『水曜どうでしょう』が与えてくれたもの。60歳、嬉野雅道の人生を導いた4人の絆
1996年から北海道テレビ放送(HTB)制作のローカル番組として放送された『水曜どうでしょう』(以下、『どうでしょう』)。
レギュラーの出演者はタレントの鈴井貴之と大泉洋。そこにディレクターの藤村忠寿と嬉野雅道を加えた4人で、国内外のさまざまな場所へ旅をする。シンプルな内容ながら、既存のバラエティにはない独自のスタイルと笑いで話題を呼び、口コミを中心に全国へと拡大。2002年に6年間のレギュラー放送が終了したのちも、数年に一度新作が発表されるなど、現在に至るまで根強い人気を誇る伝説的番組だ。
この通称”どうでしょう班”と呼ばれる4人で、主にカメラ担当を務めているのが”うれしー”こと嬉野雅道(以下、嬉野D)だ。トークで盛り上がる演者たちをカメラに収めず、車窓や風景動画にテロップだけが載るという斬新な手法をはじめ、『どうでしょう』ならではの独特の雰囲気は、たったひとりでカメラを回していた嬉野Dの感性によるところも大きい。
そんな嬉野Dが7月7日に還暦を迎えると聞き、ライブドアニュースでは記念のロングインタビューを敢行。23年間に及ぶ『どうでしょう』と共に歩んできた4人の絆を中心に話をうかがった。
インタビューのそこかしこから垣間見える”うれしー流”の生き方や仕事論は、きっとあなたの人生を充実させるヒントになるはずだ。
還暦を迎えても、中身は子どものまま。嬉野雅道の胸中
- 7月7日、お誕生日おめでとうございます! 還暦を迎える現在の心境はいかがですか?
- 何も変わらないねえ。とくに僕は子どもがいないので余計にそう感じるのかもしれないけどね。
もし子どもがいたら、「いつの間にこんなことができるようになったんだ?」とか、「いっぱしの口をきくようになったな」とか、子どもの成長に合わせていろいろと感じることがあったかもしれないけど。うちはずっと夫婦ふたりで年齢を重ねているから、気持ち的には結婚した当時のままだよ。つまりは“子ども”のまんまだね。 - 子どものまま還暦を迎えた感じですか?
- そうだよ〜。体力的にガタがきたとか、できてたことができなくなったとか、そういう大きな衰えって、まだギリギリ感じてないからねえ。
でもまあ、ここから先は確実に未知の領域なんだなっていう予感はあるけどね。見た目にしたって、自分ではまだ「おじいちゃん」ではないとは思ってるけど、これから確実におじいちゃんになっていくわけだからさ。そういう意味では不安はあるし、これからどう生きていこうかなって考えちゃうよね。 - 嬉野さんでも将来に不安を感じることがあるんですね。
- そりゃそうでしょうよ(笑)。将来の不安がゼロな人なんていないんじゃないの?
自分のままで新しい環境に馴染むのが「対応」
- 嬉野さんは奥様に連れられて30代で東京から北海道に移住、そこからHTBでお仕事をするようになったんですよね。奥様のためとはいえ、東京での仕事を捨てて馴染みのない土地に引っ越すというのはなかなかできないと思いますが?
- いやまあ、女房に逆らうことに比べたら、北海道に行くほうがリスクが少なかったんじゃないかな(笑)。
でも、どんな環境に放り出されたとしても、そのなかで必死に対応しようとするのが「生きていくこと」なのかなとも思ってるんだよね。 - 具体的にどういうことでしょう?
- もともと俺って、自分から新しいことやアクションを起こしていくタイプじゃないけどさ、でも基本的に誘われたら断らないの。とはいえ、やっぱり後悔はしたくないから、流れに乗りながらも、そこで自分ができることをあれこれと考えるわけさ。
でもさ、それは誰だってそうでしょう? 職場でどう振る舞えば自分にプラスになるんだろうって、みんな考えてるじゃない? - 多かれ少なかれ考えているでしょうね。
- でも、そのときにだよ? たとえそれが理想だとわかっていたとしても、自分とあまりにかけ離れすぎたものにはなれないでしょう。
- 実際、理想と現実の差に悩んでいる人も多いと思います。
- それはさ、悩むだけ無駄ってもんですよ。そんなの無理に決まってるんだからさ。だから俺の場合は、あくまで自分のままで振る舞うのが前提でさ、そのうえで「自分に得になるにはどうすればいいか」を悩むわけ。それが俺のなかでの「対応」だと思ってるんだよね。
- なるべく自分に負担をかけずに得になる方法を考えるわけですね。
- そう、「自分じゃない人になれない」っていうことで悩んだって、時間の無駄なんだからね。労力を費やすならそこでしょう。
自分にないものを“過剰”に持っていた藤村Dとの出会い
- そもそものお話になりますが、嬉野さんは子どもの頃から映像業界を目指していたんですか?
