芸歴50年以上。レジェンド声優・三ツ矢雄二が”終活”から見つめ直す「最高の人生」

『タッチ』の上杉達也役や『さすがの猿飛』の猿飛肉丸など、50年以上に渡って数多くのキャラクターを演じている三ツ矢雄二。「声優」という存在を、お茶の間にまで広く浸透させた立役者のひとりとして、まさにレジェンド声優と呼ぶべき存在だ。

一方で『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』や、『秒速5センチメートル』を始めとする新海 誠作品などで音響監督を担当。さらにはミュージカル『テニスの王子様』で脚本・作詞を務めるなど、「役者」の枠を超えたマルチクリエーターとして活躍している。

ところが今年に入り、「断捨離」の一環として長年愛用していた稽古場を売りに出すなど、にわかに身辺が慌ただしい。そこで三ツ矢の半世紀に渡る役者人生を振り返るとともに、「断捨離」を進める現在の心境を伺おうとインタビューを敢行。

おなじみのハイトーンボイスで自らのキャリアを流れるように語る三ツ矢だが、そんな軽快さとは裏腹に、インタビューの最後に飛び出したのは驚きの「終活」宣言だった。

撮影/宅間國博 取材・文/岡本大介
撮影協力/クリスティー 豊島園店

50年間、レギュラーが途切れたことが一度もない

三ツ矢さんはもともと子役出身ですが、小さいころからお芝居に興味があったんですか?
そんなこともないんですよ。もともと歌うことが好きで、小学校の合唱部に入っていたんです。そこで顧問の先生から「のど自慢大会」に出てみないかと誘われたのがきっかけで。
子供向けの?
そうです。僕は名古屋出身ですが、地元の中部日本放送に『どんぐり音楽会』というのど自慢大会の番組があって、それに出たんですね。

そしたら審査員の方から「君はオペラに向いている」と言われました。オペラが何かわからなかったので帰って調べたら、どうやら歌とお芝居が一緒になったものらしいということがわかって。それなら歌だけじゃなくてお芝居もできるようにならないといけないと考えて、小学校を卒業したタイミングで児童劇団に入りました。
それが「芝居」との出会いだったんですね。
児童劇団でお芝居の基礎を教えてもらったのが僕のルーツですね。その後、劇団に入って1年後に『海からきた平太』(1968〜1969年)というNHKの連続テレビドラマの主役に選ばれて、そこでのご縁がのちに声の仕事をすることにも繋がっているんです。
声のお仕事というのは、NHK教育で放送された人形劇『プルルくん』(1973〜1976年)ですね。
そう。さらにそこで、共演させてもらっていた永井一郎さんに勧められるかたちでテレビアニメのオーディションを受けたのですが、それが『超電磁ロボ コン・バトラーV』(1976〜1977年)だったんですよ。
初めてのテレビアニメで、いきなり主役に抜擢された。
合唱部の先生、劇団の先生、NHKのプロデューサーさん、永井一郎さんと、僕の人生はいつだって言われるがままに流されていて(笑)。でも、それが全部いい方向へ進んで今に至るんです。何しろ今まで50年間、レギュラーが途切れたことが一度もありませんから
それは本当にスゴいことですよね。
ありがたいことですね。そうやって皆さんに支えられてきた50年ですから、僕にとって「恩人」と呼べる人は数え切れないほどたくさんいるんです。

声優としての師匠、野沢雅子から学んだ演技論

中でも声優としての「師匠」と言えば、やはり『超電磁ロボ コン・バトラーV』で共演された野沢雅子さんですか?
初めてのテレビアニメのアフレコで戸惑う僕に、台本チェックの仕方からマイクワークまで、懇切丁寧に教えてくれたのが野沢雅子さんでした。

「コン・バトラーV」や「レッツコンバイン!」といった登場や合体シーンのセリフ、「超電磁スピ〜ン!!」のような必殺技の言い方が掴めずにダメ出しを受け続けていたら「(歌舞伎の)見栄を切るようにやってみなさい」と教えてくれて……。それでも感覚を掴むまでには何百回とリテイクを出しましたけど(笑)。

