日本語の中には、時代と共に本当の意味よりも間違った意味のほうが広まってしまった言葉がある。明治大学教授の齋藤孝さんの著書『二度と忘れない! イラストで覚える大人の教養ことば』(ワニブックス)より、意味を勘違いされやすい日本語を紹介する――。
写真=iStock.com/Seiya Tabuchi
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Seiya Tabuchi

■常識ある社会人なら正しい意味を知っている

テレビ番組のコメンテーターなどをしておりますと、いわゆる「正しい日本語」について説明を求められる場面が多くあります。そこで頭を抱えるのが、間違った言葉を使っている人がすでに“過半数”を占めている場合です。

言葉とは、あたかも生物の進化のごとく、時代に合ったものが生き残り、そうでないものは次第に使われなくなっていきます。かつては「間違い」とされていた言葉が、あまりに多くの人が誤って使うことで、正式に辞書で扱われるようになることも少なくありません。これも、言葉の生命力ゆえでしょう。

一方で、特に社会人と呼ばれる年代の人が、驚くような言葉の間違いをした場合、その人の知性を疑われてしまうこともあります。それは、多くの人が「社会人なら、日本語は当たり前にできるもの」→「当たり前ができない人」→「この人は、常識がない」と考えるためです。

したがって、いくら言葉は変わりゆくものだとしても、社会人としての「常識」として、一般的な日本語の意味合いをおさえておく必要が生じます。

そこで、本書では“間違えやすい日本語”を厳選して集めました。「これだけ覚えておけば恥をかかない」という、もっとも重要なポイントをおさえるのみならず、印象が記憶に残りやすいよう、イラストをふんだんに使用することで「これさえ読めば、二度と間違えない!」大人のための画期的な一冊となっています。

本書の第1章「意味を勘違いしている人が多い日本語」の中から3つを紹介します。

■「姑息=卑怯」の誤用は時代劇が原因?

姑息

本当の意味
しばらくの間、息をつくこと。根本的な解決をせずに、場当たり的に物事をすること。その場のがれ。

正しい使い方
ビル工事の騒音を、耳栓という姑息な手段でやり過ごすしかなかった。

誤用
彼は勝ったが、そのやり口は実に姑息なものだった。

「姑息なやつめ」というのは時代劇における定番の台詞ですが、ここで卑怯といった意味合いで用いられたことが、誤用が広がった理由の一つかもしれません。「姑息」という言葉の中に入っている「息」とは、吸って吐く呼吸のこと。ほんの短いこの一息が「息をつく」ということですから、この「息」という字から「一息つく=短く一時的なもの・その場限り」と覚えるとよいでしょう。

出所=『二度と忘れない! イラストで覚える大人の教養ことば』

余談ですが、私は呼吸法の研究をしていたことがあります。「息」とは面白いもので、吸っているときは命が高揚し、吐いていくと次第に心が静かになって、吐き終わったわずか一瞬、静かな空白ともいえる瞬間が訪れる――。私はこの“軽い死”とも思える瞬間を「出止(しゅっし)」と名づけ、「出止」の瞬間を見つめることこそが悟りへの道へ繋がると考えました。

今、呼吸に焦点を当て“今この瞬間”を感じる「マインドフルネス」が流行っていますが、私の呼吸法研究と共通する部分が大きいように感じます。

■「高級店だから敷居が高い」は間違っている

敷居が高い

本当の意味
相手に不義理や面目のないことがあるので、その人の家に行きにくいこと。敷居がまたげない。

正しい使い方
何年も連絡をとっていないので、今さら先生を訪ねるのは敷居が高い。

誤用
これほどの高級店だと、自分にはどうも敷居が高いと感じる。

「一見さんお断り」という表現にも似た、どこか高級なイメージを持たれる方が多いのかもしれません。しかし、この言葉は相手に対して「不義理」があるという点がポイントです。たとえば借金があったり、長いこと会っていなかったりすると、「どうも、あの家は敷居が高くてねぇ」ということになります。

出所=『二度と忘れない! イラストで覚える大人の教養ことば』

そもそも「敷居」とは、家や部屋に入るための出入り口となる開口部の下にある横木のこと。この「敷居」が相手との境目になっているのでしょう。ところが、最近では気軽に他人の家に行くことも少なくなり、この「敷居」という言葉自体が廃れつつあるように感じます。「こんなやつに、二度とうちの敷居はまたがせない!」といった台詞もすっかり聞かなくなりましたが、個人的には、できれば残したい日本語の一つです。

そういえば、学生たちが「この前○○の誘い断ったから、フォローしてもブロックされるかもな〜」とSNSの話をしていましたが、まさに現代の「敷居が高い」話なのかもしれませんね。

■「穿った見方をする人」は本質を捉えられる人

穿った

本当の意味
穴をあける。普通には知られていない物事の真相や機微を捉える。

正しい使い方
この学者は、なかなか穿った見方をする人物だ。

誤用
それは、あまりにも穿った見方だと言わざるをえない。

齋藤孝『二度と忘れない! イラストで覚える大人の教養ことば』(ワニブックス)

おもに「穿った見方をする」といった表現で使われる言葉です。

どうも物事を疑って見る、あるいは、人と違うことをわざとやってみせる「奇を衒(てら)う」といった言葉と混同されている方が多いようですが、これとは逆に、本質を見抜くという意味を持つ言葉です。

みなさんは「雨垂(あまだ)れ石を穿つ」という故事成語をご存じでしょうか。これは、一つの場所に落ちる雨垂れが、長い時間をかけることで石に穴をあけることもある、つまり、継続すれば大きな成功をおさめるといった意味合いです。

出所=『二度と忘れない! イラストで覚える大人の教養ことば』

この故事成語を知ることで、石に穴をあけてしまうほどに「本質を貫く」といったイメージが湧きやすくなることでしょう。あるいは、「穿」という文字の中に「穴」という漢字が入っていることに注目してもよいかもしれません。必然的に「本質に穴をあける」といった印象が強くなるかと思います。

つまり、少し変わった角度から物事を疑って見ることは「奇を衒う」行為であって「穿った見方」ではないのです。

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齋藤 孝(さいとう・たかし)
明治大学文学部教授
1960年静岡県生まれ。東京大学法学部卒業後、同大大学院教育学研究科博士課程等を経て、現職。専門は教育学、身体論、コミュニケーション論。ベストセラー作家、文化人として多くのメディアに登場。著書に『孤独を生きる』(PHP新書)、『50歳からの孤独入門』(朝日新書)、『孤独のチカラ』(新潮文庫)、『友だちってひつようなの?』(PHP研究所)、『友だちって何だろう?』(誠文堂新光社)、『リア王症候群にならない 脱!不機嫌オヤジ』(徳間書店)等がある。著書発行部数は1000万部を超える。NHK Eテレ「にほんごであそぼ」総合指導を務める。
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(明治大学文学部教授 齋藤 孝)