- いや、そこまで強いこだわりはないんだよね。しかも客観的に考えて、この業界ってそんなに俺には向いていないと思ってるよ。
- それはどうしてですか?
- だってディレクターってみんなイケイケでさ、しかも我が強い人間が多いわけだよ。でも俺、自分で言うのもなんだけど、かなり控えめでしょう?(笑) だからディレクター仲間で、俺みたいなヤツとしみじみまったり語るのが楽しいと思う人はほとんどいないと思うの。
- 藤村(忠寿)ディレクター(以下、藤村D)の場合はどうでしょう?
- 彼は貴重な存在だよ。俺はきっと藤やん(藤村Dの愛称)みたいな人をずっと探していたんだろうね。
俺にはディレクターとして足りてないものが多いけど、新たに何かを得るのはこの年齢じゃ難しいし、さっき言ったようなイケイケの人にはなれっこない。
どうしたらいいか悩んでたけど、解決方法なんてひとつしかないよね。俺に足りない部分を過剰に持っているヤツと組むしかないわけだ。そんなことを思っていた矢先に「この人いいな」と思えたのが藤村くんだったの。 - 藤村さんのどんなところにピンと来たんですか?
- 何とも言えない過剰なコミュニケーション能力だね。初対面って普通、おそるおそる話をしながら距離を詰めていくじゃない。いきなりど真ん中にストレートは投げないでしょ?
でも、藤やんって、初対面のときからズケズケと言ってくるわけ。「あなた、こういうことはできないでしょ?」って。そうすると俺もムカッときてさ、売り言葉に買い言葉で「できるよ!」って返しちゃう。だけどそういう会話をしているのに決して嫌な感じはしないし、自分が無理をしている感じもない。それがすごくラクでいいなと思ったんだよね。
上司の慧眼で、藤村Dと初めてコンビを組むことに
- 初めて組んだディレクターが藤村さんだったのは、嬉野さんにとって大切なことだったんですね。
- そうだねえ。当時は藤やんも編成から制作に異動してきたばかりで、番組作りに関してはまだまだ素人だったけどね。だけど藤やんが最初に作った番組を観たら、それがすごく面白いの。そういうこともあって、俺は密かに「藤やんと組みたいな」と思っていたわけ。
- でも、誰と誰が組むかなんて上司の判断だから、そうは上手くいかないだろうと思っていた。そしたら当時の制作部長が、我々をペアにしてくれたんだよね。
- その制作部長さんにはどんな意図があったのでしょうか。
- あとで知ったんだけど、部長はもともと我々の組み合わせが面白いと思っていたらしいんだよね。
俺がHTBに出入りしはじめた頃、部長に「今どき科学が面白い」みたいなタイトルで新番組の企画書を持っていってたわけ。まあ、その企画にはまったく興味なかったらしいけどさ(笑)、でも新人なのにここまで丁寧な企画書を上げてきたことに感心したらしいんだよね。
だから、藤やんのような馬力はあるけど細やかさのない新人に番組を任せるとしたら、俺のようなタイプの人間がいると助かるし、面白いんじゃないかと思ったらしいんだよ。 - そうだったんですね。一方、当時の藤村さんは嬉野さんのことをどう見ていたんでしょうか?
