溝端淳平「あのときの言葉と一生向き合っていく」蜷川幸雄から授かったもの

“好青年”――多くの人が彼に感じているであろう印象を伝えると、溝端淳平は「どうでしょうね…?」と意味ありげな笑みを浮かべた。たしかに従順な好青年であるだけならば、蜷川幸雄が二度も自らが演出する舞台に、彼を呼ぶことはなかっただろう。その蜷川の三回忌追悼公演として、舞台『ムサシ』が4年ぶりに復活する。日本が世界に誇った稀代の演出家から、若き俳優は何を受け取ったのか? ――溝端が4年間、待ち続けた舞台がついに幕を開ける!

撮影/祭貴義道 取材・文/黒豆直樹 制作/iD inc

4年前の公演で、言葉では表せない演劇の魅力にハマった

2016年に亡くなった蜷川幸雄さんの三回忌追悼公演として、4年前と同じキャストで再演される舞台『ムサシ』ですが、そもそも、主人公の宮本武蔵を演じる藤原竜也さんが、劇中の武蔵と同じ35歳を迎えるタイミングで再演しようという“約束”を当時からされていたそうですね?
はい。「もう1回やろう」という話は、4年前の公演が終わった時点でありました。だから今回、こうしてまた参加できるというのはうれしいですし「待ってました!」という思いです。(再演が)早すぎてもダメだし、個人的にもすごくいいタイミングでできるなという感じですね。
世に知られる宮本武蔵と、溝端さん演じる佐々木小次郎の巌流島の決闘の6年後、一命をとりとめた小次郎が、リベンジを果たすべく武蔵の前に現れ、再戦を申し込むという物語ですが、溝端さんにとって『ムサシ』はどのような意味を持つ作品なのでしょうか?
蜷川さんと初めてご一緒させていただいた作品であり、いまでもかわいがっていただいている、藤原竜也さんや吉田鋼太郎さんといった先輩方とも共演することができました。演劇の難しさと楽しさの両方を知る――「演劇が好き」なんて言葉では言い表せないほどの魅力にハマり、魅了されるきっかけになった作品ですね。
具体的にどういったところで、演劇の特別な面白さ、魅力を感じたんでしょうか?
まず何より蜷川さんの持つ熱、ものすごい情熱に触れたことが大きかったですね。そして、韓国で上演する中で、現地の人に「日本と韓国も恨みの連鎖を断ち切らなくては」と言っていただき、演劇の持つパワー、国境を越えた何かを感じることができました。それから、個人的にもかなりつらい公演だったんですが…。
と言いますと?
公演中に声が出なくなったこともあったし、ポリープができたりもして、かなりキツかったですね。でもつらいんだけど、何でだろう? この心地よさは…という感じで(笑)、いまでもそうなんですけど、9割つらいんだけど、残りの1割の快感で「生きてるなぁ」って感じるんです。
なかなか割に合わない比率ですが…、そこに生きている実感があるんですね?
不思議なんですけど(笑)、今日がよくても、明日はダメかもしれないって感覚に陥ったり、朝、目が覚めるとすぐにその日の公演のことを考え始めたり…。生活が演劇に侵食されていくような、中毒性を感じつつ…。
それが快感に? 蜷川さんの演出はどういったものだったんでしょうか? 蜷川さんと言えば、愛情や期待の裏返しとも言える、罵詈雑言を含んだ厳しい言葉による演出が有名でしたが…。
僕が蜷川さんからボロクソに言われたのは、『ムサシ』ではなく、その次のシェイクスピアの『ヴェローナの二紳士』のときでしたね。『ムサシ』のときは、ほとんど何も言われなかったんですよ。
ほとんど何も言われないままで、どのように武蔵と並ぶ重要人物である小次郎という役を作り上げていったのでしょうか?
前回の公演に関しては、2009年の初演、2010年の再演があって、自分以外のほとんどの方々が2度目、もしくは3度目の『ムサシ』で、すでに完成された作品だったんですよね。
主演の藤原さんをはじめ、鈴木 杏さん(筆屋乙女役)、吉田鋼太郎さん(柳生宗矩役)、白石加代子(木屋まい役)さんは初演からのメンバー。沢庵宗彭役の六平直政さんも、2010年の再演に続いての出演(初演は辻 萬長)ですね。メインキャストの中で小次郎役の初演が小栗 旬さん、再演が勝地 涼さんと毎回、キャストが変更しているんですね。
そこに入っていかなくてはいけなかったので、ある程度完成された作品に、自分がどこまで追いつけるのか? という作業だったんですよね。自分が役を“作り上げる”というより、“入れ込む”という感覚に近かったですね。稽古期間も2週間くらいでしたし。
たった2週間!? しかも周囲はほぼでき上がっている状況…。
そもそも、稽古初日の段階で、本番の衣装での通し稽古でしたからね…。いま考えてもなかなかスゴいですよね。自分の人生で一番緊張した瞬間は、あの初日の稽古ですね。お客さんが入った舞台上ではなく(苦笑)。

