白鵬然とした引退でした!
去る7月の名古屋場所、千秋楽結びの一番は意外な内容でした。進退がかかる横綱・白鵬と、横綱昇進がかかる大関・照ノ富士による全勝相星決戦。その取組で白鵬は左で視界を塞いでからの右の激しいかち上げを繰り出し、照ノ富士を小手投げで破ると、土俵上で大きなガッツポーズを見せました。
過去の事例から見ると、こうした相手方の節目の取組では比較的「正攻法」での取り口が多かった白鵬が、ここまで勝ちにこだわるのはやや意外でもありました。「勝ちたがり」であることは当然ですが、千秋楽に至るまでのバックステップ仕切りなども含めて、非難上等の相撲連発でも勝とうとする姿は想像以上の貪欲さでした。
九月場所が終わり、白鵬が引退届を提出し、実は名古屋場所の時点で引退の意向があったと聞き及んだとき、合点がいくような思いがしました。あれが現役最後の場所、最後の相撲であるならば、何でもやるだろうと。それはまさに「白鵬」としか言えない姿だったなと思います。歴史上の誰よりも勝ちを重ねた、史上最強の横綱らしい最後の取組だったなと。
大相撲で史上最多となる45回の優勝を果たした横綱 白鵬が日本相撲協会に対して引退する意向を伝えたと、横綱審議委員会の矢野弘典委員長が明らかにしました。
- NHKニュース (@nhk_news) September 27, 2021
およそ20年間で数々の記録を打ちたてた記録ずくめの相撲人生を振り返ります。https://t.co/NVclgBe7bI#nhk_video pic.twitter.com/4KnLhPDYLT
九月場所は出場の意向を見せながらの全休とはなりましたが、それもコロナ禍による休場であり、七月場所より何かが悪化したというわけではありません。実質的には「全勝優勝直後に、全勝優勝のチカラを備えたまま引退」という鮮やか過ぎる引き際となりました。この数年は休場つづきではあったとは言え、過去を振り返ってもここまで鮮やかな引き際はそうそうありません。
優勝の次の場所に引退した曙は両ひざがとうに限界だったと言いますし、師匠とともに潔い引退を誓っていたという千代の富士も最後の優勝から3場所はつとめています。不祥事などを除けば、優勝直後に、まだまだやれるだろうと目されるなかでの引退は第50代・佐田の山までさかのぼります。その佐田の山にしても病気を抱えながらの土俵だったということですので、「右ひざの怪我で本場所をつとめきれない」という白鵬の引退は「歴史的な鮮やかさ」と言っていいでしょう。
それは美しくもあり、寂しくもある、すれ違いだったなと思います。
それは美しくもあり、寂しくもある、すれ違いだったなと思います。
優勝45回、通算1187勝、幕内通算1093勝など数々の最多記録を樹立した白鵬は、言うまでもなく強かった。そして、強いだけでなく貪欲でした。張り差し、かち上げ、仕切りの呼吸ずらしなど、「胸を出す」横綱相撲とは異なる、立ち合いで何とか有利を取ってやろうとする取り口は多くの批判も浴びました。しかし、勝つことでその批判を封じてもきました。晩年の一層加速した取り口と批判の大きさというのも、ひとえに「白鵬が強かった」からだろうと思います。
強かったがゆえに、余裕を持って「後の先で勝つ」というような理想が追求できなくなったあとも、手練手管で勝ちつづけることができましたし、それが積み重なって批判が増そうとも、なお勝ちつづけることができました。並みの横綱ならばチカラが全盛期から少し落ちればガタッと成績が悪くなるところを、白鵬はちょっとやそっとでは崩れなかった。白鵬比ではかなり弱くなっていても、状態さえ整えば勝つことはできた。
今回の引退も、もはやどう手練手管を巡らしても場所はつとまらぬと「白鵬比での限界」を悟っての決断なのでしょうが、それがまだほかの力士よりもはるか上、「全勝」のラインにあるというのが、白鵬だなと唸ります。歴代の大横綱が現役最後に見せる「勝てないな、勝てないな」ともがきながら現役にこだわる数場所すら、白鵬には訪れなかった。牛たちのなかに混ざった象が「もう無理だな…」と言っているようなものなのかなと思います。牛から見れば「いやいやまだ最強でしょ」でも、象にとってはそうではないという、結果論的な「鮮やかさ」があるのだなと。