今にして思えば、野沢さんをはじめ、スタッフもキャストも根気よく付き合ってくださったと思いますね。
『超電磁ロボ コン・バトラーV』での芝居が評価され、それからは一気に人気声優として活躍されるようになります。
いや、当時はデビューしたての新人声優が圧倒的に少なかっただけだと思いますよ。

僕の知る限り、同期と呼べるのは井上和彦と水島 裕くらいで、僕を含めても計3人ですから。この3人でいろいろな作品を掛け持ちしていて、気がついたら毎週のレギュラー11本という状態になっていたんです。午前、午後、夜とそれぞれ違う作品をハシゴする、1日3本収録も当たり前の時代でした
スゴい仕事量ですね。その膨大なキャラクターをどのように演じわけていたんですか?
語弊があるかもしれませんが、僕は「役作り」について何も考えないんですよね。キャラクターのビジュアルを見て、セリフを読んで、ふわりと頭に浮かんだ声や芝居をそのままストレートに出しているだけです。

というのも、毎日3本も収録していたら、それぞれのキャラクターを深く作り上げていくことって、ぶっちゃけると物理的に無理なんですよ。なんでスタジオに入って、そこで受けたインスピレーションを大切にして演じることが多いです。
それでドンピシャなお芝居ができるものなんですか。
ドンピシャかどうかはわかりませんけど、それでも監督からOKが出ているので、まあできているんでしょう、と(笑)。
二枚目からコメディリリーフまで、すべて現場で生まれたものだというのは驚きです。
でもひとつだけ例外があって、それは『キテレツ大百科』のトンガリです。トンガリは『ドラえもん』のスネ夫にとてもよく似たところがあって、だからこそ「どうやって表現しよう?」と、収録が始まる前からすごく悩みました。
初めて役作りで悩んだ。
それで野沢雅子さんに相談したら、「小学生をよく観察しなさい」とアドバイスをいただきました。

さっそく近所の小学校の校門付近に陣取って、外見や雰囲気がトンガリに似ている子供を見つけては、その子がどんな声をしているのか、どんなしゃべりかたをしているのかを観察して学んだんです。
なるほど。
変なおじさんがうろついていると怪しまれたらマズイので、通りすがりの通行人を装いながらチラチラと(笑)。結局、いくつかの小学校を周って、何人かの子供の挙動をインプットしてから現場に入り、それで出たのが今のトンガリの声です。
収録はすんなりOKだったんですか?
音響監督の小松亘弘さんからは「三ツ矢くん、無理しないでいいよ」と言われたんですが、「いや、無理してません。これでいかせてください!」と(笑)。

トンガリはかなり特殊な発声なので、小松さんは僕の喉のことを心配してくださったんですけど、僕はどうしてもこの声でやりたかったんです。自分でもこの声は少し厳しいかなと思っていたんですが、実際に始めてみると鍛えられるもので、だんだんと負担をかけずに自然と声が出るようになりましたね。
トンガリのハイトーンな声はすごく印象的でした。
トンガリって、言わば脇役じゃないですか。原作だとそこまで頻繁には登場しないので、だからこそ強烈に面白いキャラクターにしてやろうと思ったんです。

結局のところ、毎回必ず登場するレギュラーキャラになって、そのときは「やったー!」と喜びましたね。主役じゃなくても面白くてインパクトのあるキャラクターは作れるんだと知れて嬉しかったです。

『タッチ』全盛期の年収は1億円。贅沢もしてました

もうひとつ、三ツ矢さんと言えば『タッチ』の上杉達也も外せません。『タッチ』は国民的な大ヒット作品でしたから、当時は相当忙しかったのでは?
『タッチ』は収録前からディレクターやプロデューサーの気合がビンビンと伝わって来ていたので、「これは相当に入れ込んでいる作品だな」というのはわかっていました。

