平畠啓史が信じた可能性 幸せの条件は「自分が選べる選択肢」

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サッカー番組で抜群の人気を誇る平畠啓史は、どうやって発掘されたのか。平畠は決して自分からサッカーの仕事を得るための「転機」を作ったのではないと言う。自分の好きなことをやっていたら「転機」があったそうだ。

わずか「15秒」の出来事があったからこそ、今があると振り返る。自分でも気づかないうちに「転機」を迎えるまで、平畠はどんなことを考えていたのか。一度はサッカーをやめたことも「よかった」と振り返られるのはなぜか、じっくりと話を聞いた。

インタビュー・文/日本蹴球合同会社・森雅史
写真/浦正弘 デザイン/桜庭侑紀
平畠啓史(ひらはた けいじ)
1968年生まれ。大阪府出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。Jリーグに限らず海外サッカーの実況・解説のほか関連イベントの出演もこなす。現在は、衛星放送スカパー!において「平畠会議」のメーンMCを担当。

人生の岐路だった「15秒」のテレビ出演

僕はCSの「J SPORTS」さんという局の「Foot!」という番組が元々好きだったんです。その「Foot!」って年に1回か2回、グッズを販売するんですよ。Tシャツとかタオルとか、いろんなものをセットにして高めに売ってるんです(笑)。

伝手(つて)を使って手に入れようとしたらできたと思うんですけど、「好きやったら自分で買わなあかんやろ」っていう思いが自分の中であって、ネットか何かで申し込んで買ったんです。

あるとき、何年前か覚えてないんですけど、TBSのサッカー中継のレッズとマリノスという試合があって、そこに副音声のゲストで呼んでいただいたんですよ。それで、たまたまその「Foot!」の服を着てたんです。

副音声なんで、声は流れてますけど、姿はたぶん15秒ぐらいしか映ってなかったと思います。でもその映ったときに、たまたま「Foot!」のスタッフの人が見てて、「あ、コイツ、なんか『Foot!』のシャツ、着てますよ」「え? なんでや?」みたいな話になったらしいです。それで「よっしゃ、番組1回呼んでみようか」って声かけていただいた。それがサッカーの仕事を始めるきっかけなんですよね。

もちろんサッカーの仕事をやりたいとずっと思ってましたし、サイトでコラムとか書いたりしてたんですけど、そういうメディア的なところでサッカーの仕事をちゃんとするみたいな最初のきっかけは、本当にそのたまたまの15秒ぐらいですね。

でも「Foot!」に出たときも、「これをきっかけに仕事を増やそう、勝負賭けよう」とか、そんなことなくて。

番組に出る前に有楽町の喫茶店で打ち合わせしたんですけど、自分は元々スペインのサッカーが好きで、もちろんバルセロナとかマドリーとか好きやったけど、ベティスが好きで。ところがベティスの話ができる人って世の中にほとんどいないわけですよ。

それが「Foot!」のスタッフとお会いして話をしてるときに、もうベティスの話とか、ビルバオの話とか全然できる人ばっかりで。単純にそれがうれしかったというか。もちろん「Foot!」見てたからわかってたけど。でも「あ、この人ら、ホンモノやな」っていう感じで、うれしかったですね、なんか。幸せな職場やなぁって。

「Foot!」に一度呼んでいただいたあとは、同じ「J SPORTS」で「バルサTV」っていう、バルセロナの昔のゲームを放送するクラブTVがあって、そこでスペインのサッカーを知ってるってことで、僕に実況でもさせてみるかって。そういうお話を持ってきてくださって。

僕はもちろん実況なんかしたことなかったですし、下手くそですけど「できるんちゃう?」みたいなのが自分の中にあって。「あ、ほな、やります」つって実況をやってたんですね。バルセロナの昔の、ペップ(ジュゼップ・グアルディオラ)がいたときとか、ロマーリオ、パトリック・クライファートとかそんな選手がいたときのゲームの実況。いや自分じゃ実況とはよう言わないですけど。
そのとき、原博実さん(Jリーグ副理事長)、反町康治さん(松本山雅監督)、羽中田昌さん(ブリオベッカ浦安前監督)と一緒に仕事をしたことがありました。Jリーグの仕事をする前からそんな人たちと仕事をさせていただいて。それが15年ぐらい前ですかね。

そうしてると「スカパー!」さんが2006年ドイツワールドカップのとき、「デイリーでニュース番組やるから誰かおらへん?」っていう話になって、「J SPORTS」の人が「平畠ってのがいるよ」って言ってくださって。そこで初めて「スカパー!」さんの仕事を始めたんです。それからJリーグの番組を10年やりました。

だからあのとき「Foot!」のTシャツ着てなかったら、僕、ここにもいないです。ホント、たまたまです。もちろん今やってる仕事みたいなのはやりたかったけど、やる術がわからないんで。いろんな偶然が重なって「転機」になった