- 「何だかよくわからないヤツがいる」っていう感じじゃない?(笑) 何しろ俺は東京から北海道に来てまだ半年くらいで、しかも年齢は藤やんより6つ上。ほかのディレクターのように自分の意見をガンガン主張するタイプでもない。
『どうでしょう』の放送がはじまる前に部内で席替えがあったとき、ちょうど藤やんと俺が隣同士になったんだよね。そしたら藤やんが「次の番組で組むの、あんたじゃないよね?」と聞いてきたんだ。HTBはいつも番組の担当者ごとに席がまとめられるから、「ん?」って思ったんだろうね(笑)。
俺もそのときはまさか組むとは思っていないから、「違うんじゃない? だって俺、来たばっかりだし」って答えたらホッとしてたんだよ。 - (笑)。ところがその後、実際に組むことになるんですね。
- そのときのことは今でも覚えてるよ。すごく天気のいい日でさ、俺が家で女房と晩飯を作ってるときに電話がかかってきたんだ。藤やんからで、開口一番「あのさあ、あしたから一緒だから」って言われて。
「何が?」って聞き返したら、「だから、新番組があなたと一緒なの」ってすごい暗い声で。「…え? もしかして嫌なの?」って俺が聞いたら、「いや、別に嫌じゃないけど」って、たしかそんな感じだったね(笑)。
俺はもともと藤やんと組みたいと思っていたわけだから、内心では嬉しかったんだけど。
“どうでしょう班”成立は新カメラのおかげだった?
- そして1996年10月、番組がはじまります。専門のカメラマンを用意せず、嬉野さんがカメラを回すことになったのはなぜですか?
- 予算もなかったし、たまたまじゃないかな。初回の放送は歌手のアン・ルイスのインタビューで東京まで行くんだから、せっかくだしロケ企画でもしようと。それが『サイコロの旅』(※編注)のはじまりだよね。
最初、藤やんは「じゃあ行ってくるから」と、ひとりで出かけようとしてたんだよ。「俺はどうなるの?」って聞いたら「え? 来るの?」って。「もしあなたが来るんだったら、カメラを回してもらうことになるよ」と言うもんだから、俺は「全然いいよ」って。それがカメラを回しはじめたきっかけ。
▶HTB 北海道 on デマンド『水曜どうでしょうClassic』サイコロ1
- 4人の“どうでしょう班”の体制が生まれた瞬間でした。
- 予算がないから陳腐なスタッフワークでやるしかなかっただけなんだけどね。でも、運が良かったのはちょうどその頃、SONYから「DCR-VX1000」っていうデジタルビデオカメラレコーダーが発売されたことなんだよ。
このカメラは素人の俺でも扱えるくらい小型で、画質も良い。これがなかったら8mmの家庭用ビデオカメラを回すしかなかったんだけど、画質的に明らかに厳しくてね。だからこのVX1000が、演者ふたり+ディレクターふたりの最小構成でテレビ番組を作ることができた立役者だと僕は思うんだよね。 - 放送開始当時の雰囲気や視聴者の反響など、嬉野さんが感じていた印象はいかがでしたか?
- もちろん最初はここまで続くとは夢にも思っていなかったよね。藤やんとも「半年くらいで終わるんじゃねえか」って話してたし。
- でもそうは言いつつ、最初の『サイコロ1』(1996年10月放送。『サイコロの旅』シリーズの1回目)の頃から手応えはあった。その後、『闘痔の旅』(1996年12月放送。大泉洋の“痔”を治すために出かけた温泉の旅)くらいから視聴率が上がってきて、少なくとも当面は番組が終わりそうもない雰囲気になってきたんだ。
大切にしていたのは「自分がいちばん番組を楽しむこと」
- ロケで、嬉野さんがもっとも大切にしていること、あるいはこだわっていることは何ですか?
- うーん、何だろうね? でも、俺は初めてのロケのときからずっと純粋に楽しかったんだよ。とくに最初なんてみんな素人のようなものだったから、よくわからないながら面白いことが起こりそうな方向に向かって必死に突き進んでいたんだ。
- 今思えば、4人のなかで俺がいちばん自由に立ち回っていたんじゃないかな。ああしろこうしろって言われることもなくて、それが俺の性に合っていたと思うんだ。
- 嬉野さんの気負わない雰囲気が、カメラを通じてフィルムにもにじみ出たんですね。
- どうだろうねえ? 当時、藤やんは初めてのチーフディレクターで番組の全責任を背負っていたわけで、じつは相当なプレッシャーがあったと思うんだよ。俺はそういう感じではなくて、ただ「心地よい場所だな」と思いながらカメラを回していたの。
だから「ロケで大切にしていたことは?」と聞かれても、「それは番組への愛です!」なんて言えないよね。どちらかと言うと、やっと見つけた自分の居場所だから、「まずは自分がいちばんロケを楽しもう」と思っていて、そこに対しては必死になっていたと思う。あえて言うなら、それが自分で自分に課した最大のこだわりっていうことになるのかなあ。
番組スタート当初に感じた、不思議な高揚感
- 『どうでしょう』23年間の歴史を振り返って、もっとも印象に残っている出来事は何ですか?
