200m決勝、右太もも裏の痛みで失速…専門家が分析する“本当の課題”「体力よりも技術力にある」

 陸上の世界選手権(ロンドン)は10日、男子200メートル決勝でサニブラウン・ハキーム(東京陸協)が20秒63(向かい風0.1メートル)で7位。史上最年少でファイナリストとなった18歳は、右太もも裏の痛みで後半失速したことが響き、メダル獲得はならなかった。なぜ、大一番で怪物の肉体に異変が生じたのか――。その理由について、専門家は「体力よりも技術力にある」と分析した。

「コーナー出口まではいいところに付けていて、そのまま粘っていれば、上位もあったと思います。ただ、直線に入る時に歯を食いしばって力んでから、走りが厳しい状態になってしまいました」

 こう話したのは、スプリント指導のプロ組織「0.01」を主催する200メートル障害日本最高記録保持者の秋本真吾氏だ。サニブラウンは今大会、100メートルを含め、5本目のレース。18歳にとって、世界のトップ選手との争いは厳しいもの。しかし、同氏は故障の原因について走りのフォームにあると分析する。

「足を振り出してムチみたいに振り出して接地し、引っ張り込むという傾向が見られた。特に左足です。本来は膝下を真っ直ぐに接地することが理想ですが、彼の場合は(横から見た時に)体が『く』の字にみたいになっている。そうなると、ハムストリングス(太もも裏)の故障は起きやすくなります」

 こう解説した秋本氏。サニブラウンにとって良き手本は同じレースに出ていたという。ウェイド・バンニーキルク(南アフリカ)だ。400メートル金メダルに続き、銀メダルを獲得した。

「彼の走りは膝下を真っ直ぐにして理想的な走りができていて、走りの効率性が高くお手本のような走り。それはウサイン・ボルト選手にも共通するもので、だから、200メートルでも400メートルでも強さを発揮できる。逆にサニブラウン選手は100メートルに続き、200メートル決勝と負荷の高い状態で何本も走ると、走りの非効率性から影響が出やすい印象です」

 一般的には体力面に課題があったのかと思いがちだが、一番の原因は技術力にあったとみている。「0.01」で現役Jリーガーのスプリント指導を手掛ける同氏は、実例をもとに話す。

100mのスタート失敗も肉体に影響?「トップ選手になるほど一歩のズレで感覚が異なりやすい」

「陸上選手も後半バテると体力が足りない、走り込みが少ないと思われるかもしれませんが、走りの技術力が高くないと体の負担が大きくなるだけ。逆に技術力が高ければ、何本走っても疲れないという感覚になれる。サッカー選手も同様に足がつると同じような指摘をされますが、走りの効率が悪いとガス欠を起こしやすい。外車みたいなもの。しかし、1本のダッシュの効率を上げることで90分走れることにもつながっている。走りの効率性は共通です」

 こう話した上で「サニブラウン選手は今回の場合、5本目のレースを迎えて最初の100メートルでガソリンを使い切ってしまった感じ。スピード感やスケール感を秘めている分、ガス欠にもつながることもあります」と分析した。

 一方、秋本氏とともに「0.01」を主催するアテネ五輪1600メートルリレー代表の伊藤友広氏は「これまでで一番レベルの高い大会で4本こなし、肉体的、精神的に感じたことのない負荷がかかったことは想像できます」と振り返りながら、故障の背景には100メートル準決勝のスタート失敗があったとみている。

「スタートでバランスを崩し、つんのめるような感じになってしまった。そこで変な影響が出たのかなとも思います」

 スタートで出遅れ、結果こそ決勝を逃すことにつながったが、ほんのわずかな体勢の崩れだけで大きな影響があるとは思えないが、伊藤氏は首を横に振る。

「トップ選手になればなるほど、一歩の足を置く位置が少しズレるだけで『あ、踏み外したな』と意識するし、感覚が異なりやすい。100メートルの選手はスピードが最も出る分、肉離れが最も起きる確率は高い。足のつき方を一歩外して、それをカバーしようとすれば起こり得ることではないかと思います」

