自分とは違う誰かを理解すること――。脚本家・野木亜紀子が持つ“共感力”の本質
いつも笑顔で、仕事をテキパキとこなす完璧な女性。でもそれは必死で作った姿で、本当は身も心もすり減ったまま……。今年で30歳。誰にも本音を言えず、限界ギリギリの彼女にある男の言葉が突き刺さる。「バカになれたら楽なのにね」――。
現在放送中の『獣になれない私たち』(日本テレビ系)の第1話、ラストシーンで言った松田龍平のセリフが耳から離れない人も多いのでは。書いたのは野木亜紀子。『アンナチュラル』や『逃げるは恥だが役に立つ』など、話題のドラマを多く手掛けてきた人気脚本家だ。
ドラマには“対立”や”分断”を回避する力がある
- 「バカになれたら楽なのにね」。言葉だけを見ると使い古されたフレーズなのに、あのキャラクターが、あの状況とタイミングで声にしたことで、観た人の心の中にまるで魔法のようにすんなりと収まる。野木が描き出すドラマはエンタメ性を失わないまま、今を生き辛そうに、でも必死でもがく人たちの等身大の声を代弁してくれる。
- 「誰かの代弁者になりたいとか、そんな大げさなことは考えていませんよ(笑)。だけど、そういう苦しんでいる人たちのところって、光が当たり辛いですよね。ドラマに対する考え方はいろいろありますけど、私は『そこに光を当ててくことがドラマじゃないの?』って思うんです。小説も映画も漫画もそうだけど、創作物のいい点って、まったく自分と違う人間をイメージして理解できることだよねって。
共感って言葉がよく使われますが、共感の意味って、自分と似ている境遇に気持ちを重ねることもあるけれど、自分とは年齢も性別も職業も違う誰かの物語を見聞きすることで、それまで想像もしてこなかった人のことを理解する、という要素もあるのでは。『なるほど、そういう考えもあるのか』という知見にもなるし、まったく知らない人を理解する手助けにもなる。そういう意味で創作物には、立場の違いから生まれる“対立”や”分断”を回避する力が備わっているんじゃないか、って思うんです」 - 「世間でよく“本をたくさん読んだほうが良い”って言われるのも、そういうことでしょう?」と野木は笑う。脚本家とはまさに見知らぬ誰かの人生を想像して創造する仕事だ。そんな野木でも書きながら「これは会心のセリフだ!」と自画自賛してしまう瞬間はあるのだろうか。
- 「自画自賛というよりは、私は自分の書いたセリフをいつも疑うようにしているので、そこはあんまり。『このキャラクターならこう言うよなあ』と、頭の中で動かしながら脚本を書いていますが、あくまでキャラの言葉なので、セリフがぶれていないかしらとか、自分が入りすぎていないかとか、そういうところを常に気を遣っていますね。
ただ、連続ドラマとかだと話数が進むにつれて、その作業が楽になっていく感覚はあります。自分の中でキャラクターがつかめているので、『この状況だったら、このキャラはこういう思考で、こう言うしかない』というセリフが自然に出てくる。自分が思いもしていなかったことをキャラクターが勝手に話し始めて、うわああって、なることもあります(笑)」
『フェイクニュース』で差別や偏見を描く理由
- そんな野木が手掛けたオリジナルドラマの前編が、10月20日に放送された。タイトルは『フェイクニュース』(NHK総合)。その名の通り、あるフェイクニュースにメディア、企業、個人などのさまざまな思惑が絡み合い、翻弄されていく様子を描いた社会派ドラマだ。
NHKの北野 拓プロデューサーから「必死感の漂う、とてもとても長いメール」による誘いを受け、おたがいに興味のあるテーマをすり合わせるうちに、ちょうど米大統領選で話題になっていたこのテーマが浮かんだという。フェイクニュースといえば、冒頭で野木が言った、“対立”や“分断”を生み出す問題のひとつでもある。 - 「ネット上を見回してみると、人種、民族、ジェンダー、セクシャルマイノリティなど、いろんな差別や偏見の中に分断が潜んでいる。だけどドラマでフェイクニュースを扱うんだったら、そういった問題から目を逸らしちゃダメだよねって、北野Pや堀切園(健太郎)監督と話し合いました。
反響は批判的なものも含めて、それなりに覚悟しています。今回のドラマでは在日問題にも触れたので、放送されたら炎上の火種にもなるだろうなあ……と思っている。でも、こうした問題で議論になったとき、実際に心を痛めている人たちがすぐ近くにいる可能性も描かないと、やっぱり伝わらないと思ったんです」 - 野木がこうした報道にまつわるシナリオを書いたのは、今に始まった話ではない。たとえば2013年の『空飛ぶ広報室』(TBS系)でも、報道に関するドラマオリジナルのエピソードを入れたことがある。
