火とSNSは一晩で森を焼き尽くす!

昨晩見ていた金曜ロードーショーは「風の谷のナウシカ」でした。ナウシカの世界は「火の七日間」という世界大戦によって文明を失い、焼き尽くされています。その痛ましい過去によるものか、ナウシカたち風の谷の人々は火を恐れ、火を嫌います。そして「多すぎる火は何も生みやせん」「火は森を一日で灰にする」「水と風は100年かけて森を育てるんじゃ」と語るのです。

これは宮崎駿監督が現代のSNS社会を予見して発した言葉だといわれています。現代の人間と社会の関係を土・水・風・火にたとえたそれは、まだインターネットすらなかった時代においても監督の智慧は時を超えて未来を突き刺すものでした。土、それは人間。水、それは土を肥やす周囲の人々。風、それは穏やかに土の恵みを見守り、遠くへと運ぶメディア。そして火は荒れ狂うSNSの炎上。SNSの騒動を「炎上」と喩えた人は直感的に知っていたのでしょう。この炎は人間に大いなるチカラももたらすが、同時に滅びを招く裁きの炎であることも。

平成も終わり、世は完全なSNS社会を迎えています。

しかし、僕はこのような現代だからこそ、あえてそれに警鐘を鳴らしたい。SNSとは甘く危険な誘惑であり、禁断の果実であると。考えてみてください、エジソンやアインシュタイン、ガリレオやダ・ヴィンチ…人類の偉大なる先人は誰一人としてSNSなどやっていません。王貞治氏が868本ものホームランを打てたのは、SNSをやっていなかったからです。SNSをやってもホームランは増えないのです。

SNSをやっていることで、SNSをやっていないときよりも立派になった人間など誰もいません。「YouTuberがいるだろ…?」などの声もあるかもしれませんが、それは「他人に気づかれるか気づかれないか」の差であり、立派かどうかの違いではありません。名声や富は、火を使うリスクの対価に過ぎず、そこは「まだ燃えていないだけ」のたたら場なのです。TikTokで黒歴史を生産している女子高生を見ているのは楽しいですが、正直ヤバいと思う、その心です。

そんな2019年、同じようにSNS社会に警鐘を鳴らす人物が現れました。それが「上原浩治さんを一度自由契約にすることで、FA人的補償のプロテクトリストに載せずに済んだ」ことで知られる読売巨人軍の監督・原辰徳氏。氏は球団所属選手のSNSを原則的に禁止するという方向に舵を切ることを年頭に宣言したのです。

「俺ね、有名人たちがSNSとかで自分で話すじゃない? あれダメだと思うね。あれは都合良すぎだよ。有名人ならば堂々といっとかなきゃな」「ジャイアンツの選手もやっちゃいかんですよね? 言いたいことがあったら俺達(首脳陣)に言えと。あるいは新聞記者に言えと」「やっぱりメディアの後ろにファンがいる、という結びつけがいちばん大事だと思うけどね」などと、大メディアであるところの東京スポーツ紙を通じて自軍選手たちに呼びかけたのです!

↓言いたいことがあるならばSNSよりも東スポで発信すべき!


「スポーツ報知じゃないのかよ!」というツッコミは一回こらえてください!

「東スポで言うくらいなら黙ってるほうがマシ」というツッコミも一回こらえてください!

↓ちなみに、原監督は同日、個人でのSNSを開始しました!

IDが「@7oatQ9pHYIfVqvN」というあたりに初々しさを感じます!

絶対あとで後悔すると思うので、今のうちに「@susume_hara_daisakusen」とかに変えたほうがいいですよ!


「原監督のシンクロ、すげぇ紛らわしい…」という感想はさておき、両者それぞれの考えはよくわかります。原晋監督は青学陸上部監督でおさまる器ではそもそもなく、4月からは地球社会共生学部教授もつとめる研究者です。陸上ばかりを見ているわけにはいかず、講演会や研究発表、テレビ出演などでも多忙を極めます。やがては青山学院大学も飛び出して、より大きな組織での活躍もされるでしょう。それは「組織をもたない個人」としての活躍です。そのときに、自身の考えを発信する個人メディアは有用であり、必要です。

たとえば「明日の講演会に来てね!」という案内を出すときも、組織をもたない個人の立場としては、まず自身の公式サイトやSNSでの掲載が主となるでしょう。青学に所属している間は大学からの発表ということでもいいですが、将来を見据えるならば今のうちに「個人」のメディアを用意しておくというのは意味あることです。「青学陸上部の名将・原」という知名度、しっかりと自分の個人メディアに活かさない手はないのです。

