新卒入社した会社で最低3年間は働き続けないと、転職に苦労するという意見がある。本当なのか。ノンフィクション作家の吉川ばんびさんは「必ずしもそうとは限らない。私は新卒で入ったブラック企業を約半年で辞めたが、そこより待遇も収入も良い会社に簡単に転職できた」という――。
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■「辞めない」ことのデメリットのほうが大きかった

新年度が始まると毎年、もう社会に出て何年もたつ大人たちが「3年神話」は正しいのか正しくないのかをひたすらに議論し、それぞれの持論を展開して新入社員にエールを送る様子が散見される。

社会人9年目を迎えた私も例に漏れず、こうやって社会人に向けてのメッセージを書いているわけだが、結論を言うと「会社を辞めない理由が“3年神話”しかないなら無理せず辞めてもいいんじゃないの」というところで、継続は力になることももちろんあるけれど、場合によっては毒にもなるからね、と考えている派の人間である。

かく言う私も新入社員の頃、約半年で会社を退職した身であり、先輩や上司からの度重なる「3年は辞めるな」ハラスメントをド無視して、独断で退職届を提出した。

「新卒カードを捨てるなんてもったいない」「転職すれば今より待遇は悪くなるし、収入も低くなる」と散々脅されたが、控えめに言って「残業代も付かないブラック企業ですでに低賃金長時間労働を強いられているのに何を言っているんだ目を覚ませ」としか思えず、足早に会社を立ち去ることにしたのだ。

私の場合は、特別その職種にこだわっていたわけではないこと、これ以上その会社で学ぶことはないと判断したこと、セクシャルハラスメントとパワーハラスメントがひどい体質の企業であったことなどが、早くに退職を決断した要因であったように思う。

例えば専門的な技術を何年もかけて習得する必要がある職種であればもう少し踏ん張ろうと思ったかもしれないが、とにかく私には、その会社に長くいるメリットよりも、劣悪な環境に長く身を置くことで被るデメリットの方がはるかに大きかった。

■休日返上で会社の掃除をさせられても「残業代なし」

私が「この会社を辞めよう」と思ったのは入社式の日で、会長とわれわれ新入社員が初対面したとき、会長は「女子はどうせ結婚したら辞めることになるから、男性社員のみんなは末永くよろしく」と言い放った。

さらに、2年後にできる予定だった大阪支店の配属メンバーとして採用された私を含む4人の社員に向かって「誰が『大阪支店ができる』なんて言ったんだ? できねぇよ。今の社長が突然辞めるって言い出したから、退職金を優先して用意しなきゃいけなくなった。お前らが大阪に帰れるのはいつになるかわからない」と恥ずかしげもなく開き直って見せたのである。

東京本社での勤務は2年、それ以降は大阪支店に配属という約束が、入社式当日に破られてしまったことで私たちは激しく動揺し、新入社員の全員が「この会社に入ったのは失敗だった」と青ざめた表情をしていた。会社は典型的なワンマン経営の同族企業で、会長の暴走を止めることができる者は誰一人おらず、一族の人間が役員に就任しているため、一族の利益だけを考え、社員を捨て駒にする会社経営が堂々と行われていた。

残業代は出ない。当たり前のように休日出勤させられるのに休日手当や振替休日の制度はない。社員全員が休日を返上して一日中会社の掃除をさせられる。有給を取得するとなぜか給料から5000円が天引きされ、経理部に聞いても、この5000円が何の金額なのか明確な説明が受けられない。

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■既婚者の役員から「内緒の旅行」に誘われ…

毎朝行われる朝礼の際、全員が見ている前でいち社員に向けて怒声を浴びせる「しごき」が行われる。女性社員は「お嫁さん候補」として扱われ、飲み会では必ず管理職以上の男性社員の隣に座らされ、お酌を強要される。取引先への接待要員に若手の女性社員が駆り出され、ホステスがわりにされる。

また、女性には管理職の椅子が一切用意されておらず、昇進も昇給もない。女性社員は「結婚すれば退職」が前提のため、男女ともに産休や育休の取得実績はゼロだった。

入社から1カ月がたつまでには少なくともこれくらいのブラック企業体質が露呈し、毎年新入社員が15人ほど入っても、翌年には2〜3人しか残っていない環境であることにも納得した。この時点で「いつごろ辞めるのが正解だろうか」と考えていたが、その直後に私の身にトラブルが降りかかった。

