『ウイニングイレブン 2018』日本代表・相原翼が受けた重圧「ウイイレなので、日本=金メダル」

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eスポーツプレイヤー、本人の登場だ。
相原翼は、2018年の流行語大賞候補となった「eスポーツ」の表彰の舞台に立った。

その象徴的人物の一人と言ってもいい。eスポーツがデモンストレーション競技として開催された2018年アジア大会ジャカルタ・パレンバン大会で金メダルを獲得。それは、通信制高校「N高等学校」の「eスポーツ部」での活動から、激戦区の日本予選、東アジア予選を勝ち抜いてのものだった。

eスポーツプレイヤーとなったきっかけは何だったのか。師とも言える秋田豊氏との出会いは彼に何を与えたのか。そして国際大会での雰囲気とは?初公開エピソードとともに紹介する。

「新時代 eサッカーの可能性」一覧
相原 翼(あいはらつばさ)2000年7月31日生まれ。東京都出身。公式的な競技歴は9年、オンライン参戦歴は3年。2018年アジア大会優勝のほか、Winning Eleven AFC CHAMPIONS LEAGUE 2017 ベスト8の戦績を持つ。好きなチームはバイエルン・ミュンヘン(ドイツ)。「レバ」の通称でも戦うが、由来は同クラブ所属のFWロベルト・レバンドフスキ(ポーランド)から。(KONAMI公式プロフィールより抜粋)
―小さなころからゲームをやりこんでいたのでしょうか?
自分にとっては、「自然に存在したもの」という感じですね。いつからやり始めただろう……小学校に入ったころには家にゲームがありましたね。両親とは、一緒にパーティーゲームはやった記憶はありますが、特にゲーム好きだったということはありません。兄弟は上と下にいるんですが、もしかしたら兄の影響があったのかもしれないですね。やりすぎて叱られた、という記憶もあまりありません。中学校のテスト前とかは多少言われることはあったんですが。おそらく、周囲の人たちより少ないと思います。
―ご自身には、”ゲーマー”という意識はそれほど強くなかったと。
サッカーゲームの「ウイニングイレブン」に関しては、小学校3、4年生に始めて以来ずっと続けてはいます。ただ、中学校の時は部活(ソフトテニスで都大会ベスト32)が忙しくてゲームはあまりやってはいなかったですね。週一の部活がない日に、みんなで集まってモバイルゲームをやっていた程度です。シミュレーションゲームの「マインクラフト」などです。自分で村のようなものを作るんです。
―サッカーに対する興味は?
幼稚園から小学校4年生までやっていたんですけど、逆にサッカーを辞めてからのほうがサッカーを見ることがどんどん好きになっていきました。中学時代にはテニスへの興味も湧いてきましたが、サッカーも本当によく見ていましたよ。

子どもの頃は、父親がずっと浦和レッズファンだったので、よく埼スタに行っていました。そういった関係でレッズの試合はよく見ます。子どもの頃に覚えている選手は、ワシントンとか、エメルソンですね。07年のACL(アジアチャンピオンズリーグ)決勝も見に行きました。イランのセパハンとの対戦ですよね。
―するとウイイレに本格的に目覚めていくのはどこあたりから?
高校入ってからですね。N高に「eスポーツ部」の存在があることを知りました。そこから本気になっていった、というところですね。本当に入部するまでそういうものがあるということも知りませんでした。驚きでしたね。ウイイレは数ある”種目”のうちのひとつなんですが、昔から続けていたことが役立ちました。中学の部活を引退後、また少しやりはじめていたので。だから本気でやってみようかなと。
―実際の部活ではどういうことを?
月に1回、スカイプで集まって、特別顧問の秋田さんから指導を受けたりしました。秋田さんに最初にお会いしたのは去年の冬、1月か2月でした。eスポーツ部の企画で「リアルサッカーをしよう」みたいなものがあって、フットサルを一緒にやりましたね。

僕、正直に言うと現役時代の秋田さんを知らなかったんですが、とにかくプレーはうまかったですよ。ずっと助っ人みたいな感じで、両方のチームに入ってパスしたりだとか。シュートも速かったです。そして優しい方でした。ウイイレを見てもらう時も、最初に週末のサッカーの話題から振ってきてくれたりとかして。
―どんなアドバイスを?
部員同士がオンラインで対戦するのをスカイプを通じて秋田さんが見てくださいましたね。プロ目線から、アドバイスをくださいました。そのとき、自分は攻撃が少し得意で持ち味だったのですが、守備がずっと苦手で。どんどんプレスしていくスタイルでした。秋田さんに「引いてラインを下げて守る手もあるんじゃない?」と言われて。そこから本当に守備に人数をかけて、引いて守ってカウンターという形を見つけて、また別の形で自分の持ち味である攻撃が本当に生かされる形が出来たかなと思っています。