「転機にしよう」「ここで人生変えたろう」とか、そんな気持ちはもちろんゼロやったけど、あとで振り返るとあそこが転機やったかな、ぐらいの。ホント、あれなかったらどうなったやろうってわかんないですね。

仕事を本気で楽しむことで試合理解度が深化

僕、吉本(興業)さんにはそんなに恩義を感じてないんですけど、あ、これ書いてもらっていいですよ(笑)。 やっぱサッカーには恩義をすごい感じてて。ま、僕は基本、アカン人、甘ちゃんな人なんですけど、そこは裏切ったらアカンでしょ、っていうのが自分の中にはあるんですよ。

サッカーにはこれだけいろいろ与えてもらってるので。もちろんこうやって仕事でお金をいただくっていうこともそうですし、いろんな人に会えたり、いろんな所に行けたり。そんなに恩義を感じてるのに、それを裏切るのは「ナシ」な話で。そういう部分で中途半端にできんなぁっていうのがこの仕事に関しては言えます。

自分がひとりの視聴者だとしたときに、実況とか解説を聞いてて「この人あんまりサッカー見てないな」とか、すぐ分かるわけじゃないですか。逆に自分がそうなるのは嫌やっていうのがあって。だから「Jリーグの仕事やります」ってなったら、これは中途半端にやったらすぐバレるなってあったんで。

毎日意地になって、ま、楽しんでますけど、必死で楽しまんとこれはあかんなぁっていうのがありますね。苦しいわけじゃないです。楽しいんですけど、あの試合面白かったなぁぐらいじゃあかんと。本気で楽しまんと、見てる人に失礼というかサッカーに失礼というか。それはこの仕事をやり始めたときからあります。

マスコット好きな人もサッカーファンやし、システム論好きな人もサッカーファンやし、そこに偉い、偉くないとかないし、どんな楽しみ方してもいいんちゃうかなと思います。逆に、システム論語ってるほうがサッカー詳しいように見えてしまうけど、根底は一緒やろうって気はするし。

それから「芸能人サッカー通ナンバーワン」というのはよく言われるんですけど……別に……その ……まずそんな自分が芸能人やとか思ってない部分と、その狭い世界でサッカーを一番知ってると言われてもそんなうれしくないなというか、それで威張る気にもならないし。

それやったら僕がいつも思ってるのは「日本でサッカーを一番楽しんでる人間」になりたいですね。「平畠さん、日本で一番楽しんでるのちゃいます?」って言われたらホントうれしいんです。

一番ありがたいのは、自分の立場って、選手も監督もサポーターの方も、ボランティアの方とも放送関係者の方ともしゃべることができるってことで。いろんな人と話をすると、得ることが多いですね。

「そんなサッカーの見方してんのか」「そんなことに怒ってんのか」とか気づかされることが多いです。自分らの思ってることよりもっと違う見方あるなって。僕は常に「もっとおもろいサッカーの見方はないか」と思ってるんで。
サッカーだけじゃないけど、ああいう競技の面白さって、いす一個違うだけで見方が全然違う、全然変わることというか。同じ試合を見てるのに、俺と隣の席のこの人と全然見方が違う。

「今日の試合、おもんないな」と思ってたら「今日の試合面白かったですね」って言う人もおるし、「さっきのGKの動き、見ました?」って言う人もいるし。いろんな人の意見で気づかされることは多いですね。

だから自分がその試合をパッと見て、こうやったなって思うことなんて一面でしかないというか。試合は一切見てないけど、歓声だけ聞いてるボランティアの人が感じてることはあるし、中継車で機械を操作してる人が感じてることもまた違うし。

1試合の面白さというか深さというのがあって、だからその1試合をどんだけ味わうかというのがあるんです。でもそういう感覚になったのはJリーグの仕事を始めさせてもらってからで、海外サッカーしか見てないときっていうのは、もうちょっと頭でっかちというか、「サッカーってこうでしょ?」みたいなのがあったけど、そこは全然変わりましたね。

僕ね、あまりテレビゲームやらないんですけど、一時期ゲームにはまったことがあるんですよ。でも下手くそなんです。ゲームのうまい人って「俺もうあれ3日でクリアしたわ」って言うけど、僕なかなか進まないしゴールまでもいかない んです。

だけどね、同じゲーム買ったら俺のほうが得でしょ?クリアする喜びは俺味わえへんかもしれないけど、同じ3000円のゲームを買ったらより長い時間楽しめるわけじゃないですか。