今でも鮮明に覚えているのは、第1話の収録を終えて帰宅した際、5人のプロデューサーからそれぞれ電話がかかって来たんです。全員が「もっとこうしたほうがいいんじゃないか?」って。
それだけテレビ局が『タッチ』に懸けていた。
そうなんですけど、言っていることが5人ともバラバラで……。収集がつかないので自分が思った通りにやるしかないと覚悟していたところ、オンエアされて視聴率が出たとたん、誰も何も言わなくなりました。
結果が良かったから、ですね。
あのときは、自分を信じて良かったと思いましたね。
『タッチ』はアニメだけではなく、イベントやCMなどさまざまな展開もされました。
土日は毎週のように地方でイベントがあって、僕と日高のり子さん(※編注)のふたりで巡業に行きました。
編注:日高のり子さんの「高」は梯子高が正式表記です。
しかし平日は収録、土日は興行となると、休む暇がありませんね。
忙しかったですね。年間を通じて、休みが数日あるかどうかという時代でした。
ここだけの話、収入面もかなりスゴかったのでは?
当時の年収は1億円くらいあったと思います。
でもそのぶん、すごく使っていましたね。洋服をバンバン買ったり、豪勢な外食をしたり、海外に行く際もファーストクラスに乗ってみたり。僕は稼いだぶん、しっかりと使うタイプなんです。
どんどん使うことで経済を回すという。
どれだけお金を貯めても、死んだらあの世には持っていけないじゃないですか。それなら市場に還元して日本経済を回したほうが、いくらか社会貢献ができるかなと思っているんです。
今でもお金遣いは豪快なほうですか?
うーん。『タッチ』のときと比べれば、たいした贅沢はしていません。

僕の理想は、「財布に残った最後の10円を使い切って死ぬ」なんですよ。なんだか気持ちいいじゃないですか?
わかるような、そうでもないような(笑)。
それに自分で稼いだお金をそのまま銀行に預けてしまうと、仕事に対する情熱も低下すると思うんですよ。あくまで僕の場合ですが、稼いだお金はしっかり使うことで、それが次の仕事へのモチベーションに繋がっているような気がします。

昔の声優たちは0点か100点。今は平均75点の芝居が多い

目まぐるしい変化を続けている声優業界ですが、芸歴50年を超える三ツ矢さんから見て、ご自身の若いころと現在は何がどう変わっていると思いますか?
最近は新人声優さんとガッツリ絡むことも少なくなったのでハッキリとは言えないのですが、印象としてはやっぱりソツがない演技をするな、と感じます。
僕の若いころは0点か100点の演技をする人が多くて、0点を出すと音響監督からすごく叱られるんですけど、一方で役者の個性が全面に出ていて、聞いていてもやっぱり面白かったですよね。
たしかに昔のアニメって、しゃべり方も声質も個性的でしたよね。
ひと言聞いただけで「あ、○○さんだ」とわかることが多かったですね。それで言うと今の子は全員が75点というか、平均的に上手い代わりに、突出した個性を感じることは少なくなったと思います。
少し物足りない、ということですか?
いいえ。昔と今では声優に求められる資質も取り巻く環境も全然違いますから、その風潮を否定する気はまったくありませんし、そこは僕がとやかく言うことでもないと思います。

そもそも僕らの時代って、新人が数えるほどしかいませんでしたから、そのぶん実践で学ぶ機会も多かったと思いますし。今は作品数が多くても、それ以上に新人声優さんの数が多いので、そこはみなさん大変だなと思いますよ。
もう少し「芝居」について伺いたいのですが、三ツ矢さんの芝居は子役時代から培ってきた実写がベースになっていると思います。マイク前から離れずにお芝居をする声優さんの芝居とはまた少し違うのでしょうか?
まったく同じだと思いますよ。たとえば飛び上がるときの「ハッ」という息遣いにしても、やられるときの「ぎゃっ」という声にしても、実際に自分の身体そのものを使って演じたときに生じる声の出し方ってあるじゃないですか。
たしかにそうですね。
当然、そのときに使った筋肉や声帯の動きを再現しないと、リアルなものにはならないですよね。

最近のアニメを観ていて、「ギャー!」と叫び声があがるシーンで「この程度の叫び声では大してダメージを受けてないよね」と感じることはあります。ラクをしてしゃべっているなと。僕が音響監督や養成所をやっていたころは、そういうところはとくに重点的に指摘しましたし、個人的にも大事にしている部分かもしれません。
俳優も声優も関係なく、身体を使ったお芝居を学ぶ必要がある。
大切なことだと思います。今の声優さんは歌やダンス、トークなど、もはやタレントと同じ技能を求められますから、なかなかお芝居だけを集中して勉強することは難しい環境だと思いますが、それでもやっぱり声優の本業は役者だと思うんです。
とくにベテランの声優さんになるほど演劇志向が多い印象です。
そうですね。僕は歌が好きでお芝居の世界に入りましたけど、それでも昔は飲むと必ず「あの映画観た?」とか「あの役者の演技はスゴい」とか、話題と言えば舞台や映画、本の話ばかりでした。