ウイイレをやっている人同士でもアドバイスをしあうんですが、どうしても似ている話が多くなります。一方で、リアルサッカーをされている方からのアドバイスというのは、違った目線からのものですよね。ゲームの中ですべてを取採り入れることは難しいですが、でも違った視点から意見をいただけるのは、本当にありがたいことです。
―じつは秋田さんにもインタビューしたんです。短い期間で、かなり相原選手がオープンにコミュニケーションを取るようになった。これがものすごい成長だよというお話をされていて。ご自身はどう感じていますか?
そうだと思います。前の自分に、元に戻ったというか。本当にいろんな方とこうしゃべる機会がどんどん増えたので。変なことを言っちゃうんじゃないかみたいな怖さを感じている時期があって、なかなか周囲に対して、すぐには心を開けなかったんです。
ここから先の出来事は、2018年の一年間で高校3年生の相原翼に起きた出来事だ。
eスポーツが話題となっていくなか、オンライン対戦や高校の部活動の枠組みをどんどん飛び出していく。
―今年は国際大会も経験しました。
今年の6月、中国の常州であったアジア大会の東アジア予選が初めての外国だったんです。行きの飛行機が超揺れて。本当に恐ろしかった記憶が一番のインパクトでした。これに勝ち、8月のアジア大会本選ではインドネシアに行きました。優勝できたんですが、これがキツい大会でしたよ……まず体調面について。「ドーピング検査があるかもしれない」というのをずっと言われていて。海外の大会ではありうるんだと。JADA(日本アンチドーピング機構)のドーピングの講習を受けました。現地では『選手村以外の飯を食べるな』とずっと言われていて。
―さすが、国際大会です。
他の競技の選手たちと同じく、選手村に入ったんです。なかなかできない経験だと思うんですが、ここが苦しくて……。本当に部屋に何もないんですよね。テレビもないですし。本当に寝ているだけというか。お湯を沸かしただけでブレーカーが落ちるので、日本から持っていったカップ麺も食べられない。他の種目の選手は、最後のトレーニングをして、試合までの調整をやって寝るだけだからいいでしょう。でもeスポーツ選手はゲームとか、モニターがないと練習もできなくて……。
―下手にスマホで別のゲームをやったりして、感覚がおかしくなっても困りますしね。
はい。本大会の前日に合同練習でマレーシアとイランと対戦してちょっとやばいなというのはありました。正直に言うと、負けたんですよ。前日では。大会前日に出場国とやるの?と思われるかもしれませんが、大会側が公式に機会を準備してくれました。逆に味方の選手やオンラインの相手と対戦してもあまり意味がないですしね。

1週間ぶりのウイニングイレブンで、一緒に日本代表として出場した杉村直紀選手はイランに負けて、CO-OPの2対2(チームで2人が協力しあい、相手と戦う)でもたしかイランに2戦どっちも負けました。マレーシアにはどっちも勝ててはいたんですけど、内容が結構がひどくて。正直前日はやばいんじゃないかとずっと思っていました。
―興味深い話です。1週間やらないと感覚が鈍るんですか?
ある程度は大丈夫ですけど、多少は鈍るところがあります。細かいところの感覚が変わるんです。守備のカーソルチェンジのタイミングなどが多少ずれたりしていた部分があって、結構やばいなというのは前日感じました。あとはやっぱり大会の環境にも影響されました。試合会場の大きいモニターで試合をやるんですが、ゲームの選手の動きが少し悪くなる感覚があるんですよ。特に相方の杉村選手は初戦から結構苦戦していましたね。
―実際の大会ではどんな戦いぶりで?
初戦が開催国インドネシア戦でした。雰囲気は完全にアウェーでしたよね。インドネシアコールもずっと起きていて。インドネシア戦は結構やりづらかったです。
―そこを勝ち抜いた後は、すんなりと優勝までいけましたかた?
いえ。2戦目のベトナムも強かったんです。ベトナム戦は杉村選手ではなく、自分が初戦を戦いました。しかし、前半に0−3とリードを奪われたんです。ちょっとやばいなと思ったんですけど、 フォーメーションを変えて、5−3で勝ちました。ここが実はアジア大会の一番のターニングポイントです。その試合がなければ、たぶん決勝も勝ててなかったでしょう。
―どんなフォーメーションの変化を?
自分がずっと使っていたフォーメーションがこの試合会場では通用しないというのが分かってきたんです。イランとの決勝戦もそのフォーメーションで戦って。4−3−3の中央に3人固める形だったんですけど、中央にごちゃごちゃすると、選手の動きが鈍くなる。ところどころパスを出す選手が反応しないっていう場面が結構ありました。だったら、中盤の選手の距離感を取ろうと。4−2−2−2、ツーボランチにひとりOMF(攻撃的MF)を置きました。右にははサイドハーフを置いて、サイド攻撃を仕掛けるようにしました。その形は本当に上手くハマりましたよ。
―日本はウイイレを生んだ国だけに、アジアでも世界でも圧勝するものだと思っていましたよ。
決勝を戦ったイランは本当に強かったです。周囲と違った戦術を使って、本当に自信を持って攻撃してくるんです。ループシュートを多用してくるんです。ゲームをかなりやりこんでいる印象でした。さらに日本へのライバル意識も強かった。「日本しか見てない」と発言もしていて。プレッシャーもありましたけど、結果的に勝ててよかったです。ギリギリの勝利でした。

