『東京湯巡り、徘徊酒 黄昏オヤジの散歩道』である。タイトルがすべてをあらわしている。東京在住の著者が、一日の仕事を終えて(あるいは途中で放り出して?)、都内の各所にいまだ残る銭湯を訪ねる。ゆっくりとお湯につかって一日の垢を落とし、いいアンバイに茹だったところで、今度は近所のヨサゲな居酒屋に飛び込んで、うまい肴と酒に舌鼓を打つ。そんなお愉しみを綴ったエッセイ集だ。

著者は島本慶。酒や食や風俗といった遊びを軽快に語るコラムの名手で、風俗方面の仕事では“なめだるま親方”という素敵なペンネームでも知られている。

親方の書く文章は、いわゆる昭和軽薄体の流れを汲むもので、こういうダラシナイおっさんのいい心持ちを表現するにはピッタリの文体だ。たとえば「すっきり」は「スッキシ」だし、「〜ばかり」は「〜ぶわぁっかり」となる。
それから擬声語を多用するのも昭和軽薄体の特徴で、パンツは「ヌギヌギ」するものだし、風呂につかれば「ブクブク」となって、ビールは「グビグビ」飲んじゃう。本当は風俗レポートでこそ親方の真価は発揮されるんだが(その場合には昭和軽薄体がさらに進化して「おチュケベ文体」となる)、さすがに本書はそこまでハッチャケてはいない。

本書に登場するのは、全38銭湯と38酒場。牛込柳町や十条、赤羽、町屋といった“わかってる”町選びもさることながら、銀座や目黒などあまり銭湯がありそうにない場所でも、しっかり湯あがり酒を堪能しているのが見事である。

もちろん、酒を飲むだけならどんな町にだって大型チェーンの居酒屋ぐらいある。でも、銭湯での風呂あがりにそれは違うんだよねえ。そういうところは大勢のグループで行くにはいいんだろうけど、ひとりで行って楽しいところじゃない。だいいち落ち着けない。行くならやっぱり個人経営の小さな店がいい。

「店のご主人や女将のキャラが何とも表現しつくしがたい、いい味を出している。酒ってのは酔えればいいってもんじゃない。店の雰囲気にも酔いたいもの。変な客とかいて、ガヤガヤしてる。その耳に入ってくる話とかもまた酒の肴になる」

だよねー。とくに「酒ってのは酔えればいいってもんじゃない」という点には激しく共感する。酒と肴と店の雰囲気。それらがひとつになって珠玉の酩酊感を生むんだから。

本書を読んでいると、親方が飲んでいる空間にご一緒したくなる。これは一緒に飲みに行きたいという意味ではない。そういうことではなく、シブめの居酒屋でひとり飲んでるとカウンターの向こうになめだるま親方もひとりで来てるわけ。でも、声をかけたり同席したりするんじゃなくて、やっぱりそのまま他人として飲むの。つまり、お互いがその酒場を構成する要素のひとつとなって、シブい雰囲気を味わい続けるんだ。そのためには、自分も店の雰囲気をブチ壊さない“いい感じにゆるんだおっさん”でなければならないんだけどね。

ところで、親方は本書の中であるふたつのことに強いこだわりを見せている。そのひとつは、入浴前に必ず下(シモ)を洗うこと。そりゃ公衆浴場を利用するんだから、股間を洗ってから湯船に入るのは常識だ。でも、親方は毎回律儀にその行為を文章に書くんだよ。それが妙におかしい。昭和軽薄体とも違う何かが、そこにあるんだよね。

それともうひとつ。親方はご自身の体重がヒジョーに気になっているようで、毎回、風呂あがりに体重計に乗っては、その増減を確認している。ま、このあとビールをグビグビしに行くわけだから、少しでもカロリーを消費しておきたいと思うのは当然だろう。そして軽くなってるのを確認しては「ニンマリ」したり、重くなっていれば体重計の故障を疑ったりする。このへんも親方の“可愛いおっさん”らしさが出ていていいんだなー。

ともかく、そんな風にして親方がふくらんだりしぼんだりしながら都内の銭湯と酒場を巡る日常は、この上なく幸福だ。この世の極楽だ。真似をしたくならない方がおかしい。
ワタシはこの本を読み終えた瞬間、親方も愛用しているという「東京銭湯ぶらり湯めぐりマップ」を手に入れるため、書店にダッシュした。
(とみさわ昭仁)