東京藝大は倍率が10倍を超える学部も多い超難関です(写真: Graphs /PIXTA)

浪人という選択を取る人が20年前と比べて2分の1になっている現在。「浪人してでも、志望する大学に行きたい」という人が減っている一方で、浪人生活を経験したことで、人生が変わった人もいます。自身も9年の浪人生活を経て早稲田大学に合格した濱井正吾さんが、さまざまな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったこと・頑張れた理由などを追求していきます。今回は、3浪して東京藝術大学に入学し、現在漫画家として『週刊少年チャンピオン』や『少年ジャンプ+』、noteで作品を発表されている漫画家、あららぎ菜名さんにお話を伺いました。

芸術の道を志す学生の頂点である「東京藝術大学」について、みなさんはどういったイメージを持っていますか。

おそらく、「絵や音楽が得意そう」とか「個性的な人が多そう」とか、「なんとなくすごい」という感想が多いのではないでしょうか。

しかし実は東京藝大は倍率が10倍を超える学部も多く、例年3倍前後である東京大学に比べても非常に競争率の高い、正真正銘の天才が集まる世界なのです。

倍率が10倍を超える厳しい世界


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その競争の激しさは浪人率にも現れています。

2023年度の東京藝術大学の大学案内によると、もっとも競争が激しいとされる美術学部の2022年度の現役での入学者は20.9%とわずか5分の1。1浪生が32.2%、2浪生が22.6%、3浪生が10.9%と、8割近くが浪人で、浪人のうち2浪以上が半数を占めている世界なのです。

高等教育機関を対象にした文部科学省の調査「学校基本調査 令和3年度版」で現役進学率が80%、1浪生が15.4%、2浪生が2.6%であることを考慮すると、一般的な大学進学の環境とは、まったく世界観が逆転していると言っていいでしょう。

志望校を下げてでも浪人を回避しようとする傾向が強い昨今。一方で東京藝大は、多浪をしてでも合格を目指す人が多い世界なのです。

毎年倍率10倍を超える東京藝大の人気学部である、美術学部デザイン科を3浪して合格し、現在・漫画家、デザイナーとして活躍されているあららぎ菜名さん。どうして3浪までして合格を目指したのか、何が自分自身を支えたのか、今その経験をどのように役立てているのでしょうか。

あららぎさんは、小さいときから美術が身近にあったと言います。

「陶芸家の父親の影響を受けて、小さいときから庭から花を摘み取って花瓶に差して、それを紙に描いていました」

小〜中学校でも友達と遊ぶよりも、自由帳に絵を描いていたほうが楽しかったと語るあららぎさん。美術と家庭科がいつも5だったため、もうこの時期には「将来は何かを作る道に進もう」と決めていたそうです。

進路選択も将来の夢のために、校舎の壁に絵が描けると聞いていた藤沢西高校(神奈川県)に進学しました。しかし、高校に進学してからはクラスの人たちと自分自身の興味が乖離していることに思い悩むことになります。

周りと話が通じず不登校に

「2年生のときに周囲に『興味のある分野』の話が通じないことがつらくて、一度不登校になりました」

退学も考えたそうですが、美術部で友達ができたことで思いとどまり、朝から晩まで美術部で絵を描くようになったあららぎさん。

「美術が私を救ってくれた」とつらい時期の自分を振り返ります。東京藝大を志したのもこの頃でした。

「東京藝大出身の父が、藝大のよさをよく語ってくれたのです。父もクラシックが好きだったのですが、私と同じように高校時代、周囲と話が合わなかったらしいのです。でも、大学に行ったときに会話が普通に通じて、とても嬉しかったと言っていて。私も藝大に行けばその感覚が味わえるのかなと思いました」

こうして3年生の夏になると本格的に東京藝大受験の勉強を始めるため、美大予備校に通う決断をします。

東京藝大のデザイン科(2023年度)の入試は、以下の通りです。

1次試験:デッサン(石膏像・手の構成)

2次試験:色彩構成(色を使ってモチーフを構成し絵を描く)
立体構成(粘土を使用しての形成)

学科(大学入学共通テスト):3教科 国語・外国語・選択科目(地理歴史・公民・理科・数学から1教科)。

あららぎさんが受験した当時は、これらの4つの項目をそれぞれABCDの評価で判断する特殊な受験形式でした(※1次試験と2次試験の内容は2023年度と異なる。学科は7割以上でB評価だった)。

あららぎさんが受験するデザイン科は人気のため、1つでもC評価を取ったら合格が厳しい学科でした。

あららぎさんは現役の受験で、1次試験の時点でD評価を取ってしまい、学科も4割でD評価に終わり、不完全燃焼で終わりました。

東京藝大を諦めきれないあららぎさんは浪人を決断します。「諦める選択肢がなかったんです。ここで諦めたら、自分は必ず人生に大きな悔いを残すと思いました」。


あららぎさんの受験時代の作品(あららぎさん提供)

1浪の前半はアルバイトで学費を貯め、後半からそのお金で予備校に入って絵を描きつつ、家で学科の勉強も2時間ほどこなしていました。

めきめき絵の力をつけたあららぎさんはこの年、受験者の5分の4が落ちる1次試験を突破したものの、残念ながら合格には至りませんでした。

「東京藝大の成績開示を見たとき、Cだったのは5割だった学科だけでした。勉強は目に見えて前進している感覚がなかったので、対策を軽視してしまったのです」

悔やんでもしかたないし、もうここまで来たらやるしかないと、あららぎさんは2浪を決意しました。

2浪目も、前年と同じように夏までにバイトで予備校の費用を貯めたあららぎさんは、秋から予備校に入ります。

2浪で心が壊れてしまった

しかし、この年は気負いすぎたために前年よりさらに視野が狭くなってしまったそうです。

「学科のせいで落ちた意識が強くて、秋以降には集中するために図書館に行って勉強するようにして、勉強時間も5時間に増やしました。その甲斐もあって、学科では合格ラインの7割を取れたんです。でも、今度は実技対策に時間を回せず、2次試験で落ちてしまったんです」