- 「フェイクニュースという言葉が生まれる以前からそういう視点に興味があって、描いていくべきテーマのひとつとして、自分の中にあったんだと思います。もともと番組制作会社でドキュメンタリーをやっていたこともあって、フィクションとドキュメンタリーの境目がどこにあるのか気になっていました。
メディアが報道するニュースって結局のところ切り取られたものなので、作り手の意図が介在してしまう。じゃあ、どこまでが演出で、どこからがやらせなのか? そんな引っ掛かりが心の中にずっとありました。今で言うファクトチェックのような、報道を検証して正す人たちのドラマをいつかやってみたいな、と思っていたんです」 - こういったフェイクニュースの問題はメディアにとって最大級のタブーだ。野木自身、民放のテレビ局に提案したところ、「視聴率が取れない」などの理由で敬遠されたという。今年8月にNHKが『フェイクニュース』の情報を発表したときも、ネットでは期待への声が上がる一方で、「マスコミの自虐ドラマ」「お前が言うな」といった批判的コメントもあった。
- 「ネットでは『NHKが“ネットは悪だ”と叩くためのプロパガンダ・ドラマを作ろうとしている』などといったコメントも見られました。
NHKからそういった圧力はもちろん一切ありませんし、むしろ局のほうはそういう騒がれ方をされたくないので、及び腰だったんじゃないでしょうか。でも、NHKのドラマは以前から、視聴率にとらわれずに社会的意義があるものをつくっていこうという姿勢があって、今回も了承をいただきまして。本当にありがたいなと思いました」
メディアはもっと正しい情報を伝える意識をもたないと
- 今回の主人公は、大手新聞社からネットメディアに出向してきた女性記者・東雲 樹(北川景子)。PV稼ぎとコストパフォーマンス優先で、取材をおざなりにする自社の姿勢に、樹は不満を隠せない。そんなとき、彼女はネットで炎上していた“カップうどん青虫混入事件”の記事を担当することになる。
- 「どんなメディアにだって利点もあれば欠点もあります。ただ、それによって報道不信になることが一番良くない。報道不信になるから陰謀論が生まれるわけですが、それってメディアがまいた種でもあるんですよね。
もちろん受け取り手のリテラシーも必要だけど、メディアがちゃんと意識して正しい情報を伝えないと、報道不信からありもしない陰謀論を信じてしまう人たちが出てくる。不信感のデススパイラルみたいな、誰も幸せにならない状況ってすごく虚しいじゃないですか。だからもうちょっと何とかならないのかなって」 - “青虫混入”に疑問を感じて、画像投稿主である中年男を取材した樹は、ますますフェイクニュースの確信を深めていく。ところが彼女が書いた告発記事をきっかけに、事態は思わぬ方向に……。前編では、ネットリンチに遭い、社会的に追い詰められた中年男の模様を悲哀たっぷりに描いている。演じているのは名バイプレイヤーの光石 研だ。
- 「今の世の中って『こいつはひどい奴だ』とレッテルを貼られると、とたんに誹謗中傷が始まって、あっさり切り捨てようとする風潮があるように感じます。だけど『この人、一見ひどい人のようだけど、じつは何か私たちが知らない真実があるんじゃない?』ということもあるんじゃないかって。今回のドラマでは、光石さんの演じるキャラクターがその役割を担っていて、北川景子さんが扮する東雲 樹に対する裏主人公です。
定年に差し掛かったポスト団塊世代にスポットを当てたのは、今まであまりネットに触れていなかった人が始めた結果、いろんな情報が氾濫しているネットの落とし穴に陥ってしまう部分を描きたかったから。偏向的な情報を鵜呑みにして翻弄されるイメージを、光石さんが演じる中年男に託しました。自分とは違うけど、見る人が理解や想像できるようにわかりやすいキャラクター像にしています」
手を打たないかぎり、炎上は勝手に消えてくれない
- 野木がTwitterを始めたのは2012年。今では12万人を超えるフォロワー数を持つ人気アカウントに成長した。
- 「TwitterといったSNSを通じてドラマを観てくれる人って案外いるんですよ。それに公式やテレビ局からじゃ言えないこともすごく多い。だったら、私のほうからそうじゃない視点でSNS展開をしたいなって。たとえば放送前の予告とか、そのあとの裏話や豆知識とか。そういった活動は『空飛ぶ広報室』のころからやってきました」