一方で大巨人・原監督の意見ももっともです。大巨人に所属する選手の世間における立場は、個人であるところのそれ以上に「大巨人の組織人」としてのそれです。一般人の所業であれば三行記事にもならない程度の賭け事やロッカールーム窃盗が大きな話題となるのも、彼らが「大巨人」の看板を背負っていればこそ。

篠原慎平投手(誰?)と河野元貴捕手(誰?)がSNSで裸体の動画を投稿したことが問題となったのも、彼らが「大巨人」の看板を背負っていればこそです。大巨人の一員から「今日はこのバットを出品します」とか「プロテクトリスト提出したら再契約するんでご心配なく!」とか「友よ。僕は来週の金曜日に投げるよ」とか「おぅワイや、ちょっと群馬に買い物に行ってくるで!」なんて投稿があれば困りますし、見過ごすことはできないのです。

ただ、もちろん選手個々にもSNSを楽しむ自由はあります。サラリーマンが個人でSNSを楽しんでいけないなんてことがないように、有名人にも個人で発信する自由はあります。問題になるのは「投稿内容」であり、投稿という行為そのものでもありません。その意味では、SNS禁止令というのは一見すると「選手の自由を不当に妨げる」旧時代的な考えであるようにもうつります。

しかし、原監督の真意はその奥、「メディアの後ろにファンがいる」という部分にこそあります。

プロ野球は球場に詰めかける数万人からのお金だけで成り立つものではなく、メディアを通じてその試合が放映され、見られることによって成長してきました。今の繁栄や、今の年俸が得られるのはメディアとの共存共栄があればこそ。大巨人軍はご存じのように、読売新聞社・日本テレビらと同じく読売グループを形成する一部であり、その意味では「メディア」自身が運営する「コンテンツ」です。

共存共栄の立場である球団とメディアの関係をないがしろにして、選手自身が何かを発信するということは、一種の裏切りでもあるわけです。大巨人軍選手の貴重な言葉はまずメディアを通じて発信されるべきであり、それによって両者の関係性というのは成り立っていくわけです。ファンにとって「個人メディア」というのは嬉しいし楽しいものですが、それが本当に全体の関係性を見据えた最適解であるかと言うと、必ずしもそうとは言えないはずなのです。

特に大巨人軍においては、百戦錬磨のメディアがバックについているわけですから、言いたいことがあればまずそこに相談するのが筋でしょう。それはメディアの繁栄ということだけでなく選手個人の安全にもつながるものです。事前に「この動画を日テレNEWS24で拡散したいのですが…」という相談があれば、「この動画、篠原クンと河野クンのポコニャンが映ってるけどマジで?」というセーフティー装置が機能したはずです。

メディアにおける発信は、本人の意図と異なる切り取り方がされるリスクもありますが、「本人の意図と異なる切り取り方」をされるぶんには訂正のチャンスもありますし、弁解の余地もあります。それ以上に「100%本人の意図でしかあり得ないSNSなどの個人メディアでやべーことを言ってしまう」ほうが遥かに危険で、遥かに地雷を踏みやすい行為ではないでしょうか。

記者会見であればスーツを着て、ある程度慎重な発言にもなるでしょう。新聞記者の取材であれば、記者の厚意によって最大限にマイルドな解釈をしてもらうことも可能でしょう。しかし、それが個人メディアであれば、酒を飲んで全裸で発信することも可能。「上沼恵美子の審査はクソ!」的な余計な本音が漏れる可能性も高まります。「100%自分の発信」は炎が100%自分に向かってくるということ。「呼べば話を聞きにきてくれるメディアがいる人物」が、リスクを犯してまで自分で発信することのメリットは、決して大きくはないのです。

それでも個人で発信するというのならば、「大巨人軍の一員」であること以上に「個人」が世間における意味を持つような人物になっていきたいもの。大巨人軍すらを飛び出して、より大きな存在となったとき、大巨人軍の枠にはおさまらない発信を個人メディアで行なうメリットや意義がリスクを上回って行くのだろうと思います。そういった選手は大巨人軍においてもほんの一握りだろうと思いますが。

↓発信するなと言っているのではなく、「ふさわしい場」で発信せよという話です!


原監督自身も球団のYouTubeで発信しています!

「しかるべき場で堂々とやれ」ということです!

↓上原選手のような偉大な個人でさえ、自分の言いたいことを言うときにはメディアのチカラも併用していますよ!
<プロテクトリストを外れたあとの再契約の挨拶>


<プロテクトリストを外れたあとで再契約したことについて個人ブログで書いたことのお知らせ>


<そのことを好意的に伝えるメディア記事をリツイート>


「憶測を否定したブログ」を書いたあとで、「憶測を否定したブログを書いていたという記事」を拡散!

