5月16日に心不全で亡くなっていたことが明らかになった俳優の中尾彬さん(享年81)。中尾さんは60歳を過ぎた頃から、妻で女優の池波志乃さんと話し合って、不動産を処分したり、遺言状を作ったりと「美しく逝く準備」を始めていたという。2人の共著『終活夫婦』(講談社)から、死を見つめはじめた夫婦の会話を紹介する。
俺はカミさん以外はいらない
中尾モノを持っていることが、ある意味ステータスだった時期はあったな。でも、年をとってくるとある面でそれは重荷になってくるんだよ。置き場所のことも出てくるし、結局、持ち過ぎていたんだな。
志乃ただ、持つことができた喜びもあったのも本当。今、ふと思ったんだけど、確かにあれも、これもと思うのは物欲なんだけれど、その物欲はひとつの目標でもあったわけで……。アトリエをつくりたい、別荘がほしい、みんな物欲というよりも何か目標だった気がする。
中尾確かに成し遂げたいものであって、そのために仕事をしているところが、どこかであった。自分なりに志を持って、努力をしたかどうかはわからないが、そうやって得たものはある意味、生きた証だったんだろうな。そしてある時、ふと立ち止まって考えてみるわけ、行き着いた先には何があるんだろうって。
志乃そうしたら、いたるところに、これはいらないというものが見えてきた……。
中尾俺はカミさん以外はいらないけどね。
「終活」を口にするタイミング
中尾俺の予感だと、たぶんそれ(「終活」を口にすること)はカミさんのほうだね。男はなかなか言い出さない。「まあ、いいや。そのとき考えよう」というのが男なんだよ。
志乃でも、そのときでは本当は遅い。
中尾遅いね。定年になったらやろうなんてよく言うけれど、定年になったってやらないんだから。
志乃だから普段から夫婦でいろいろな話をしているといいと思うのね。言い出すチャンスは必ず出てくるから。いきなり突きつけたりすると相手も拒否反応を起こしてしまう。
中尾確かに(夫婦ともにほぼ同じタイミングで)病気になってすぐに志乃が「終活」の話をしだしたら、俺は断っていたね。5、6年近くたって、病気をしたことも忘れてしまうぐらい健康になったところで、志乃から「そろそろ考えてみない?」と切り出されたから、こちらも「そうだな」という気になった。一般論になってしまうけれど、夫婦のどちらかが弱っているときには、こういう話はすべきではないと思う。
老親に精神的負担をかけてはいけない
志乃それから例えば60代ぐらいのご夫婦で、まだ80代とか90代の親御さんがご健在の場合、自分たちがそんな話をしたら親が傷つくなと思ったら、彼らに精神的負担をかけるようなことはしてはいけないと思う。
中尾同感だね。
志乃全部タイミング。そのタイミングは男と女でも違うし、それぞれの環境によっても違ってくる……。
中尾ただ「終活」というぐらいで終わりの活動をしているわけだから、やっぱり活動なんだよ。活動っていうのは生きていくためにやることであって、死に支度ではない。だったらどれだけ楽しくやれるか、だ。所詮、この世のことはすべて遊びなんだから。
毎日、夫婦で2時間かけて夕食
中尾だいたい2時間ぐらいかけて夕食を食べながら夫婦で会話を楽しんでいるというと、たいていの人には驚かれるな。何をそんなに話すことがあるんですかって。
志乃何かについてあえて話すという感じではないものよね。いざ座って「では」としゃべっているわけではないし。
中尾それじゃ会議だよ。俺たちの場合は、志乃の料理を肴にふたりで酒を飲みながら、今日あったこと、明日のこと、食い物のこと、さて次はどこへ旅行にいくかとか、つらつら話しているうちに2時間なんてあっという間に過ぎていくんだから。
志乃テレビを見ながら食事をすることはまずないわね。
中尾いっさいない。だって、テレビを見ていたらせっかくの料理の味がわからなくなるじゃないか。
自分たち夫婦にエンディングノートは必要ない
志乃「終活」もこうした普段の会話のなかから自然に出てきた話だったのよね。葬式も偲ぶ会もいらない。延命治療もいらない。そのかわり墓はほしい、遺書もつくっておこう、ほかにもこまごまと本当にいろいろな話が出てきてね。時には私があれもこれもとごちゃごちゃ積み上げすぎるもんだから、だんだんと話がとっちらかっていってね。
中尾とくにワインを2本ぐらい飲んだときがあぶない。ただこうして毎日、我が家の「居酒屋しの」で飲んでしゃべっている俺たちだから、万が一、志乃の身に何かが起きても、慌てない自信はあるね。志乃がどうしてほしいかということくらいわかる。志乃も俺のことをわかるはずだ。そうだろう。
志乃そう、そう。だから何もエンディングノートにこまごまと書いておく必要なんかない?
中尾あんなものはいらないよ。そのために知恵があるんじゃないか。
外部リンク現代ビジネス