- わかるよ、そういうこと聞きたいよね? あると記事が映えるもんね。でもね…これがないんですよ(笑)。
たしかに「シカでした」って言ったことは覚えてるよ(※編注)。でも、じゃああれがいちばん印象に残っているかと聞かれたら、そうじゃないんだよねえ。
番組では6年後に『ジャングル・リベンジ』(2004年5〜7月放送)で現地を再訪。やっぱり痛い目に遭った。
▶HTB 北海道 on デマンド『水曜どうでしょうClassic』ジャングル・リベンジ
- たとえば当時の4人の雰囲気などで印象に残っていることはありますか?
- ああ。それで言えば、とくに番組初期は不思議な高揚感があったのは覚えてるね。そもそもみんな素人のようなものだったから、北海道から外に出ることがほとんどなかったわけですよ。
大泉くんは新幹線にすら乗ったことがなかったし、ミスター(鈴井貴之の愛称。以下、ミスター)も大阪より西には行ったことがなかった。それが番組の経費を使って全国どこにでも行けるっていうのは、何とも言えない非日常感があって、純粋にテンションが上がってたよね。 - それにしてもかなりの弾丸ツアーでしたよね。
- そもそも『サイコロの旅』なんて、必然性も意味もないじゃない? 北海道から東京に出て、深夜バスで四国に行って、すぐにフェリーで九州に渡ってとかさ。そんな訳のわからないことをして、それでお金をもらって生活していけるんだっていうことに妙な興奮があったんだろうね(笑)。さすがに今はあの感じはもう出せないけど、当時はみんな同じ気持ちだったと思うよ。
- そんな旅のほとんどを、大規模なロケ隊を組まず、たったの4人でやっていたというのもスゴいことだと思います。
- さっき言ったビデオカメラだけを携えてロケに行って、番組にするんだからねえ。当時は会社(HTB)からも完全にノーマークだったし、上司にも相談せず、出発日と到着日だけを伝えてあとはやりたい放題だったから、野に放たれた獣というか、無軌道にどこまでも転がっていったよね(笑)。
でもその頃の映像って、今、観返しても僕ら自身の興奮がヒシヒシと伝わってきて、何だか幸福感があるんだよね。
4人がいれば、『どうでしょう』に台本はいらない
- 収録の裏で事前に打ち合わせをして、最終的にこうしようなど筋道を検討したことはないんですか?
- ディレクター陣が裏で打ち合わせをしたことは一度もないと思うね。それはまあ、番組を観てのとおりだよ(笑)。やっていると不手際な部分や足りない部分がどんどんと湧き出てくるんだから。
でも、現場でその足りないところに気づいたヤツが、リアルタイムでそれを埋めようとアクションを起こしていく。それが面白いところだなって思っているの。もちろんそれが全部上手くいくわけではないけど、でもそこにはある種の「必死さ」が感じられるでしょ? - 一見すると緩そうな雰囲気ですが、その裏にある緊張感や必死さがこれまでになかった面白さにつながっている、と。
- 僕はそう思っているけどね。たとえば『対決列島』(※編注)のときは、メインは藤やんとミスターの直接対決だから、大泉くんの役割って当初は何もなかったんだよね。でも、あのふたりが早食い対決している最中、彼は自主的に実況を入れてくれるわけですよ。あの実況がなければ、ただの早食いを眺めるだけで面白くも何ともない。
旅に同行しているなかでそこに気づいて、各々の武器や得意分野で「自分には何ができる?」と考えて実行する。それは台本じゃなくて、あくまで自然の流れのなかの気づきだから無理がないし、作為もないから観ていて気持ちがいいわけ。うちの番組って、要はそういうことなんじゃないかと思うんだよね。
▶HTB 北海道 on デマンド『水曜どうでしょうClassic』対決列島
- そういうチームの関係性というのは、組織で働く社会人にとって理想の形でもあると思います。それぞれの環境で“どうでしょう班”のような絆を築いていくために大切なことは何だと思いますか?
