国見高時代に「怪物」の異名を取り、筑波大、ヘラクレス(オランダ)、FC東京、仙台でプレーしたFW平山相太が1月26日、現役引退を正式に発表した。それから約1か月が経過した2月22日、ユアテックスタジアム仙台にて引退記者会見が行なわれた。
 
 リリースから1か月が経ったこともあり、平山の表情はサバサバとしていて「後悔は一切無くて、自分は次のステップを楽しみにしています。今は100パーセント次の目標に向かっています」と晴れやかな表情だった。

 
 会見の冒頭で「度重なるケガで、トップレベルでのパフォーマンスができないことが理由」と語った平山。昨シーズンFC東京から仙台に完全移籍加入後、J1リーグ開幕戦の仙台-札幌戦でベンチ入りし、試合終盤からの出場に向け準備をしていたが、試合展開も影響し出場できなかった。
 
 そして翌日の練習試合で左足首を負傷(左腓骨筋腱脱臼)。その時点では全治12週間という発表だったが、その後はリハビリが長引き、公式戦出場は無かった。
 
「手術を数回受けてリハビリをしながら、練習に合流するところまでは行ったのですが、あまり調子が良くなくて、これではチームの助けにならないと思いました。年末年始に休んで少し良くなればと思ったのですが、全然良くならず、1月上旬辺りに決断して、チームに報告しました」
 
 年末に全体練習合流までこぎ着けたが、コンディションが芳しくなく「歩くだけでも痛い」状況。かくして今シーズン始動直後引退を決断した。
 
 最後まで平山の復活を信じていた仙台のスタッフや選手には感謝の言葉を口にした。「ベガルタ仙台には1年間しか在籍できなかったのですが、渡邉監督はじめスタッフ、選手の皆さんに親切にしていただいて、自分がベガルタ仙台の一員だと思うことができました」
 
 引退を渡邉監督に告げると、慰留を受けたという。
「もう1回自分を復活させたい気持ちがあると言って下さったのですが、自分の足が全然良くなくて監督の想いはありがたいが、サッカーはできないと伝えました」。そして国見高時代の同期GK関憲太郎については「仙台で一緒にプレーできるかと思ったのですが、結局できませんでした。自分ができない分、関がやってくれると思うので、長く続けてほしいですね」とエールを贈った。会見前には仙台の練習に顔を出し、選手たちを激励した。
 FC東京の話になると、意外な言葉を口にした。
「FC東京ではカップ戦の優勝やJ2降格などを経験し、サッカーの楽しさや苦しさを経験することができて、自分の財産になっています」
 
 Jリーグヤマザキナビスコカップ(現JリーグYBCルヴァンカップ)、天皇杯の優勝の話と共に語られたのは2010シーズンJ1リーグ16位でJ2に降格したことだった。
 
「プロで一番印象に残っている試合はJ2降格が決まった京都戦です。試合前ファンサポーターから声援を受け、監督をはじめ選手一人ひとりが厳しい表情で、これまでに無いプレッシャーを感じました。負けて降格が決まった後、サポーターからブーイングや『何してるんだ』と言われると思ったのですが、すごく応援してくれて『どんな時も自分たちが応援しているから頑張れ』と言われたことが忘れられません」
 
 プロ生活の中で最も辛かったであろう試合で、FC東京サポーターから送られた熱く、温かい言葉の数々を忘れてはいなかった。タイトルを獲った試合ではなく、降格が決定した試合のサポーターの振る舞いを真っ先に語ったことは、平山の温厚さ、優しさを象徴するかのようだった。
 
 今後については「サッカーしかしてきていないので、まず勉強したいなと思っています。その理由は自分がサッカーで経験できたこと、できなかったことを若い人たちに伝えて、もっとJリーグや日本のサッカーが強くなっていく助けになれたらと思います」。