今、たまに若い声優さんと話すと、「アニメが好きで声優になりました」とか「ゲームが好きで声優になりました」という方がとても多くて驚かされますね。

別に昔のほうが良かったなどと言うつもりは毛頭ありませんけど、声優=役者という本質はこれから先も変わらないと思うので、若い子にはそっちの勉強もしてくれたら嬉しいなとは思います。

声優業界への関心はすでに興味を失いつつある

声優のタレント化という話も出ましたが、声優業界の未来について三ツ矢さんはどのようにお考えですか?
それは……ぶっちゃけてしまうと、「知りません!! わかりません!! ごめんなさい!!」ですね(笑)。

僕は僕の時代の環境で一生懸命頑張って、それなりに結果を出すことができたかなと思いますけど、これからのことはまったく予想もつかないですよ。
芸歴50年を超える三ツ矢さんでも予測不能だと。
無理ですね。それに還暦を超えてからというもの、僕自身がすっかり声優業界の行く末に興味や情熱がなくなってきたこともあります。
そうなんですか?
僕個人としては、自分が声優としてやりたいことのほとんどは還暦までにやりきってしまった感があるんですね。そのうえでこれからのことを考えたとき、声優として自分がこの業界でできることって、もうあまりないと思うんです。
そんなことはないと思いますが……。
何より、モチベーションが昔のようには上がらないんですよね。昔は台本をチェックしてセリフが多ければ「やったー!」と喜んだものですが、今では逆にセリフが少ないと「バンザーイ」ですから(苦笑)。それに加えて、体力的な衰えも感じますしね。
年齢的なものですか。
長年やってきているので、ある程度はテクニックでカバーすることはできますが、それでも自分の中では違いはハッキリとわかるんです。

何より昔はセリフを噛んだりトチったりするなんてまずなかったのが、最近は短いセリフでもよくトチります。おまけに老眼で台本の字が読めないとか……。
お話を伺っていると、声優として第一線で活動することは徐々に控えていく方向に向かっている、ということですか?
そろそろセミリタイアしたいです。何より、少し休みたいです。50年間レギュラーに恵まれたことはとてもありがたいことですけど、それは裏を返せば毎週必ず収録があるということで、それが半世紀も続いたわけですから。
デビューからここまで、長期休暇が取れない状態だったんですね。
僕は毎年、ニューヨークにブロードウェイを観に行くんですが、いつも数日しか滞在できないので、観れる本数が限られてしまって。本当はもっとマイナーなオフブロードウェイ作品もたくさん観たいですね。

還暦を過ぎて見えてきた「断捨離」に始まる「終活」

先日、Twitterで「断捨離」の一環として稽古場を売りに出されていましたが、それもセミリタイアと同様、心境の変化によるものですか?
これに関しては、引越しに伴う整理整頓の一環ですかね。僕はこれまでモノを捨てたことがほとんどなかったのですが、今回の引越しを機に、稽古場も含めていろいろと整理しようと思ったんです。
なぜ引越しを?
これまですごく大きなマンションにひとりで住んでいたんですが、ほとんどの部屋はただの物置と化していたんです。

今まではそれでもよかったんですけど、還暦を過ぎてから、どういうわけか物欲が一気になくなってきて。そりゃもう、出家でもしたのかというくらい(笑)。
モノを溜め込んだ反動でしょうか?
それもあるかもしれないし、とにかく身軽になりたかったというのもあります。次第に「どうやら僕はシンプルでモノのない生活が好きみたいだぞ」と思うようになり、やがて理想はホテル暮らしなんだと気づきました。
ホテル暮らし、ですか。
これから何十年もホテルで暮らすお金はありませんから、あくまで理想ですけどね(笑)。なので、ひとり暮らしに相応しいこぢんまりとしたマンションを買って、そこに入るだけのモノしか持たないと決めました。
容器に合わせてのダウンサイジングですね。
以前の家には開けていないダンボールが山ほどあって、着ていない洋服や観ていないDVDなど、とにかくモノで溢れかえっていたので、思い切って断捨離しようと。まだすべて完了していませんが、それでもだいぶ進みましたね。