- ひとつ言えるのは、みんなが必死になって同じ目標に向かわないとそういう関係性にはならないということ。僕らの場合、目標は「面白い番組にする」だったわけだけど、別にそれはHTBのためにやっているわけじゃないんだよね。
大泉くんはとにかく「自分が面白く映るため」に必死だし、俺は俺で「自分の居場所がなくならないため」にやるわけだし。でも、必死であることに違いはなくて、その必死さが現場で掛け合わさって、だんだんといいものになっていくと思うんだ。だから、みんなそれぞれの理由で必死になればいいんだよね。 - とはいえ、人間関係でも仕事でも、なかなか必死になれないという人も多いのでは?
- それはね、その場所の居心地がいいんだったら「もうこのチームしかない」と思うことだね。ほかに乗り換える船なんてないという気持ちになれば、たいてい必死になれるんじゃないかな?
『どうでしょう』は人生そのもの。気づけば自分と重ねている
- 『どうでしょう』は結果として全国で一大ブームを巻き起こしました。たった4人の、台本も筋書きもないローカル番組がここまで多くの人に受け入れられた要因は何だと思いますか?
- 『どうでしょう』って人生そのものだと思うんだよね。だって、人生に台本はないでしょう? みんなはバラエティ番組だと思って観ているかもしれないけどさ。じつは自分の人生ともつながっていて、どの場面にも心当たりがあるんだよ。
- みんな毎日を台本なしで必死に生きているんです。それを意識するかしないかはともかく、気づけば自分と重ねているんだと思うよ。人間って、そういうものに弱いんだよね。
- ひとつの旅のなかに喜怒哀楽のすべてが詰まっていて、しかも予定調和ではないというのは、たしかに人生を凝縮させたドラマなのかもしれません。
- でもさ、別に我々としては「この旅で喜怒哀楽のすべてを提供しよう」なんてこれっぽっちも思ってないわけだ。むしろその逆で、みんなが必死になっていれば、嫌でも喜怒哀楽っていうのが生まれてくるんだよ。そこは映画やドラマとは作りが違うところだし、バラエティであると同時にドキュメンタリーでもあるんだ。
- なるほど、よくわかります。
- でもそういうことってさ、番組開始から20年以上が経って、振り返る時間がたっぷりとあったからこそ見つけられた答えなんだよね。
新作を出すたびに大勢の方から感謝されると「何でここまで感謝されるんだろう?」って考えるんだよ。「『どうでしょう』にはいったい何があるんだろう?」って反芻(はんすう)しながら、それは今でも考え続けてるけど、どうやらそういうことなのかなと思っていますよ。
鈴井貴之の爆発力、大泉洋の使命感
- 嬉野さんから見て、番組の顔である鈴井さんと大泉さんの魅力はどんなところですか?
- 鈴井さんはね、これは得がたい人ですよ。さっき言った『対決列島』だって、対決を持ちかけた相手がミスターじゃなければ成立しないでしょう?
