脳死と判定された優希ちゃんと両親の手。優希ちゃんの手はまだ温かかった(写真:白木さん提供)

脳死下での臓器提供を可能にした「臓器移植法」の施行(1997年10月)から25年が経った。その間に家族の臓器を提供した人たちは、いったいどのような思いで提供を決めたのか――。5日連続特集「臓器移植とニッポン」3日目は、子どもや妻、親の臓器を提供した家族3組に、決断に至る経緯と本音を聞いた。

1日目:「臓器移植」施行25年でもいまだ増えぬ厳しい実態
2日目:なぜ巨費でも米国へ?「臓器移植」日本で進まぬ訳
4日目:夫から親から…生体腎移植を選んだ「家族の決意」
5日目:iPS細胞を駆使、実用化は近い?再生医療の最前線

4歳の娘の臓器を提供した夫婦の決断

「娘の臓器を提供することへの迷いはなかった。今も後悔していない」

そう語るのは、脳死状態になった4歳の娘の臓器(肺、腎臓、肝臓)を提供した白木大輔さん(42)と希佳さん(46)夫妻だ。

突然の出来事だった。幼稚園に元気に通う優しい女の子だった優希(ゆうき)ちゃん。最初は風邪のような症状で、嘔吐や、だるそうにしていたが、次第にぐったりし顔がむくみ出した。優希ちゃんの両親は「ただごとではない」と感じたという。


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病院を受診すると、「拡張型心筋症の疑い(心臓の筋肉を収縮する機能が低下して、左心室が拡張する病気)」と診断され緊急入院した。

当初、薬の投与など内科的な治療を行っていたが、病状が悪化し、入院からわずか2カ月弱で補助人工心臓をつけることになる。補助人工心臓をつけた後は、しぐさなどはわかるものの、挿管しているため会話をすることはできなくなった。

完治のために残された治療は「心臓移植」という道だった。

2010年の改正臓器移植法施行により15歳未満からの脳死臓器提供が可能となった。18歳未満の脳死下での移植件数は、2011年2件、2012年1件だったのが、直近では2018年7件、2019年18件、2020年7件、2021年4件となっている。優希ちゃんが病気を発症した当時は日本での提供数が極端に少なく、海外での移植を目指すしかなかった。

アメリカでの受け入れ病院も決まっていたが、容体は悪化する。補助人工心臓をつけたことでできた血栓が脳の血管を詰まらせ、脳梗塞を発症した。医師からは「脳の機能の4分の3が失われており、脳死に限りなく近い状態でゆっくり心臓が止まっていくのを待つしかない」と伝えられた。

そのときに、両親がすぐに返したのは「ほかの臓器は元気ですか?」という言葉だった。もちろん、優希ちゃんの回復を願っていたため、自分の娘がドナー(臓器提供者)側になることは想定していたわけではない。だが、医師の「もちろん、使えますよ」という言葉を受け、2人は臓器提供をすぐに決めた。

提供に迷いはなかったのか。当初は心臓の移植を受ける側で入院していた優希ちゃん。入院していた病院の医師に「臓器をいただくのは人様の命をいただくこと」と命の大切さを教えてもらっていた。だから「すぐに臓器提供を決められた」と大輔さんは言う。

臓器を取り出す手術までの2日間、家族が集まって最期の時間を過ごした。母親が付き添っての優希ちゃんの入院は100日間に及んだ。

ドナー家族と臓器を受け取った移植者(レシピエント)家族が直接会うことはできないが、日本臓器移植ネットワーク(JOT)を通してもらうサンクスレター(提供者への感謝の手紙)で近況報告を受けた。「元気でいることを知り、とてもうれしい気持ちになった」(大輔さん)。

とはいえ、移植した臓器が優希ちゃんの”分身”という意識はないそうだ。「娘の一部だった臓器が、その人の臓器の一部であるという感覚でしかない。娘は亡くなっている。そこに生はないわけですから、娘だとは思わない」と話した。

家族の猛反対にあった男性

臓器提供のことを「命のリレー」と表現することがあるが、誰かの死の上に成り立つ医療であり、きれいごとでは片づけられない。

親族の猛反対にあったというのは、妻(当時58歳)の臓器(肺、腎臓、膵臓、角膜)を提供することを決めた五十嵐利幸(72)さんだ。

その日、いつもどおりの朝を迎え、夫婦それぞれ会社や待ち合わせの場所へと向かった。お昼ごろ、「妻が運転中に事故を起こし、病院へ運ばれたと連絡が入ったのがすべての始まりだった」と五十嵐さんは振り返る。

病院へ駆けつけると、ICUで外傷もなく静かに眠っている妻と会うことができた。だが、医師から告げられたのは「脳幹部の大量出血で、私たちの力では救命はもう無理です。早くて6時間、体力が持って2〜3日の命です……」という言葉だった。事故の直前にくも膜下出血を起こしていたのだ。あまりに突然のことに、「死刑宣告を受けたみたいなものだった」と当時の心境を吐露する。

