あなたが東京で住みたい街は、どこですか?

なりたい自分に近付ける街、等身大の自分を受け入れてくれる街、お気に入りのレストランがある街。そう、街選びの基準は人それぞれ。

広告代理店に勤務するサトコ(32歳)は、一体どこに辿り着くのか。

その行く末をご覧いただこう。

同棲を解消して部屋探しを余儀なくされたサトコは、石神という不動産屋と共に様々な街と部屋を見て歩くことになった。

前回は、食事会で意外とウケが良いと教えられた新宿御苑に行った。さて、今回は……?




石神に会う日を、指折り数えるようになっていた。

先週、新宿御苑で見た石神の優しい笑顔を、サトコはもう一度見たくてたまらないのだ。

だが、なんだかその気持ちを認めたくなくて、久しぶりに食事会に精をだすことに決めた。

同棲していた彼と付き合い始めてから、一度も行ってなかった食事会。久々に復帰すると、自分や相手の年齢が上がったせいか、個性的な男性が多くてドン引きすることの連続だった。

食事会の相手は皆、大企業に勤めるサラリーマンや医者に弁護士と、女性にモテるであろう職業の男性たちだ。

これらの職業で40歳を目前にして、独身・彼女なしの男性たち。サトコは、彼らを甘く見ていたことを痛感することになった。


サトコが実感した、男性たちの意外な傾向。


結婚を焦る、40歳前の男性たち


食事会に来るのは、20代の時はいなかったような、個性的な男性ばかりなのだ。

「やっぱりあの人、あの年で独身なわけだよね」

食事会後、女だけの反省会でこう言い合っては笑った。

「でもさ、30過ぎて食事会に行ってる私たちも、男性からは同じように言われてるんじゃない?」

誰かが言うが、「そんなことはない」と自分たちのことは棚に上げ、その場は盛り上がる。だが、ふと一人になった時に「はあ……」と大きな溜息がでてしまう。

意外だったのは、40歳を目前にした男性たちは、サトコが思っていた以上に結婚願望が強かったことだ。

その理由は様々なようだが、大きく2つに分けると「年老いてきた両親をそろそろ安心させたい」という親孝行タイプと、「40過ぎて独身だと、人間的に問題があると見られる」という、会社員に多い社会に溶け込みたいタイプだ。

食事会で知り合い何度かデートした相手は数人いるが、どの人とも恋愛に発展するほどの「好き」は互いに生まれない。

ふと立ち止まってみればサトコの友人たちも、「食事会で出会って付き合い始めた」なんて話はぱたりと聞かなくなった。

それでも、食事会の誘いがあれば断れない。僅かな可能性にかけて、仕事を早々に切り上げ、19時に駅ビルのトイレでメイクをなおして食事会へと向かうのだ。


内見当日。待ち合わせは広尾橋交差点


昨夜も不毛な食事会に行って、睡眠不足のまま広尾橋交差点にやってきた。

今日は広尾の物件を案内してもらうのだ。

―アイツのせいで、完全に寝不足……。

昨夜恵比寿で開かれた食事会は、23時すぎには終了したが、サトコが寝ようとしていた時、食事会にいた一人の男性からLINEで電話がきた。

その相手から、サトコが特別気に入られていたような雰囲気でもなかった。だからメッセージではなく電話がきたことに驚き、何かトラブルかと思い慌てて受けた。

「あ、サトコちゃん、今日はありがとね〜」

思いのほかのんびりした声だった。「どうしたの?」と慌てて聞くと、男は何度も同じことを繰り返した。

「今日の俺、どうだった?面白かったっしょ?」「ねえ、面白かったっしょ?」

そう何度も聞いてきた。とにかく、褒めて貰いたい男だったらしい。サトコは、幹事をしてくれた友人の顔を潰すわけにもいかず、下手に冷たくあしらうこともできないので、しょうもない話に30分以上付き合わされてしまった。

さすがに、もう本気で食事会に行くのをやめようかと考えた夜でもあった。



「こんにちは、サトコさん」

サトコのぼーっとした頭に、しゃっきりとした石神の声が響いた。彼は今日も清潔感溢れる、ジャストサイズのスーツに身を包んでいる。

「では、さっそく行きましょう」

無駄な挨拶もなく、すぐに目的の方向へと足を向けた。向かうのは有栖川宮記念公園の方向のようだ。


思い切って、サトコが石神を誘う!だが……?!