だって、甘いものが大好きな藤やんが、甘いものが苦手なミスターに甘味の早食い対決を持ちかけてるんだから、その時点でもうめちゃくちゃなわけ。だから俺は最初、彼は絶対に付き合わないだろうと思ったんだよ。
でも、ミスターはなぜかそこで漢気(おとこぎ)を発動させて受けて立つわけでしょ。圧倒的に相手有利の土俵に飛び込んでおいてさ、そのうえで「負けたくない感」を出すわけじゃない? これはスゴいよね。ミスターのあのちょっとおかしな(?)人格は、『どうでしょう』にはなくてはならなかったと思うね。 - インキー事件(※編注1)など、ミスターは破壊力抜群な印象です。
- うはは、あったあった。でも、俺がいちばんに思い出すのは2011年の新作(※編注2)のときにやった赤福対決だね。
スーパーカブに14kgもあるマルシン(出前機)を付けるか外すかを賭けて、藤やんと甘味対決をしたんだけど、ビックリしたの。あのときのミスターっていうのは、たぶん疲労の限界だったんだよ。東京から伊勢(三重県)まで原付バイクを運転してきて、年齢も50歳近く(当時)だから体力的にも大変でさ。もしここで自分がギックリ腰にでもなってリタイアしたら番組が中断しちゃうわけじゃない。
そこまでのことを想像したら、「あのマルシンは絶対に付けたくない!」って、追い詰められたんだろうね。飲んじゃいけない赤福を飲んじゃった(笑)。あの藤やんでさえ本気でビックリしちゃってね。
※編注2:正式名称は『原付日本列島制覇 東京-紀伊半島-高知』(2011年3月〜5月放送)。東京からスーパーカブで高知を目指す企画。マルシンの着脱を賭けて行われた赤福餅対決では、餅を飲み込んで悶絶するミスターの決死の形相に、心配した藤村Dが「ミスターが死んじゃう!」と慌てた様子を見せた。結果はミスターの勝利。
▶HTB 北海道 on デマンド『水曜どうでしょうClassic』原付日本列島制覇
- あそこまで必死の表情をしたミスターの姿は珍しかったです。
- その様子が俺はおかしくてしょうがなくて(笑)。ミスターって、そういう“火薬庫”を持ってるんだよね。いつ爆発するかはわからないんだけど、でも定期的に爆発するの。こういうのは大泉くんには真似ができない芸当だし、だからこそ得がたい人だなと思うわけだ。
- では大泉さんに関してはどうでしょう?
- あの人には本当にいろいろな魅力があって、とてもひと言では表せないよね。大泉くんがいちばん大切にしているのはいつも自分なんだけど、俺はその自分本位な考え方が好きでね。結局人間なんて、自分のことでしか必死になれないじゃない?
大泉くんはそこがブレないし、そのスタンスが結果的に番組を面白くしてくれる。「自分が出演している番組なんだから、絶対に面白くしなきゃ」って使命感を持ってるから。そこはすごく共感できるね。 - 大泉さんは放送開始当初は大学生だったとか。その印象は、当時から変わらないんですか?
- 変わらないねえ。昔から一貫していると思うよ。あとわかりやすいところで言えば、あの独特のリズムと抑揚のあるしゃべりは魅力だよね。姿を映さずに声だけを聴いていても、あるいは映像が乱れていても、編集のやり方次第ですごく面白くなる。
俺も藤やんも、何年何十年もあのしゃべりを現場で聞いて、また編集のたびに聴いて、それでもいまだに新しい編集方法を発見させてくれる魔力がある。長年あのしゃべりを聞いていれば、そりゃ刷り込まれちゃってしゃべり方も似てくるよねえ(笑)。 - テレビ番組なのにラジオ的な楽しみ方ができるのは、やっぱり大泉さんのしゃべりによるところが大きいんですね。
- うん。むしろ大泉くんのしゃべりのリズムやテンポを最大限に生かす編集を追求した結果が『どうでしょう』なんだろうね。
流れに身を任せてYouTuberデビュー。還暦後のこれから
- 2019年2月には藤村さんとふたりでYouTuberとしてデビューを果たしました。
- YouTubeの番組を運営しているスタッフから「やりませんか?」とそそのかされたのがきっかけだね(笑)。名刺に「YouTuber」っていう肩書きを入れたらさ、「いい歳したオヤジが何やってんだ」ってバカにされて面白いかなと思って。誘いに乗ったら、あとは「対応」するだけだからさ。
- 活動もおよそ半年が経過しましたが、ここまでやってみた感想はいかがですか?
- 俺としては単純に、藤やんと過ごす時間が増えたことが嬉しいなあ。最近は別々の仕事をしていることが多くて、なかなか会う機会がなかったから。YouTubeをやりはじめてからは最低でも月に1回は会うようになって、一緒に飲みながら話ができるのは、やっぱり楽しいよ。
- 藤村さんは以前、『水曜どうでしょう』のレギュラー放送時にHTBのホームページで、嬉野さんのことを「一生の伴侶」と書いていましたが、まさに“夫婦”ですね。
- いや、夫婦じゃないから(笑)。
- YouTubeでの活動も含め、今後挑戦していきたいことはありますか?