そう、自分で言うより他人に言ってもらったほうが都合いいときもあるから!



大巨人には最後の最後までSNS社会と戦いつづける球界の良心であってほしいと思います。DAZNの軍門に屈して「DAZNでも配信するわ…」などと言っている11球団(※広島だけ、広島県内では視聴不可という嫌がらせ含む)などとは一線を画し、「GLS」(※ジャイアンツライブストリームの略/何コレ?)と「Hulu」(※日本では日テレが運営中)という自前メディアに大巨人主催試合を囲い込む姿勢やヨシ。

自分たちのメディアがあるのに自分たちのコンテンツを放流するなど言語道断です。中日新聞は「D-TV」を開設して中日戦を囲い込むべきですし、ソフトバンクは「ソフバン戦はソフトバンク回線からのみ視聴可能」とやるべきである。大巨人軍だけが「メディア」のプライドを持ってコンテンツを守っている。本当に素晴らしい。お見事。あっぱれ。それでこそ大巨人軍です。

原監督も「例えば(事実無根の)何かに対しての反論だったらまだ分かるよ」とメディアの誤りを正す際のSNS活用までは否定していないように、完全な沈黙を求めるものではありません。しかし、まずは大巨人軍の発展のために、「語るべき場所はソコじゃないだろう?GLSだろ?」「お前、GLS入ってるのか?」「大巨人軍の選手がGLSに入らなくて、誰が入るんだよ?」という思いがあるのです。

どうぞ、そのことを受け止めて、大巨人軍選手各位はSNSとの適切な距離感をとっていただきたいもの。我が埼玉西武ライオンズのように、「自前のメディアは特になく」「いつか出て行く腰掛けの関係」ということであれば、逆にどんどん「個人」として発信していけばいいと思いますけどね!

↓どうしても個人でSNSをやりたいときは、こういったことに気をつけてください!
●大前提としてやましいことをしない
メディアを通じての発信であれば「誰かが気がついてカットしてくれる」かもしれませんが、個人メディアでは誰も止めてくれる人はいません。ポコニャンがビッグポコニャンになっていても、そのまんまポコニャンチンしてしまうのです。安全装置はないことを十分に意識して投稿しましょう。特に公序良俗に反する行為、差別的な発言、秘密の暴露などには十分に気をつけて。

●ツイッターよりもインスタグラムを選ぶ
ツイッターは心ないインターネットの巣窟であり、そういった心ない交流を楽しむための場。映画『ターミネーター』に出てくる酒場のようなもので、有用な情報も得られますが喧嘩やいざこざも絶えない場です。そして、そういった場に似つかわしい、半袖・革ジャンのマッチョも好んで集まっています。自分のキラキラした日常を発信し、ファンとの交流を楽しみたいだけなら、ツイッターを選ぶ理由はありません。インスタグラムで猫の写真をアップしましょう。

●悪評は聞き流す、見ない
聞き流す自信がないなら、自分についての情報を見るべきではありません。全員から賛同が得られる意見などないように、必ずロクでもないことがセットで書いてあります。無視できないなら、それこそ「メディア」というフィルターをかませるべき。ロクでもないことを言う輩は、テレビで流れたものについては、まずテレビの画面に向かって文句を言います。幻とケンカさせておきましょう。

●誰もフォローしない、誰の意見もリツイートしない

新聞記者の個人アカウントによくある「ツイートは個人の見解であり、社の見解ではありません」「リツイートやリンクは賛意とは限りません」などの但し書き。書いておくことは有用ではありますが、何を書いてあろうがあるまいが「誤解」されるときはされるもの。朝日新聞記者が「@AbeShinzo」をフォローしていたりすれば、「貴様、実は右翼だな!」といった粛清も受けかねません。朝日新聞記者ならば「@AbeShinzo」をブロックして、「@Kim Jong-un」をフォローすべきであるという意見は世の中の一部に存在するのです。それが正しいかどうかはともかく、そう考える人がいるということを理解し、そうしたトラブルが嫌ならば、最初から自分の言葉以外の痕跡をSNSに残さないようにしましょう。「フォローゼロ、フォロワーゼロ、ツイートゼロの非公開アカウント」ならばほぼほぼ安全ですからね!何が面白いのかまったくわかりませんが!

そもそも自分自身の使命に忙しい人は個人SNSなんてやってられないはず!

あれはヒマな人が遊びでやるか、今のまま頑張ってもどうにもならない人が頼るものです!





「イチローはワシらがSNSやっている間も練習している」それが真理!