上には上がいる、僕なんてゴマ粒。元19・岡平健治がビジネスで成功しても謙虚でいる理由

2002年に解散したフォークデュオ「19(ジューク)」の岡平健治は、40歳となった現在、ビジネスマンとして成功し、ビル5棟を所有する不動産オーナーになっている――。

あの広島からやってきた純朴そうな若者が、そんな転身を遂げていたとは! しかし、取材当日、所有するビルで実際に対面した岡平は、ビジネスでの成功にも一切おごることなく、「僕は全然すごくない」と繰り返す。

1998年にデビューした19は、その翌年に『あの紙ヒコーキ くもり空わって』でいきなりブレークを果たし、NHK紅白歌合戦にも2年連続で出場。5枚目のシングル『水・陸・そら、無限大』は、シドニーオリンピック日本代表選手団公式応援ソングにも起用された。

音楽業界の絶頂を知り、さらにビジネスマンとしても華やかな結果を残している。それでも謙虚でいられる理由には、彼の“コンプレックス”も関係していた。

撮影/三橋優美子 取材・文/原田イチボ@HEW

19のブレークを、「今だけだろうな」と冷静にとらえていた

2002年3月、人気絶頂のときに19が解散したのは驚きました。
不仲なのか、音楽性の違いなのか、細かいことは話せませんが、ひとつのことが原因ではありません。3つか4つ、5つか6つの原因が重なって解散したんだと僕は感じています。でも相方(岩瀬敬吾さん)とは、今も会えば普通に話す仲ですよ。

しかし、10代そこそこの子どもがたった3年4ヶ月の活動でCDを600万枚も売り上げるなんて、現在の音楽業界では考えられませんよね。今冷静に考えてみると、自分じゃないような感覚です。でも楽しかったなぁ。
▲19時代の写真。左から岡平健治、岩瀬敬吾。
1998年に結成して、翌年の『あの紙ヒコーキ くもり空わって』でいきなりブレークした印象ですが、じつは岡平さんは高校時代から路上ライブをしたり、下積みといえる活動をしていたそうですね。
僕は15歳でビクターエンタテインメントに拾われたから、デビューまで4年かかっているんですよ。しかもすごく厳しいディレクターで、「1ヶ月に10曲作れ」なんてしごかれた(笑)。

その人に触発されて18歳のときに家出もしました。「僕、どうしたらいいですか?」って質問したら、「頑張って東京へ来なさいよ」って言われたので、ギター1本とハンドバッグひとつだけ持って上京しました。
下積み時代があったぶん、ブレーク時は「やっとつかんだ」という感覚だったのでしょうか?
いえ、「やっと」という感覚ではありませんでした。ブレークは自分の実力じゃなくて、周りのスタッフのおかげだと当時から感じていましたから。

もちろん、僕が作るようなメロディラインがそのとき世の中になかったことはわかっていたので、売れる自信はありました。18歳、19歳の若者が求めていたものがないなと思っていたんです。当時は何も怖くない若造だったから、音楽ランキングのトップ10を聴いて、「つまらないな。僕たちのほうがいいじゃないか」と考えていましたしね(笑)。
そう分析していた点で充分スゴいと思えます。
でも、結局ブレークできたのは、たまたま自分がいいクジを引けただけというか……。めちゃくちゃ売れていた時期に、スタジオのガラス越しにファンが集まっている光景を見ても、「あしたには僕らのファンを辞めているんじゃないかな」「このブームは今だけだろうな」と感じていました。ブレーク当時もずっと冷静でしたね。

そういう感覚でいたのは、やっぱり実力とかいろいろなものが伴っていなかったからじゃないでしょうか。まだ子どもだったし、いろいろなことのバランスが悪かったと思いますよ。
19を語るうえで『うたばん』(1996年〜2010年までTBS系列で放送されていた音楽バラエティー番組)も欠かせないですよね。番組MCを務めていた石橋貴明さんと中居正広さんにかわいがられていたのが印象的でした。
おふたりには、本当にかわいがっていただきました。なぜなのかが自分でも不思議でしたけど、僕たちの“いかにも田舎から出てきました”みたいな感じがよかったのかな? 

