はなかなか数字が取れない厳しい状況が続き、2009年には放送枠を移動して、月曜夜7時台の2階建てアニメ枠がなくなることになりました。

劇場版のヒットは帰ってきたファンで支えられている

『名探偵コナン』といえば、毎年公開されている劇場版をイメージする人も多いと思います。とくに近年の盛り上がりをどうご覧になっていますか?
『名探偵コナン』はとくに女性ファンが多いんですけど、彼女たちは子どもから大人に成長しても、作品から卒業しないんですね。アニメを観なくなったり原作漫画を読まなくなったりもするんですが、それでも潜在的には作品のファンを続けてくれるんです。だから「最近はすっかり離れてしまった」という潜在的なファン層に向けて「今でも面白いんだよ」ということを届けることができれば、劇場に足を運んでくれると感じています。

『探偵たちの鎮魂歌(レクイエム)』(2006年公開)はまさにそうした復帰志向を強く打ち出した作品です。怪盗キッドや服部平次、白馬探といった人気キャラクターがすべて登場するオールスター映画にしたことで、いったんは落ち込んだ興行収入をもう一度30億円まで戻すことができたんです。

さらに『沈黙の15分(クォーター)』(2011年公開)から静野孔文さんが監督として加わったことで、アクションやキャラクターの魅力を最大限に引き出した、今に通じる「エンタメとしてのコナン映画」を確立できたのかなと思います。
劇場版ではテレビシリーズ同様、クイズや次回予告などの仕掛けもフォーマット化されていて、それも面白いですよね。
劇場版はもともとテレビシリーズの延長だと思って作りはじめたので、結果として映画としては少し特殊なフォーマットになりましたね。まさかこれほど長く続くとは思っていませんでしたから(笑)。それに、たとえば次回予告も、昔はただ「次回作決定」とだけ打ち出していたんですが、いつからか内容のヒントまでを入れるようになっていきました。何がスゴいって、1年前の時点ですでにどんな絵を見せるかまで決まっていることなんですが。
なぜそこまでして次回予告の内容を載せるようになったんでしょうか?
もちろん来年も劇場に足を運んでほしいという思いからです。次回作のネタがわかっているほうがイメージしやすいですし、実際に次回作のヒントを入れはじめてからの成績がいいというデータもあります。

あともうひとつは、「コナンと過ごす1年間」を意識してもらいたいとも思っているんです。『名探偵コナン』は漫画とテレビアニメ、劇場版だけではなく、季節に合わせたテレビスペシャルをはじめ、トークイベントやUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)での謎解きリアル脱出ゲームなど、さまざまな企画やコラボ、キャンペーンを展開していて、年間を通じてコナンに触れ合えるチャンスがあるんです。

映画を観に来てくださった方に、自分もその1年間のサイクルに参加してみようと思ってもらえたら嬉しいなという気持ちがあります。

『名探偵コナン』は人生のパートナーと等しい存在

『名探偵コナン』はまだまだ原作が人気連載中のロングシリーズです。プロデューサーとして、共に並走していくためにキャストやスタッフの世代交代も考えたりすることはあるのでしょうか?
たとえばキャストの場合、もしどうしても(降板したい)という方がいらっしゃれば対応させていただきますが、現状はコナンファミリーにそういった声はなく、みなさん元気に演じていただいています。

プロデューサーとしてはむしろ、高山さんをはじめファミリーのレベルが高すぎるので、仮に新しくキャラクターが出てきたときに、彼らと肩を並べて演じられる実力を持つ方をお連れしなくてはいけない、という悩みはあります(笑)。近年だと2017年の『から紅の恋歌』で大岡紅葉を演じた、ゆきのさつきさんがまさにそうですが、抜群の演技でした。

そういうふうに新しいキャストさんを加えて、どうやってファミリーの一員として気持ちよく演じてもらえるか。視聴者の方々に楽しくアニメを観てもらうにはどうしたらいいか。プロデューサーとしてはそこをいちばん考えています。
制作チームについては?
制作陣はすでに世代交代が進んでいて、スタッフはもちろん、プロデューサーも40代とかなり若返りました。僕自身は若いスタッフたちの邪魔にならないよう、縁の下の力持ちとしてどう支えていくべきかを考えて努力していくつもりです。

何より僕は子どもの頃から漫画が大好きで、漫画ばかりを読んで育ってきた人間です。僕にとって『名探偵コナン』は携わって25年目。すでに人生のパートナーと等しい存在ですから、現在やらせてもらっていることも含めて、これからも可能な限り何らかの形で関わっていけたら、と思っています。
諏訪道彦(すわ・みちひこ)
1959年生まれ、愛知県出身。大阪大学工学部環境工学科を卒業後、読売テレビに入社。バラエティ番組『11PM』でアシスタントディレクター、2年半後にディレクターを経て東京支社編成部へ。1986年にアニメ『ロボタン』で初プロデューサーを務めた後、『シティーハンター』を手掛ける。その後、『YAWARA!』『コボちゃん』『魔法騎士レイアース』『名探偵コナン』『金田一少年の事件簿』など月曜7時枠のアニメを数多く企画プロデュース。ドラマも『悪女』『お茶の間』『本家のヨメ』などを担当。2013年に劇場版『名探偵コナン』シリーズで藤本賞を受賞。

作品情報

テレビアニメ『名探偵コナン』
読売テレビ・日本テレビ系
毎週土曜日夜6:00より放送
テレビアニメ公式
http://www.ytv.co.jp/conan/
劇場版公式
https://www.conan-movie.jp/
©青山剛昌/小学館・読売テレビ・TMS 1996