向井 理「戦争の時代を生きた人々の姿を描き残す」――映画『いつまた、君と 〜何日君再来〜』に込めた思い

理想の父親像を尋ねると、自身の父親の存在を挙げ、照れくさそうにこう続けた。「僕も、子どもにとってのヒーローでありたいですね」――。向井 理にとって、自身の祖母が残した手記を原作に、企画段階から参加した映画『いつまた、君と 〜何日君再来〜』は、ヒーロー映画なのかもしれない。ハリウッド映画のような、超人的なパワーを持つヒーローではない。戦後の日本社会を支えた名もなき英雄たち。そんな先人たちの姿をどうしても残したい。その思いが向井を突き動かした。

撮影/平岩 享 取材・文/黒豆直樹 制作/iD inc.

構想10年以上! ゼロから映画を作り上げる楽しさ

芦村朋子(尾野真千子)と吾郎(向井)の夫婦が激動の戦中、戦後を寄り添いながら生きていく姿を描いた本作ですが、出演だけでなく、企画という形で参加され、しかもご自身のおばあさま、おじいさまの半生を描いた物語ということで、これまでの出演作品とは違う感慨があるのではないかと思います。実現までにはご苦労もあったかと。
まあ、企画というか“言いだしっぺ”といいますか。僕は「やりたい」と言い始めただけで、何十回も企画会議に参加して…というわけでもなかったですから。大変だったのは周りのみなさんで、僕は自分が見たい映画を実現させてもらったという感じです。
とはいえ、単に「出演する」というだけとは異なる、これまでにない経験もされたかと思います。
ゼロから作品に関わるという意味で、いい経験でしたね。これまではすでに完成した脚本をいただいて、お仕事が始まり、それからいろいろと説明を受けていましたが、今回は台本を作っていく側であり、説明する側だったので。
それ以前に「誰と」作るのかというプロセスもありましたね。
僕はキャスティングには関わらないと決めていましたが、誰に台本を書いてもらい、誰に撮ってもらうのか? そういう過程に関わることができたのは、ぜいたくで幸せな経験でした。
原作の『何日君再来』は、おばあさまの手記を向井さんがパソコンで打ち直し、卒寿(90歳)のお祝いに親戚一同で、自費出版にて本にされたものだそうですね。映画にしたいという思いは以前から?
脚本家の山本むつみさんに本をお渡ししたのが、2010年の『ゲゲゲの女房』(NHK)が終わった頃なので「7年越しの企画」という言い方をされますが、いつかやりたいという思いは、この仕事を始めた頃から持っていましたし、事務所にも伝えていました。だから、始まりは10年以上前ですね。
10年越し!
ただ、強引に「動いてください」ということではなく、タイミングは見計らっていました。数年のキャリアでできるものでもないし、やっていいことでもないと思っていたので。なんとなく、いろんな人と出会っていく中で、いつかきっとタイミングが来るだろうと。焦ってもしょうがないですし、機が熟すのを待っていて、それが“いま”でした。
先ほども名前が出た、脚本の山本さんは、向井さんの名を世に知らしめたNHKの朝ドラ『ゲゲゲの女房』の脚本家ですね。
『ゲゲゲの女房』の脚本が本当に素晴らしくて、毎週「早く次が読みたい!」と思いながら読んでいました。あのドラマが、いろんな人に自分を知っていただくきっかけになったのは事実ですが、それは僕が頑張ったからではなく、そもそも脚本が素晴らしかったからで。それに後押しされて、僕らも頑張れたんです。
俳優さんが「読みたい! 演じたい!」と思える脚本だったんですね。実際、オンエアされると大きな反響を呼び、ここ数年の朝ドラブームの先駆けと言える作品になりました。
2009年の終わりから2010年の夏まで約10カ月間、毎日、本(脚本)と向き合っていて、オンエア前からある種の確信がありました。放送が始まって、だんだん反響が大きくなったときも「やっぱり」という感じでした。最終的には僕らにもよくわからない“お祭り”状態になっていましたが、脚本のおかげだと思っています。
今回の映画は、1940年代から戦後にかけて、苦労を重ねながら生きていく一家の姿が描かれており、時代背景という点でも『ゲゲゲの女房』と重なりますね。
そうなんです。『ゲゲゲの女房』に参加しながら「あぁ、自分のすぐそばにもこういう物語がある」と感じていました。ただ、作品の途中でお願いするのも変なので、すべてが終わったタイミングで、むつみさんに「いますぐはできないかもしれませんが、いつか書いてください」と本をお渡ししました。