「ライブ終わりに俺らに挨拶しろよ」って言われていたから、地方でのライブのとき、ステージ上から「ライブ終わりました!」って東京の方角に向かって報告したこともありました(笑)。
他に印象に残っている出来事はありますか?
印象深いやり取りはいろいろありましたが、2017年に『ナカイの窓』で14年ぶりに中居さんにお会いできたことがすごくうれしかったです。僕も丸くなりましたし、中居さんも、超丸くなってた!(笑)しかも芸能界で大物になっているから包容力がスゴい。僕のことを覚えてくれていたのも本当にうれしかったです。

周りに助けられているだけで、僕自身はスゴい人ではない

19解散後は、印税を資本金にして、不動産投資で大当たりしたそうですね。未経験で大金を投じることに不安はなかったんでしょうか?
もともと地歴公民(社会科の科目)を勉強するのが好きで、経済に関しては素人でも「次はここの土地の需要が高まるな」という流れがなんとなくわかるんですよ。あとは、住んでいたマンションの大家さんが資産家で、僕のことを息子のようにかわいがってくれていたので、不動産経営や投資についてもいろいろ教えてくれました。
「19」時代のスタッフに続き、投資の分野でも人に恵まれたんですね。
そう。僕って人生で本気で困ったことがないんです。ビルの建設で建設会社に1億円くらい踏み倒されたときも、その瞬間はどよんと落ち込みましたけど、今となっては笑い話。ピンチになると必ず誰かが助けてくれるんですよ。
助けが入るのは人柄によるものなんでしょうか?
いやぁ、人柄というより、ただ運がいいだけですよ(笑)。普段から、しょうもないことを言って周りを笑わせる性格だとは思いますね。進んでピエロ役を引き受けます。
岡平さんは、音楽でもビジネスでも成功されたのに、謙虚な姿勢でいることに驚きました。
このビルも自分のものだと思っていませんからね(笑)。自分でゲットした感覚がないから、ふわふわしているんでしょう。

僕はなんでも根源のところを見るんです。そう考えていくと、19で成功したのだって、お世話になったスタッフのおかげ。今だって社員や3B LAB.☆S(19解散後に結成したバンド)のメンバーたちなど、共に走ってきた仲間に支えられています。周りに助けられているだけで、僕自身はスゴい人でもなんでもありません。

現在の夢は「不動産業を拡大して複合施設を作りたい」

今はどんな事業を行っているのでしょうか? 
僕が会長を務めているロックフォードレコードという会社では、ライブハウスや飲食店、音楽スタジオの経営や、映像制作を請け負っています。あとは中古車の売買や修理もしていますね。それと不動産の設備が壊れたときは、大仕事じゃないかぎり、僕が修理しちゃうから工務店とも言えるかな(笑)。タイル貼ったり、モルタル塗ったり左官もできるんですよ。

最近だとゴルフにハマっているので、もっと上手くなったらゴルフスクールをはじめて、最終的にはゴルフ場を持ちたいな。不動産業を拡大して複合施設も作りたいですね。
不動産はどれほど所有しているのでしょうか?
不動産としては、東京以外にも沖縄や広島など合わせてビル5棟を所有しています。
(マネージャーとして同席している)ロックフォードレコード代表取締役の千葉貴俊さんにお伺いしますが、岡平さんのビジネスマンとして優れた点はどこでしょうか?
千葉:まず時代の流れを的確にキャッチしていますし、状況が悪いときほど楽しくしていくエネルギーを近くで見ていて感じます。ミニマムをいかにマキシマムに持っていくか、効率よく最大限に動かすということに力を注いでいる印象です。
と、おっしゃっていますがいかがでしょうか?
いやいや。上には上がいますから、僕なんてゴマ粒ですよ! ビジネス的な話なんてできませんし、僕なんかが出て大丈夫かなって、本当は取材を断ろうと思っていたくらいです。

器用貧乏であることが、自分の最大の弱点

ご自身の会社について、どのような展望を持っているのでしょうか?
うちの会社は一芸がないのが心配なんです。もちろん音楽への造詣が深いスタッフが揃っているので音楽面はかなりの強さを持っていますが、トヨタであれば自動車、ソニーであれば「プレステ」や「ウォークマン」のようなヒット商品が欲しいんですよね。近年は買収で大きくなっていく会社も多いですが、一芸で大きくなった会社のほうが僕は好きなんです。
オンリーワンを目指したいんですね。
そう。器用貧乏じゃダメなんですよ。音楽だって同じことです。僕みたいにピアノもギターも弾けるわ、ラップもバラードもこなせるわっていうタイプより、歌に特化したミュージシャンのほうが大スターになれると思うんです。