既婚者である役員の男性から「個人的な、みんなには内緒の旅行」に誘われ、丁重に断りを入れたところ相手の不興を買ってしまった。「吉川に徹底的に負荷をかけるように」と指示を受けた私の上司は、会長の息子である役員男性の命令に逆らえず、「ごめんね」と言いながら一人ではさばき切れないほどの膨大な仕事を毎日私に回すようになった。

■転職先はあっさり見つかり、収入もアップ

だがそこではくじけず、周りに迷惑をかけないように朝、誰よりも早く出社し、同僚たちが休憩時間に昼食をとりながら談笑しているのを横目に5分か10分で弁当をかき込んで、大急ぎで毎日仕事を終わらせた。

そうすると役員男性は、残業をほとんどせずに無理やり仕事を終わらせて帰る私のことが面白くなかったようで、「吉川を定時に帰すな」とさらなる圧力をかけ、それまでの倍ほどの仕事を渡すようになった。

私の心がぽっきりと折れたのはこのときで、なるべく早く退職しなければ、もっとひどい目に遭わされることを理解した。朝、会社に行こうとすると体が震え、猛烈な腹痛と吐き気に襲われる毎日が始まった。おそらくあのまま働き続けていたら、私は完全に倒れてしまい、働くことができなくなっていただろうと思う。

先輩や上司が言うには「ここを辞めて転職したやつらはみんな手取りが減ってまともな職に就けていない」ということだったが、月収を時給換算にしてみると当たり前のように最低賃金を大きく下回ったので、あれはうそだったのだと思う。

この会社を退職したあと、関西に帰ってすぐに転職先が見つかった。全く未経験の職種であったが、待遇はもちろん良くなったし、収入も大幅に上がった。その転職先で数年働き、今はまた全く違う職種である文筆業で独立して生計を立てているが、現時点では新卒で入ったあの会社の収入を一度も下回ったことがない。

■「3年神話」はブラック企業のためのもの

全ての人がそうであるとは断言できないけれど、少なくとも私にとって「3年は絶対に辞めるな」は毒でしかなく、何の役にも立たなかった。

3年神話を唱え始めたのは、一体誰だろうか。答えは「せっかく大金をかけて新卒を雇ったのに、すぐに逃げられると大損をする企業側」である。使い捨ての若手を劣悪な環境でこき使う企業にとっては、せいぜい最低3年くらいは馬車馬のごとく働いて元を取ってくれなければ困るのだ。

また、ブラック企業が淘汰されないのは、「3年神話」におびえ、逃げるタイミングを失う社員が多くいるためだけではない。まさに私が新卒で入った企業も該当するが、労働基準監督署に内部告発する社員がいても、調査に訪れた労基職員をうまくだまくらかし、摘発を逃れる企業が多くあるためだ。

当たり前のことだが、新入社員に対して、個別の事情を勘案せず「3年は辞めるな」と言うことも、「3年頑張っても意味がない」と言うことも、どちらも間違っている。若者が自分の人生について真剣に悩み、考え抜いて出した結論を尊重せず、第三者が否定する行為はアドバイスでもなんでもなく、ただ自分の価値観を押し付けているだけの暴力だと思う。

「人生の先輩」の教えを参考にすることは大切なことだと思うけれども、当てにしすぎたり、それをもって自分の決断を変える必要まではないはずだ。

かつては当たり前に存在した終身雇用制度は崩壊し、多様な働き方が生まれている現代において、「先人の言うこと」は必ずしも正解だとは限らない。

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吉川 ばんび(よしかわ・ばんび)
ノンフィクション作家
1991年生まれ。作家、エッセイスト、コラムニストとして活動。貧困や機能不全家族などの社会問題を中心に取材・論考を執筆。文春オンライン、東洋経済オンライン、日刊SPA!他で連載中。著書に『年収100万円で生きる 格差都市・東京の肉声』(扶桑社新書)。
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(ノンフィクション作家 吉川 ばんび)