もともと大学生活を送る友人への憧れや、もう落ちることができないというプレッシャーで壊れかけていたメンタルは、この不合格で完全に壊れてしまいました。

2浪での不合格を味わった彼女はその後、1カ月くらい何もせず砂浜でずっと海を眺める日々を送っていたといいます。

そんな傷心の彼女を立ち直らせ、3浪を決断させたのも、美術の力だったのです。

「ある日、いつものように湘南の海岸に夕方までいたら、海に夕陽が重なったのです。それがあまりにも綺麗で、もう一度昔のような“描きたい”という気持ちが湧いてきました。帰りに花を一輪買って、子どもの頃のように描いてみたら楽しいなって思えたんです。だから、この1年はもう受験のために絵を描くのをやめて、好きな絵を楽しもうと思ったんです

これが「絵が好きなことが大事」という東京藝大受験の本質に気づけた瞬間でした。


あららぎさんの色彩構成の作品(あららぎさん提供)

一旦受験から離れることで気づけたこと

あららぎさんは、自分自身が3浪してしまった原因をこう振り返ります。

目の前のことに一点集中して、冷静に自分を引いてみることができなかったのです。切羽詰まって精神面を壊してしまったのが敗因でした。だからこそ、それまで遊びの時間をまったく取らなかったのですが、3浪ではメリハリをつけました。1日1時間は映画を見たり、本を読んだりする時間を作り、受験を続けるうえで一番大事なメンタルを、本番で最高潮に持っていくようにコントロールしたのです

「受験は自分だけと向き合う孤独な戦いだからこそ、ご褒美をあげることが大事だと気付けました」と当時を振り返ったあららぎさん。一旦リセットの期間を置いたからこそ、俯瞰して、自分自身を見て管理できるようになったそうです。

自分のペースで受験するという3浪目の方針はあららぎさんに合っていました。

今までと予備校を変えて受ける講座を夏期・冬季の講習だけにしてみたり、朝から図書館で5時間勉強をして夕方に帰宅してから立体構成・色彩構成などの課題を自分でこなして父親に講評してもらったりするなど、2浪目と違うやり方も積極的に取り入れたことで、モチベーションを切らさず受験に臨むことができたそうです。

そしてこの年、ついに3浪の末、あららぎさんは東京藝術大学美術学部デザイン科に合格しました。

「この年は自分のスタイルが定まったから大丈夫だという自信がありました。東京藝大の試験でも、人生最高のデッサンが描けましたし、『もっとこの時間が続かないかな』と思えて、受験が終わることが寂しくなりました」

3浪して、途中心がボロボロになりながらも、最後は後悔なく受験を終えることができたのです。

私はあららぎさんの話を聞く前、東京藝大には生まれつき芸術の才能に恵まれた人々が行くイメージがありました。しかし、この取材を通して、彼・彼女たちは確かに”努力の天才でもあるのだ”と感じられました。

大学に入ってからは「高校時代には通じなかった自分の興味の話が周囲の人にやっと全部通じ、共感してもらえた」という父親と同じ感動体験も味わい、自分の頑張りが報われたと実感できたそうです。

「見たことがない世界を見たかったから頑張れました」と語る彼女の人生は確かに、浪人を通して豊かになったように見受けられました。

そして、浪人を経験してよかったと思えることも話してくださいました。

頑張りすぎないことも必要だと気づけたことです。3浪のとき、自分のペースで無理なく頑張ろうと思ってあまり予備校に行きませんでした。でも、その期間が自分の人生には必要だったのです。浪人時代に、勉強計画や課題設定をじっくり時間をかけて考えたことが今の仕事にすごくつながったと思います

今、漫画家として作品を発表する傍ら、デザイナーをされているあららぎさん。現在、表現の世界に生きる中で、自分で計画を練った経験や、受験勉強・大学での勉強がとても役に立っているそうです。

「美術を学ぶ過程で想像力が培われました。私は、美術を知ることは万物を知ることだと思っています。美術は今まで吸収してきた自分の中の教養や経験から生み出すことなので、凄く思考を巡らせないといけません。だから、人の立場や物事の仕組みを考えた経験が、世の中にある建物・物体や、写真や絵に使われている色・形などがどうして存在するのかを理解できることにつながり、今の創作活動に生きています」

「すべての学問はどこかでつながっているのだと思います」と説明してくださったあららぎさん。

大学に行けることは当たり前ではない

そんな彼女の激動の受験生活は、著書『東京藝大ものがたり』でも鮮明に描かれています。つらい時期を経験して、今を力強く生きるあららぎさんだからこそ、大勢の人に届くメッセージがこもっていました。


あららぎさんの著書『東京藝大ものがたり』

「大学に行けるのは、当たり前のことではないと思います。美術関連の予備校代は高額で、芸術系の進路に進みたくとも親を説得しないといけないことも少なくありません。私も自分で予備校費用を稼いだように経済的に苦労をした人間なので、今、受験生をオンラインで教えています。金銭面で予備校に通えずに諦めようとしている受験生がいたら、ぜひTwitterでご連絡いただければと思います」

悩み、苦しみ、自分と向き合い続けたからこそ手に入れた優しさに、私も学びの本質を見た気がしました。

(濱井 正吾 : 教育系ライター)