- 『フェイクニュース』の脚本を書くにあたって、複数のネットメディアや新聞社、メディア研究家、食品メーカー、広告やセキュリティ、ホスティングといったネットにまつわる諸問題など、さまざまな事柄を取材したという。その中には“ネット炎上”も含まれている。
- 「ネットは黎明期のころからやっているし、今回の取材もあったので、ネットウォッチ的な情報収集にはかなりアンテナを張っているつもりですが、数多くの炎上を見ていて思うのは、とにかく早いうちに手を打たなくちゃいけないということ。どれだけ気を付けて発言したとしても、受け取り手の考えは十人十色なので、思いもしなかった受け止め方をされて広がってしまうことがあります。そうした場合は早く意見表明したほうがいい。拡散が拡散を呼んだらもう止められないので、早めに元を断つイメージです」
- ドラマでも、本当に怖いのはネットではなく人だということを思い知らせている。一方でこうした炎上は、ネットメディアやまとめサイトが拡散に加担しているケースも。
- 「まだそこまで炎上していないのに、“炎上”というタイトルを付けた記事が出ることで、二次的な炎上を生む場合もある。呪いのような言葉が新たな状況を作り出してしまうことに、メディアもみんなも、もっと自覚的になったほうがいいよって思うことはあります。“批判集中”みたいなネガティヴワードもそうですよね。実際にはごく少数の意見でも、そうした記事が出ることで、大勢の意見がそうであるかのように誘導されてしまうことがある。それは怖いことだと思います」
- 事前に伝えることで回避できることもある。先日も、野木のあるツイートが話題になった。ドラマのロケ地といった聖地巡礼のタイミングとマナーに関するつぶやきだ。こうした発信はロケ地や作品だけでなく、自分自身のためにもなるという。
放送が始まるとロケ場所の特定などがSNSで拡散されると思いますが。強制はできないのだけれど、あまり場所などは呟かないでほしいなと思います。見学者が集まってしまうとご近所迷惑にもなるし撮影できない。逃げ恥の時もロケを飛ばして室内に変えざるをえないことがありました。撮影しにくい時代。
— アンナチュラルな野木亜紀子 (@nog_ak) 2018年10月9日- 「人が集まって撮影ができなくなると『室内の設定にしてください』って脚本を変えなきゃいけなくなる。
自分はこれがベストだと思っていたシナリオなのに、急きょ書き直すことになるのは本当につらい。『逃げるは恥だが役に立つ』のときも、そういったケースがありました。苦情問題もあって、ただでさえ撮影でご迷惑をかけているご近所から苦情が来ると、対応するスタッフも大変です。それで『獣になれない私たち』のときは万が一を考えて、始まる前から伝えようとプロデューサーにも言って、ツイートしました。問題になってからじゃ遅いんで」 - こうした脚本家視点による番組宣伝は、苦慮するところもあるものの、利点もあるという。やっていて良かったと思える実感があるからこそ、頻繁にメッセージを発信し続けていられるのだろうか。
- 「基本的には宣伝のために使っているけど、尊敬している方からリプライが来るとうれしいし、ときどき本当にどうでもいいことをつぶやきたくなることだってありますよ。それに私、大好きな『ツイン・ピークス』 関連のサブアカウントを持っていて、それがきっかけでツイン・ピークス本のインタビューに出させていただいたこともあります(笑)。
また、『獣になれない私たち』では、Twitterを通じてオススメのクラフトビールなどを布教すると、ビールアカウントのみんなが『あっ、ビールにちなんだドラマがあるんだ』って拡散してくれたりもして。そうすると、いつも観てくださる視聴者以外の人たちにも届くじゃないですか。悪い拡散だけじゃなくて、良い拡散もある。だからデメリットがよっぽど大きくならない限り、SNSはやり続けたいと思っています」
- 野木亜紀子(のぎ・あきこ)
- 1974年生まれ。東京都出身。日本映画学校を卒業後、ドキュメンタリー制作会社に就職。2010年、『さよならロビンソンクルーソー』で第22回フジテレビヤングシナリオ大賞を受賞し、同作のテレビドラマ化で脚本家デビュー。映画『アイアムアヒーロー』、ドラマ『空飛ぶ広報室』、『逃げるは恥だが役に立つ』、『アンナチュラル』などの脚本を手がける。10月10日から日本テレビ系で『獣になれない私たち』が放送中。
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