アップルのワールドワイドマーケティング担当シニアバイスプレジデント、フィリップ・シラー氏にiPhone Xファミリーの戦略について聞いた。写真は、今年9月の新製品発表会で登壇したシラー氏(筆者撮影)

2017年9月、最初のiPhone発売から10年を経てアップルが“新たな進化の出発点”として市場に投入したiPhone X。今年はその設計を踏襲し、性能・機能を強化したiPhone XSに加え、画面サイズを拡大したiPhone XS Max、バッテリー持続時間と費用対効果を重視したiPhone XRの3ラインナップで年末商戦に挑んだ。

加えてアップルは、新しい3製品すべてに、端末側でのAI機能(ニューラルネットワーク処理)を大幅に強化したA12 Bionicを搭載。クラウドのパワーを活用したAI処理(クラウドAI)に頼らず、ハードウェア端末内で完結する機械学習モデルによる機能強化に大きなリソースを投入する姿勢を見せている。

その一方で、ホームボタンを搭載する“従来の”iPhoneには新機種が投入されず、一部で後継モデルを求める声のあったコンパクトモデルiPhone SEの後継モデルもなかった。

アップルはiPhoneファミリー、およびiPhone Xで新しい系譜のスタートを切った。それぞれについてどのように考え、製品の未来を考えているのだろうか。

「iPhone Xファミリー」の位置付けは?

「iPhone XはiPhoneが目指すコアのビジョンへの道筋上にあるものです。生活の中で、沢山のことができて、簡単に使えて、どこにでも連れて行ける、という初代iPhoneからの基本アイデアは変わっていませんが、新しいテクノロジーや革新を通し、以前のiPhoneとは異なる違う形で表現、製品としてまとめています」

アップルのワールドワイドマーケティング担当シニアバイスプレジデント、フィリップ・シラー氏はそう話した。

ここで“iPhoneの系譜”と“iPhone Xの系譜”を区別して伝えているのは、iPhone Xの系譜にのみ与えられている要素があるからだ。

その違いについて考察すると、3つの柱が見えてくる。ひとつは画面だ。


iPhone Xファミリーでは、ホームボタンが撤廃された(筆者撮影)

iPhone Xファミリーは、いずれも端から端までいっぱいに画面を広げ、それによって配置が不可能になったホームボタンの代わりに下端からのスワイプ操作を盛り込んでいる。その結果、端末全体に広がるディスプレーにより表示面積の拡大がもたらされた。

同様のディスプレーはAndroidを採用するライバルも採用しているが、iPhoneは操作やアプリの振る舞いに一貫性を持たせるため、ホームボタンを用いたデザインを踏襲してきたが、iPhone Xファミリーではそうした制約を取り払った。

もうひとつは、顔の形状を認識して個人を特定できるTrue Depthカメラの搭載である。利用者に向けられたインカメラに被写体の形状を認識する機能を加えたことで、ホームボタンに備えられていたTouch ID(指紋認識による個人識別)に頼らなくとも、素早く確実な個人の識別が可能になった。また、インカメラを用いたポートレートモードや顔の表情を読み取って3Dモデルが動く“Animoji”“Memoji”といった機能も実現している。

そして最後に昨年のA11 Bionic、今年のA12 Bionicと進化させてきたアップル独自設計のSoC(システムプロセッサー)に組み込まれたニューラルネットワーク処理に特化したニューラルエンジンというプロセッサーとその活用である。

もっとも、シラー氏は進化の方向を示しているだけだとも断っている。上記要素のみがiPhone Xファミリーのアイデンティティではなく、今後も新しいテクノロジーを継続的に導入することで発展させていく新たなスタート地点ということだ。

iPhoneに”廉価版”という考え方はない

そうした“iPhone Xの系譜”でいくつかのバリエーションが登場するだろうという予測の中、iPhone Xの後継モデルとして正常進化版や大画面版に加え、“廉価版”が登場するという予測があった。