- 俺は藤やんとは違って、自分からいろいろなことに挑戦していくタイプじゃないからねえ。だから挑戦とか開拓っていう言葉とは無縁だよ。ただ流れに乗るだけで。僕には流れだけがあるんだろうなあ(笑)。
でもさ、みんながみんな、挑戦者や開拓者を見たいわけでもないと思うんだよ。俺みたいにただ流れに乗っている人間をぼーっと眺めているのが好きっていう人もいるんじゃないかな。 - その感覚はあるかもしれません。
- それにただ単に流れに身を任せているんじゃなくて、流れのなかで必死に対応しようとはしているからね。それが還暦のおじさんYouTuberなんだから、面白いところかなとも思うよね。(還暦を迎えた嬉野さんの新しい取り組みは嬉野珈琲店から)
- では最後になりますが、『水曜どうでしょう』の新作について、ひと言お聞かせください。
- やっぱり聞くの? うーん…内容はまだ内緒なんだけど、でも年内には出せると思うので楽しみに待っていてください、としか言えないよ。
- 期待しています。気長に待っていますから。
- ふふふ、ありがとう。これって『どうでしょう』の特徴だと思うんだけど、ファンのみんなが我々のことをものすごく長い物語、長いドラマとして観てくれているなあと感じるのね。
それはとても嬉しいことだし、そういうコンテンツに関われたことは本当に幸せだと思う。そういう人たちがいるから、できる限り、やれる範囲でも続けていこうって思えるしね。さらに先の新作のことなんて全然わからないけど…まあ、寝たきりにでもならない限り、嫌だなあってボヤキながら付いていくんじゃないかな(笑)。
- 嬉野雅道(うれしの・まさみち)
- 1959年7月7日生まれ、佐賀県出身。A型。北海道テレビ放送株式会社(HTB)のテレビディレクターで、愛称は“うれしー”。『水曜どうでしょう』ではカメラ担当ディレクターを務める。大学入学とともに上京。東京でフリーの映像ディレクターとして活躍後、1996年に北海道に移住してエイチ・テー・ビー映像株式会社(現miruca)に転職。『水曜どうでしょう』の前身番組『モザイクな夜V3』で北海道テレビ放送の藤村忠寿ディレクターと出会い、同年10月から『水曜どうでしょう』を立ち上げた。現在は藤村と共に北海道テレビ放送のコンテンツ事業室に所属。主な著書に『ひらあやまり』、『ぬかよろこび』(いずれもKADOKAWA)、藤村忠寿との共著に『腹を割って話した』(イースト・プレス)、『仕事論』(総合法令出版)など。
サイン入りポラプレゼント
今回インタビューをさせていただいた、嬉野雅道さんのサイン入りポラを抽選で1名様にプレゼント。ご希望の方は、下記の項目をご確認いただいたうえ、奮ってご応募ください。
- 応募方法
- ライブドアニュースのTwitterアカウント(@livedoornews)をフォロー&以下のツイートをRT
\今年は新作&#水曜どうでしょう祭 も!/#嬉野雅道 サイン入りポラを1名様にプレゼント!#水どう #水曜どうでしょう #うれしー還暦
— ライブドアニュース (@livedoornews) 2019年7月7日
・フォロー&RTで応募完了
・応募〆切は7/13(土)12:00
インタビューはこちら▼https://t.co/wNRSJ92vz0 pic.twitter.com/j5th21DWOn- 受付期間
- 2019年7月7日(日)12:00〜7月13日(土)12:00
- 当選者確定フロー
- 当選者発表日/7月16日(火)
- 当選者発表方法/応募受付終了後、厳正なる抽選を行い、個人情報の安全な受け渡しのため、運営スタッフから個別にご連絡をさせていただく形で発表とさせていただきます。
- 当選者発表後の流れ/当選者様にはライブドアニュース運営スタッフから7月16日(火)中に、ダイレクトメッセージでご連絡させていただき7月19日(金)までに当選者様からのお返事が確認できない場合は、当選の権利を無効とさせていただきます。
- キャンペーン規約
- 複数回応募されても当選確率は上がりません。
- 賞品発送先は日本国内のみです。
- 応募にかかる通信料・通話料などはお客様のご負担となります。
- 応募内容、方法に虚偽の記載がある場合や、当方が不正と判断した場合、応募資格を取り消します。
- 当選結果に関してのお問い合わせにはお答えすることができません。
- 賞品の指定はできません。
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