僕は今、自分の音楽人生は間違っていたんじゃないかと悲観しているタイミングです。19を解散したことに後悔はないんですが、その後のバンドとかソロ活動はもっと面白いことができたんじゃないかな……。周囲からしたら頑張っているように見えたかもしれないけど、自分はベストを尽くしたとは思えません。
岡平さんは、自分が器用貧乏であることにコンプレックスを感じているんでしょうか?
そう! 音楽以外の食いぶちを見つけてしまったのが、最大のミスでした。クリエイティブ能力は落ちていませんが、やはり作品として世に出すとなったら、いろいろな手順を踏むことを考えると、どうしても面倒くささを感じてしまう。

もともとは、音楽のクオリティを保つための資金を作ろうとビジネスをはじめたはずなのに、そのビジネスが予想より上手く進んでしまいました。
いろいろなことができるのは強みだと思えますが…。
やってしまうからつらいんですよ。僕はいろんなことができるから、あっちこっち寄り道して、気づいたら森のなかで迷っていました。
なるほど…。
でも、器用貧乏な人間は、そこで木を切り倒して、空から見えるようにSOSの文字を作ることができるから助かる。そう考えると、器用貧乏は、僕の最大の弱点であると同時に、最大の武器にもなりえるのかな。

そこで辿り着いたのが“無料で音楽を配る”ことなんです。
無料でですか?
3月28日から、僕の楽曲をYouTubeでどんどん無料公開しています。100曲くらいは出そうかなと思っていますよ。
このプロジェクトに戸惑っているファンの方もいるみたいですが、これからリリースを重ねていくうちに「健治は本気なんだ」と理解してもらえるんじゃないでしょうか。
とても思い切ったプロジェクトですね。
僕は支えてくれる人々のおかげで、ここまで来ることができました。今はポケットマネーでレコーディングできるし、素晴らしいミュージシャンも周りにたくさんいる。デビューから21年経ち、自分は恩返しの時期に来たんだと思って、これから10年間は無料で皆に音楽を配信していくつもりです。
それに他のアーティストが誰もしていないことだからこそ、この試みは絶対何かの形で返ってくると思いますしね。……ただの“気前のいい奴”で終わって、貧乏くじを引くだけかもしれませんが(笑)。
でも、音楽以外で収入がある岡平さんだからこそ可能なことですよね。
そのセリフを待っていました!(笑)
どんなにもったいないと言われても、このプロジェクトを達成したとき、僕のコンプレックスが解消されるんじゃないかな。無料で100曲出せば、「音楽人生を全うした。ありがとう」という気持ちが湧いてくる予感がある。そのとき悔しさが消えて、僕は迷い込んだ森からようやく飛び立てると信じています。
岡平健治(おかひら・けんじ)
1979年3月28日生まれ、広島県出身。B型。1998年に岩瀬敬吾、イラストライターの326と3人で「19」を結成。同年に『あの青をこえて』でメジャーデビュー。1999年の『あの紙ヒコーキくもり空わって』が大ヒットを飛ばし、2000年の『水・陸・そら、無限大』はシドニーオリンピック日本代表選手団公式応援ソングに起用される。2002年3月に「19」が解散した後、「3B LAB.☆」としての活動を本格的にスタート。音楽活動の一方で、19時代の印税を資本に不動産投資で成功。2013年2月、RockFord Records(ロックフォードレコード)株式会社の代表取締役会長に就任。

リストバンドプレゼント

今回インタビューをさせていただいた、岡平健治さんの非売品リストバンドを抽選で3名様にプレゼント。ご希望の方は、下記の項目をご確認いただいたうえ、奮ってご応募ください。

応募方法
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受付期間
2019年7月26日(金)18:00〜8月1日(木)18:00
当選者確定フロー
  • 当選者発表日/8月5日(月)
  • 当選者発表方法/応募受付終了後、厳正なる抽選を行い、個人情報の安全な受け渡しのため、運営スタッフから個別にご連絡をさせていただく形で発表とさせていただきます。
  • 当選者発表後の流れ/当選者様にはライブドアニュース運営スタッフから8月5日(月)中に、ダイレクトメッセージでご連絡させていただき8月8日(木)までに当選者様からのお返事が確認できない場合は、当選の権利を無効とさせていただきます。
キャンペーン規約
  • 複数回応募されても当選確率は上がりません。
  • 賞品発送先は日本国内のみです。
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