最終的に、iPhone XSやXS Maxよりもアフォーダブル(購入しやすい)でカラフルなiPhone XRが登場したが、いわゆる“廉価版”ではなく、上位モデルとまったく同じプロセッサーを搭載し、カメラ性能も同レベルが確保されていた。“よりアフォーダブル”ではあるが廉価版ではない。

一方、市場を見渡すとスマートフォン市場の成熟とともに、消費者の目は“価格”を重視するバリューセグメントと、“デザイン/スタイルとカメラ画質”にこだわるプレミアムセグメントに2分化されているように見える。

しかし、そうした市場のセグメント化に関して、アップルはまったく興味を持っていないという。シラー氏によると、製品のスペックや機能ではなく、顧客の利用体験こそが重要であり、その質を担保したうえでいかに“アフォーダブル”にするかが開発時のテーマだと話す。

「iPhoneを企画・開発していく中で、スティーブ(=故スティーブ・ジョブズ氏)と“このコンピュータ(スマートフォン)は、これまでにないほど、あらゆる人たちに普及していくだろうが、アップルだけであらゆる人たちに最適な製品を届けられるはずがない”と話していた。想像もできないほど大きな市場になっていく。その中で、自分たちがもっとも得意とする領域で勝負しようと考えた」(シラー氏)

もっとも得意とする領域とは、“美しいデザイン”“きめ細かな使いやすさへの配慮”“細かなディテールへのこだわり”などだが、そこには“ハイエンド”あるいは“プレミアムセグメント”といった意識はまったくないという。

ユーザー体験を最大化するために、どういった選択がもっともよいかを検討、選択していった結果、XS/XS Maxが生まれ、また別の切り口でまとめたときにXRが生まれる。そこに価格帯を意識した“上・下”の意識はないとシラー氏は言う。


カラバリが用意され、iPhone Xファミリーとしては安価な「iPhone XR」(筆者撮影)

「もちろん、価格を意識して安価な製品を作ることもできるだろう。しかしわれわれには(何かを犠牲にして)チープな製品を作るDNAはない。“その時点では満足”だと思って安価な製品を買っても、数年後に不満を抱えて買い替える頃には残念な思いしか残らない。そうした製品を作りたくはない」(シラー氏)

だからこそ、シングルカメラでiPhone Xファミリーとしては安価なiPhone XRにも、大型かつ高精細なディスプレー、優れたスピーカー音質、最新のA12 Bionicなど、上位モデルと同等のハードウェアに加え、液晶採用モデルならではの長時間バッテリー駆動という特徴がXRに加えられている。

「iPhone SE」の復活はあるのか?

コンパクトかつベーシックな端末としてiPhone SEの復活を望む声もある。iPhone XファミリーにもiPhone SEのようなコンパクトモデルは必要ではないか?と率直にシラー氏に話を振ると、次のような答えが返ってきた。

「同様の話は日本だけではなく、外から聞こえてくる。確かにiPhone Xファミリーの画面サイズは大きいが、スクリーンの隅々まで表示エリアが広がっているため、手に取ってみるとすっぽりと手のひらに収まり、簡単に操作できる。手頃なサイズ感とディスプレーの大きさの両立を目指したものです。まだ手に取ったことがない皆さんには、ぜひ、スペックの数値にこだわらずに店頭で操作したときの感触を確かめてほしい」

昨年、オリジナルのiPhoneから10年が経過してiPhone Xが生まれると同時に、iPhone8が誕生。iPhone Xの要素は確かに盛り込まれていないが、オリジナルiPhoneとしては、あらゆる要素が詰め込まれた完成度の高い製品として、今も売れ続けている。

初代iPhoneが登場した当時、携帯電話業界の中でアップルは明らかに異端児であり、製品はカッティングエッジだった。しかし、今やiPhoneは携帯電話端末市場の“ど真ん中”にある製品、いわばスタンダードとなった。