戦争の姿を、次の世代に伝えるバトンが回ってきた

監督の深川栄洋さんとは、映画『ガール』でご一緒されてはいますが、出演シーンは決して多くはなく、そんなにガッチリと演出を受けたわけではないかと。なぜ深川監督にお願いを?
まず第一に、この昭和の時代を撮れる方ということが前提でした。そうなると、それこそ山田洋次監督をはじめ、時代を知っているキャリアのある監督はたくさんいらっしゃいますが、僕や尾野さんと近い世代の方に撮っていただくほうがいいんじゃないかと思ったんです。
それはなぜ?
この時代を背景にした作品をつくりながら、新たに発見していく感覚を“共通言語”として、監督をはじめ、スタッフ、共演者のみなさんと共有していけたらという思いがありました。そういう意味で、年齢が近い方とご一緒できればと思ったんです。『ガール』では少しだけでしたが、互いに「いつかガッツリやりましょう」と話していましたし、「誰とご一緒したいか?」と聞かれたときに、すぐに深川さんが浮かびました。
いまも話に出ましたが、この時代を描くということに、向井さん自身、強い思い入れを抱いてらっしゃいますね。本作のトークイベントでも「自分の家族の物語を描きたいんじゃなくて、この時代を残したい」とおっしゃっていました。
思い入れというと変かもしれませんが、僕自身、戦争ものの作品に参加してから、戦争というひとつの時代を境に、世界…とくに日本はまったく違う色になったということを強く感じました。だからこそ、その前後に何があって、なぜこうなったのか? それをきちんと残し、伝えていくべきだと思うんです。
ドラマ『歸國』(TBS系)、『永遠の0』(テレビ東京系)など、戦争に深く関わる作品に参加したことで意識が変わった?
ごくシンプルにいうと「二度と戦争をしないでほしい」という思いですね。だから美化することなく、そのまま描きたい。絶対に美化しちゃいけない。この映画の一家がたどる道も、戦争があったからというのが大きい。大変な思いをしないためにも、この時代を生きた人々の姿を描き残すのは大切なことだと思っています。
すでに戦後70年以上が経過し、あの時代を実際に経験した人たちがどんどんいなくなっています。だからこそ、向井さんや深川監督といった30代の若い世代のほうから「もっと残していこう」と働きかけるのは、すごく意味のあることですね。
うまく言えないですけど、ここ何年かで、バトンが回ってきた気がします。いま、自分が第何走者なのかはわかりませんが、前の世代から回ってきたバトンを受け取ったんだなと。それを自分がいつ、次の世代に託すことになるのかわからないけど、大事にしなくてはと思います。
あと20年もすると、戦争を映画やドラマで描くにも、あの当時を生きた人がほとんどいない中で作らなくてはならない状況になりますね。
いまでも所作を指導される方の年齢はどんどん上がっていますし、そもそも、そこにあまり長い時間をかけることもできなくなってるんです。以前ある作品では、役作りのために自衛隊に2日間、学びに行ったこともあって、そこで経験したことはいまだに覚えていますね。
制作の過程で、そこまでお金と時間をかけられないという状況も増えている?
だからこそ、当時の“生”の声――たとえば戦争を経験された現在もご存命の方に、彼らが何を食べ、何をして遊んでいたのか? といったことも含めて、直接聞いた話を伝えていかなくてはならない。とくにいま、それが必要とされていると思います。

追求したのは、昭和の情緒に見出した“美学”