「サトコさん、本日ご案内する物件の住所は、港区南麻布になります」

「駅からはどれくらいですか?」

「徒歩7分、キッチン3帖、洋室17帖の1Kで約42平米、8階建ての3階、管理費込みで14万5,000円の、築15年の物件です」

機械的な口調で早口に言われた。

「サトコさん、広尾のイメージはありますか?」

「やっぱり高級住宅地ですね。大使館が多いから国際色豊かっていう印象です。あと、広尾ガーデンヒルズですね。一度、結婚した友人のホームパーティでお邪魔したことがあるんですが、もうあの辺一帯は空気が違いますよね」

「ほお、あの中に入られたことがあるんですね」

石神が興味を持ったようで、歩く速度を緩めて振り返った。

「ええ。そのお宅は、すべての部屋に白いふかふかの絨毯が敷いてあって、ゲスト用の寝室とお手洗いもありましたよ。セキュリティも万全で、私もこんな所に住めたらなあって何度も言っちゃいました」

サトコが笑うと、石神も少しだけ目元にシワを寄せたが、すぐにくるりと振り向き、また足早に歩き始めた。

しばらく歩くと今日の物件に到着した。薄いベージュのタイルが貼られた外観は、清潔感があり、印象は悪くない。エレベーターも明るく、清掃も行き届いている。

案内された部屋の中は、特に特徴はないが至ってシンプル。独立洗面台もあり、使い勝手も良さそうだ。

「サトコさん、広尾は高級住宅が並ぶ街というイメージが強く、事実そうなのですが、駅前に広尾商店街があるためか、親しみやすさも持てる街です。

商店街には『広尾湯』という昔ながらの銭湯もあり、モデルのように綺麗な女性が濡れたままの髪を無造作にまとめたラフな服装で颯爽と歩いている姿を見かけたこともあります」

たしかに、すれ違う女性たちは、品があり華やかな女性が多かった。石神が言ったような女性の姿も簡単に想像できる。

「一見とっつきにくそうだなと思った美人上司が、実はサトコさんが好きなラーメン屋さんの常連だった、なんて聞くと一気に親近感が持てますよね?広尾はそんな街だと思います。高級なイメージがすっかり定着していますが、実際に住んでみれば親しみを持てる街」

石神の言葉を聞いて、サトコは妙に納得した。

“上質なものが当たり前”という価値観で生きてきた人が多いから、変に気取ることもないのかもしれない。

無理せず、洗練されたものを自然に取り入れている人たちが集まる街―。それが広尾なのかもしれない。

「サトコさん、広尾では『こうもと』がおすすめです。和が基本で、クオリティが高く、ほっとできる味わいの料理がいただけます。最後の締めにオーダーされる葱そばもぜひ一度食べていただきたい絶品です」




「静謐な店構えで、初めての際は臆する方もいるようですが、入ってしまえば落ち着いた雰囲気で食事が楽しめる優れたお店です」

そう言って石神は笑顔をつくるように、両方の口角を左右対称に釣り上げた。

「え、じゃあ石神さん……」

考える前に、反射的に口が動いた。

「よければ、一度一緒に行っていただけませんか?」

勢いで言ってしまった。驚いた表情の石神に、言い訳するようにサトコは続けた。

「いえ、あの。そういったお店に、初めて同士で行くのは勇気がいるっていうか。友達を誘うにも、ちょっとハードルが高いというか……」

本当は、石神さんとゆっくり話してみたい―。そんなこと、口が裂けても言えない。

いくつかの言い訳を並べて石神の顔をみると、しんとした静寂が訪れた。気まずい沈黙だ。

石神は、また笑顔をつくるように両方の口角を釣り上げて言った。

「それはできません」

にこやかな顔で、ぴしゃりと断られてしまった。

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次回訪れるのは、東京メトロ副都心線が通っていて、渋谷と新宿の間にある街。