みんなゴールに先に行きたがるんやけど、その場を楽しむっていう考え方もある。だからサッカー見るときも、みんなすぐ答えを求めたがるというか、3失点したらみんなその失点数ばかりフューチャーするけど、3失点するまでの内容を楽しむというんもありかなと。いろんなことで楽しんだら、もっと深みが出るというか、そんな答えばっかり求めんとええのになぁと思いますけどね。

「辞めてよかった」選手勧誘を辞退した平畠の決断

自分が生まれた大阪の高槻市はサッカーが盛んなところで、自分らの通ってた小学校というのは4年生になるとサッカー少年団のチームに入れたんです。僕は基本、あまのじゃくな人間というか、みんながやることをやりたくない人間なんで、サッカーをやる気なんて一切なくて、「サッカー、カッコワル!」みたいなのがあったんです。

リトルリーグには入りたかったんですけどね。ずっと野球は楽しんでたし、もともと野球を見に行ったりしてたんで。けど、どう考えてもサッカー部のヤツ が一番モテるんですよ。だからひよったんです。そこも自分にあまのじゃくというか、じゃあ変えるか、って。

でもね、最初はそんな感じでしたけど、やっぱり中学校ぐらいからはかなり主体的にやってましたね。楽しくなってたというか、サッカーおもろいなぁと思いながらやってましたし、中学校ぐらいからは相当変わりましたね。

高校3年のときには自分、キャプテンをやらしてもらって、そこそこ強いチームだったんです。だからやっぱりちょっと真面目にやらないといけなくて。「いけなくて」というのはおかしいですけど、キャプテンやし、みたいなのがあって真面目にやってたんですけど……うーん……煮詰まりましたね。

なんか、みんなそない言うこと聞いてくれへんし(笑)。だからインターハイに出て、そのあと全国高校サッカー選手権の予選でだんだん上に行き始めたころに、僕は試合中めっちゃ笑ってたんですよ。もう試合楽しもう思って。

DFでキャプテンやけど、元々そんなに味方の選手に文句言ったりとか、叱責したりとかまずなくて。「オッケー、オッケー!」って褒めてたんですけど、それプラス、もうこうなったら楽しんだろうって。だから試合中はニタニタしながら、違和感と言ったらおかしいですけど、「なんか真面目にやるの、ちゃうなぁ、楽しくないなぁ」と思うて、高校卒業したらサッカー辞めようと決めてたんです。
高校卒業して大学受験するとき、何校かサッカーでちょっとゲタ履かせてもらって受けたんです。それ受かってたらサッカーやらざるを得ないんで、たぶん大学でやってたと思うんですよ。でも自分の中で自分がそんなにトップの選手じゃないのは分かってたんで。どっちがよかったかわからへんけど、今となっては受からなくてよかったなというのはありますね。たぶん、この場にいてなかった。

「転機」って「よっしゃ、これやったろう」という感じの言葉やけど、僕はあとから振り返って「あれ、転機やったかな」って。すごい人の話を聞くと、何か自分で決めてパンとやった「転機」になったというのがあるけど、自分の場合はそれよりもあとから振り返ったら「あそこ転機やったなぁ」っていう感じです。

結局、一年浪人して関西大学行くんです。高校時代の隣、そっちもサッカー強い学校に仲いいやつらがいて、そいつらは現役で関西大学入ってサッカーやってたんです。そんで「飯食いに行こうよ」ってわざわざサッカー部に誘ってくれたんですけど、もうその時点ですぐに断りましたね。「もう俺いいわ」って。

飯に行ったら、サッカー部に入らなあかんような空気になるから、すっごい仲いいやつやったけど断りました。で、まぁ堕落した大学生活を送りましたけど、でも今から考えてもまったく後悔がないというか、よかったと思います。自分で辛かったと思うんですよ。真剣にサッカーやるというのが。

自分がサッカーやってたからこそ、冷静に自分がどれくらいのレベルか分かってるから。「このままサッカーやったら社会人のトップでできるなぁ」と思ってたら、そのままやってたと思いますよ。でもどう考えても無理やし。

周りの人間は「いやいや、そんなことないよ」って言うかもしれんけど、自分が一番分かってるんで。無理は無理や って、辞めといてよかったなって思うし、あれぐらいで辞めたから、まだサッカー楽しいなって思えるのかなって。

「優柔不断」が幸福につながる秘密の鍵

「転機」って、例えば車を買うというのが転機だとすると、一番楽しいのって転機の前ですよね。車って買う前が一番楽しいんですよ。どれにしようか、自分でこの車、こうちゃうかって想像してるとき。転機を作ろうという姿勢はすごいいいと思うんですけど、実は転機がホントに来ちゃうともう現実でしかない。だから車を買うと決めて、ずっと買わなかったらずっと楽しいという。

