戦後の世界の転換期と目される、1968年。
 ベトナムでは1965年より起きたベトナム戦争が泥沼化していき、チェコではプラハの春がはじまった。また、フランスでは五月革命が起きた。
 日本では都市化が進み、霞ヶ関に日本で初めての超高層ビルが建設された。一方で、公害が新しい社会問題として取り沙汰されたのもこの頃だ(四日市ぜんそくは1967年に提訴されている)。さらに、学生運動の高まりが、この時代のイメージとして、強烈に印象付ける。

 スガ(糸へんに圭)秀実氏は『1968年』(筑摩書房/刊)で、1968年の革命は豊かさの革命、つまり資本主義の力に依存することによって遂行されたものであると指摘する。
 また、当時の文献を読んでいると、1968年前後という時代には、人々の社会への参加意識を高める空気が存在していたようにも思う。三田誠広氏の『僕って何』(河出書房新社/刊)は、そうした当時の若者が感じていた使命感と空虚感を客観的に捉え、それを爽やかに描いた青春小説であるが、まさにそのテーマは「僕って何?」という言葉に尽きるだろう。
 「自分とは何か」―。社会構造の大きな転換期の中で、人々は自らの存在というものを模索しなければいけなかった。

 5月28日に封切られる映画「マイ・バック・ページ」。この作品は1968年の翌年、69年からの3年間を舞台している。メガホンを取るのは、「リンダ・リンダ・リンダ」などで知られる気鋭の映画監督・山下敦弘監督だ。
 本作は元『週刊朝日』『朝日ジャーナル』の記者で、現在は評論家として知られる川本三郎氏の『マイ・バック・ページ』(平凡社/刊)が原作となっている。映画では1969年から1972年までの3年間を、川本氏が雑誌記者を辞職せざる得なくなった「朝霞自衛官殺害事件」のエピソードをモチーフにしてストーリーが展開していく。

 川本氏は『マイ・バック・ページ』の復刊版のあとがきに、当時の20代の頃の自分と、過去のことを書けるようになった40代の自分、そして「あとがき」を書いている60代を書いている3つの時間が重なり合っていると書いている。一方、山下監督はこの映画のインタビュー(関連記事を参照のこと)において「川本さんが感じていたあの頃への後ろめたい気持ちを全体的に散りばめていった」とも語っている。

 「自分とは何者か」「自分は何を信じるのか」という根源的な問いとともに、本作は展開する。そしてそれはどこか、現代の世相とも通じるところがあるように思うかも知れない。
 映画内でかもし出されるあの時代の雰囲気をより深く味わうために、原作もチェックしてみて欲しい。
(新刊JP編集部/金井元貴)



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