東京理科大学、共立女子大学、東京大学大学院らは「看護に求められる倫理概念をロボットやAIに実装できるのか?」を考察した論文を発表した。現状分析から実装の可能性を考察、看護におけるAI活用の倫理的課題を整理したもので、看護分野における今後のロボットやAI開発、導入の倫理的解析の第一歩となると期待される。(冒頭画像はイメージ)
●考察の要旨(ポイント)
看護実践を行う上で重要視されている倫理的な概念をロボットや人工知能(AI)に実装できるかどうかについて、倫理学の観点から分析を行った。
将来的には看護実践に求められる倫理概念をロボットやAIに実装することは不可能とは言い切れないものの、これらの概念には論争中の部分も多くあり、さらなる検討が必要である。
今後も応用倫理学、看護学、ロボット工学の分野が共同して、看護実践におけるロボットやAI活用の倫理的側面についてのさらに踏み込んだ研究が求められると同時に、医療関係者だけでなく、一般の人々も巻き込んだ議論を喚起する必要がある。
●倫理的な概念をロボットや人工知能(AI)に実装できるか
東京理科大学 教養教育研究院 野田キャンパス教養学部の伊吹友秀准教授と、共立女子大学 看護学部の伊吹愛専任講師、東京大学大学院 医学系研究科の中澤栄輔講師の研究グループは、看護実践を行う上で重要視されている「倫理的な概念をロボットや人工知能(AI)に実装できるかどうか」について、倫理学の観点から分析を行った。その結果、「将来的には看護実践に求められる倫理概念をロボットやAIに実装することは不可能とは言い切れないものの、これらの概念には論争中の部分も多くあり、逆にこれらの実装についての研究を進めることによって倫理学的にも多くの発見がある可能性が指摘された。
●4つの倫理概念に焦点
近年、ロボットやAIの研究開発が急速に進んでおり、今後、看護の分野でも活躍が期待されている。しかし、看護は極めて人間的な営みなので、ロボットやAIによって代替されるべきでない領域も存在するという。看護実践をロボットやAIに代替させることができるか、あるいは、代替させるべきかについては、十分な議論が必要とした。
そこでこの研究では、看護実践において重要と考えられる4つの倫理概念に焦点を当てた。これらの倫理概念をロボットやAIに実装することが可能かどうかを、それぞれの概念とロボット・AI技術の現状を分析することによって考察した。
その結果、それぞれの概念についてロボットやAIに実装可能と考えられる領域は存在するものの、実装が困難、あるいはさらなる検討が必要な領域も多いことが示唆された。また、仮に将来これらの概念を実現できたとしても、それを実際に看護の現場で用いるべきかどうかについては、医療関係者だけでなく、一般の人々も巻き込んだ幅広い議論が必要としている。
この研究は、生命倫理学・看護学・医療倫理学の研究者が分野の垣根を越えてコラボレーションしておこなったもの。今後も応用倫理学、看護学、そしてロボット工学の分野が共同して、看護実践におけるロボットやAI活用の倫理的側面についてのさらに踏み込んだ研究が求められる。
この研究成果は、2023年6月12日に国際学術誌「Nursing Ethics」にオンライン掲載された。
●患者の依頼によってロボットが生命維持装置のスイッチを切ることの是非(提起)
「ロボットやAIにどのような看護実践であれば任せられるか」は、時代や社会情勢に応じて変化してきた。そのため、将来的には、看護実践の中でロボットやAIが占める割合がこれまで以上に大きくなる可能性がある。
SF作家アイザック‧アシモフの短編を原作とする映画『アンドリュー NDR114(原題Bicentennial Man)』は、人間に匹敵する能力を持つロボットをどのように扱うべきかという問題を提起する示唆に富んだ作品。この映画のラストシーンでは、人型ロボットである看護師が主人公のパートナーである女性患者の依頼に応じて、生命維持装置のスイッチを切る。これは、アシモフ自身が提唱したロボット三原則の「ロボットは人間に危害を与えてはいけない」に抵触していることをどう解釈するかという問題を提起する。この問題に対する解釈の一つは、延命治療の中止は終末期の患者にとって決して有害ではないというもの。もう一つは人間と同等の能力を有したロボットは人間として扱われるべき存在であるため、ロボット三原則に縛られることなく、ロボット自身の倫理的判断で、人間の看護師と同じように看護を実践したという解釈。今回の研究に関連するのは、後者の解釈。どのような倫理観を実装したロボットであれば、看護実践を行うことが許容されるのだろうか?と同グループは投げかけた。