「なんやねんアイツ、決断できひんな」って周りからは見えるかもしれんけど、そこが一番楽しい。だから「オレ次、なんの仕事しよう?」って、実はすごい幸せな状況で。ホンマに飯食わなあかんかったら、何しようもへったくれもなくて、仕事に就かなきゃダメないじゃないですか。

だから「俺、次の仕事何しようかな?」「俺もっとステップアップするために何しようかな?」と思えてる人は、その時点で幸せですよ。選択肢があるわけじゃないですか。そういう選択肢の中で転機を迎えようとしてる人は、その状況が幸せやと思いますね。

自分は転機で何かを選んだからこうなってきたというより、車欲しい から買って、乗ったらあとでそれが転機やった、仕事があるからここに住まなあかん、で、住んだときが転機やったっていう、そんな感覚かもしれないですね。

若い人が「やりたいこと、見つからないんです」って言うじゃないですか。お前な、やりたいこと見つかるほど不幸なことないでって。探してるのが一番楽しいんですよ。「俺、これできるんちゃうか?」って思ってるときが一番幸せで。

「もしかしたら俺、バンドできるんちゃうか」「絵、描けるんちゃうか」「営業やってもスゴイで」って、じゃあどれしようって思ってるときって、自分の可能性をまだ信じてるわけじゃないですか。

でも年取って、歩くの遅くなったとか、目が悪くなってきたとかで選択肢はなくなってくんですよ。ピアノの調律師って、年を取ると聞こえない音が出てくるから23歳ぐらいまでしかなれないじゃないですか。だからだんだん歳を重ねていく中で選択肢が否応なしに狭まっていく中で、若い人がやりたいこと見つからへんって、それだけ幸せってことですよ。

「よし、俺これになる!」って決めた時点で、儲かろうが儲かるまいが、そこに突き進んでいかなきゃいけないわけですよ。ある人から見たら、「お前、好きなことやってええなぁ」って見られるかもしれないけど、自分が決めてしもうたら、もうそこしかいかれへんわけで。

それ、結構不幸っちゃあ不幸なわけですよ。自分で自分の選択肢捨ててるわけやから。だから「やりたいこと、見つからへんけど、何したらええかなぁ」って、たぶんそのまま死んでいくぐらいが一番幸せっていうか(笑)。

まぁでもこういう考えを何かのときに自分の中で言い訳に使ってしまうことってありますね(笑)。そう考えると、これを転機にしてやろうと思ってやるのもいいかもしれないですね。それが出来る人はある意味羨ましいです。成功しても失敗してもそうしようと自分で決めてるわけですから。

故郷・大阪を思いながら泣いた「椎名林檎」

自分が東京に出てきたころ、椎名林檎をすっごい聴いてたなって。なんか、新幹線の中とか仕事に行ったときとか、吉本さんに入ったときとか、よく聴いてましたね。1枚目のアルバム「無罪モラトリアム」とか、本当に聴きまくって。

今やってるサッカーのお仕事は、ある程度自分で整理付けてお仕事できてるというか。こうやから自分が呼んでもらってるという整理ができてるけど、吉本さんに入ったときとか、なんでこの仕事に呼んでもらってるんやろうとか、全然頭の中で整理できてなかったから、歌で慰めてた(笑)。そんなところがあったと思いますね。

今でも最初のアルバムの「無罪モラトリアム」はたまに聴きますよ。「正しい街」っていう歌があるんですけど、これはいつ聴いてもいいっすね。椎名林檎さん、福岡の方なんで、百道浜(ももちはま)とか九州の地名とか出てくるんですけど、実際に百道浜を見たときに「これか!」って思いました。

東京に来てあんまり間ないときやったし、まだ「大阪人の大阪帰りたい病」が残ってたときで。今は全然なくなってるんですけど、やっぱりこっちに来たときは、何かあったら大阪帰りたかったんで。

当時は成増に住んでたんですよ。吉本さんの劇場がそのころ銀座にあって、有楽町線でずっと地下を走って銀座に着いて、階段登って地上に出るときに「これ、大阪やったらどんなに幸せやろう」って何回も思いました

「大阪やったらええのになぁ」ってバッと階段上がったらやっぱり銀座で、「そらそうやろな」って。何回も思ったことあるなぁ。そんなアホなことあるわけないけど「でも、地下やからわからへんぞ」「今日たまたま違う地下の線路で、大阪の御堂筋線につながってて、上がったら大阪やったらええのに」って思ったことは何度もあります。

そういうのもあって椎名林檎を聴いてましたね。今はなくなってしまった渋谷公会堂のコンサートにも行きましたし。ライブのビデオのテープ、まだDVDが普及する前ですね、すり切れるほど見てました。それで毎回、同じトコで泣いてた気がします。すさんでたな。あんまりいい精神状態ではなかった感じがしますね。でも、そのすさんでたときをまったく否定しないというか、それはそれでよかったと思いますけどね。