世の中の中心、スタンダードに求められる、“変わらぬ価値と使いやすさ”を提供し続けつつ、“新領域を開拓すべくイノベーションを続ける”。この相反するかのように思えることを、彼らは両立できるだろうか。

「先進的な技術をアフォーダブルな製品に応用し、皆さんのライフスタイルの中に取り入れてもらえるようにすることこそがアップルのミッションだ。確かに、ここ数年のスマートフォン市場は成熟し、進化が滞っているという声もある。(改良・改善の連続で)イノベーションが起きていないという批判もあった。しかし、iPhone Xは、まさに新しいイノベーションの基礎となるために作った製品で、さらに今年発表した製品(iPhone XS、iPhone XR)で"正しい方向に向かっている"と実感している」(シラー氏)

シラー氏が言う“正しい方向”とは、Face IDとともに導入した“ほぼベゼルレス”のディスプレーの導入に加え、増加したトランジスタ数の多くをニューラルネットワーク処理向けに注ぎ込んだA12 Bionicへの投資といった部分だろう。

ただし、ニューラルネットワーク処理に特化した処理回路(ニューラルエンジン)への投資が花開くには、サードパーティ製アプリケーションによるサポートが不可欠になってくる。そしてそれには、ある程度の時間が必要なことはアップル自身もわかっているはずだ。

しかし、それでもニューラルネットワーク処理を“端末内”で完結させる能力を高める投資に迷いがないのは、機械学習によるユーザー体験向上は(ユーザーが自ら利用したいと考えない限り)クラウドにデータ送信せずに達成されるべきと考えているからだ。

「プライバシーを守る権利は、人権の中でも基本的なものだ。われわれは、ユーザーがプライバシーを侵されないまま実現できる機能、向上するユーザー体験を優先している。何かを達成するためにプライバシーを差し出すことを強要してはならない。だからこそ、(独自設計のプロセッサーである)A12 Bionicでニューラルエンジンの強化を図ったのだ」とシラー氏は力説する。

「端末内」で機械学習を活用した機能を実現する

ニューラルエンジンの活用は、開発者向けに「Core ML」というAPIを通じて提供されており、すでに対応アプリも登場しているが、最新のA12 Bionicの能力を生かした機能という意味では、アップルが率先して“何ができるか”という事例を示さねばならないだろう。

「ニューラルエンジンはカメラの機能性、画質を高める部分で大いに活用しているが、それだけではない。使用状況から予測分析して、バッテリー駆動時間が伸びるようシステム全体が振る舞ったり、あるいはクラウドにアップロードする必要なくフォトライブラリーの画像を判別する。クラウドに上げる必要はなく、判別した結果を検索したり、あるいは自動的に動画にまとめたり。これらはいくつかの機械学習モデルを組み合わせたものだが、すべて“端末の中”で処理される」(シラー氏)

すなわち、端末内だけで処理を完結できるため、クラウド型サービスで懸念されるプライバシー問題と、アップル製品は無関係だということだ。

「(クラウドへのデータアップロードを伴わない)端末内で機械学習モデルを活用した機能の実現、性能の強化に引き続き力を入れていく」と話した。

ニューラルエンジンが現時点でもっとも活躍しているのがカメラ機能であることに疑いはない。独自設計の強力なISP(イメージ信号プロセッサー。カメラ機能はもちろん、画質の根幹部分を司る部分)とニューラルエンジン併用で、画質を高めているからだ。

派手な効果ではないが、iPhone内蔵カメラの満足度を確実に上げている。

iPhone XS/XS Max/XR、すなちApple A12 Bionicを搭載するiPhoneは、いずれも内蔵する強力なISPとニューラルエンジンの恩恵を受ける。

しかし、それは(たとえばファーウェイのスマートフォンのように)実際の撮影では考えられないような、しかし美しく見える描写ではなく、自然なリアリティを伴う描写で描かれる。