 とはいえ、18歳が世界の大舞台で見せたポテンシャルは凄まじいものがあった。伊藤氏は「最初の100メートルは自分の力を発揮し、先頭集団に付いていった。これだけでも素晴らしいこと。可能性を秘めた大物であると世界中が認識したと思います」と話した。

 故障の影響を考慮し、400メートルリレーは欠場する見通し。これが、今大会最後のレースとなる。では、世界のトップで戦っていくための課題はどこにあるのだろうか。

「世界のファイナリスト」が得た収穫「100mの9秒台、200メートルmの19秒台は確実」

「技術的に言えば、100メートルの準決勝で修正を試みたようにスタートにあるかなと思います」と話しながら、弱点を補って有り余る伸びしろに期待する。

「彼はまだ18歳で大学1年の年代に当たる。男子の短距離選手の場合、学生の間の1年間は技術的にはもちろん、肉体的に成長する幅が大きい。その分、記録もグンと上がる。サニブラウン選手自身、高校3年から体つきも走りも変化しているし、タイムは伸びていく。単純に体が成長するということだけでも期待は大きいです」

 秋本氏は「世界のファイナリスト」になった経験も、成長にプラスアルファを与える要素になるとみている。

「決勝は全然違う舞台。人がどんどん減っていく中で、8人しかいないレース前の招集所の空気を体験できたことも違うと思います。まして、彼は前半100メートルでコーナーを出るまでトップレベルにいた。その世界を見たことは確実に今後に生きる。まして、それを18歳で体験できたんですから」

 こう話した上で「足の軌道や手と足の使い方など、技術力を高めていけばフォームもガラッと替わる。楽に走ってタイムが出せるようになれば、世界で戦える選手になります」と太鼓判を押した。

 最後に、伊藤氏も怪物の将来について、このように評した。

「何を見て何を思うかは現場で彼が感じること。そこで決勝まで行けた経験はこちらが想像するより大きいと思うし、モチベーションも上がると思う。目標にしている世界記録に向け、これからいろんな手段を取っていくのではないか。100メートルの9秒台、200メートルの19秒台は時間の問題。日本人は世界より3〜4歳早く、20代前半にベストタイムが出やすいと言われていますが、彼はそんな常識も打破してどんどんタイムを伸ばし、世界で戦える選手になれるという期待を持っています」

 確かなポテンシャルを世界に見せつけたサニブラウン・ハキーム。18歳に待ち受ける将来は、我々が想像もできないくらい、輝かしいものが待っているかもしれない。

◇伊藤 友広(いとう・ともひろ)
高校時代に国体少年男子A400m優勝。アジアジュニア選手権の日本代表に選出され、400m5位、4×400mリレーではアンカーを務めて優勝。国体成年男子400m優勝。アテネ五輪では4×400mに出場。第3走者として日本過去最高順位の4位入賞に貢献。国際陸上競技連盟公認指導者資格(キッズ・ユース対象)を取得。現在は秋本真吾氏らと「0.01 SPRINT PROJECT」を立ち上げ、ジュニア世代からトップアスリートまで指導を行っている。

◇秋本 真吾(あきもと・しんご)
2012年まで400mハードルの陸上選手として活躍。五輪強化指定選手選出。200mハードルアジア最高記録、日本最高記録、学生最高記録保持者。2013年からスプリントコーチとしてプロ野球球団、Jリーグクラブ、アメフト、ラグビーなど多くのスポーツ選手に走り方の指導を展開。地元、福島・大熊町のため被災地支援団体「ARIGATO OKUMA」を立ち上げ、大熊町の子供たちへのスポーツ支援、キャリア支援を行う。2015年にNIKE RUNNING EXPERT / NIKE RUNNING COACHに就任。現在は伊藤友広氏らと「0.01 SPRINT PROJECT」を立ち上げ、ジュニア世代からトップアスリートまで指導を行っている。