結果的に美しくなってしまった。
結果的に鮮やかになってしまった。
それは白鵬らしさでもあり、白鵬であるがゆえの不幸かなとも思います。負けないまま土俵を去るという強さの傑出ぶりと、負けたわけでもないのに土俵を去ったという美学の悪目立ち。白鵬の限界を十分に察することができないまま、大横綱の最後を見送ることになってしまったのは、大相撲にとっても少し残念なことだったなと思います。批判的な立場の者も含めて、労い、感謝し、万雷の拍手で見送られるだけの力士であったのに、十分にそうはできなかった。強すぎるがゆえに見誤った。そんな「すれ違い」を最後まで感じざるを得ない引退でした。
白鵬引退 九州場所関係者に打ち明けていた「今場所が最後かも」https://t.co/u5JVgtjMcu
- 毎日新聞 (@mainichi) September 27, 2021
宮城野部屋が宿舎としている福岡県篠栗町の「南蔵院」の住職は「今場所を最後にやめるかもしれない」と名古屋場所後に告げられていたといいます。
今後は親方として後進の指導、大相撲の発展に尽力することになる白鵬。一代年寄となる見込みは低いものの、すでに「間垣」株取得しているとのことですし、何よりも白鵬には親方としての手腕があります。石浦や炎鵬など「内弟子」として鍛えた力士たちは幕内をわかせる活躍を見せていますし、少年相撲の国際親善大会である「白鵬杯」のような相撲普及への取り組みを自ら行なう実行力もあります。
イベントを企画し、スポンサーを獲得し、それを10年つづける。現役力士の間にそうした取り組みをするのは並大抵のことではありません。手持無沙汰で館内をウロウロしている新米親方衆よりも、現役力士の白鵬のほうがよほど親方らしくさえあります。その意味で、白鵬親方個人としては成功間違いなしの太鼓判です。
ただ、今後は自身の「強さ」や「手腕」以外の部分が必要となってきます。よくも悪くも白鵬は「自分が強ければよいのだ」という姿勢で、横綱審議委員会のような批判的な向きや、自分より弱い師匠を軽視しているような行動が見受けられました。東京五輪期間中にモンゴルの五輪アンバサダーとして競技会場を訪問したときも、それ自体は公務であるという気持ちからなのか、協会、ひいては宮城野親方に話は通っていませんでした。芝田山親方の叱責と、宮城野親方の沈黙が、白鵬然とした振る舞いが生む軋轢を物語っていました。
強い横綱で、カリスマ性があっても、これから加わる集団は「強さ」にも「カリスマ」にも相応に自負がある面々ばかりの組織です。そのなかで「ひとり1票」という選挙を経なければ、真に大相撲発展に尽力できるような要職にはつけません。じっくりと時間をかけて、拙速に走らず、手紙を届ける使者が来たなら無視せず受け取り、大事なことは紙だけで伝えるのではなく言葉でも説明し、無駄に敵を作らず、弟子がデンモクで他人を殴ったら謝罪行脚をし、弟子が付け人を殴っちゃったらちゃんと警察に届ける、そういう地味な仕事から少しずつ取り組んでいってほしいと思います。
新米親方がよくやらされている館内警備(※基本は花道や通路で座ってるだけ)や、マスク着用の呼び掛け(※イヤそうにやってはいけない)、売店の売り子(※食パンを売らされる)なども、経験として少しはやってもらいたいなと思います。そういう取り組みから始まることで親方衆も感じるところがあるでしょうし、何よりお客さんが喜びます。次回の大相撲観戦では、ジャンパー姿の白鵬に会えることを楽しみにしています。長い間、お疲れ様でした!これからもよろしくお願いします!
↓近くで白鵬を見た、思い出の一枚を貼っておきます!2021年去る人特集みたいな一枚です!
解説で「舞の海の言うこと全否定」とかも見たいので、お願いします!