そのアプローチの違いについて尋ねたところ、意外な答えが返ってきた。

写真家が生み出す“リアリティ”を表現

「肉眼で見たイメージそのままの自然な描写が基本。しかし、そこに撮影者のクリエイティビティで、より心に深く刺さる写真を撮るための“表現力”が加えられるよう考えて開発をしている。われわれが求めるのはリアリティだ。光が光学デバイスを通じてセンサーに注ぎ込まれ、美しい写真が生まれる。その原理原則をA12 Bionicを用いて、iPhoneのカメラに持ち込んだ」とシラー氏は胸を張る。こうした自信は、“本物”をコンピューティングによって身近なものにしようという強い意志があるからだ。

たとえば、アップルは過去2年にわたって、世界中の名フォトグラファーが使ってきた光学フィルターの使い方を研究し、現実のフィルターが持つ特性を演算でシミュレーションしているという。

一例だが、たとえば“森”あるいは“海”“人物”といった被写体を、立体的かつ美しい色彩で描くために、どのようなフィルターの組み合わせをしてきたかの情報を集めた。そして、そこで使われた光学フィルターの特性をプログラムし、写真の質を高めるために応用している。同様のアプローチは、内蔵カメラ機能の一部である“ポートレートモード”でも使われている。

iPhone Xファミリーが第2世代となる今年9月の発表会で公表されたニューラルエンジンの活用は、ごく一部だった。iPhone XRにおいて被写体の立体形状を予測したうえでボケを生かした写真とする機能、あるいは実存する美しいボケを実現するレンズの光学特性をシミュレーションする、あるいは複数フレームの画像から最適な1コマを自動的に選び出し、さらに異なる2つの露出を合成するスマートHDR、写真の自動分類や思い出のムービーを生成する機能などで活用されているが、多くは語られていない。

撮影された写真に対して、一流の写真家が行ってきたような“より美しい写真”を得るための手法を、ニューラルエンジンを用いた機械学習モデルとして適応。手仕上げのように丁寧な描写の結果を得る――。言葉にすれば、とたんに陳腐になってくる。“本当にそんなことができるのか?”とベンチマークテストが繰り返されるかもしれない。あるいは他社製品との差異化点として、売り上げに貢献することもあるだろう。

「私たちは一流の写真家の意見を取り入れ、過去に撮影された多くの作品から学んで世界最高の(カメラ用デジタル)フィルターを開発した」。自らも写真撮影が大好きだというシラー氏は「しかし、重要なことは撮影された写真を“きれいだ”と感じてくれること。被写体の細かなディテール、質感、奥行き感、ホワイトバランスなど、いろいろな部分で違いが出せるよう、数多くの工夫がiPhoneのカメラには盛り込まれている。カメラ以外にも、iPhone全体に極めて多くの改良、仕掛けが組み込まれ、使用者がそれとは気付かないうちに機能している」と続ける。

この考え方は、パーソナルコンピュータ“Macintosh”の時代にまで遡る頃からのアップルのDNAだとシラー氏。

テクノロジーとアートとリベラルアーツの交差点

たとえば、macOSのフォントレンダリング(文字描写)やレイアウトは、つねに印刷物に匹敵する品位となるよう細かな調整が行われてきた。画面上の色と印刷物、あるいはデジタル写真が持つ本来のカラー特性とディスプレーとの間での一致感を高める“カラーマネジメント”も同じだ。


いずれもプロフェッショナルにとっては重要な要素だが、一般ユーザーにもユーザーインターフェースを通じてそれらの技術を提供することで、その品位の高さ“感じてもらえる”と信じているのだという。

「スティーブはよく、私たちは“テクノロジーとアートとリベラルアーツの交差点”に立っているのだと話していた。だからこそ、感性に訴える部分に力を入れるが、一方でそれは説明すべきものではなく、感じてもらうべきものだとも考えてきた。アップル製品にはまだまだ知られざる仕掛けがたくさんある。製品を通じて、それらを感じてくれるとうれしいね」(シラー氏)