ベッドで横になる妻の頭をなでながら、ふと数年前の出来事を思い出した。夫婦でたまたま臓器移植を扱ったテレビ番組を見ていたとき、妻が「(臓器移植を)私はしたいと思っている」とポロッと言った。

臓器移植は、「意思表示カード」などでの意思表示がない場合でも、家族の同意があれば可能だ。

「臓器を提供することで、妻の一部でも生きているというのが家族の救いにもなるかもしれない」と思い、医師から「救命はできない」と言われてからわずか2時間ほどで臓器提供を決めた。あまりにも早い決断に、「夫がパニックになっている。なだめに行かないと……」と主治医が駆けつけるほどだった。

当日の夕方までに県外にいた3人の子どもたちも病院へ集まった。五十嵐さんは思いを伝え、子どもたちは賛同した。

一方、これに強く反対したのが、妻の母親だった。心臓も肺も動いていて、体も温かい、ただ眠っているだけのように見える……。娘が先に亡くなるだけでも耐えがたいのに、きれいな体にメスを入れるなんて考えられないと大反対した。

「妻の意思を尊重して提供を実現したかった」

その人と過ごした時間はそれぞれであり、どちらの気持ちや判断が正しい、正しくないといえるものではない。医師から「早くて6時間の命」と言われていたため焦りもあったが、数年前の出来事を鮮明に思い出した五十嵐さんの意思は固かった。

「妻の母が今は納得しなくても、一生かけて謝り続けてもいいから、妻の意思を尊重して提供を実現したかった」(五十嵐さん)

臓器提供をするとなると病院からJOTへ連絡が行き、家族には臓器移植コーディネーターがつく。臓器提供の基本的な説明をしてくれたり、家族の疑問点に答えたり、寄り添ってさまざまなサポートをしてくれる。

臓器移植は提供する家族の意思がかなり尊重されるため、準備が進んでいても、「やっぱりやめたい」と迷いが出た段階で提供の中止ができる。また、提供前の脳死判定では6時間以上の間隔をあけて2回、2人以上の医師が行う必要がある(ほかにも細かな規定がある)。

五十嵐さんの妻の場合、反対している親族がいたこともあり、より慎重を期すため、5回にわたる脳死判定を経て摘出手術が決まった。その間に移植コーディネーターから何度も何度も意思確認され、手術が始まる直前にも「いまならやめられます」と言われた。

心に決めたものの、複数回にわたる確認をされることで、考える時間が生まれる。「時間が経つにつれ、妻がやつれてつらがっているように思え、早く楽にしてやりたいと考えるまでになった」(五十嵐さん)。さらに脳死を人の死とは考えられない親族らからの言葉も重しとなった。決断したとはいえ、幾度も心が折れそうになったという。

そんななか、移植に反対していた妻の母から臓器を取り出す数時間前に「あなたの気持ちはわかったから。(手術を)進めていいよ」と、電話があった。

提供後、レシピエント家族からJOTを通してサンクスレターをもらった五十嵐さん。肺が移植された母親からは、「子どもと買い物ができるようになった」といった内容が書かれていた。「つらかったけれど、今、生きている方々の生活を応援できていると思うとうれしい」と話した。

脳死状態になってから提供を決めた家族

生前、意思表示や命について話す機会はなかったものの、脳死状態になってから家族で話し合って決めた人もいる。

高橋治さん(仮名、40代)の父親(当時54)は、妻と花見に行く途中の駅のホームで急に気分が悪くなり、倒れた。病院に運ばれてすぐに手術をしたものの、倒れてからわずか2週間で脳死状態になった。

そのあたりの記憶があいまいだが、脳死状態になってから、JOTのコーディネーターから臓器提供について話を聞いたことは覚えている。父の病状から臓器を待つ待機者の話まで、さまざまな疑問に答えてくれたという。「もともと臓器移植という医療があるというのは知っていたが、父がそれに該当するというのをそのときに初めて知った」(高橋さん)

父とはずっと疎遠で、臓器提供について話をする機会はなかった。だが、病室に集まった母と兄弟の家族3人で相談し、「父という人格の命は死を迎えるかもしれないが、誰かの命の役に立てるならぜひ提供したい」と決めた。

家族とは移植のときの話をすることはないが、マイナンバーや免許証などにある「臓器提供の意思表示」欄を見たり記入したりするときに、「父の臓器は今ごろどうなっているのかな。人生謳歌しているといいな、と思う」と話した。

今回体験談を話してくれた方々は「臓器提供を積極的に推し進めたい」わけではない。いざというときに、その場で考えると、「本人はどう思っているのだろう」と悩んだり、家族の合意が取れなかったりすることも少なくない。自分のときはどうしてほしいのか、家族で話す機会を作ってみるのはいかがだろうか。

(4日目『夫から親から…生体腎移植を選んだ「家族の決意」』)

(富田 頌子 : 東洋経済 記者)