削ぎ落とした先に生まれる色気。斎藤 工が『昼顔』で身にまとうもの
男の色気って何だ? 映画『昼顔』の斎藤 工を見ていると、そんなことを考えてしまう。斎藤が演じる北野裕一郎は、生物の研究に没頭する大学の非常勤講師。ファッションや人づきあいには無頓着な一見冴えない男だが、自分が愛する対象を見定めた瞬間、瞳に静かな情熱の炎を灯す。そのウソ偽りのない瞬間に、そこはかとない色気を感じ、女性たちは惹かれていくのであろう。「普段、人に見せない瞬間」がキモ――そう語る斎藤の思うツボだ。
撮影/祭貴義道 取材・文/新田理恵 制作/iD inc.企画/ライブドアニュース編集部
イメージなんて「去年流行ったギャグ」のようなもの
- 世の女性たちを熱狂させたテレビドラマから3年。笹本紗和(上戸 彩)と禁断の関係を結び、「二度と会わない」という契約のもと別れたはずの紗和と北野が、ひょんなことで再会を果たすところから映画『昼顔』は始まります。再度この役を演じることで、固定イメージが増幅される不安はありませんでしたか?
- ドラマ『昼顔』を見てくださった方にも、また月曜日はやってくるわけですよね。イメージみたいなものは、だんだん風化されていくものだと僕は思っているので、「去年流行った芸人さんのギャグ」のようなものに近い気がするんです。
- 去年流行ったギャグ、ですか…。
- ドラマでの視聴者のリアクションを意識しすぎると、それが良からぬ方向に行ってしまうだろうなと思っていました。僕にとって『昼顔』は、ターニングポイントになった作品ではあるんですけど、だからこそ、意識しすぎない向き合い方をしなければいけないなと、映画版のお話をいただいた段階から思っていました。
- ドラマの続きというより、新たな気持ちで北野役に臨まれたということでしょうか?
- 同じ人物ではあるので、「新たな」というより、彼が過ごした2〜3年の時間と、僕が過ごした2〜3年の時間の経過は別にしないといけないな、ということを意識しました。
- 撮影に入って、その感覚はすぐつかめましたか?
- 北野って、雑な言い方をすると「省エネ」なんです。良い意味で、興味があるものの対象がすごく限られている。なので、それ以外のことにほとんど興味がなかったり、服装に無頓着だったり、人とのコミュニケーションを広げていくことをしない。それって実際、僕にとっても、すごく体力のいることなんです。
- もともと、北野と相通じるものがあるのですね。
- 自分にしかわからない心地良さみたいな。新しいインテリアを迎えると、今までの部屋の配置が変わってきたりするじゃないですか。人間関係も含めて、どんどん新しいものが入ってくると、なんかもう「面倒くさい」みたいになっちゃって(笑)。でも、それが北野に通じるところでもある。北野はそもそも、他者にも、自分にも期待していないところがあって、そういう部分にじつはすごく共感しているんです。
- だから「北野になる」必要はなかった?
- 「北野になる」というよりは、自分の不必要なエネルギーを排除していく作業でしかなかったです。
「普段、人に見せない部分」…それがこの仕事のキモ
- あか抜けないファッションも、動きがあまり機敏でない感じも、北野の一見野暮ったい雰囲気はドラマ版から変わっていない。なのに、相変わらず、紗和や妻の北野乃里子(伊藤 歩)、そして視聴者の女性の心をつかむ魅力があります。北野の、男性としての魅力をどう分析しますか?
- いやー、こればっかりは、ホントに(脚本の)井上(由美子)先生と西谷(弘)監督に作り上げていただいたものなので、僕はパーツとしてそこにいただけなんです。でも、ポイントになったのは、さっき言った「排除していく」ということです。「人の目にどう映るか」という視点のカメラをなくすということです。
- 北野にとっても、演じる斎藤さんにとっても?
- こういう仕事をしていると、余計にそういう視点を持ちすぎてしまうと思うし、気にし始めたらキリがないですけど…。人から見られる仕事であるということが、良くも悪くもお芝居に反映されてしまうんです。北野のような地味な生活を送っている人間を演じるときに、ものすごく邪魔をする。常に人から見られている環境にいる人間って、そういう環境にいる顔になってしまっていると思います。
- つまり、斎藤さんの中で、その意識を削除したということ?
- 彼(北野)はどちらかというと、メインストリートではなく、日当たりの悪いところにいることが日常にある人です。だから、ファッションも含めて、西谷監督がどんどん削ぎ落としてくださった。そんな北野が人から見たらどう映るかっていうことは、僕もまったく予想できなかったんですけど、フタを開けてみたら、僕にひとつの「色」を与えてくれた作品になっていたという感じです。
- なるほど。
- だから今回の映画版も、「ドラマで得た何かを、僕から醸し出そう」というのではなくて、監督や井上先生の脚本、そして制作陣の方々が僕ら以上に考え続けてくれている『昼顔』というものに、僕はちょこんと参加するという意識でいました。「映る人」だけで作られているものではないんです。とくに、現場ではスタッフさんや、職人さんたちに委ねる。クルーのひとりとして、「この人たちと同じ方向に向かおう」という感覚でした。
- 先ほど「削除していく」とおっしゃっていましたが、そこに北野の魅力を探るヒントがある気がします。人の目を意識した色気ではなく…無意識に滲み出るものに、女性は惹かれるのかもしれません。
- たぶん、プライベートなゾーンだと思うんです。それはもしかしたら、性別を超えて共感できる部分で、僕が女性主人公の作品を見ているときに共感するのも、やっぱりオフの部分なんです。普段、人に見せないものが映った瞬間。そこが僕は、この仕事のキモのような気がしています。