残りの人生、好きなことだけに時間を割きたい

しかし、三ツ矢さんの口から「セミリタイア」や「断捨離」の言葉と聞くと、ファンにとっては寂しい気持ちになります。
これらはある意味「終活」なんですが、この声優という仕事は決して嫌いではないですし、完全に辞めるわけでもありません。

芸歴50年を超えて、余分なモノを削ぎ落としたことで、今はすごくスッキリした気分なんです。ようやく自分の時間が持てることも嬉しいですし、僕としてはすごくワクワクしています。
具体的にはこれからどんなことをやっていきたいですか?
昔からやりたかった歌もちゃんと勉強したいですし、ニューヨークに長期滞在して芝居もたくさん観たいですね。向こうで気に入った作品があれば、それをぜひ日本に紹介したいとも思います。演出、出演、脚本に関係なく、舞台とは今後もずっと関わっていきたいです。

今は男性同士のカップルを描いた舞台の演出に関わっています。詳細は4月くらいに出ますが、今年7月から池袋サンシャイン劇場で公演予定です。それから秋は少しお休みして、12月には劇団アルターエゴでオリジナル脚本の芝居をやろうと思っています。
最近はドキュメンタリー映画『私はワタシ』でナレーションを担当するなど、LGBT関連の活動も行なっていますね。
先日もLGBTのパレードに参加しましたよ。セクシャリティに関してはとくに隠していたつもりはなかったんですけど、たまたまテレビで言ったらそれがカミングアウトみたいになっちゃって(笑)。
そこからはバラエティ番組への出演も増えましたよね。
僕の周りの人たちは何十年も前から知っていることだったので、「このうえさらに営業して回るのかお前は」とあきれられました。
セミリタイアと言いつつ、まだまだお忙しそうですね。
今までに比べたら楽チンですよ。とは言え、舞台に対しては一生懸命、それこそ命がけで挑むつもりでいます。全力疾走は無理でも、早足くらいならできますから(笑)。

スペシャル動画

今回、インタビューにご協力いただいた三ツ矢さんに言ってほしい「言葉」を、ライブドアニュース読者から大募集。寄せられたさまざまなリクエストに対して、三ツ矢さんがこれまでに演じた「あのキャラクター」の声でお答えいただきました!

中には何年ぶりにチャレンジしたというレアボイスも!? レジェンド声優が贈る、永久保存版の回答をお楽しみください!
三ツ矢雄二(みつや・ゆうじ)
1954年生まれ。愛知県出身。A型。声優、俳優、タレント、音響監督、演出家など多方面で活躍するマルチクリエーター。子役として多数のドラマに出演したのち、1976年に『超電磁ロボ コン・バトラーV』の主人公・葵 豹馬役で本格的に声優デビュー。主な出演作に『六神合体ゴッドマーズ』(マーグ)、『さすがの猿飛』(猿飛肉丸)、『タッチ』(上杉達也)、『キテレツ大百科』(トンガリ)などがある。

サイン入りポラプレゼント

今回インタビューをさせていただいた、三ツ矢雄二さんのサイン入りポラを抽選で3名様にプレゼント。ご希望の方は、下記の項目をご確認いただいたうえ、奮ってご応募ください。

応募方法
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受付期間
2019年3月28日(木)10:00〜4月3日(水)12:00
当選者確定フロー
  • 当選者発表日/4月4日(木)
  • 当選者発表方法/応募受付終了後、厳正なる抽選を行い、個人情報の安全な受け渡しのため、運営スタッフから個別にご連絡をさせていただく形で発表とさせていただきます。
  • 当選者発表後の流れ/当選者様にはライブドアニュース運営スタッフから4月4日(木)中に、ダイレクトメッセージでご連絡させていただき4月8日(月)までに当選者様からのお返事が確認できない場合は、当選の権利を無効とさせていただきます。
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