藤原さくらインタビュー ――『3月のライオン』主題歌に詰まった“大切な人への温かい気持ち”
映画『3月のライオン』後編が4月22日に公開となった。高校生プロ棋士・桐山 零(神木隆之介)と彼をめぐる人々の物語はいったん幕を下ろすが、その先も続いていく人生の大海原に彼らがどうこぎ出していくのか――。不確かだけれど希望にみちた出発を、主題歌『春の歌』を歌う、藤原さくらの柔らかくもブレない歌声が後押しする。「映画を観終わったあとにこの曲を聞いて、“大切な人に会いたいな”と思いながら、てくてくお家に帰ってもらえたらいいな」と、藤原は歌に込めた思いを語る。
撮影/川野結李歌 取材・文/新田理恵 制作/iD inc.企画/ライブドアニュース編集部
原作の大ファン! 「絶対観に行こう」と思っていたら…
- 『3月のライオン』後編の主題歌のお話がきたときの気持ちはいかがでしたか?
- 原作である漫画の大ファンだったので、「まさか!」と思いました。ホント、神木さんのビジュアルが公開されたときも、「ピッタリ! 桐山 零!」って(笑)。お姉ちゃんと「絶対観に行こうね!」って言っていたので、後編の主題歌というお話をいただいてビックリしました。
- 映画の主題歌で、かつスピッツの『春の歌』のカバーを…という、ちょっと珍しいオファーだったと思います。
- 私は今回のお仕事で初めて、『3月のライオン』は原作者の羽海野チカ先生が、『春の歌』を聴きながら構想を考えた作品だったということを知りました。原曲も私がギターを始めたての小学生の頃から知っていますし、スピッツさんの曲はカバーをたくさんさせていただいていたので、今回歌わせていただけるのは、すごく光栄なことだと思いました。
- 主題歌を歌うことが決まり、改めて『3月のライオン』と、『春の歌』の歌詞の世界に向き合って感じたことは?
- 原曲の『春の歌』のいいところは、透明感があって、荒々しくて、それでもまっすぐなところだと思うんです。主人公の零くんがひとりでもがいて、苦しんでる様子がすごく伝わってきました。「ああ、この曲から生まれたんだな」っていうことを感じました。
- 原曲も名曲なので、聴く側にとってもそのイメージが強く残っていると思います。アレンジはどういう部分にこだわりましたか?
- 映画の後編を観させていただいたあとで、これはすごく温かい家族の愛の話なんだなって思ったんです。零くんが将棋を通して仲間を見つけて、大切な川本家の人たちと不器用ながらも関係を築いていく。悩むこともあるだろうけど、大切な人がいるということがすごく大事で、ひとりじゃなく、これからも彼らと日常を生きていくんだなっていうことがよくわかる。大友(啓史)監督からは、そんな零くんに対する「祝福」みたいな気持ちを込めてもらいたいと言われたんです。
- 零くんへの「祝福」という監督の表現には「なるほど!」と思いますが、実際にそれを歌で表現するとなると、非常に難しそうですね…。
- そうですね。曲の始めは、とつとつとギターと歌だけで、ひとりで歩いて行く感じをイメージしているのですが、サビになるとどんどん楽器が増えたり、スタッフのみなさんにもコーラス部分に参加してもらったりして、「ひとりじゃないんだな、零くんは」と感じてもらえるアレンジになったかなと思います。スピッツさんの原曲とはだいぶ違うし、テンポ感や歌い回しを変えている部分もあります。どういうふうに歌おうかな? というのは、すごく悩んだところではありました。
- 原作ファンとのことですが、改めて、映画をご覧になった感想は?
- 最初に観たときはまだBGMも入ってない状態だったんですけど、それでもひどく感動して。漫画の実写化って難しい部分もあると思うんです。私もいちファンとして映画を観させていただいて、あまりにも違和感がないというか、「神木さんだ」じゃなくて、「零くんが生きてる!」と思って観られたことが印象的でした。
- 原作ファンにそう言ってもらえる作品って、なかなかないですよね。
- すごく自然に、私の知ってる『3月のライオン』の人たちの日常を観ている感じがしましたね。キャラクターひとりひとりがすごく人間らしいので感情移入できたし、みんながいろんな思いを抱えながら生きているんだなということが伝わってきました。
小5の頃からの夢だった“シンガーソングライター”
- 『3月のライオン』はプロ棋士の厳しい勝負の世界を描いています。藤原さんがシンガーソングライターを目指したのはいつ頃ですか?
- 小学校5年生でギターを始めた頃から、ずっとシンガーソングライターになるのが夢で。でも、とくに何をするわけでもなく、家でギターを弾いて、それこそスピッツさんの曲とか、YUIさんの曲を楽しくカバーしたりしていてました。
- では、「プロとして音楽で食べていく」としっかり意識したのは?
- あるとき、音楽をやっている友達のライブを観に行って、すごく悔しくなって…。「なりたいって言ってるだけじゃダメだ。こんなに頑張ってる人が同世代にいるんだ」っていうことに刺激を受けて、高校生のときボーカルスクールに通い始めたんです。そこのオーディションに合格してから真剣に、高校を卒業したら東京に出たい、大学には行かずに音楽でお金をもらいたいって思いました。
- 迷いはなかったですか?
- そうですね。オーディションに受かっていなかったら、もしかしたら地元にある福岡大学に通っていたかもしれないけど…。
- 具体的ですね(笑)。
- そんな気がするんです(笑)。でも、シンガーソングライターはずっとなりたかった夢なので、きっと諦めきれなかったでしょうね。
- それ以外、考えたことはなかった?
- そうですね。他のことは考えてなかったです。もっと小さい頃には、パン屋さんになりたいとか、レスキュー隊員になりたいとか思ったこともありますけど…。
- レスキュー隊!? 活躍している場面を目撃した経験があるとか?
- いえ、でも、なぜかなりたくて(笑)。命をかけて戦っている姿がカッコいい! と思ったんです。私も戦いたい! と思ったんでしょうね。小学校3年生くらいの頃の考えなのでわからないですけど(笑)。他にも漫画家になりたいとか、いろいろ夢はありつつも、やっぱり真剣に「なりたい」と思ったのはシンガーソングライターが初めてでしたね。