朋子と吾郎の夫婦像も素敵でした。「愛してる」とか「好き」といった直接的な言葉をかけるのではなく、背中で語り、お互いの気持ちを察しながら、寄り添って生きていく。いまでは少なくなった夫婦像かもしれませんね。
昭和っぽいですよね。でも、そこに美学があると思います。僕は、日本人の美しさは、「恥ずかしい」とか「おこがましい」といった感情からくる行動にあると思っていて、そういう情緒が好きなんです。昭和の名作映画って、まさにそういうものを映していると思います。
この映画も昭和的ですね。あれほどの激動の人生を歩んでいるにもかかわらず、朋子も吾郎も多くの言葉で何かを説明せずに、物語が紡がれていきます。
それをきちんと撮れるのが深川監督の強みだなと思います。たとえば序盤の片桐はいりさんが出てくる中国からの引き揚げ船のシーンで、朋子の子どもを、自分が中国に置いてきてしまった子どもだと思って(片桐さんが)抱きしめるシーンがありますが、そこは、後半の朋子と娘のシーンと対になってると思いました。
後半、朋子が家族のために大きな決断をするシーンですね。
この作品ではあまりわかりやすい描き方はしておらず、見る人が感じ、考えて、いろんな想いを想像してもらえると思います。きっちり説明してしまうと、見る方もあまり想像せずに見てしまいますよね。みなさんそれぞれの感じ方で楽しんで見ていただければと思っています。

「7年前ではなく、いま実現できてよかった」

映画では、セリフが少ないからこそ、吾郎の数少ない言葉の重みが増しますね。
言葉の意味は、見える人によって違うものですし、それでいいと思うんです。深川監督は、感情や空気が撮れていれば、セリフを間違えてもいいという監督だと思います。最後に吾郎が朋子に思いを伝えるシーンでも、相手の目を見ないでポツリとつぶやいて、立ち去ってしまうけど、そこでも「言葉じゃない感情を撮りたい」と。むつみさんの脚本で、深川監督とご一緒できてよかったとすごく思いました。
“いま”という意味では、7年前でも10年前でもなく、30代半ばになったいま、この役を演じられたということも、結果的によかったのでは? 吾郎が結婚し、子どもが産まれたときの年齢が、いまの向井さんとほぼ同じだとか。
そうなんです。朋子と結婚して一緒に南京に行き、子どもが産まれたのが34歳のときで、僕も昨年のクランクインのときが34歳でした。これが7年前だと27歳。『ゲゲゲの女房』でも60代まで演じましたが、やはり年齢は、演じるうえで説得力があるのか? と難しさを感じていました。その意味で、これだけの時間がかかって、いま実現できてよかったなと思います。
実生活で父親になったということも大きいですか?
自分自身の感覚として、子どもが産まれたことでどれくらい変わったのか? なかなか客観視できないので、一概には言えませんが、やはり周りには「いろいろ変わったよ」とは言われます。ただ、産まれる前から子どもがいる役は演じていたので、とくに自分の中では演じるうえで変化はないと思っています。
向井さんご自身の、理想の父親像を教えていただけますか?
自分の父ですかね? 僕にとって、生まれて初めて出会ったヒーローは戦隊ものではなく、父でした。野球やラグビーをやっていて、当時、住んでいたのが7階の部屋だったんですけど、僕が7階からボールを落とすと、それを1階から投げてくれるんです。それだけで単純にカッコいい! って思っていました。どこを見て憧れてくれるかわかりませんが、僕も常にヒーローでありたいですね。
向井 理(むかい・おさむ)
1982年2月7日生まれ。神奈川県出身。O型。ドラマ『のだめカンタービレ』(フジテレビ系)、『バンビ〜ノ!』(日本テレビ系)、『ハチミツとクローバー』(フジテレビ系)を経て、2010年にNHK連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』で漫画家の水木しげるをモデルにした村井 茂を好演。その後もNHK大河ドラマ『江〜姫たちの戦国〜』、『S -最後の警官-』(TBS系)、『信長協奏曲』(フジテレビ系)、『遺産争族』(テレビ朝日系)など話題作に出演。映画でも『きいろいゾウ』、『小野寺の弟・小野寺の姉』、『RANMARU 神の舌を持つ男』などに出演。WOWOWの連続ドラマW『アキラとあきら』が7月9日より放送開始。

    出演作品

    映画『いつまた、君と 〜何日君再来〜』
    6月24日(土)より全国ロードショー!
    http://itsukimi.jp/

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