結果的に、個人としては日本予選から一度も負けずにアジア王者になれました。ただ、イラン以外の国も本当に強かったですよ。6月の東アジア予選では、韓国が強いだろうと思っていたんですが、早くに敗退して 意外でした。香港も強いと予想していたなか、案の定、東アジアからは日本と一緒に勝ち抜いて。マレーシアとイランには前日練習で負け、ベトナムには一時リードを許しましたから。僅差ですよね。
ジャカルタ・アジア大会の公開競技「eスポーツ」の『ウイニングイレブン 2018』 の決勝でイランと対戦する杉村直紀選手(左)と相原翼選手(写真:共同通信社)
―はたして、eスポーツはスポーツなのだろうか。そんな意見もあります。大会当日、コンディション部分で気をつけた部分は?
まだまだこれから経験を積んで、見つけていく部分もあると思います。今回のアジア大会では、予選が終わってすぐに準決勝の第一戦がありました。短い時間にマッサージを受けてケアをしました。大会側としてもケアが必要と感じたのでしょうか、マッサージルームに専用のスタッフがいらっしゃいました。すごく腕が軽くなりました。戦いにも影響があったと思います。
―肉体を使う部分も、もちろんあると。これまでのスポーツとeスポーツの違いはなにか。そこを考えさせられます。人間が身体を通じて表現するものを、皆が見て楽しむ。それがスポーツだとしたら、そこに介在するものが「道具」か「機械」か。その違いなのかもしれません。他のスポーツでも、ラケットやボールを使いますし。さらに、eスポーツでも勝つための困難やプレッシャーもあるでしょう。
アジア大会に向かう日本代表になったときは、過去の大会とかにも出てなかったので、全くマークをされていない状態で。だから、日本代表になったときはやっぱりプレッシャーというのがあって。ウイイレなんで、日本=金メダルというのがずっと、国内で言われてきたので、そこのプレッシャーは本当に大きかったです。
―2018年はウイイレを通じていろんな経験をされました。振り返っていかがでしょう。
はい。本当に絶対同世代の方では経験できないことを経験させてもらえましたし、本当に人生の中でもっとも濃い1年だったなと思います。テレビに映ることなんて、絶対に、普通に暮らしていたらないことでしょうし。先日あった流行語大賞のゲストとして立たせていただいたのも絶対ないことでしょう。いい経験をさせていただきました。
―これからの個人的な目標と、eスポーツ界全体がどうあってほしいかについて教えてください。
まだアジア大会を勝っただけなので、これから安定してプレイヤーとして続けるには、勝ち続けなければいけません。ヨーロッパのリアルサッカーが強い国は、やっぱりウイイレも強いですから。eスポーツ界全体をみると、まだまだ何が起こるか分からないというところですよね。今年は急激に盛り上がりました。来年もこの流れを途切れないようにプレイヤーたちが、どんどん盛り上げていかないといけないかなと思います。発信していく責任もちょっとあると思っています。
―では、ウイイレのド下手プレイヤーがうまくなる秘訣とは?
やっぱり最初は勝てないと思うんですよね。でも少しやりこめば、勝率が5割程度までは持っていけると思います。その先に重要なのは、自分のパターンですよね。攻撃でも、守備でも同じです。オンラインで強い人をみると、みんなそうなんですよ。パターンを持っているから、負けている試合でもそれを発揮して、引き分けや勝ちにもっていける。パターンを身につければ勝てるようになれるのではないでしょうか。


インタビュー・文=吉崎エイジーニョ
写真=岸本勉(PICSPORT)
デザイン=桜庭侑紀
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