鬼の演出に「頭が真っ白になるんだ」と思った

稽古に入る前の段階で蜷川さんから、厳しい演出が入ってくるんじゃないか、という不安はなかったですか?
いや、そういう状況だったので、蜷川さんを意識するほどの余裕さえなかったですね(笑)。初演の小栗さんの演技も見ていたし、自分がそこに入って、藤原さんと向き合わないといけない。侍の役も初めてで、所作に関しても慣れずにテンパっていたし…。
想像するだけでも、恐ろしい状況です…。
蜷川さんもさすがに、ここでこいつにあれこれ言っても生産性がないと思ったんじゃないでしょうか(笑)。ただ、藤原さんも鋼太郎さんもすごく温かく迎えてくれたんですよね。鋼太郎さんに稽古をつけていただいたし、楽屋でも必ず毎回アドバイスをくださったんです。
それはありがたいですね。
いい意味で演出家がふたりいてくれたような感じで。そこはすごく恵まれていました。藤原さんも、怒るでもこちらを腐らせるでもなく、ずっと武蔵として目の前にいてくれて…。
ちなみに、そのときは蜷川さんからの厳しい指導はなかったということですが、2度目のお仕事となった2015年の『ヴェローナの二紳士』の際は…?
いや、そのときはボロカスに言われました! 鬼でしたね(笑)。
その時点で蜷川さんは体調を崩されていて、車いすに座って呼吸器をつけながらの稽古でしたが、その状態でも熱い演出が…?
いや、人ってあまりにいろいろ言われすぎると、頭が真っ白になるんだって(苦笑)。もう、ただただつらかったです…。「乗り越えたい」という気持ちはあるんですけど、終わらない…という気持ちで。
『ムサシ』のときとはまた違った苦しさが…。
「今日は(芝居を)止められませんように!」「俺のところ、うまくいってくれ…」って祈ってましたけど「はいダメ!」って声がかかって「あぁ、始まったか…」、「もう1回」、「はい、もう1回」という連続で。
蜷川さんの厳しい指導を受けて、その公演を通じて「乗り越えた」という感覚であったり、自分なりの成長や手応えを感じた部分はありましたか?
いや、あのときに蜷川さんが言ってくださった言葉って、もちろん、あのとき目の前にいた自分に向かって言ってはいるんですけど、それだけじゃなくて、むしろ先の自分に対しての言葉だったんだなと思います。
未来に向けたアドバイスだったと?
あのときの言葉と自分は一生、向き合っていくんだと思うし、死ぬまでに答えを見つけられるかわかんないけど、ずっと心に留めておくものなんだって。あのとき、幕が開いてお客さんに芝居を見せたけど、それで「乗り越えた」とは思っていないんです。あのときの言葉に対して「いまはこう感じる」と考えながら、ずっと生きていく、すごく大事な言葉になりました。

“命を削って”舞台を作る、蜷川幸雄の熱量を感じて

その翌年の2016年5月に蜷川さんは亡くなりました。蜷川さんの死をどのように受け止めましたか?
くやしかったですね。
くやしい?
蜷川さんもくやしかったでしょうし、純粋に蜷川さんの舞台を見たいという気持ち、また仕事をご一緒したいという気持ちももちろんありましたけど、それだけじゃなく…。蜷川さんがいるあの稽古場がもうなくなっちゃうんだって。
稽古場…ですか?
自分の中で迷いや悩みがあるなと感じたときに、蜷川さんの稽古を見学させていただいていた時期があったんですよね。
ご自身が出演しない作品の稽古場に足を運んで、蜷川さんの演出の見学を?
そんなふうに稽古場を見せてくださる人も、蜷川さん以外になかなかいないですけど。僕の中で、埼玉にあるあの稽古場って“パワースポット”なんですよね。そんな“聖地”とも言える場所にもう蜷川さんはいないんだって思うと…くやしかったです。
1960年代から演劇界をずっと引っ張ってきた日本を代表する演出家が、その最晩年、人生の最後の時間に多くのことを教え込み、期待を託した若手俳優のひとりが溝端さんだと思います。改めて、蜷川幸雄という演出家はどんな存在ですか?
車いすに呼吸器で稽古をつけてくださるあの姿…“命を削る”ってこういうことなんだなって。蜷川さんの指導を受けた多くの先輩がいらして、僕なんかは一番若い存在で、何かを言える立場じゃないけど、やっぱりその遺志を受け継いでいかなきゃって思う。だから今回『ムサシ』の舞台にもう一度立てることを本当に幸せに思います。
今回、4年ぶりの再演ということで前回の公演と変える部分、変えない部分など、いまの時点(※取材が行われたのは12月中旬)でどのように考えていらっしゃいますか?
基本的な蜷川さんの演出部分は大きく変えないでしょうし、変えちゃいけないとも思います。ただ、僕自身は小次郎をゼロから作っていくという気持ちでいます。4年が経っているんだから変わってなきゃおかしいし、あの世界に飛び込んで、なんとか流れに沿ってやっていかなきゃという前回とは違いますから。
自分なりの小次郎を作り上げ、見せられるいい機会ですね。
再演で小次郎を同じキャストがやるのは今回が初めてで、それは小栗さんも勝地さんもやっていないことなので、チャンスだと思っています。ここ3〜4年、自分なりに小次郎という役の可能性を考えながら「こうできる」「もっと面白くなるはず」と思える部分がたくさんあるので、それを見せたいです。
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